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聖なる勇者と黒き魔神  作者: ゼイン
第一章 復讐の女神
8/23

第八話 ナイトメア

 鉱山の町、バンホール。町と呼んでいいのか分からないほど寂れた町。

 北側からバンホールに入ると、そこは切り立った崖のようなところになっている。それほど高くはないが、飛び降りることができる高さでもない。そこからバンホールの町を一望することができる。

 崖の真下、壁面部分はぽっかりと大きな穴が空いていて、坑道の入り口となっている。その坑道の中にバリと呼ばれるダンジョンがある。他のダンジョンとは違い、鉱物採掘のためにダンジョンに潜る人間が多い。

 西側には鍛冶屋がある。そこで鍛冶屋を営むのは、初老ながら屈強な体格を持つ男、アイデルン。もう一人はその孫娘で弟子でもある金髪の少女、エイレンだ。

 南側、港へと通じる出口の側には酒場がある。坑道で働く者たちが一日の疲れを癒す場所。その西には雑貨屋もあるが、店主が偏屈なので住人ですらあまり近寄らない。

 セフィルはその酒場でサンドイッチを頬張っていた。丸テーブルの向かい側にはメルがいる。メルもセフィルと同じものを食べているが、その表情は少し硬い。

 ――多分私も、かな……?

 バンホールにたどり着いたのは、ティルコネイルを出発して四日後の晩だった。その日は宿屋で一泊して、早朝に宿屋を出て今に至る。ダンジョンに赴く前に、朝食を食べようと酒場に立ち寄ったところだった。

 ダンカンからもらった黒い紙。これを捧げれば兄を追いかけられると聞いたが、内部で何が待ち構えているか分からない。緊張しない方がおかしいというものだ。

「メル。本当に一緒に行くの?」

「……セフィさん」

「これが最後の確認」

 メルはどこか呆れた表情だ。道中何度も同じことを聞いたので、呆れられるのも無理はない。いい加減答えるのも面倒になっているだろう。だが、どうしてももう一度確認しておきたい。

「一緒に行きます。それとも……わたしが邪魔ですか?」

 問い返されたのは初めてだ。その声は小さく、とても弱々しいものだった。もしかすると、何度も聞いたことでメルを不安にさせていたのかもしれない。セフィは心の中で反省すると、首を振って笑顔で言った。

「そんなことないよ。私も、メルが一緒にいてくれると心強いから。……一緒にがんばろうね」

 それを聞いたメルは、嬉しそうに顔を輝かせた。


 サンドイッチを食べ終えた後、二人はバリへと向かった。と言っても目と鼻の先なので、それほど歩くわけでもない。バンホールそのものが小さな町であるため、すぐにたどり着いた。

 バリの内部は他のダンジョン同様、小さな部屋だった。中央に女神像があることも変わらない。違うことと言えば、女神像の奥にも大きな穴があり、トロッコが走るであろう軽便鉄道が奥へと延びている。

 バリダンジョンは鉱石が多く採掘されることで知られている。ダンジョン内部からは女神の加護でもあるのか、かなりの量が採掘できるそうだ。無論魔物もいるため、危険はつきまとう。

 ダンジョン内部には入らずロビーから続く洞穴からも採掘できるが、量は少ない。反面魔物の危険はないため、鉱石が目当ての人間はこちらを利用することも多いそうだ。

 無論セフィルたちには奥の洞穴に用はない。二人は女神像の前まで来ると、黒い紙切れを取り出した。どこに転送されるかも分からない黒い紙。これを落とせば、後戻りはできない。

「……行くよ?」

「……はい」

 メルは弓を強く握りしめたままうなずいた。それを確認して、セフィルは紙を落とした。

 一瞬の浮遊感の後、女神像の奥に先ほどとは違うしっかりとした通路が現れた。ここにも軽便鉄道が敷かれているが、誰も使用していないためかすっかり錆び付いてしまっている。そして、今までと違うところがもう一つ。

