涙と僕
最近は玉ねぎばかり刻んでいるので涙は結構出ている。映画やドラマでウルウルすることも最近増えてきた。でも少し涙が溢れる程度で号泣とまではいかないくらいだ。
だけど玉ねぎを切っているときの涙は綺麗にポタリと床に落ちた。下を向いて玉ねぎを切っていたこともあり、しずくは綺麗に目から離れて落下していった。綺麗な涙を流した場面を撮影したいのであれば玉ねぎのみじん切りをオススメしたい。
最近は無性に感動したくなったり、無性にキュンキュンしたくなったりしている。少し前には泣ける短編集みたいなものを買って読んでしまった。少し前に流行った泣ける小説も読んだ。読んだときには久し振りに物語で涙を流した。その小説が原作の映画をテレビでやっていてそれを録画して見たときもまた泣いた。
小説とは少し違うストーリー展開で、あまり期待をしていなかった。それにほぼ知っているストーリーをもう一度見ても泣かない体質だと思っていた。しかし見事に泣いた。泣けるストーリーの組み立て方を知りたいと少しだけ思っている僕がいた。
日常生活で自然と泣いてしまうのではなく、泣きに行ってる。泣ける小説を見たり泣ける映画を見たり。そんなことに気が付いたが別にいい。「最近は涙もろくてすぐ泣いちゃうんだよね」とかは言わない方が良さそうだ。しっかりと泣く体勢を整えてから泣いているのだから。この場合は「最近は涙もろくて、泣きに行くとすぐ泣いちゃうんだよね」と言うのが正解かもしれない。
僕はトイレに弱い。トイレの汚いものに弱い。学校に通っていたとき、トイレ掃除で必ず一回は吐きそうになっていた。そして必ず一回は涙目になっていた。そんな気がする。床掃除や手を洗う場所を掃除していても吐き気は出ては来ない。しかし便器の中を擦っているときはもう駄目だ。特にこびりついているものを見ると駄目だ。
一回あくびしただけででっかい滴が目から落ちたこともあった。僕はたぶん色んな意味で涙もろいのだと思う。トイレ掃除でもあくびでも玉ねぎでも涙を流すことが出来る。涙もろい以外の何者でもない。
僕をさりげなく弱らせるとしたら、徹夜明けのあくびが出るような状態を作り出し、玉ねぎをみじん切りにするタイプのオニオングラタンスープを作るように仕向け、トイレ掃除の重要性を訴えるようなネットニュースを流してトイレ掃除へと誘導し、感動映画を見るように勧めればいい。いろんな事柄で泣きすぎて今は何で泣いてたんだっけみたいになって弱る。それに泣きすぎて弱るだろう。




