男々しい彼女と女々しい彼の、3時間だけの駆け落ちの結末
世の中う゛ぁれんたいんとか言う風習に苛まれる日だと聞いて。若いカップルの話書いてみた。
「・・・見て、朝焼けだ・・・。」
ふと声が聞こえて現実に引き戻された。長い長い坂の途中、まだまだ目的地は見えてこない。それでも、既に生まれ育った町は眼下に遠く、小さな光がぽつぽつと見えている。
「ほんとだ・・・。」
気が付かない内に、結構な時間が経っていたらしい。今更になって、一心不乱に前に前にと進み続けてきた足が疲労と痛みを訴えてきているのにも気付いた。家を飛び出した時にはあれ程の熱を感じていた彼女の手は、繋いだ僕の手と一緒に冷えきってしまっている。彼女の方を見ると、お気に入りなのだと話していた赤茶のニット帽を目深に被り、頬は赤く、白い息を絶え絶えに吐き出していた。未来への希望に溢れていた目は、今は寂しげな朝焼け色に染まっている。
「ごめん、寒かったよね・・・。」
焦りすぎて彼女の事を考えていなかった。反省せねば。これからは僕が彼女を守ってやらねばならないというのに。これでは先が思いやられる。こんな調子では、いつまで経ってもあの頑固親父に認めてもらう事など叶わないだろう。
「ううん。平気。」
そう言って彼女は僕の手を離し、ハーっと手をさすりながら息を当てている。
僕は巻いていた群青色のマフラーを、無言で彼女の首に巻きつけた。首が朝の寒気に晒されて、体が思わずブルリと震える。彼女は少し驚いたような様子であったが、嬉しそうに笑うと「ありがとっ」と小さく呟きマフラーの心地を少し直してから、朝焼けへと向き直った。僕もそれに倣う。
「あのさ」
僕は切り出す。彼女は無言でチラリとこちらを見た気配がする。その目を見返す勇気が、今の僕にはない。
「やっぱり、やめよう。駆け落ち。」
彼女の方もろくに見もせず、僕は彼女の手を取り言った。
「・・・うん。」
今度は彼女は驚かなかった。
「やっぱりさ、あのクソ親父、認めさせてみせるよ。どのくらい時間がかかったって、絶対に。」
彼女の手が、キュッと僕の手を強く握った。
「うん。」
僕も、同じくらいの強さで彼女の手を握り返した。
「・・・ここからの朝焼け、初めて見たよ。・・・綺麗だね。」
僕は彼女の方を横目で見ながら、静かに感動していた。朝焼けに照らされる彼女の横顔が、あまりにも綺麗だったから。彼女は僕のマフラーに少し顔をうずめながらくぐもった声で答えた。
「うん・・・。」
彼女は泣いていた。その時に彼女が何故泣いていたのか、僕には分からないし、だからといって理由を訊く気もない。彼女は何か覚悟を決めた顔をしていた。真っ直ぐに朝焼けを睨んでいる。
「うん。」
僕はそれ以上何も喋らず、視線を朝焼けに向き戻すと彼女の手を小さく握り直した。彼女もそれに応じて僕の手を小さく握り返す。それだけで僕は堪らなく幸せだった。この坂を登りきった先で見る朝焼けよりも、今この坂の途中で見ている朝焼けの方が100倍は美しいに違いない事を、僕は知っている。
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彼はこの四時間にも満たない小さな駆け落ちの終止符を打った。私ではきっと、このもやもやを言葉には出来なかっただろう。私はその彼の勇気を称えたい。心の底から誇らしい気分になった。この人が私の彼なのだと、通りかかる人々に逐一報告してやってもいい気分だ。彼の群青色のマフラーに顔をうずめる。彼の匂いに安心する。たしかこの前、鼻水が垂れてマフラーの一部がテラテラと光っていたのを覚えている。笑いそうになるのを堪える私を見ながら、彼は鼻水に気付かず不思議そうな表情をしていた。かけがえのない愛しさを感じている。あの時も、もちろん今も。鼻水の付いたマフラーも、微かに震えながら寒さを我慢する彼の指先も、こちらを隠れ見ている彼の視線も、全てが愛おしい。少し恥ずかしくなっって前を見ると、眩しい朝焼けが突き刺さり、目が眩む。欠伸を噛み殺し、恥ずかしさを隠すように朝焼けを睨み返す。不意に涙が出た。こんな私に幻滅してしまわないだろうかと、不安になってまた涙が出た。
「・・・ここからの朝焼け、初めて見たよ。・・・綺麗だね。」
彼は私を見たままそう言った。どこを見ながら言ってんだよ、と考えながら視線を逸らすことなく私は答える。
「うん・・・。」
きっと彼は、横目の視線に気付かれていないと思っているに違いない。私も、気付いている事を悟られないよう視線を外さずに、朝焼けを睨み続ける。
「うん。」
彼も私と同じように相槌を打つと、今度こそ朝焼けに視線を戻した。チラリと彼の方を見ると、溜まった涙で視界の下半分がぼやけて見えない。
なんだあんた、この方がいつもの五割増でカッコイイじゃないか。
その時、彼が私の手をキュッと握った。その諌めるような行動に、私はもしや今の考えが以心伝心、伝わってしまったのかと驚いて彼の手を小さく握り返してしまった。しかし、彼は変わらず朝焼けをしっかりと見据えながら真剣な表情のまま。今の拍子に溜まっていた涙も溢れてしまったが、しっかりとした視界に映るその表情も中々にかっこよく、不覚にも惚れ直してしまいそうだった。スッと視線を朝焼けに戻し、動揺を隠す。
気付かれてはならない、馬鹿な私の考えを。
気付かれてはならない、この頬の赤さは朝焼けではなく彼に心臓を高鳴らせているからだと。
気付かれてはならない、マフラーに私の鼻水も付いてしまった事も。
もしも涙の理由を訊かれても、絶対に教えてはやらないのだと心に誓う。鼻水を、流れた涙なのだと豪語してやる。どうせ、産地は違えど成分はほとんど一緒なのだ。この愛しい鈍感男にバレる事はないだろう。
朝の寒気に晒されながら見る朝焼け。きっとこの坂を登りきった時の景色の方が達成感も相まってもっと綺麗なのだろうなぁと考えながら、例え途中でも十分に愛しくて幸せなこの瞬間を、改めて私は全力で味わうことにしたのだった。
ちなみに彼は彼女の言うことを大体信じちゃうくらいの純粋培養お坊ちゃん。お見合いとか準備したし、せめて大学卒業して就職してから結婚とか言いやがれと親父さんは思ってます。彼女は現実主義者ですが、まぁなんとかなりそうなアテがあったので駆け落ちに乗りました。何より、彼と別れさせられるのが嫌だったんですって。