「…………」

 奥から異質な空気が流れ出ていた。毒といった明確なものではなく、殺気などが充満した暗い感情だ。それが通路の奥から強く感じられる。

 不意に、右手が握られた。見ると、メルがセフィルの右手を握り、小さく震えている。その表情はすっかり青ざめていた。

「メル、大丈夫? 怖い?」

「怖い、です……。でも、大丈夫です……」

 弓をしっかり抱いて震えている姿を見ると、とても大丈夫とは思えない。

 ――仕方ないかな……。

 正直、自分もかなり怖いぐらいだ。いっそのこと全力で逃げてしまいたい。だが、ここで逃げ出せば兄には二度と会えない気がする。

「大丈夫。一緒にがんばろう」

 そう言ってメルを抱きしめ、頭を撫でてやる。しばらくして、ゆっくりとメルの震えが治まってきた。そっと体を離すと、

「……ごめんなさい……」

 恥ずかしそうにうつむきながらメルが言った。セフィルは苦笑しつつ首を振る。

「気にしなくていいよ。……さ、行こう」

 改めて手を差し出すと、メルはその手を力強く握った。


 ダンジョンの内部は強力な魔物がひしめき合っていた。……という心配をしていたのだが、それは杞憂に終わった。錆び付いた軽便鉄道に沿って歩き、何度か小部屋を通り過ぎたが、どの部屋もいるのはゴブリンだけ。特別なゴブリンというわけでもなく、キアに生息しているものと変わらない。キアでは予想外の知能を持っていたが、ここのゴブリンはそういうこともなかった。

 強力な魔物と言えば、インプくらいだろうか。小さな体で魔法を操る敵なのだが、それも一部屋に一匹いればいい方だ。真っ先に始末してしまえばあとはゴブリンのみなので、やはり苦労することもない。

「正直、肩透かしを食らった気分だよ」

「そうですね……。わたしは楽な方がいいですけど」

「それはそうだけどね。戦いを避けられるならそれに越したことはないし」

 そんな会話をしながら順調に奥へと進む。だが警戒だけは怠らない。いつどんな魔物が出てくるか分からない以上、油断はできない。

 二度ほど階段を下りたところで、大きな扉の前に出た。他のダンジョンと同じで、一目で最奥の部屋だと分かる重厚そうな扉。結局、ここまで来るのにさほど苦労はしなかった。

「これならセルクさんに追いつけますね!」

 嬉しそうに言うメルだが、セフィルが扉をじっと睨み付けていることに気づいて首を傾げた。同じように扉を見るが、変わったところはない。

「セフィさん、どうかしたんですか?」

 セフィルはメルを見て、小さな声で、

「感じない? 気配とか」

「気配、ですか……?」

 首を傾げながら再び扉に視線を送る。しばらく見て、やはり分からずに首を傾げようとして、突然ざわり、と背筋が震えた。巨大な肉食獣に睨まれたような寒気だ。

「な、何ですかこれ……」

 震えた声に、セフィルは短く答えた。

「……いる」

 今までの魔物とは比べ物にならない気配だ。姿を見てもいないのに膝が震えてくる。恐怖でその場から逃げ出したくなる。あまりに異常な気配。

 メルが最初気がつかなかったのも無理はない。この気配はこのダンジョンに入った時からあったものだ。少しずつ、まるでその気配の感覚に慣らすように強くなってきた。ここに来た時には、もうこの気配は空気と同じようなものになっていたはずだ。

「何が、いるんでしょう……?」

「……味方じゃないことだけは確かかな」

 そっと扉に手を添える。メルに目配せをし、メルがうなずいたのを確認してからそっと扉を開いた。

 大きな扉をくぐると、他のダンジョン同様、広い部屋が広がっていた。広さ以外は他の部屋と変わらず、床にはトロッコのレールが敷かれている。部屋の隅には壊れたトロッコも見受けられる。

