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聖なる勇者と黒き魔神  作者: ゼイン
第一章 復讐の女神
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第五話 リベンジ

 ダンバートンの北西の隅に、小さな教会が建っている。ここでは一般的な教会の機能の他、身寄りのない子供達を育てる孤児院のような役割も担っている。そのため、街の隅でありながら、いつでも活気が絶えない場所だ。

 メルはその教会の扉を少しだけ開け、中をのぞき見た。部屋の中央に桃色の髪の女が膝を折って座り、手を組んで祈りを捧げている。メルはそれを邪魔しないように静かに中に入ると、そっと扉を閉めた。

 その瞬間、女が振り返った。無表情でメルを見ている。

「おかえりなさい、メル。今日は少し遅くなると聞いていましたが、どうかしましたか?」

「はい。あの……」

 メルが言いにくそうにうつむいていると、女は何も言わずに手招きをした。何列にもなって並んでいる長椅子の一つにメルを座らせ、女はその隣に座る。

「急ぎの用事はありませんので、ゆっくり話してください」

「はい。ありがとうございます」

 礼を言って頭を下げる。

 このクリステルという司祭は、基本的に無表情だが、人に対する思いやりや気遣いを常に忘れない。子供達が泣いていれば同じ目線に立って言葉を聞き、街の人の相談にもよく応じている。

「クリステルさん。わたし……旅に出ようと思います」

「旅、ですか。突然ですね。まさか一人で?」

「あ、違います!」

 慌てて手を振って否定する。

「わたしを助けてくれた人がちょっと困っていまして……。わたしはその人に命を助けられました。だから、その人のために、一緒に旅をしたいと思います」

「…………」

 クリステルは無言。ただまっすぐにメルの瞳を見つめている。メルも視線を逸らさずに、その視線を受け止めた。

 やがて、クリステルがほんのわずかに微笑んだ……ような気がした。

「分かりました。皆には私から伝えておきましょう」

「あ、ありがとうございます!」

「でも、これだけは忘れないでください」

 クリステルが立ち上がって扉へと向かう。メルもその後に続いて、次の言葉を待つ。

「あなたはもう、私達の家族です。ここはあなたの家です。いつでも遠慮せず帰ってきなさい」

「……!」

 メルは驚いて目を見開いた。その間にクリステルは扉を開ける。太陽の光が、教会の中を照らし出した。

「いってらっしゃい、メル。気をつけて」

 クリステルの言葉に、メルはしっかりとうなずいた。瞳に涙をため、はっきりとした声で言う。

「はい! いってきます!」


 セフィルは宿屋の一室で、テーブルに置かれた剣を眺めていた。

 オーガとの戦いで失ったと思っていた自分の剣。だが、いつの間にか部屋の隅に無造作に置かれていた。クロスが回収しておいてくれたのだろうか。

 セフィルは剣に手を伸ばすと、柄をしっかりと握りしめた。ゆっくりと剣を抜き、その輝きを見る。その瞬間、

「……っ」

 体が震えだした。セフィルは慌てて剣を納め、それを机に戻す。自分の体を抱き、ぎゅっと目を閉じた。

「……だめ……怖い……」

 剣を握るとオーガを思い出す。手も足も出ず敗北した。クロスが助けてくれなければ、自分は間違いなくオーガに食べられ、死んでいただろう。その死の恐怖は、そう簡単には拭えない。

