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実は宇宙人なんだと明かされたのは僕達が小学五年生の時だった。放課後、学校の裏山へ探検という名の散歩に行き、太陽が沈みゆくのを予感しながらおやつのポテトチップスを食べていると唐突に言われた。あまりにも軽い口調で言われたので僕は当然信じずに、ポテトチップスをまた袋から一枚出して口に入れた。今でも覚えている。あの日食べていたのはコンソメ味だった。
「本当だよ、信じてないんだね」
「だって久弥は僕と同じ小学生でしょ? 絶対に宇宙人じゃないよ」
「ちょっとは信じてよ。お前なら信じてくれると思ったのに」
そう言って不貞腐れてしまった友人に僕は心底困った。滅多にわがままを言わない皆より少し大人びた友人が怒っている、というより拗ねている。その対処法など僕は持ち合わせていない。
考えた末に話を合わせる事にした。
「……それなら、どうして地球になんかいるの?」
「分からない」
「分からないって」
「でも僕は宇宙人なんだよ」
「………………」
どうしよう。僕は次の言葉を見付けられなかった。だが、友人は真顔で炎色の空を見上げながら言うのであった。
「きっと僕はこの世界を何とかするためにやって来たんだと思う」
「この世界はおかしいって言いたいの?」
「おかしい」
友人は断言した。その両目は空の色を吸い取って白い部分がオレンジ色に染まっている。何だか本当に友人が宇宙人に見えてきて言葉を失ってしまう。怖いな、と純粋に思った。
僕の怯えに気付いたのか、「怖がらないでよ」と友人は言ってポテトチップスを食べた。つられるように僕も同じ事をする。さっきまであんなに美味しかったのに味がしない。
「お前はこの世界がおかしいって思わないの?」
「そ、んなの急に聞かれたって分かんないよ」
「……本当に?」
黒とオレンジ色の眼が僕を見詰めながら問い掛けてくる。どうしてしつこく聞いてくるのか不思議でならなかった。まるで僕が知らなければならない事を知らないみたいだった。
僕は真剣になって考えた。色々と。
優しく笑うお父さんとお母さん。たくさんいる友達と学校の先生。近所の人達。目の前にいる一番の友達。
おかしい所なんてどこにもない。そう伝えれば友人は「ありがとう」と心から嬉しそうに言った。僕が一番の友達と言った瞬間、友人は宇宙人からただの小学生に戻ってくれた。
友人が足元を見下ろすと、そこには一匹の蟻が歩いていた。友人は微笑みながら蟻を摘まんだ。離してあげなよ、と僕が言っても糸のように細い足をじたばたさせている蟻を眺めているだけだった。
「僕は今から蟻を殺すね」
友人は蟻のあまりにも小さい頭部の部分を潰した。六本の足がビクッとなった後、動かなくなる。
「ほら、死んじゃった。生き物ってさ、すごく不思議だと思わない? 生まれるには物凄い時間がかかるのに、死ぬのは一瞬なんだよ。今僕が殺した蟻だってすぐに死んだ。人間もこんな風に簡単に死ぬんだよ」
「し、死なないよ。何言ってるの?」
「死ぬよ! 簡単に死んじゃうんだよ! 高い所から飛び降りれば体からたくさん血が出て壊れて死んじゃうんだよ!!」
物凄い剣幕で叫ばれた。僕は思わず「ひっ」と悲鳴を上げそうになった。
友人は荒くなった呼吸を整えながら静かに話し始めた。
「……最近テレビをたくさん見るようになったんだ。酷いニュースがたくさんやってるんだよ。子供を虐めて殺そうとする親がいたり、同じ学校に通う生徒を虐める奴らとかいじめを知らない振りをする先生がたくさんいるんだ。そんなゴミみたいな奴らのせいで死んじゃう子供もたくさんいる。僕らより小さな子だって死ぬんだよ」
「う、うん」
