ハゲおにいさん
初投稿です
その日は快晴だった。
ルミは、何気なしに空を仰ぎ見る。
見れば先程まで雲ひとつなく晴れ渡っていた空に、どこから湧いてきたのか、暗雲が立ち込めているのだった。
快晴は、過去形だった。
あいにく、その日の降水確率は0%だったので、当然傘を持ち歩いていなかったルミは辺りを見回し、雨宿り先を探した。
すると、ちょうど目と鼻の先の場所にバス停小屋がある。
これはしめた、と駆け込んでルミは一息をつく。
自宅までの距離は、走って帰ることができるほど近くではないが、かといって、バスに乗るほどの距離でもない。そして、空の様子から察するに、これから降る雨は、すぐ止む気がした。
なので、ルミはバス小屋で雨をしのぐつもりでいた。
間もなくして、黒い針状のモノが嵐の如く降り始める。
空から降る黒いそれは、豆腐に指を沈めるような易さで、鉛直にコンクリートへと突き刺さる。
その後、超自然的パワーによって地を貫いた黒針は、力尽きたかのようにふにゃりと柔らかくなり地面に堆積していった。
次々に降り注いではヘたれこむその様子は、殺人的を通り越して喜劇的だった。
ルミがしゃがんで針だった物を手に取ると、それは紛れもなく髪の毛であった。
「あ、枝毛」
枝毛であった。
空に目を凝らすと、黒雲の正体は巨大なアフロだと気付いた。
なるほど、だから髪の毛が降ってくるのか。目から鱗である。
そしてルミは思う。もし、あと数秒でも小屋に駆け込むのが遅かったら、制服が散髪時の比じゃないくらい大惨事だった、と。
ルミは平坦な胸を撫で下ろした。
「あれは僕の髪の毛です」
突然、隣で雨宿り――もとい毛宿りを居合わせていた青年が、話し掛けてくる。
青年は禿げていた。
注視すると、髪の毛どころか眉毛も睫毛もなかった。
下からさりげなく覗き見ると鼻毛もなかった。
ルミは不思議に思い、「どうしてハゲているの」と訊いてみる。
青年は答えた。
「それは、僕の頭が良いからです」
どういうことだろうか。
「知能の高い生物ほど体毛は少ないのです。例えば、イヌやネコ。彼らは毛むくじゃらですからね。当然頭が悪いんです。一方、イルカやヒトは毛が少ないので優れた頭脳を有しています。……ほら、テレビで観ませんでしたか? イルカが三角関数のみならず四角関数や星形関数を解いたってニュース」
「サカナやヘビは私達より頭が良いの?」
「ええ、ええ。彼らはインテリです。ヘビは頭が良いから手足を分離して、人目のつかない場所でチェスに興じたりしています。裕福なサカナはスカイフィッシュになって月面旅行に行ったりしていますね」
青年の話に耳を傾けながら外を眺めていると、髪の毛が黒色から金色に変わった。
「おや、珍しいこともあるものだ。欧州からここまで流れ着いたのでしょうか」青年が感嘆の唸り声をあげているが、傍らのルミにとって髪の毛雲の原産地に興味はなかった。
それよりも、ベランダに干していた布団の安否を気にしていた。きっと、毛虫みたいになっているに違いない。
ルミが壁に寄り掛かりながら青年の蘊蓄に適当な相槌を打ってやり過ごして十数分。
「…………」
北国と南国の髪質の違いを饒舌に説明していた青年が急に黙りこんだ。
どうしたのだろうとルミが青年を見やると、彼はルミを頭から爪先まで粘着質に観察していた。
彼の目の焦点はお留守だった。
「……ところで制服の貴女。馬鹿になり始めてますよ?」
青年はおもむろにルミへと手を伸ばす。
ルミの長髪を引っ張る。
痛い痛いと身をよじるルミ。
女学生が大人の男に力で勝てるはずもなく、ブチブチとなされるがままに頭の身ぐるみを剥がされていった。
ルミはハゲになった。
頭が良くなった実感はないし、こんな頭で明日から学校に行かなければいけないのか。
と、頭をさすりながら青年に抗議しようとしたルミを見て青年の格好を見て言葉を失った。
青年は裸だった。
産まれたままの姿であった。
男の身体には産毛の一つも生えていない。
何処までも不毛地帯が広がっていた。
いつから裸だったのか。いや、そもそも青年は初めから服を着ていたのか。
混乱するルミをよそに、青年は首を傾げる。
「おかしいですね。もっと頭が良くなるはずですが。……今の僕の無毛状態を理想として……もっとハゲにしてみましょうか」
青年がにじり寄ってくる。
どうやらルミの身体から毛という毛を一本残らず剥ぐつもりのようだった。
嫌だ、とルミは言ってみるが、男は全然聞いている様子がない。
青年に他意はなさそうだったが、端から見ると変質者であった。
世間体が気になるお年頃のルミは変質者にこれ以上関わりたくはなかった。
仕方がないので、「えい」と、裸の青年を突き飛ばす。
よろめいた青年は小屋から身を曝す。
そこに、金色の雨が降り注ぐ。
すると金毛が青年の全身に、植毛のような要領で突き刺さり、彼は毛むくじゃらの人型になってしまった。
猿人と形容した方が近いかもしれない。
金色の青年が弁慶の立ち往生のような状態になっる。
固唾を飲んで、それを見るルミ。
永遠に感じられた数秒の沈黙の後、青年が吠えて時が動き出す。
「……ワン!」
彼はルミのことなど忘れ去り、さも当然かのように四つん這いになると「ワンワン」とイヌの真似をしながら駆け出し、毛の降る街へと消えていった。
ルミはそれを静かに見送った。
雨が降り止む。
雲は失せ、空はすっかり夕日で赤く染まり、握りこぶし大の太陽が地の果てへと沈もうとしていた。
ルミは足元に散乱する自身の髪の毛を広い集めて帰路につく。
晩ご飯はサカナではなく肉にしよう、とルミは思った。
貴重な時間を潰してごめんなさい