「どうしよう……。このままじゃ……」

 兄を捜す以前の問題だ。戦えなければ、迂闊に街の外にも出歩けない。

「セフィさん?」

 不意に声がかけられ、セフィルは顔を上げた。部屋に入った場所で、メルが不安げな表情でセフィルを見つめている。

「大丈夫ですか?」

「あ、うん……。大丈夫だよ」

 笑顔で返事をする。が、ちゃんと笑顔を作れていたかは分からない。メルの悲しそうな表情から察するに、多分成功してはいないだろう。

「教会の人には挨拶してきたの?」

 話題を逸らすようにセフィルが問うと、メルがうなずいた。

「はい。もう家族だから、いつでも帰ってきなさいって」

「そっか。よかったね」

「はい!」

 メルにはもう、家族はいない。教会の人が家族と言ってくれて嬉しかったのだろう、さっきとは一転して元気な笑顔になっている。

 だからこそ、本当に連れて行くべきか悩んでしまう。

「……ねえ、メル」

「ついていきますよ」

「……そっか」

 どうやら意志は固いらしい。ならば、もう言わないようにしよう。セフィルはそう決めると、テーブルの剣を取った。

「それじゃ、行こっか」

「え、でも……。体は大丈夫ですか?」

「うん。もう平気だよ」

 体の傷に関しては、誰かが治癒魔法をかけてくれたのだろう、ほとんど完治していた。戦うことに支障はない。問題があるとすれば……。

「剣は……握れますか?」

「……え?」

「クロスさんが言っていました。戦うことに対する恐怖は、そう簡単には拭えないって」

「…………」

 クロスはこうなることを予想していたのだろうか。

 ――だったら解決方法ぐらい教えてくれたらいいのに……。

 一瞬そう思ったが、すぐに首を振った。これは精神、気持ちの問題だ。明確な解決方法などあるはずもなく、自分で克服するしかない。

「今はちゃんと握れない。だから、どこかで訓練とかしないとね。……手伝ってくれる?」

「はい! もちろんです!」

 笑顔でうなずくメル。その笑顔を見て、セフィルも少しだけ微笑んだ。


 だが、計画というものはいつだってその通りにいくとは限らない。

 二人が宿を出ると、街が異様な雰囲気に包まれていた。大勢の人が大量の荷物を持ち、北口へと移動している。逆に、いかにも戦士然とした者は南口へと向かっていた。

「どうしたんでしょう」

「さあ……。あ、すみません!」

 側を通った、大きな荷物を抱えた老人に声をかけた。

「重そうな荷物ですね。お持ちしましょうか?」

 セフィルが笑顔でそう聞くと、老人は嬉しそうに、頼むよと言った。

「ところで、これは何の騒ぎなんですか?」

 大通りへと出て、北口へと向かう。その途中でセフィルが聞くと、老人はわずかに目を見開いて驚いていた。

「あんた、何も聞いてないのかい?」

「はい。だからちょっと困っていて……」

「もうすぐ魔物の一団が襲ってくるらしいんだよ」

 その言葉に、今度はセフィルとメルが驚いた。二人で顔を見合わせ、すぐに老人へと視線を戻す。

「どういうことですかっ?」

「バンホールへ向かった商人から連絡があってね。途中でこちらへと向かってくる魔物の大群を見たらしい。それから大騒ぎだよ」

 それは当然だろう。バンホールへの道といえば、何人もの戦士を返り討ちにした魔物がいる道だ。その道から大群が向かってくるとするなら、その魔物もいると考えて当然。ならばそう簡単には防衛できるものでもない。

「戦えない者はティルコネイルかイメンマハ方面へ避難。戦える者は街の防衛隊、もしくは討伐隊に入っている。戦えないが街に残るという例外もいるがね」

「なるほど……。ありがとうございます」

 北口に着くと、馬車が何台もとまっていた。大勢の人や物資が積み込まれていく。

 セフィルは礼を言う老人に荷物を渡すと、踵を返した。

「ん? 忘れ物かい?」

「はい。そんなところです」

「そうか。早く戻ってくるんだよ」

 笑顔で手を振る老人。セフィルとメルは会釈を返すと、その場を後にした。


「行くんですか?」

 隣を歩くメルの問いに、セフィルは黙ってうなずいた。その顔は、自分でも分かるほどに引きつっている。緊張していると分かるほどに。

 ――緊張? 違う。怖いんだ……。

 相手がなぜ自分の攻撃を防げたのかも分かった。それの対策もだ。だが、それで勝てるのだろうか? あの時、自分から攻撃したのは、最初のたった一回だけだ。その後は、もう思い出したくもない。

