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あれから五日の時が過ぎた。
二人が別れたという噂は、学園中に事実として広まり、もうその関係が戻る気配はない。
男友達と談笑しながら廊下を歩く朝陽君の様子が、目に留まっても、その隣には理香子ちゃんの姿はない。
それに未だ、少しだけ寂しさを感じるけど、そのうちこの寂しさもなくなってしまうのだろうか。
昼休み、弁当を食べ終え、教室の自分の席で、そんなことを考えながら、今回の出来事の顛末をノートに書きこんでいると、ふいに目の前のノートが消えた。
「えー、なになに? きっとこの別れは、必然だったのだろう? なにこれ」
慌てて視線を上げると、そこには大栗学園イケメンランキング(私調べ)四位の赤石 透が、私のノートを手に取って読んでいる姿があった。
「ちょ、返してください!」
まずい、このノートを読まれるのはすっごくまずい!
朝陽君と理香子ちゃんの間で起きたことを書いている今のページだけなら、まだ言い訳はできる。
でも、他のページを読まれるのは絶対に阻止しないといけない!
そこには赤石君のことも含めて、私が学園のイケメンや美少女をこっそり観察して得た情報や、考察が書かれてるのだから。
私は慌てて立ち上がり、赤石君の手からノートを取り返して、絶対に取られないように両手で、胸のあいだにノートを隠すようにして持つ。
「私になんの用ですか?」
朝陽君と同じクラスで、二年の男子。
すこし長めのミディアムヘアーをばっちりセットした、アイドル風のイケメン、それが赤石 透だ。
そんな彼は学園の女子達から嫌われている。嫌悪されているといってもいい。
ルックスは抜群、背も低くはないし、愛想だって悪くない。
お洒落さでは、学園でも一、二を争うレベルだし、勉強や運動もできるほう。
そんな彼がなぜ女子から嫌われているのかといえば、全ては彼の素行が原因だ。
学園の女子と付き合っては、酷い振り方をし、付き合っては、酷い振り方をし、繰り返すこと十数回。
そのたびに学園中に彼の悪評が轟き、今ではこの学園の女子で彼の相手をする子はもう誰もいない。
私も彼を観察して、その悪行をこの目で見てきた。
やれ「君にはもう飽きた」から「別の子に告白されたから、君とは終わりね」まで。
女子を愚弄するその悪行、許すまじ! って私はべつになにもされていないから、今この時までは嫌いでもなければ、好きでもなかったんだけど。
「三美さん、朝陽の相談にのったんだって? じゃあさ、俺の相談にものってくれない?」
そういえば、私が投げた朝陽君のマスコット、赤石君が朝陽君に渡してくれたんだっけ。
それで赤石君が朝陽君に、マスコットを投げたのが私だって伝えたんだよね。
うーん、あの時も驚いたけど、どうして赤石君は私のことを知ってたんだろう?
「朝陽にあのマスコット渡して、三美さんからだって伝えたのは俺だよ? これってつまり三美さんは俺に借りがあるってことだよね?」
う……それを言われてしまうと弱い。
私からだって伝えてほしいなんて、言った覚えはまったくないけど、あの大暴投したマスコットを、赤石君が朝陽君に渡してくれたのは、れっきとした事実だ。
あのマスコットの由来を知っている今、「渡してなんて頼んだ覚えはない」なんて、口が裂けても言えないよ。
「……わかりました。それで相談ってなんですか?」
渋々だけど話を聞くことにした私は、イケメン美少女観察ノートを、赤石君に盗られないように大事に持ちながら、席に座って聞く態勢をとる。
「お! 聞いてくれる気になった?」
それを見て赤石君が、近くの誰も座っていない席の椅子を、私の前まで持ってきて、そこに座った。
「それで、三美さんにやってもらいたいことなんだけど」
やってもらいたい!? 相談じゃなかったの!?
話をするだけならって思ってたのに、ナチュラルに私が解決することになってない?
