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金山を殺した犯人は結局見付からなかった。後から知った事だが、金山の死体は『奇怪』という言葉が相応しい状態で発見されたらしい。
木の頂上の枝から垂らした縄に首を吊るされていた金山を夜中、見回りをしていた先生が発見した。その先生は最初はそれが子供の死体だと分からなかった。全身を何かで切り刻まれた金山の体は血で真っ赤に染まっていたし、暗かった事で気付くのがほんの少し遅れた。先生がその赤くて生臭いものを人間の子供だと認識し、悲鳴を上げた瞬間に縄はぶちっと切れ、金山だったものは地面に叩き付けられた。
当時はただ金山が殺されたとだけ生徒には伝えられ、保護者には全てが語られた。金山が飼育小屋の生き物を殺した犯人だとも。この事を学校に教えたのは金山の取り巻きの一人だった。女子を泣かせたいという身勝手な理由で躊躇いなく生き物を殺した金山の異常性を恐れ、先生や自分の親に全てを打ち明けたらしい。
あまりにも惨い最期を遂げた息子の両親は、動物も自分達の子供も同じ犯人が殺したのだと訴えた。取り巻きが皆口を揃えて金山が殺したと主張した事により、大した効力はなかったが。保護者の中からは「あんな子供死んで当然だ」という声すら上がった。
一時期、パニックに陥っていた僕達の町は時が流れるにつれて平和を取り戻していった。未だに金山の両親は懸賞金を出して犯人の捜索をしているようだが、得られるのは金山がどれ程周りから疎まれていた存在だったかという情報ばかりだった。
だが、彼らからすればそんな息子でも大切だった。僕の所に何度も押し掛けて犯人を知らないかと問い詰めてきた。知らないと言えば嘘つき、嘘つきは殺されるんだと精神を病んだ母親に罵倒された。
思えば金山は馬鹿正直に飼育小屋の事を話していた。本当に殺したくて殺したのではなく、女子が泣く姿を見たかったに違いない。金山の両親にそんな事を伝えても彼が戻ってくるわけではないが。
友人はと言うと、あれ以来僕に自分が宇宙人だと名乗る事は一切無くなった。ちょうどそんな話をしている頃にあの事件があったのだ。嫌な記憶を掘り起こすのを避けるためだろう。
たまに怖いと思うのはニュースを見ている時の彼の顔だった。いつもはにこにこ笑っている友人が真顔になって食い入るようにテレビ画面を見詰める。
重苦しい話題ばかりなのだ。笑わないのは当然かもしれない。ただ、殺される前の金山を最後に見た時とそっくりな表情だった。
中学に上がってもそれは変わらず、友人の家に遊びに来る度に僕はその姿を見ている。まるでどこまでも深い海の底に沈んだ『何か』が目の前にあるような感覚に襲われた。
「久弥、悪いんだけどちょっとスーパーに買い物行ってきて。買うの忘れちゃったのがあるの」
「はいはい。あとでお駄賃ちょうだいね」
日曜日の昼下がり、いつものように遊びに来た僕を置いて友人は彼の母親からお使いを頼まれて出て行った。そうなるとリビングには僕だけとなり、少々気まずい雰囲気に居心地の悪さを感じた。
何か手伝う事はないかと、昼食を作ってくれている友人の母親に話し掛けようとする。
「あの」
「あのね、郁くんは久弥がどこかおかしいと思う?」
友人の母親は静かにそう聞いていた。ふざけた口調ではない。本気なんだな、と思いながらも僕は口を開いた。
「思いませんよ。いつも笑ってて明るい奴だって思います」
「……何だか怖い顔をしてニュースを見ているとしても?」
どきっとした。友人の奇妙な行動は彼の家族にもバレていたらしい。
「で、でも、それって悪い事をした犯人が許せないって思うからですよ。正義感があって僕はいいと……」
「あの子の許せないって気持ちはそんな正義感から来るものじゃないと思うの」
友人の母親が早口になっていた僕の言葉を遮った。少し、泣きそうな顔をしている。