 南門に来て、セフィルは立ち止まった。目の前には、街の防衛隊であろう人達が集まっている。

「メル。ちょっと回り道をするよ」

「…………」

「メル?」

 振り返ると、メルは弓を抱えて立ち止まっていた。防衛隊をじっと見つめ、小さく震えている。セフィルの声が聞こえていないらしい。

「メル!」

 大声で呼ぶと、メルがはっと我に返った。セフィルの方を見て、何度か目を瞬かせる。

「セフィ、さん……?」

 その声は、少し弱々しかった。

「大丈夫?」

「はい……。大丈夫です。ごめんなさい」

 そう言って笑うが、今にも泣き出してしまいそうだ。

「戦うのは、初めて?」

「……はい」

「そっか」

 セフィルはわずかに苦笑すると、手を差し出した。きょとんとしているメルに、笑顔で言う。

「誰だって、戦うのは怖いよ。だから……一緒にがんばろう」

「……はいっ」

 その手を取り、いつもの笑顔を見せるメル。セフィルは満足そうにうなずくと、脇道へと入っていった。


 防衛隊からは見えない森の中を、セフィルとメルは走る。討伐隊に合流できれば、少しでも役に立てるかもしれない。

 だがそんな思いもむなしく、それは視界に入った。

「……っ」

 大量の人間と魔族の死体。立っている人間は一人もおらず、その死体の海の奥に、魔物の大群が控えていた。まるで、セフィルを待っていたかのように。

「また会ったな」

 その声と共に大群から出てくるのは、先に戦ったオーガだ。オーガが手で簡単な合図をすると、他の魔物達は少し後ろへと下がった。

「どういうつもり?」

 オーガを睨み付けながらセフィルが問うと、

「お前が勝てば、我らはラインアルトへと戻る。俺が勝てば、後は好きにしていい。そういう約束をしたのでな」

「約束? 誰と?」

「黒装束の男からだ」

 オーガの言葉を聞いて、セフィルはさっと青ざめた。

 セフィルの知る限り、黒装束の男は一人しか会っていない。わざわざこんな約束をしているぐらいなのだから、セフィルの知っている人物のはずだ。ならば。

 ――まさか……師匠……?

「セフィさん……。黒装束の男って、もしかして……」

 メルも同じ考えに至ったのか、戸惑いつつもセフィルに声をかけてきた。セフィルは答えることができず、ただ黙っているだけ。信じたくないという思いが強い。

「お前達には関係のないことだな」

 オーガはそう言うと、一歩を前に踏み出した。慌ててセフィルが剣を抜き、メルが弓を構える。

「なんだ、二人だけでいいのか? もっと多くても構わんぞ」

 冷たい笑みを浮かべ、さらに一歩前へ。セフィルは思わず後退りした。無意識に唾を飲み込む。

「まあ贅沢は言わん。どちらも……うまそうだ」

「……っ」

 セフィルはぎゅっと目をつむり、大きく深呼吸。剣を持つ手は震え、治まる気配がない。オーガの一言で、あの時の恐怖が完全に呼び起こされてしまった。

「セフィさん!」

 メルの叫び声。セフィルははっと我に返り、首を大きく振った。そして。

「む?」

 剣を捨てた。両手を組み、静かにオーガを睨み付ける。そして始めるのは、中級魔法の詠唱。

「魔法か。だが詠唱中は動けないだろう?」

 にやりと意地の悪い笑みを浮かべ、オーガが走ってくる。その姿を視界に収めながら、セフィルが隣のメルへと言った。

「私のことは気にしなくていいから。自分の身を守りながら、オーガに攻撃を繰り返して」

「はい。分かりました」

 メルは素直にうなずくと、弓を一本取ってセフィルの後ろへと下がった。静かに弓を引く。

「ふん。弓などでこの俺を倒せるとでも思っているのかっ!」

 オーガが拳を振り下ろした。狙いはセフィルの額。これで殺せないまでも、詠唱を中断させることはできる。そう考えたのだろう。

 セフィルは左へ大きく跳び、その拳をかわした。詠唱を中断させることなく、続けたままで。

「なっ……!」

 オーガの目が見開かれ、それはすぐに焦りの色へと変わった。今度は魔法の詠唱を始めようとして、

「ぬ!」

 左腕に矢が突き刺さった。見ると、メルが次の矢の準備をしているところだった。

 ――すごい。

 セフィルの戦いの邪魔にならないようにするためか、五十メートルほど離れている。その距離で矢を命中させるとは驚いた。

 ――弓が得意とは聞いたけど、ここまでなんて。

 オーガに視線を戻す。オーガもメルの方を見ていたようだが、すぐにこちらへと視線を戻してきた。ヘビースタンダーでは防げない矢とはいえ、この距離だ。大したダメージにはならないと判断したのだろう。セフィルもオーガに意識を戻し、詠唱しつつ攻撃に備える。

 だが、それも徒労に終わった。

 再び矢が飛んできた。今度は一度に二本。一本はまた腕に刺さり、もう一本は、

「ぬぐああぁ!」

 オーガの悲鳴が木霊する。オーガの左目に矢が突き刺さっていた。

 これにはセフィルも驚き、詠唱を続けながらもメルを見る。メルは、セフィルの視線に気づいたのかしっかりとうなずいた。

 ――あの距離で、目を狙ったの……?