だけど私は赤石君に借りがある。弱みがある。
うぅ……しょうがない。
無理なことじゃなければ、やるしかない……かぁ。
「最近さ、一年の子にストーカーされてて困ってるんだよね」
おや、意外な内容だ。
私はてっきり、友達の女の子を紹介しろだとか、もうお前でいいから一回、抱かせろだとか、そういうことを言われるんじゃないかって思ってた。
いや、でも後者はないかな。なんだかんだいっても、赤石君はイケメンで、住んでいる世界が違うわけだし。
それにそんなことを本当に言われたとしても、それは絶対にお断りだし!
「でさ、三美さん、ちょっとその子にやめるように言ってくれないかな? 実害はないけど、迷惑なんだよね」
なるほど、そんなことならお安い御用だ。
相手は女の子で一年生ってことだし、きっとまだ赤石君の悪評を知らない子なんだろう。
見てくれだけならアイドルしててもおかしくないし、それならストーカーになる子がいても不思議じゃない。
私はこれまでの赤石君の悪行を、実際に何度かこの目で見ているわけだし、その話をしてあげれば百年の恋も冷めるってものでしょ。
「それくらいなら……わかりました。これで貸し借りなしですよね?」
朝陽君のときと違って、赤石君が相手だと全然緊張しないのは、たぶん私が赤石君のことを全く意識していないから。
人として最低な相手って、いくら見た目がよくても、そういう対象には入らないよね。
「おっけおっけ。これで貸し借りなしね」
「それで、そのストーカーっていうのが、誰なのかはわかってるんですか?」
赤石君が一年の子って言うからには、きっと名前とか、どのクラスの子なのかも知ってるんだろう。
それなら私がすることは、その子に赤石君の数々の悪行を語って聞かせることだけ。
そうすれば私は赤石君に借りがなくなってハッピー、赤石君はストーカーがいなくなってハッピー、ストーカーの子は赤石君なんかに貴重な時間を使わなくてすむようになってハッピー、三人がみんな幸せになる最高の選択だね!
「一年D組の白瀬 美帆って子、今も教室の入り口のほうでこっちのこと見てるでしょ?」
言われて赤石君の後ろにある、教室の入り口を見ると、たしかに頭をだして、こちらを見ている女の子の姿があった。
白瀬 美帆ちゃんは、大栗学園美少女ランキング(私調べ)七位の女の子。
サラサラで綺麗な長い黒髪に、クリっとした目、透き通るような白い肌が、なんとなく日本人形を思い起こさせる、そんな美少女だ。
それがまさか、赤石君なんかのストーカーをしているなんて驚きだ。
大人しそうな雰囲気の子で、チャラい赤石君みたいな人を好きになんて、絶対になりそうにないのに。
今すぐノートに、このことを書き込みたい衝動に襲われるけど、赤石君が近くにいる間はダメ! 話が終わって、ちゃんと赤石君が近くにいないことを確認するまで、このノートは封印しておかなきゃ。
「それじゃあ私、話してきますね」
美帆ちゃんのことなら、一方的にだけど知ってるし、本人が近くにいるのなら、サッといって、サッと話して、サッと終わらせてしまおう。
私には観察ノートを書くという大事な使命がある。赤石君のことに、煩わされている時間は惜しいのだ。
絶対に見られちゃいけないノートをしっかりと両手で持って、美帆ちゃんのいる教室の出入り口へ向かうと、近づいてくる私を見た美帆ちゃんは、その場から走って逃げていった。
「待って、あの、ちょっと話……」
走り去っていく美帆ちゃんの後ろ姿に、待つように言ってみるけど、その足が止まる気配がない。
「えぇー……」
まさか逃げられるなんて思ってなかった私は、その場に呆然と立ち尽くす。
べつに私は怒ったりもしていないし、怖い顔をしているわけでもないし、なにも逃げることなんてないのに。
どうして? どうして逃げちゃったの美帆ちゃん。
「ま、がんばってよ」
いつの間にか、私の斜め後ろに来ていた赤石君がそう言って、私の肩に手をあててニヤリと笑う。
でも、赤石君が近づいてきてたことに全く気付いてなかった私は、突然肩に触れられたことに驚いて
「ひゃっ!」
と小さく悲鳴をあげて、その手を振り払った。
ビクンってした! ビクンってしたよ!
