待ち時間
「トールたちはどうだったの?」
もっと頑張らないといけないなと意気込みを新たにしていたらフィナンシェからそんなことを訊かれた。
さらに続けてもう一言。
「たしか、作戦前は右手に布なんて巻いてなかったよね?」
「え、そうだな」
鋭い指摘。
この疑問にはどう答えればいいのだろうか。
正直に転んで擦りむいてしまったと言ってもいいが、それを言うと「実はトールって弱いんじゃ……?」という疑念がフィナンシェの中に生まれてしまうかもしれない。
その疑念から俺とテッドがこの世界の者でないことに気づかれるかもしれないし、それに、気を抜いていて転んでしまったと伝えるのは少し恥ずかしいような気もする。
俺とテッドもクレイジーモンキーに襲われはしたのだし、そのときに傷をつけられたから巻いているとでも言うか?
……それもなにか違う気がするな。
絶対に嘘を吐かないなんて信条はないがこんなことで嘘を吐いてもしょうがないような気がする。
だが、それならなんと伝えればいいんだ?
「トール?」
テッドに相談してみるか?
おそらく『素直に転んだと言えばいいではないか』という答えが返ってくると思うが。
「ねぇ、トールってば」
それ以前に、俺のことを化物級の強さの持ち主だと認識しているフィナンシェに向かって俺が怪我をしたと伝えるのはまずいんじゃないか?
もしかしたら「え!? トールが怪我するなんて、一体なにがあったの!? そんなに強い魔物がいたの!?」なんて騒がれるかもしれない。
その声がこの部屋の前をたまたま通りかかった誰かに聞かれでもしたら大事になってしまう。
俺がその魔物を倒したと言えば信じてくれるかもしれないが、次にくるのはその魔物についての質問だろう。
名前や特徴を尋ねられると思うが、あのダンジョンにいそうな強い魔物なんて三猿以外に思い浮かばない。
しかしスライムに匹敵する強さを持っていると思われている俺が三猿にやられたと言っても説得力がないのではないだろうか。
そもそも、じゃあその倒した魔物のカードはどこに行ったという話になる。
俺は当然そんなカードは持っていないし、カードも残らないほど跡形もなく消し去ったと伝えれば俺の実力がまた勘違いされてしまう。
強いと思われると今回のような依頼がまた舞い込んでくる危険も増える。
これ以上実力を勘違いされるのは避けたい。
「トール、聞こえてないの? もしかして寝ぼけてるのかな? おーい?」
「え!? あ、ああ。この右手か? これはおしゃれというやつだ。どうだ、似合ってるか?」
「あ、やっぱりそうだったんだ! うん、かっこいいよ。すごく似合ってる! すっごいおしゃれ! 今度、私も真似してみていいかな?」
「もちろんだ。いくらでも真似してくれて構わないぞ」
「わぁ、ありがとうトール!」
……おかしい。
どうしてこの布がおしゃれという話になってしまったのだろうか?
というか、これってかっこいいのか?
よくわからないな。
そんな風に目をキラキラさせて「わぁ!」なんて感動するほどのかっこよさがこの布切れ一枚にあるとは思えないんだが。
なんだか、フィナンシェの美的感覚が心配になってきたな。
まぁいいや。
気を取り直して話題を戻すか。
「それで、俺とテッドがどうだったかという話だったか?」
「あっ、そうだった! トールたちはどうだったの? 魔物と遭遇したりした?」
そうだった、って、自分から話題を振っておいてそのことを忘れていたのか。
フィナンシェらしいといえばらしいが、なんというか本当に抜けているやつだな。
「一度クレイジーモンキーに接近されたぞ。他にも何体か近くにいたみたいだが、そっちは隠れたまま最後まで姿を現さなかったな」
「そのクレイジーモンキーは倒したの?」
「いや、いつもと同じだ。ある程度まで接近してきたらそのあとは急に尻尾を巻いて逃げて行った」
「そっか。やっぱりトールとテッドはすごいなぁ。魔物が怯えて逃げ出すなんてよっぽど実力に差がないとありえないもん」
実力に差がないとありえない、か。
たしかに俺とクレイジーモンキーにはかなりの実力差があるな。
テッドとクレイジーモンキーなんて比べるまでもない。
ただ、その実力差というのがフィナンシェの想像と真逆をいってしまっているというのが残念なところだが。
「そのあとは何事もなくフィナンシェと合流して今に至るって感じだな」
「トールたちも私とおんなじ感じだったんだね」
「そうみたいだな」
実際は天と地ほどの差があったがな。
口が裂けてもそんなことは言えない。
……いや、べつに口が裂けそうになってまで隠すようなことでもないか。
今日のこととか、本当の実力だとか。
そのうち自分で納得できるような強さを身に付けたらフィナンシェに正直なことを話そうとは思っているが、その日は一体いつになることやら。
当分は話せそうにないな。
腹が減ってきた。
フィナンシェが部屋に来てから一時間くらいは経ってるんじゃないか?
窓がないからわからないが、そろそろ外は暗くなり始めている頃だろう。
「お腹すいたねー。宴はまだかなー?」
フィナンシェがそう言うが、お腹が空いたという割には顔がにこにこしている。
いつもなら何かを食べ始めていてもおかしくない頃だというのにおやつすら口にしていない。
そんなに宴が楽しみなのか。
特に、モラードカレーとかいうやつが。
『宴とやらはまだ始まらないのか。いつになったら食えるんだ』
こっちは少し荒れ始めているな。
馬車の中でフィナンシェからおやつを分けてもらって以来何も食べていないみたいだし無理もないか。
そういえば、どうやってテッドに料理を食べさせればいいんだ?
いつもならかばんの中にどんどん料理を流し込んでいくだけなんだが、宴の最中にそんなことをしていたら変に目立ちそうだし、おかしな目で見られそうだな。
宴にかばんを持っていく時点でおかしいような気もするが、まぁ行ってみてから考えればいいか。
「あ、外が賑やかになってきた。そろそろかな?」
「そうかもしれないな」
フィナンシェの言う通り、外が騒がしくなってきた。
本格的に宴の準備が始まったのだろう。
「うーん。待ちきれないけど、時間になったら呼びに来てもらえることになってるし、兵士さんが来るまでちゃんと待ってないとダメだよね」
俺としては一足先に外へ出てしまっても何の問題もないと思うがフィナンシェ的にはしっかりと呼ばれるまで待っていないとダメらしい。
この辺は人魔界出身の俺とこの世界出身のフィナンシェとの感覚の違いだろうか。
それとも単に俺が大雑把なだけか?
フィナンシェやテッドと会話をしながら時を過ごすことしばらく。
兵士が俺たちを呼びに来たのはそれから二十分後のことだった。