「だけど、その子供を死に追いやった奴らは死なないんだ。同じ目に遭わないで反省だけして生きていくんだ。逮捕されたってずっと反省するだけで酷い事はされない。学校の奴らだって怒られるだけで同じ目には遭わないんだよ。おかしい、そんなのおかしい」
どんどん早口になっていく友人は僕を見ていないような気がした。どこを彼は見ているのだろう。不安になって友人の名前を呼ぶ。「なあに?」と友人は笑った。
「久弥は……それがおかしいと思うから宇宙人になったの?」
「思うだけじゃ宇宙人にはなれないよ。僕はこの世の中を何とかするために地球にやって来た宇宙人なんだ」
「……嘘だ」
つい本音が出てしまった。
確かに僕だって今の友人の話はおかしいと思った。酷い事をした側は同じ目に遭わないなんてそんなの間違っている。だけど、そうならないのは大人の世界にはそういうルールがあるからと僕は知っていた。子供がいくら文句を言っても、大勢いる中の大人一人が文句を言っても世界は変わらないんだ。
それに今の話と友人が宇宙人という話は全く繋がりが見当たらない。開き直って僕が唇を尖らせて友人を見れば「やっぱり信じてくれない」と言われた。
「だったら見せて」
「何を?」
「君が宇宙人だって証拠!」
「……いいよ」
友人は笑いながら頷いた。その頃になると空は暗くなっていた。星がちかちかと光り始めている。
あまり量の減っていないポテトチップスは全部僕がもらう事になった。友人が買ってきたものなのに。
家に帰った後、僕は友人からの言葉をずっと思い出していた。お前の願い事を叶えてあげる。なんて言われてもすぐには思い付かなかったから明日まで考えてくるね、と逃げた。友人は「欲がないなあ」と笑った。この頃の僕は友人がどうしてそんな事を言ったのか理解出来なかった。ただ、何だか馬鹿にされているような気がして、何が何でも叶えられないような願い事を言おうと決めた。
次の日、学校に行くと女子達が泣いていた。飼育小屋で飼っていたウサギやニワトリが殺されたらしい。網に近付いた所をカッターで傷付けられたと先生が話していた。犯人は誰かと女子が先生に聞いても知らない、の一点張りだった。
僕もウサギは抱っこしたり可愛がっていたから悲しくて泣いた。泣いていると友人が「そこまで泣かなくても」と笑う。悲しくも怖くもないのかと聞けば「犯人大体分かるから」と答えが返ってきた。
「誰……?」
「隣のクラスの金山って奴。あいつ近所の野良猫とか散歩中の犬に石投げてたし、朝ウサギ小屋の近くにニヤニヤしながらいたって先生が言ってた」
「先生はそんな事言ってなかった」
「言えないよ。金山のお父さんは警察官でお母さんは学校の先生だから」
「何で、それが言えない理由なの? 金山には関係ないじゃん」
「お前は鈍いなぁ」
笑う友人の顔を見ながら僕は考えた。どうしてかは分からないが、金山がこのままでは皆に責められずに何事もなかったように過ごす事だけは分かった。生き物を殺しておいて、皆を泣かせておいて、知らんぷりをして生きる。
僕の中に沸き上がったのは怒りだった。
「ひ、さや」
「なあに?」
「何でも願い事叶えてくれるんだよね?」
「うん、お前が信じてくれるなら何だってしてあげるよ」
視界が歪む。頭が冷たい水を被ったように冷たくなって、足元が真っ暗になっていく。僕は今からとんでもない事を頼む。一番の友達に、頼むのだ。宇宙人とかそんなの関係なしに、僕の欲を満たすためだけに。
「金山にウサギとニワトリがやられたみたいな事して欲しいんだけど、出来る?」
僕の声は震えて掠れていた。どんなに酷い顔をしていたのだろう。友人は一瞬だけ目を大きく見開いて、それから楽しそうに、愉しそうに笑ってみせた。
「いいよ」
次か次の次でおわります。