んだと僕
ついに最後になってしまった。最後の文字である『ん』だから、真面目に行こうと思う。『んだ』は『そうです』という意味らしいんだ。『んだ』は『のだ』の砕けた言い方でもあるらしいんだ。んだんだ。僕はたぶん『んだ』という言葉を使いたいだけなんだ。
『んだ』と聞くと、ンダンダンダンダというカスタネットの叩き方が頭に浮かぶ。浮かぶ時もあるが、そんなには浮かばない。【踏んだり蹴ったりでジダンダを踏んだんだ】という文章には『んだ』が四つも入っている。なんて贅沢なんだ。『んだ』という言葉は意外と日常に溢れているかもしれない。
『んだ』を使ってボケたい。でもボケたいんだボケたいんだと思っても全然思い付かない。『ん』という平仮名の印象は、壁をよじ登ってきたイモリの前足二本と頭のように見えるなっていう印象だけだ。
僕をさりげなく弱らせるとしたら、僕が行く場所に先回りして、僕に聞こえるような少し大きい声で、友達の話に、んだんだ、とだけ相槌することを続けていけばいい。んだんだ、が呪文のように聞こえてしまい、かなり弱るだろう。その友達が話す話の内容が、【踏んだり蹴ったりでジダンダを踏んだんだ】だったら、余計に弱ることだろう。