 その部屋の中央に、長い黒髪の女が立っていた。白い衣服を身にまとい、背中には漆黒の翼。一目で人間ではないと分かるが、魔物にも見えない。

「……貴方は、誰……?」

 セフィルが剣を抜き、警戒しつつ問いかける。その後ろでは、メルが女へと油断なく弓を構えていた。

 女がセフィルを見た。ただし目は閉じられたままだ。

「私はモリアン。復讐の女神モリアン」

「女神……様……?」

 女神と聞いて、セフィルとメルは武器を下ろした。お互いに顔を見合わせ、モリアンへと向き直る。

「女神様がここにいるなら、お兄ちゃん……セルクもここにいますよね? どこに……?」

「…………」

 モリアンは答えない。無言でセフィルを見つめている。そして、不意に右手をゆっくりと挙げた。同時に、モリアンの隣に黒い影が出現する。

「……っ?」

 セフィルは咄嗟に剣を抜いた。モリアンからは変わらず何も感じられないが、黒い影からは明確な敵意が痛いほど伝わってくる。

 黒い影はしばらく不明瞭な姿をしていたが、やがて形を成し始めた。足が、腕が、頭が形作られていく。そして出現したものは、二本足で立つ黒い馬だった。

「ナイトメアヒューマノイド……」

 人の悪夢を食い物にする魔族だ。

「どうして、女神様と……?」

 メルが困惑しきった声を出す。セフィルも理由が分からず、モリアンを睨み付けた。

「どういうことですか?」

 セフィルが問うと、モリアンの口がゆっくりと、わずかにだが笑んだ。だがそれは好感が持てるような笑みではなく、不気味さすら感じる笑みだ。思わず背筋が寒くなる。

「セルクはティルナノイにいます。申し訳ありませんが、貴方方と会わせるわけにはいきません」

 モリアンが手を振り下ろした。ナイトメアがゆっくりとこちらへと歩いてくる。逆にモリアンは、背後の扉へと吸い込まれるように消えた。

「もしかして、お兄ちゃんに何か……?」

 そう思うと、不安に押し潰されそうになる。セフィルは首を振ると、目の前の敵を睨み付けた。と、

「セフィさん」

 メルの声。振り返ると、メルも戦闘準備を終わらせていた。

「行ってください。もしかすると、セルクさんが危ないのかもしれません」

「え? でも……」

「ここはわたし一人で大丈夫です」

 メルが笑顔で言った。だが、その手足はかすかに震えている。

 ――残しては……いけない……。

 セフィルが首を振ろうとしたが、先にメルが言った。

「わたしなら大丈夫です。信じてください。ここで時間をとられて追いつけなかったら、意味がないですよ?」

 その代わり、と続ける。

「セルクさんに会ったら、ちゃんと待っておいてくださいね。わたしもすぐに行きますから」

「メル……」

 メルがまっすぐにセフィルを見ている。何を言っても譲らない、という意思表示だろうか。セフィルは歩いてくる魔物を一瞥して、メルの頭に手を置いた。

「無理はしないでね。約束してくれる?」

「はいっ!」

 元気良く返事を返すメル。セフィルはそれにうなずくと、踵を返した。扉へまっすぐに向かうのではなく、魔物を中心に円を描くように走る。

 途中、魔物が反応してセフィルへと向かおうとしたが、その足下を矢が穿った。魔物はその場で立ち止まり、メルを睨み付ける。

「あなたの相手は、わたしです」

 次の矢を魔物へと向ける。その間に、セフィルは奥の扉へとたどり着いた。

「メル!」

 叫ぶと、メルが視線だけセフィルに向けた。

「ちゃんと、待ってるからね! ……無理はしないで!」

「……はいっ!」

 メルの返事をしっかりと聞いて、セフィルは扉をくぐった。


 メルはセフィルを見送ると、魔物へと視線を戻した。魔物もセフィルが消えた扉を睨み付けていたが、すでに諦めているのか追う気配はない。

 やがて、ゆっくりとメルへと向き直った。そしてまた歩いてくる。

「……大丈夫。わたし一人で倒せないなら、この先足手まといになる……」

 自分に言い聞かせ、メルは矢を放った。矢はまっすぐに魔物へと飛び、そして当たったと確信した直後。

 矢は魔物を素通りして、壁に当たって床に落ちた。

「……え?」

 見間違いではないなら、矢は間違いなく魔物の目に当たっていた。だが、矢はその体をすり抜けた。初めからそこに何もなかったかのように。

「そんなはずは……」

 メルがもう一度矢を射る。今度の狙いは胸だ。致命傷は与えられないが、的は広い。これなら当たるはずだ。

 そう思っていたが、その矢も魔物の体を素通りした。先ほどと同じように、すり抜けた。

「どうして……」

 メルが呆然としていると、魔物が嘲るような笑みを見せた。

「無駄だ……。お前が見ているものは、幻だ……」

「で、でも! ちゃんと見えてるし、声もそこから聞こえて……」