 その疑問は、すぐに解消された。

 再び飛来する矢。今度は、怒りでメルへと振り返ったオーガの右目にしっかりと命中した。悲鳴を上げるオーガの口へ、さらにもう一本。

「あ、が……! ぎ、ざ、ま……!」

 オーガが走り出した。セフィルの方へではなく、メルの方へ。メルは慌てて立ち上がり、弓を構えながらオーガから逃げる。逃げながらも、矢を射る。

 だが、オーガの分厚い皮膚には致命傷を与えられない。メルが助けを求めるようにセフィルを見たところで、

「アイススピア!」

 巨大な氷柱がオーガを襲った。オーガに突き刺さった氷柱は瞬く間に広がり、オーガを氷付けにする。

 中級魔法、アイススピア。相手に大ダメージを与えるとともに行動不能にする二つの効力を持った魔法だ。

 さらにセフィルは次の詠唱を開始。邪魔するものがないためすぐに詠唱は完了する。

「メル! 離れて!」

 セフィルが叫び、同時に巨大な火球をオーガに放つ。メルが避難するのと同時、着弾。耳をつんざく轟音が大気を震わせた。

 セフィルは剣を拾うと、メルの元へと駆け寄った。着弾点から離れた場所で、メルはうつぶせに頭を伏せていた。

「メル、大丈夫?」

 セフィルが声をかけると、メルがおそるおそるといった様子でセフィルの顔を見た。次に未だ煙で晴れない着弾点を見て、またセフィルへと視線を戻した。

「勝ったんですか……?」

「多分……」

 セフィルが手を差し出すと、メルは困ったように苦笑した。

「足が震えちゃって、ちょっと立てません……」

「そっか。じゃあしばらく休んで……」

 セフィルの声は、しかし背後の音で遮られた。

 腹の底に響く大きな音。一定間隔で響くそれは、足音だ。

「うそ……」

 セフィルが振り返ると、黒こげになったオーガがそこに立っていた。目は潰れ、口にも矢が刺さったままだ。それでもオーガは立っていた。目は見えないはずなのに、しっかりとセフィル達へと歩いてくる。

「くっ……」

 魔法の詠唱? 間に合わない。剣で戦う? これもだめだ、オーガには効かない。何より、今は剣を握れない。なら……。

 セフィルはメルを呼ぼうと振り返り、凍り付いた。

 メルは弓をその手に持ったまま、構えもせずに震えていた。目の前の光景が信じられないのだろう。オーガの威圧感に完全に気圧され、戦意を喪失している。メルは頼れない。

 むしろ今までよくがんばってくれた方だ。初めての命がけの戦闘で、しっかりと矢を命中させていたのだから。これ以上無理をさせるわけにはいかない。

 ――でも、どうすれば……。

 焦っている間にも、オーガはどんどん近づいてくる。もうすぐに、自分達のところへとたどり着くだろう。

 この場を打開する手段を何とかひねり出そうとして、

「いや……お母さん……!」

 メルのか細い声で、セフィルはその思考を放棄した。剣を左手でしっかりと握り、右手でメルの手を優しく握る。


「大丈夫だよ、メル。待っててね」

「あ……セフィ、さん……」

 涙のたまったメルの瞳を見て、セフィルは優しく微笑んだ。そして立ち上がり、両手で剣を握りしめる。そして、オーガへと斬りかかった。


 気づけば、セフィルは柔らかい草の上で横になっていた。目を開け、感覚だけで体の状態を確認する。なぜか脇腹が痛いが、骨折などはないようだ。五体満足ということは、自分は負けなかったのだろう。

