Repeat
俺は愛する恋人、真依とデート中だった。
名も知らぬ監督が作ったクサいセリフが連続のコテコテラブロマンス映画を、充血した目で辛うじて最後まで観た後だった。
それはそれは、まぶたを限界まで指で開いて、睡魔と格闘しながら。
その帰りにこうして『感動的な映画だったねぇー』とか『あの辺はベタだったかな』など真依の感想を聞きながら、腕を組んで商店街を歩いていた。
「ねえ、ちゃんと聞いてる? あの映画観てた?」
「聞いてるし、最後まで観た」
「じゃあ、内容を最初から最後まで言ってみて」
「……えーと」
「信じられない。何で男ってこうなのかなぁ」
「セリフがクサ過ぎて恥ずかしいから言えないんだよ」
「ほー、うまい逃げ方ですこと」
誰が、こんなことに気付いただろうか。
気付く奴が、いるのだろうか?
ビルの工事現場の近くを通っていた時、ばかでかい鉄筋が一本降ってくるなど、誰が予測できただろうか?
鼓膜を突き破るかのような轟音とともに、俺の愛する真依がそれの下敷きになることなど、一体誰が予測できただろうか?
動かない真依。
息をしない真依。
冷たくなっていく真依。
それを見て、浮かんだ言葉。
やり直したい。
もう一度、俺はやりなおしたい。
「あなたを愛しているのよっ! だから、私は全てを捨ててきたっ!」
「おおっ! 里香っ!」
二人は、ひしと抱き合う。
コテコテのラブロマンス映画。
女の客は皆、涙を流して見ている。しかし、男の客は皆寝ていた。
俺だけかよ、根性で観てるのは。
ん?
あれっ?
俺は、確か――。
何だっけ?
「感動的よね……、うっうっ……」
涙を流してそれを見ている真依。
あれ?
何だ?
確か、真依は……。
いや、真依はこうして隣にいるじゃないか。
……考えるのは、映画を観終わってからだ。
上映は終了した。
そして、帰り道を歩いている最中。
「感動的な映画だったねぇー」
「そうだな。あの辺はベタだったかな……」
ん?
これは、当たり前のありきたりな会話だが、何か聞き覚えが――。
前にも一度こんな会話をしたような――。
「何? 立ち止まっちゃってどうしたの?」
「え? あ、いや、何でもない」
単なる気のせいだろう――俺は自分でも不思議に思う奇妙な疑問を振り払うと、真依と腕を組んで商店街を歩いた。
そして、喫茶店の隣の角を曲がる。
いつつぶれてもおかしくない小さな洋服屋を通りすぎた後、ビルの工事現場を通る。
何だ、これ。
この胸騒ぎは一体――。
ふと、空を見上げる。
降ってくる物。
それは本来、高層ビルに取り付けられるはずの物体。
最初は、鉛筆ほどの大きさ、それが、急速にものさし、鉄の棒、巨大な鉄筋へと変わってくる。
その物体が狙い定めているものは――隣の真依。
遅かった。
全てが、終わった後だった。
むなしく空振りをする自分の手。
その瞬間、俺は全てを思い出した。
これは、わかっていた出来事、なぜ、守ってやれなかった?
何故、真依を突き飛ばして、自分が犠牲にならなかった?
だが、全てはもう終わった後だった。
いくら泣こうがわめこうが、もう、終わってしまった。
涙でぼやけていく視界の中、浮かんだ言葉。
――やり直したい。
もう一度、やり直したい。
今度こそ、真依の身代わりになりたい。
「あなたを愛しているのよ! だから、私は全てを捨ててきたっ!」
「おおっ! 絵里っ!」
二人はひしと抱き合う。
コテコテのラブロマンス映画。
ん?
何か、どこかで観たことのあるような――。
俺はチラッと隣を見てみる。
真依が涙を流して、スクリーンを観ている。
「この映画、なんか、観たことがないか?」
「……いま、いいところなんだから話しかけないでよ……うっうっ」
泣き顔で訴えられると、気が引けるものがある。その場は黙っていることにした。
俺は根性でスクリーンを観つづけた。
しかし――。
デジャヴというやつなのか? これは。
誰しも生涯で一度は味わうと聞いたことあるが――。
この妙な胸騒ぎは一体何だ。
それが何かわからぬまま、映画は終わりを迎えた。
「じゃあ、帰るか」
本当は帰りたくないのに――何故かその言葉が出た。
「えー、もう帰るのー? 週一回しか会えないのにー」
不満げな表情でギュッと腕に抱きついてくる真依。
その顔を見ていると、俺は何故『帰る』なんて口にしたのだろうと、奇妙に思った。
「もう少しだけ! ね? 商店街、歩こうよー」
商店街――その単語は嫌な感じがした。
まるでトラウマになった出来事を蒸し返されたような――そんな不快な気分になった。
「ダメ?」
「え?」
「やっぱ帰るの?」
真依は俺の目をジーッと見つめてくる。
その目は寂しいと言っているかのようだ。
何だか俺も寂しくなってきた。
「わかった。俺もまだ帰りたくない」
「やったぁ」
だんだん大きくなる胸騒ぎを無視したまま、俺は真依と商店街を歩いた。
喫茶店の角を曲がり――、
いつつぶれてもおかしくない小さな洋服屋を通りすぎて――。
ビルの工事現場。
謎の胸騒ぎはよりいっそう強くなった。
隣を歩いている真依。
組んでいた腕をほどいて、俺は真依の肩を引き寄せるように抱いた。
そのまま、何気なく空を見上げる。
鉛筆が降ってくる。
いや、ものさし?