「幻とは、そういうものだ。俺の目を見た時点で、お前はもう俺の術中だ」

 魔物が手を振り上げた。地面から黒い霧があふれ出す。それが形作るものは、人。しかもメルのよく知る人物だ。

「み、みんな……」

 メルの家族。一緒にエルフの里を出て、共に旅をしてきた仲間たち。それら全てが手に剣を持ち、虚ろな目でメルを見つめている。

 その一人、メルの父親が口を開いた。

「なぜ……」

「え……?」

「なぜ、お前だけが生き残った……?」

「……っ!」

 思わず息を呑んだ。弓を構えることも忘れ、後退る。あの時の恐怖と絶望を思い出し、身が竦んで動けなくなる。

 ゆっくりと近づいてくる家族。そして、目の前に立った。次の行動は。

 剣を振り上げること。

「あ……」

 逃げなければ。そう思うが、動けない。心のどこかで、受け入れろという声がする。自分はあそこで皆と死ぬはずだった。だからここで死ねと。心が叫び、体がきしむ。

 だが、それでも……。

「や、やだ……!」

 生存本能が勝った。振り下ろされた剣を間一髪で避け、尻餅をつく。だが安心したのもつかの間、再び剣が振り下ろされ、今度は避けきれなかった。

「あう……!」

 剣はメルの左腕をかすった。傷は浅いが、流れ出た血を見てパニックに陥ってしまう。

 ――逃げないと! 誰から? 家族から? どうして? 家族なのに?

 荒い息をしながら見上げると、虚ろな目をした家族が再び剣を振り上げていた。慌てて体を動かすが、今度は腹部を浅くだが斬られてしまう。再び倒れたメルへ、今度は家族たちの足が襲ってくる。何度も何度も踏みつけられる。

「や、やめ、て……っ」

 か細い声で必死に言うが、聞こえていないかのように暴力は繰り返される。最早逃げることもできず、頭を守って必死に耐え続けるしかできなかった。

「死ね……」

 かすかな声が聞こえた。わずかに顔を上げ、振り上げられた剣を見る。

 ――ああ……だめだ……。

 もう動けない。動きたくない。自分はここで死ぬのだと諦めかけた時、

『一人になっても、絶対に諦めないで』

 懐かしい声を思い出した。母の声。母が自分に最後に言った言葉。

 そして次に思い出すのは、セフィルの顔。自分を心配しながらも信じてくれた、大切な人の笑顔。

「……っ!」

 メルは勢いよく体を起こすと、大きく後ろへ跳んだ。そのまま半回転、その場を逃げ出す。この場にいても、皆を説得できる方法など思い浮かばない。そう自分に言い聞かせ、敵に背を向けた。


 どれぐらい走っただろうか。メルは肩で大きく息をしながら、通路に崩れるように倒れた。多くの切り傷から血が流れ、体力も限界に近い。だが、ここで気を失うと敵に見つけてくれと言っているようなものだ。

「早く……逃げないと……」

 ゆっくりと体を起こし、壁に体を預けて立ち上がる。顔をしかめながらも痛みに耐えていると、かすかに、しかししっかりと足音が聞こえてきた。ゆっくりとだが、こちらに近づいてくる足音だ。

「ひ……!」

 思わず小さな悲鳴を漏らし、慌てて口をふさぐ。足下を見ると、血が点々と続いていた。これがある限り、逃げ切ることはできない。

 ――どこの血……?

 至る所から血は流れているが、地面にはっきりとした血痕を残すほどのものではない。だが、一つだけ例外があった。

 左腕。思った以上に傷が深く、そこから流れている血は腕を伝い、左手に持っている弓を濡らし、そして地面へと滴り落ちている。

 メルはそっと目を閉じ、短い詠唱を始める。セフィルから教わったヒーリングだ。ただセフィルのように魔法が得意なわけではなく、応急処置にすら使えない。その時は二人で笑ったが、もう少しまじめに練習すればよかった。

 自分の右腕にほのかな光がともり、その光が左腕へと吸い込まれていく。光は傷口に触れると吸い込まれ、傷口をふさいでくれた。血は止まったが、痛みは断続的に続いている。

 メルはもう血が落ちていないことを確認し、再び歩き始めた。そして何度か曲がり角を通り過ぎ、十字路脇に壊れたトロッコを見つけた。

「ここなら……」

 トロッコの裏側に回り、地面に座り込む。そこでゆっくりと深呼吸し、息を潜めた。

 ――……怖い……。


 魔物がいつ通るか分からない。無事に通り過ぎるかも分からない。そう思うと、心臓が早鐘のように鳴り続ける。

 足音がだんだんと大きくなってきた。仲間を呼んだのか、足音は一つではなく複数だ。もしも見つかってしまえば、なぶり殺しにされてしまうだろう。それを一瞬だけ想像して、恐怖で身が竦んでしまった。

「やだよ……お母さん……!」

 まだ死にたくない。諦めたくない。そう思うが、もう逃げることしかできない。

「助けて……セフィさん……!」

 そうつぶやいたところで。

 ――……何を言ってるの?