「あの子は……久弥は自分の家族を失っているのよ」
「どういう意味ですか?」
「久弥は私達の本当の子供じゃないの。久弥の本当の母親は私の姉さんで、あの子には一つ年下の弟がいたわ」
金山が言っていた『親無し』という言葉を思い出す。この事だったのだろう。どうやって知ったかは知らないが。
友人の母親はどこか苦々しい表情で更に話を続けた。
「二人共、姉さんと姉さんの旦那から虐待を受けてたの」
「え?」
「毎日殴られたり蹴られたりして……食事も満足に与えられてなかったみたいで骨と皮だけみたいだったわ。姉さん達も子供なんて欲しくなかったくせに産んでしまって……」
どうやって人間が生まれるかなんてこの歳になれば分かる。これは憶測でしかないが、友人とその弟が生まれたのはつまり『そういう事』なのだろう。本来は子を宿す行為を快楽を得るためだけに。
「でも、久弥に弟なんていません、よね……」
「久弥が五歳の頃に弟は死んだわ。その後、すぐに姉さんも誰かに殺された。同じ日にね」
「……久弥と久弥のお父さんは?」
「旦那の方はたまたま買い物に出てて助かって……久弥は弟の死体の側で膝を抱えてたそうよ」
友人の母親は何かから守るように自分の腕を抱き締めた。その手は小刻みに震えていた。
「犯人の手掛かりは何も見付からなかった。ただ、保護された時の久弥と弟は日常的に虐待を受けていたと分かって旦那は逮捕される事になったの。でも……」
「……………?」
「逮捕しにやって来た警察から逃げている最中にトラックに轢かれてそれどころじゃなくなったわ。奇跡的に回復したと思ったら何故かまた怪我が悪化して、また治りかけたと思ったら……その繰り返しで結局も旦那も死ぬ思いをしながら死んだの」
僕は久弥の本当の父親の死に様を想像した。一思いに死ねないなんてまるで生き地獄だ。それならまだ逮捕されていた方が良かったかもしれない。
この世界はおかしい。
ふと、そんな友人の言葉が蘇る。彼が自分は宇宙人だと名乗った日に、確かにそう言っていた。
途端に言い様もない不安に襲われた。
「……久弥はこの事は?」
「覚えていないそうよ。事件の事だけじゃなくて、本当の家族の事も。でもね、多分あの子はどこかで覚えているんじゃないかって思うの。親から受けた暴力を。……そうじゃなかったら虐待のニュースをあんな目で見たりしないもの」
玄関のドアが開く音がした。買い物袋を持った友人がリビングに入ってきた。
「ただいま、お前人の母親口説いていたの?」
「そんなのじゃないよ」
「変な冗談はやめなさいよ、久弥」
何事もなかったかのように友人の母親が笑う。僕は彼女のようにちゃんと笑えていただろうか。
昼食を食べてだらだらと過ごした後、僕は「帰ります」と行って友人の家を出た。すると友人も「送るよ」と付いてきた。
「僕の弟はね、僕の本当の母親に殺されたんだよ」
しん、とした静かな住宅街を歩きながら友人が呟くように言った。驚く僕に友人はこの話題には不似合いな程に柔らかく優しい笑顔を見せた。
「弟は昼間から酔っ払っていた母親に首を絞められて殺されたんだよ」
「……覚えてたの?」
「……喉が渇いていたんだろうね。弟はビールを飲もうとして母親に怒鳴られながら首を絞められてた。初めはじたばた暴れてたけど最後には動かなくなった。あの女はやっと静かになった、って笑ってたよ。酔ってたから殺したって認識出来なかったんだろうね」
友人は空を見上げた。あれほど晴れていたはずの空は分厚い雲で埋め尽くされていた。雨が降るのかもしれない。 久弥が生きていてくれて良かった。友人は僕のそんな思いを聞いて少しは救われてくれるだろうか。
友人はきっと全て覚えている。自分達を虐待していた親も目の前で殺された弟も、家族を二人失った日の事も。
「久弥は」
「うん?」
「久弥は本当のお母さんが誰に殺されたかも覚えてるんだね」
「……さあ、それは覚えてないかな」
嘘つきだな。僕は心の中だけで呟いた。