眠って起きて
ノエルという少女に静かにしてくれと言い続けていたら少女が泣き出してしまった。
これは完全に予想外だ。
とにかく一旦落ち着かせないとまずい。
「おい、おま……」
「うわあああああああああああん!」
「泣きやめ……」
「うわああああああああああああああん!!」
取り付く島がない。
俺の言うことなんて聞いちゃいない。
これでは泣き止ませることもできない。
というか、少女が泣き始めた瞬間に馬車が一瞬大きく揺れたせいで体調が悪化した。
気持ち悪い。
《なぁ、テッド。これって俺が悪いのか?》
『知らん。自分で考えろ』
《考えてもわからなかったから訊いたんだが……》
ダメだ。
テッドは当てにならない。
「フィ、フィナンシェ。これなんとかできな……」
「ん、なあに? トールもお腹空いたの? はい、これ分けてあげる!」
「いや、そうじゃなくて。果実を渡されても困るんだが……」
フィナンシェもダメだ。
食べ物のことしか頭にない。
「誰か……」
縋るような目で馬車の中を見回しても目を逸らされるか微笑まれるか、少女を泣き止ませようとしてくれる人はいない。
微笑んでいる三人に関してはどう見ても傍観者気分で俺たちの様子を面白がっている。
少女の泣き声を迷惑そうにしている人がいないのは良かったが、これでは俺の身が持たない。
馬車の揺れと少女の泣き声の板挟みで気持ち悪さと頭痛がどんどん悪化していく。
今もなお、うわあああああああん、うわあああああああんと泣き続けている少女。
その声は大きく、途切れることがほとんどない。
延々と泣き続けそうな少女を止める方法が思いつかない。
孤児院のチビたちでもこんな泣き方しなかった。
しかし、これ以上泣き喚かれると俺の体調が本格的にやばくなる。
頭は割れるように痛く、視点が定まらなくなってきている。
少女の声がうっとうしい。
すでに吐き気を通り越して意識を失う寸前。
少女の声がうっとうしいというよりむしろ、少女の声以外の音がよく聞こえない。
全体的に音が遠い。
早く少女をなんとかしないと本当にやばいことになる。
「おい、お前……」
いや、違うな。
この少女は名前で呼ばれないことに不満を持っているようなことを言っていた。
お前という呼び方じゃダメだ。
「ま、またっ、またお前って、言った……アタシは、ノ、ノエリュ、ノ、ノエル、うぅう、うわあああああああああああん!!」
少女が泣き始めて以降初めての泣き声以外の声。
やっと少女からちゃんとした発言を聞けた。
やはり、お前呼びはダメなようだ。
そして、俺の発言に反応したということは聞く耳は持っているみたいだな。
それならなんとかなるかもしれない。
「おい、ノエル」
「うわあああああああん」
止まらない。
「ノエル」
「うわあああああああああん」
これでも止まらない。
「ノエル!」
「うわああああああああああん」
全く止まる気配がない。
「おい、ノエル。おい!」
「ひぃっ! な、なによ……」
たまらずノエルの顔を覗き込んだらやっと泣き声が止まった。
「はぁ、やっと泣き止んだか」
まさか正面から目を合わせるだけで泣き止むとは……そんなに俺のことが怖いのか。
最初からこうしておけばよかったな。
泣き腫らした目からはまだ涙が流れてきているし「ひっ、ひっく」と嗚咽のような声も漏れているが、喚き声が止まればそれでいい。
なんとか意識が飛ぶ前に静かにさせることができた。
あとはこのまま静かにしていてくれれば……。
「き、気安く呼ばないでよ!」
「は?」
「ア、アタシの名前を、気安く呼ばないでって言ったの!」
こいつはまたそんなことを……。
せっかく泣き止ませることができたのに、そのまま静かにしていてくれはしないのか。
「よ、呼び捨てなんて、許してないんだから……ぐすっ」
嗚咽交じりで途切れ途切れの声。
まだまともに話せる状態じゃないなら黙っていればいいのに……。
「そ、そうね。アタシのことは、ノエル様って呼びなさい! アンタはアタ……」
あぁ、もうダメだ。
意識がもたない。
「フィナンシェ。あとはまかせ、た……」
眠ってしまう直前、なんとか絞り出した言葉はフィナンシェに届いたのだろうか……?
……最悪の寝覚めだ。
起きたら気分は悪いままだし、俺の意識が飛ぶ原因をつくったノエルがなぜか部屋の中にいる。
こいつはどうして俺のベッドの真横に椅子を置いて座っているんだ?
「お、おはよう! よく眠れたかしら?」
声がでかい。
話すなら、もう少し小さな声で話してくれ。
「あ、あれ、おかしいわね。返事がないわ。目は開いてるし起きてるのよね、これ? やっぱり、おはようじゃなくてごきげんようの方がよかったのかしら?」
ノエルが何かアホなことを言っているが反応できない。
馬車の中では気分が悪くてもあれだけ言い返すことができたのに、今は言葉が出ない。
あのときの謎の興奮状態はもう醒めてしまったみたいだな。
ところで、ここはキャンプ地の建物の中だろうか?
首を動かす余裕もないからどんな部屋か確認することはできないが、たぶんそうだろうな。
フィナンシェかこのキャンプ地にいた兵士かは知らないが、しっかりと眠れる場所まで運んでくれたのはありがたい。
ありがたいのだが、この謎の置き土産はなんなのだろうか?
俺を部屋まで運んだ者は今この部屋の中にいないようだし、どうせ部屋から出ていくのならノエルも一緒に連れて行ってほしかった。
というか、ノエルをまず部屋まで連れてこないでほしかった。
「まだ寝てるのかしら?」
そんなことを言いながら、つんつん、と俺の頬を突いてくるノエル。
すごくうっとうしい。
「ま、まぁいいわ。寝てても起きててもかまわないもの。アタシもそろそろ自分の部屋に戻るんだから」
この部屋から出て行ってくれるのか。
それはいい。
「そのまえに、一言だけ言っておくわ」
なんだろうか?
なんでもいいから早く部屋から出て行ってほしい。
「さっきはどうして急に寝ちゃったのかわからないけど、寝不足で戦闘に参加したのだとしたらそれは正気じゃないわ。そんなのはバカのすることよ。早死にしたくないのなら体調管理はしっかりしなさい」
一言どころか二言三言くらい言っている気がする。
「そ、それと――」
まだ続くのか。
「それと、アタシのことはノエル様と呼びなさい! じゃ、じゃあね!」
そう言ってバッと立ち上がったノエル。
タッタッタ、バタンと、ノエルが小走りで部屋を出て行ったような音が聞こえた。
馬車の中では泣き止んだと思ったら突っかかってこられたが、さすがに今回は部屋に戻ってくるなんてことはないだろう。
今度こそ本当に静かになったな。
それにしても最後は照れたように顔を赤くして行ってしまったが、どうしたのだろうか?
出会って間もないから当然といえば当然かもしれないが、行動が突飛すぎてノエルの考えていることはよくわからん。