 ふと我に返った。

 セフィルに信じてくれと言ったのは、紛れもない自分だ。そしてしっかりと送り出したのも自分だ。それなのにセフィルに助けを求めるなど……。

「ばかだな、わたし……。かっこつけるから……」

 少し前の自分を責め、そして今の自分を責める。今、この場にいない者に助けを求めても仕方がない。自分の身は自分で守らなければ。

 ――セフィさんとも、約束したしね……。

 足音が近づいてくる。もう、すぐ後ろだ。

 ゆっくりと近づき、ゆっくりと音が大きくなり……。

 そして、トロッコの反対側で立ち止まった。

「……っ!」

 思わず息を呑む。そっと顔を出し盗み見ると、ナイトメアが立ち止まって反対側の通路を見ていた。そして、ゆっくりとこちらへと振り返る。慌てて顔を隠した。

 再び足音。今度は遠ざかっていく。もう一度顔を出すと、スケルトンの集団が歩いていくところだった。その手には剣が握られている。

「……あれ?」

 そこで気がついた。その剣には赤い液体が付着している。おそらく、自分の血だ。

 ――でも……わたしは家族に……。

 そう思ったところで、ナイトメアの特性を思い出した。

 悪夢を、幻を見せる力。

 メルは思わず自嘲してしまう。自分に剣を振る家族を想像したということに申し訳ない気持ちになってしまう。何のことはない、あれらは全て、自分の後悔の念が作り出した幻だ。

「みんな……ごめんね……」

 今は亡き家族たちに謝罪し、ゆっくりと立ち上がった。そして十字路の中央で立ち、スケルトンへ向けて弓を構えた。

 最後尾のスケルトンがメルに気づき、振り向いた。それと同時に、魔力を込めた矢を放つ。矢は狙い違わずスケルトンに命中し、そして。

 スケルトンが暴れ出した。混乱するように、周囲のスケルトンへ攻撃する。攻撃されたそのスケルトンもまた別のスケルトンへ。

 ミラージュミサイル。エルフ族秘伝の弓の技だ。相手に幻惑を見せ、混乱させ、体力を奪う。

「幻は、あなたの専売特許じゃないっ!」

 メルは叫ぶと、もう一度矢を放った。スケルトンたちの奥、ナイトメアへ。ナイトメアはすぐにその矢に気づいたが、時すでに遅し。矢はナイトメアの瞳へ命中した。

 幻を見せる暇もなかったのだろう。ナイトメアは痛みに暴れ狂い、スケルトンたちと戦い始める。メルはそのナイトメアの頭に、もう一発、矢を放った。


 魔物たちは長い間戦っていたが、やがて一匹残らず倒れ伏した。ナイトメアもメルの矢に射抜かれ、もう動かない。メルはそれに安堵すると踵を返し、元来た道を戻り始めた。

 ――勝った……。

 少し卑怯な気もしたが、これは戦いだ。それにもともと自分は弓士。油断した相手が悪い。

 とにかく、勝てた。自分の力で。

「……違うね」

 母の最後の言葉に励まされた。セフィルとの約束に突き動かされた。自分一人だけでは、途中で諦めていただろう。

「……ありがとう……」

 小声でそうつぶやき、歩き続ける。痛みは引かないどころか激しくなりつつある。だが、セフィルをこれ以上待たせるわけにもいかない。きっと待っていてくれているはずだ。

「セフィさん、何て言うかな……」

 きっと傷だらけの自分を見て驚くだろう。心配をかけてしまうだろう。その様子が手に取るように思い浮かべることができる。だが、きっと……。

「誉めてくれるよね……」

 早く会いたいな。楽しげに微笑み、一歩ずつしっかりと歩いていった。


「俺はいろいろ聞きたいことがあるんだ」

 セルクの声。それを無視。

「……お願いだからさ、少しは聞いてくれないか? 手を離してくれないかな?」

 完全無視。

 セフィルがいるところは、ティルコネイルに似た場所だ。違うところは、生命の息吹が感じられないこと。そして広場の中央に巨大なクレーターがあることだ。

 奥の扉を抜けた先が、この世界だった。通ったはずの扉は消失しており、クレーターの中央に立っていた。人の気配は感じられず、生き物もいない。例外として、村長の家の前に人間の姿をした『何か』がいて、それと会話する兄を見つけた。