鉄棒?
――鉄筋?
そうか、やっとわかった。
この胸騒ぎの理由が――こういうことだったのか。
俺は、真依を――突き飛ばした。
そうだ――。
これでいいんだ――。
これが、俺の望んだ結果だ。
俺は、目を閉じる。
轟音が鳴り響く。
そして、終わった。
全ては、終わった。
俺ではなく、真依の時間が。
「何故だ!?」
俺は納得がいかなかった。
俺は、真依を突き飛ばした。
その結果、俺は真依の身代わりになる――そうなるはずだった。
その俺が、何故生きている?
こうして、巨大な鉄筋に踏みつぶされて、息絶えている真依を、何故眺めている?
――まさか、真依は元々こうなる運命だった。ということなのか――?
俺がいくら足掻こうと、この運命は変えられないのか――?
冷たくなっていく真依。一人生き残った俺。
あわただしくなっていく周囲。
動かなくなった真依を呆然と見つめたまま、浮かんだ言葉。
やり直したい。
真依だけ、俺のそばを離れるなんて、そんなのは嫌だ。
もう一度、やり直したい――!
「あなたを愛しているのよ! だから、私は全てを捨ててきたっ!」
「おおっ! 美香っ!」
二人はひしと抱き合う。
コテコテのラブロマンス映画。
そろそろ、観飽きてきたな。
――ん?
何故、今、俺は観飽きてきたなんて思ったんだ?
初めて観る映画。
眠くなるようなコテコテのラブロマンス。
俺にとって、このジャンルの映画はどれもこれも似たような物に見えるが、初めて観るはずだ。
「なあ、これ、何回も観たような気がするのは、俺の気のせいか?」
「今、いいところなんだから水をさすようなことを言わないでよ……うっうっ」
泣き顔で言う真依だが――俺はこの疑問をどうにかしたかった。今すぐどうにかしないと気が狂いそうだった。
「なあ……これって……」
「もうっ。デリカシーがない人って、私は嫌いよっ」
泣き顔で怒られた。
とりあえず、おとなしくする。
何か、疲れてきた……。
二人で映画館を後にする。
若干、歩く足がフラつく。
何でこんなに疲れているんだ?
毎日がきつい仕事の繰り返しな人生だが、ここまで疲れたことはない。
「大丈夫? 何か、顔が青い気がするよ」
涙のあとをつけたまま、真依が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ああ、いや、少し眠くなっただけだ」
「――男ってどうしてああいう映画を見ると、そういうこと言うのかなぁ」
プンスカと口をふくらます真依。
「勘弁してくれ――男の宿命だ」
「ヤダよ」
ふん、と顔を横に向ける。
その肩を俺は抱いた。
喫茶店の角を曲がり、いつつぶれてもおかしくない小さな洋服屋を通りすぎる。
そして――。
ビルの工事現場――。
そうだ、思い出した――。
俺は、ここで――。
今度こそは――。
あんな光景を見るのは、もう、たくさんだ。
空を見上げる。
降ってくる鉛筆。
それは、ものさしから鉄棒に進化して、ついには……。
俺は、真依を抱きしめた。
「えっ、何? どうしたの?」
真依を突き飛ばしたんだから、真依は死んだ。手をつないで歩いていたんだから、真依は潰された。
だったら――俺は真依を抱きしめる。
こうすれば――。
真依と一緒に死ねる。
真依を逝かせるくらいなら、俺もそれについていく。
真依と逝ければ本望だ。
そうだ。
これでいいんだ。
これでもう、俺と真依は離れることはない。
俺達はずっと一緒だ――。
「あなたを愛しているのよ! だから、私は全てを捨ててきたっ!」
「おおっ! 真依っ!」
二人は、ひしと抱き合う。
「もう、離しはしないっ!」
「ああっ! もう、私はあなた無しではいられない……!」
「真依っ!」
「死ぬときは、一緒よ……」
「ああ、俺達はずっと一緒だ……」
今日も、この映画は上映されつづける――。
THE END