ビックリして思わず赤石君の手を、振り払っちゃったけど大丈夫かな?
ごめんなさいって反射的に一瞬、謝りそうになったけど、ちょっと待って、これって赤石君のほうが悪いよね?
そうだよ! たいして仲良くもない、むしろ私は若干嫌い寄りな男の子に肩を触れられたんだよ! これってセクハラだよ!
「っと、ごめん」
まさか私にそんなふうに振り払われるとは思ってもみなかったのか、赤石君が戸惑った様子で謝ってきた。
まぁ、赤石君も悪気があったわけじゃないだろうし、私なんかに下心があって、やったことでもないだろうから、そんなに気にしないけど、もう私には触れないでね。
って、強く言えればいいんだけど、根がチキンな私にそんなことが言えるはずもなく
「私のほうこそ、ごめんなさい」
と謝ってしまう。
まぁ? 私もゆっくり振り払うなりすればいいのに? ビックリして強く振り払っちゃったわけだから? 謝るのが正しいわけで?
つまりこれはこれで一つの正解。むしろ怒るより謝るのが、この場ではたぶん正解なんだよ!
突然のことで混乱した頭が冷静になっていく。
そこで、はたと気づいた。
私の手に握られていたはずのノートが、手元にないことを。
あれ? 私のノートは……?
おそるおそる下を見ると、手に持っていたはずのノートが私の足元に落ちている。
一ページ目、大きく『大栗学園イケメン、美少女ランキングノート』と書かれたページが見えるように。
「ほら、落としてる……よ?」
そしてそれを、親切心から拾おうとする赤石君。
ヤバイ! と思ったときにはもう遅い。
ノートに書いてある文字を見て、一瞬驚くように目を丸くしたあと、嫌らしい笑みを浮かべて素早くノートを手に取った。
「か、返して!」
赤石君の手からノートを取り返そうとするけど、それを赤石君が軽くかわして、ページをペラペラとめくって読んでいく。
「返してください!」
そう強く言いながら、何度も取り返そうと腕を出すけど、そのどれもが全て、赤石君に軽やかにかわされてしまう。
おしまいだ。もうおしまいだ。
学園のイケメンや美少女を観察して、その日々の行動や起きた出来事をノートに書いてるなんてこと、みんなに知られたら、学園になんて行けない。
だってそうでしょ? そんなことしてるって知ったら、きっと私のことをみんな気持ち悪い子だって思うよ、危ない子だって思うよ。
私だって、ちょっとおかしな趣味だってことくらい、自覚してるんだから。
だから未久里ちゃん以外には誰にも話していないし、知られないようにしてたのに……。
「へぇー。たまに俺とか朝陽のこと、隠れて見てるなって思ってたら、そういうことだったんだ」
こっそりと見てたことまでバレてる!?
もうダメだ。そこまでバレてるのなら、言い訳すらもできないよ。
きっとこれで、学園中の皆に、私が他人にランキングをつけてて、しかも普段の行動をこっそり観察してノートにまで書いてるってことが知られてしまうんだ。
それでもう、私の傍には誰も近寄ってもこなくなるんだ。
私のことを遠巻きに見ながら「キモイよね」とかって陰口をたたかれるんだ。
そうして、そのうちそれがエスカレートしていじめられて……。
そんな未来を思い浮かべて、体から力が抜けて、へなへなとその場に座り込んでしまう。
「いやー、良いこと知っちゃったよ。ねぇ? これでもう俺には逆らえないね、美子ちゃん」
そう言って、赤石君はノートの角で私の頭をコツンと叩いた後、そのまま私に返すことなく、ノートを手にその場から去っていく。
あ、私のノート……って思ったときにはもう遅く、赤石君の姿は見えなくなっていた。