 その兄をセフィルは捕まえ、有無を言わせずクレーターの前へ引っ張ってきた。そして地面に座り、メルを待つ。唖然としていたセルクは地面に座ったところで我に返り、いろいろと言ってきたが全て無視した。手を離すこともしなかった。

 話は、メルと一緒に聞く。そう決めていたからだ。

 どれぐらい待っただろうか。セルクも最早諦め、何も言わなくなっている。

 やがて、クレーターの中央の空間がわずかに歪んだ。そして、メルの姿は突如として出現した。別れた時とは違う、傷だらけの姿だ。

「メル!」

 セフィルは慌てて立ち上がると、セルクの手を離してメルへと駆け寄った。倒れそうになるメルの体を抱き留め、すぐにヒーリングを唱える。

「メル! 大丈夫っ?」

 ヒーリングをかけながら叫ぶと、メルがうっすらと目を開いた。セフィルの顔を見て、薄く微笑んだ。

「セフィさん……。わたし、一人で戦えましたよ……。ちゃんと、勝ちました……」

「うん……。うん! よかった! がんばったね、メル! 無事でよかった……!」

 メルを抱きしめると、メルは嬉しそうに、はいと応えると、そのまま気を失ってしまった。


 村長の家の中は、実際のものとは内装が異なっていた。大きな長方形の部屋が一部屋で、他に部屋はない。ベッドがあるだけで、他には家具も何もなかった。

 メルをそのベッドに寝かせ、セフィルは振り返る。セルクと人間の姿をした『何か』が自分を見つめていた。

「そっちの人は味方?」

 セフィルが開口一番そう聞くと、セルクがうなずいた。

「一応だけどな。味方じゃないけど敵でもない、と言った方が正しいかもしれないけど。ある意味傍観者だよ。名前はドウガルさんだ」

「まあ、否定はしない」

 ドウガルと呼ばれた男が感情のない声でつぶやく。セフィルはそのドウガルの様子をしばらく見ていたが、やがてセルクへと視線を戻した。

「いろいろ聞きたいことはあるけど、メルが起きてからでいいよ。……逃がさないから。言っておくけど、もう私も油断しないよ。というより、仕返ししていい?」

 セフィルがそんなことを笑顔で聞くと、セルクは頬を引きつらせた。一瞬だけ背後のドアを振り返り、すぐにセフィルへと視線を戻す。自分が出るのとセフィルが剣を抜くのと、どちらが早いかを考えているのだろう。

 やがて、セルクが首を振った。降参というように手を上げる。

「分かった。まだ少しは時間があるし、待つよ」

「うん。ありがとう」

「……まったく。しばらく見ない間に性格変わったんじゃないか?」

「誰かさんが私を一人にしたからね」

 皮肉を込めてそう言うと、セルクは困ったように頬をかいていた。


 しばらくして、メルが目を覚ました。セフィルが差し出すリンゴをおとなしく受け取り、部屋の様子をうかがっている。セルクとドウガルが部屋の中央に座り、セフィルがリンゴの皮をむく。そんな構図なのだが、いまいち状況が分からないらしい。

 セフィルが説明しようと口を開くと、先にメルが首を振った。

「分からないことはあとで聞きます。先にお話を進めてください」

「ん。分かった」

 セフィルは手際よく残りのリンゴの皮をむくと、それをメルに渡して振り返った。セルクへと向き直り、その場に腰を下ろす。

「それじゃあお兄ちゃん。全部教えて」

「いや、漠然として意味が分からないって」

 苦笑するセルク。だがそのまま続ける。

「さっき聞いたけど、お前らはダンジョンの中で女神様と会ったんだな?」

「うん、そう。黒い翼のきれいな人だったよ」

「それは偽物だ」

 セルクがそう断言する。セフィルが首を傾げると、

「本物の女神様は、俺がお前らが来る少し前に助けたところだったんだよ。色々不思議な力を持っているみたいだけど、少なくともお前らのところに行く余裕はなかったはずだ。それに、魔物をけしかける理由もない」

「じゃあ、あの女神様は何?」

「魔神キホールだ。魔族の王と考えていいと思う」

 キホール。聞いたことのない名前だが、それがセルクの旅の目的を作り出した元凶なのだろう。

「キホールの目的は、まあ簡単に言うと人間世界の消滅かな。他にも何かあるのかもしれないが、詳しくは知らない。その目的のための一つとして、女神様を封印した形だ」

「でももう助けたんだよね。じゃあ、とりあえずは終わり?」

「いや……。変な悪巧みをしているから、ぶっ潰してくるよ」

 まるで少し出かけてくるような言い方だったが、内容はそれどころではない。まだ魔神と完全に対立しているわけではないようだが、それをすればもう無関係ではいられないだろう。

「女神様を助けたなら、女神様に任せることはできないの?」

「まだ力が完全に戻ったわけじゃないみたいだしな。このまま放っておくと、グラスギブネンっていう化け物が復活して大暴れすることになる」

「そう、なんだ……」

 グラスギブネンというものがどういう存在かは分からないが、魔神がわざわざ復活させようとしているなら人間にとって危険なものなのだろう。セルクはそれを、たった一人で止めようとしているらしい。

 ――そんなのは……。

「ダメだよ」

 セフィルのつぶやきに、セルクは寂しそうな笑顔を見せた。

「危険なのは承知だ。だからこれは俺一人でやるよ。お前は家で待っているといい」

「違うよ。一人で戦うのがダメってこと。私も行く」

「な……」

 セルクが反論する前に、セフィルは振り返ってメルを見た。メルはセフィルと視線が合うと、微笑んでうなずく。一緒に来てくれるらしい。

「お兄ちゃん一人なら心配だけど、私たち三人なら何とかなるよ」

「いや、でもお前……。もし間に合わなかったらグラスギブネンと戦うことになるんだぞ。危険なんてレベルじゃない」

「分かってる。言っておくけど、止めても無駄だからね」

 セルクはまだ何かを言いたそうにしばらく口をもごもごと開閉させていたが、やがて大きなため息をついた。頭をかき、くそ、と短く毒づく。

「ここまで来てしまったんだ。確かに止めても無駄だろうな。分かった。でも危なくなったらすぐに逃げろよ。目的を達成しても、お前が死んだら俺にとって意味はないんだ」

「うん……。分かった」

「よし、出発は明朝だ。ゆっくりと体を休めておけよ」


 翌日。セフィルとセルクは夜明けと同時に目を覚ました。床に寝ていた二人は顔を見合わし、お互いに苦笑する。同じく床で寝ていたドウガルの姿はない。

 少し遅れてメルが目を覚ました。朝食の準備をしていたセフィルを見て、慌てて手伝いに入る。そんな二人の様子を、薪集めから帰ってきたセルクが見て笑っていた。

 朝食後、三人はドウガルの家を出発した。結局ドウガルは戻ってこなかった。

 三人は北、現実世界ではアルビダンジョンがある場所へと向かう。この世界にも同じ場所にダンジョンがあり、そこが魔族の本拠地だという。

「ドウガルさんって、何者なの?」

 セフィルが道すがら疑問に思ったことを聞くと、

「グラスギブネンの魂だ。自分の体を取り戻すか、もしくは破壊してほしいってさ」

「破壊……」

 何となくだが、ドウガルは自分の体が戻ってこないことを悟っているのだろう。それ故に破壊してほしいと願い出たのか。

「グラスギブネンって、元は人間みたいなものなんですか?」

 そう聞いたのはメルだ。セルクはうなずいて答える。

「ちゃんと人間と同じような意志を持った生命体らしい。異世界から無理矢理召喚されて、兵器として邪魔な意識、つまりは魂をはぎ取るらしいな」

「ひどい……」

「ああ……そうだな」

 三人はそのまま黙り込み、歩き続けた。

 やがて、目的地にたどり着いた。アルビダンジョンと同じように、山肌にぽっかりと入り口のあるダンジョンだ。だがアルビと違い、ここからは常に嫌な気配が漂ってくる。中は真っ暗で、内部を伺い見ることはできない。

「一応聞いておくけど、覚悟はいいな?」

「うん……。大丈夫」

 セフィルが剣を抜いて、硬い表情で一度だけうなずいた。

「わたしも、大丈夫です」

 メルも弓を準備し、緊張気味にうなずく。

「よし、行くぞ」

 セルクは満足そうにうなずくと、深淵の闇へと一歩を踏み出した。

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