 ゆっくりと体を起こして辺りを見る。すっかり日が沈み、たき火の炎だけがセフィルを照らしていた。

「あ、おはようございます」

 声のした方、右側を見ると、すぐ隣でメルが座っていた。セフィルを見て、嬉しそうに微笑んでいる。

「……ねえ、メル」

「はい?」

「天国だったりしないよね?」

 セフィルの問いに、メルはしばらくぽかんとしていた。やがて、ぷっと吹き出し、そのまましばらく笑いをこらえていた。

「……ひどいよ、メル」

「あはは……。ごめんなさい」

 メルは目尻を拭うと、その手である一点を指し示した。たき火の向こう側、さらに奥。体を起こして目を細めてその地点を見ると、オーガの死体がそこにあった。

「……私が倒したの?」

「覚えてないんですか?」

 メルが驚いて聞き返してくる。セフィルは目を閉じて記憶をたどってみるが、全く思い出せない。かろうじて覚えているのは、オーガに斬りかかったところまでだ。

「セフィさんがオーガに斬りかかって、でも防御魔法に阻まれて……。もうだめだと思ったんですけど、魔法が解けてオーガの首を斬ったんです。多分魔力が枯渇したんでしょうね」

「じゃあ私はどうして……?」

「オーガが最後にセフィさんを思い切り殴り飛ばして……。そのまま今まで眠っていました」

 ということは脇腹の痛みはその時だろうか。記憶が飛んだのはその時の衝撃からだろうが、骨折がないだけでも十分すぎる。

「他の魔物達は?」

「オーガが死んだのを確認すると帰っていきました。オーガが言っていたことは本当だったみたいです」

「じゃあ、やっぱり……」

 ――師匠は、オーガと関係があった……?

 セフィルがうつむくと、メルもそれ以上は何も言わずに黙り込んだ。火のはぜる小さな音だけが二人を包む。

 どれほど時間が流れただろうか。やがて足音が聞こえてきた。それはラインアルトの方からで、魔物が来たのかと思わず身構える。だが、現れた人物は魔物とは違い、ある意味では予想通りの者だった。

「オーガに勝ったのか」

「……師匠……」

 いつもの黒装束に身を包んだクロスだった。セフィルの元まで来ると、無表情でただ一言。

「よくやった」

「…………」

 セフィルは黙って師を睨み付けた。すると相手は戸惑うこともせず、その視線が当然のように不敵に笑っている。

「オーガと約束したんだよね……」

「ああ」

「師匠は、魔族側の人なの……?」

 セフィルの問いに、クロスは無言。ただ黙ってセフィルを見つめている。セフィルも視線を逸らさずに、しっかりとクロスを睨み据えていた。

 やがて、クロスが小さく首を振った。

「どっちの味方でもない」

「どういうこと?」

「今まであのオーガをラインアルトに縛り付けていたのは俺だ。一度適当に痛めつけてから、まあ脅迫に近いやり方でな。いい加減面倒になってきたし、お前がいるならちょうどいいと思ってあの取引をした」

「待って……。じゃあ、師匠はあのオーガを一人で倒せたの?」

「当たり前だろうが」

 何を今更とばかりに苦笑するクロス。セフィルは怒りがこみ上げてくるのを何とか抑え、小さく深呼吸した。

「じゃあ……どうして今まで放置していたのっ? 大勢の人が犠牲になったのに!」

「あいつらも生きるためだ。仕方ないだろ」

「仕方ないって……」

「お前は他の命を奪っていないとでもいうのか?」

 クロスの声が一気に冷たくなった。思わず背筋が寒くなる。間違いなく殺気が込められた低い声音だ。

「あいつらが人を襲ったのは、自分たちが生きていく上での最低限だ。それを止める権利は俺にはない」

「でも……! でも同じ人が殺されてるんだよ! 何とも思わないのっ?」

「思わない」

 クロスの言葉から、表情からも感情が消えた。完全な無表情でセフィルを見つめ、ただ静かに続ける。

「俺にとっては、人間も魔族も大差ない。どっちも欲望まみれの薄汚い種族だ」

「師匠だって……人間じゃない……」

「…………」

 クロスが目を伏せた。何かを言おうとしたようだが、言葉にできず諦めたらしい。小さくため息をつくと、クロスは表情を変えた。どこか含みのある、それでも無表情の近いもの。

「話は変わるがな、セフィル」

「……なに?」

 不機嫌そうなセフィルの声を聞いて、クロスは苦笑した。メルの方を少しだけ見て、同じような視線を受けたのかさらに苦笑を濃くする。

「いい情報を教えてやる」

「……だからなに?」

「サキュバスがお前の兄貴の居場所を知っている」

 セフィルが目を見開いた。まさか兄の話題が出てくるとは思わず、何かを言おうとして口を開閉させる。が、言葉が出てこない。

「サキュバスの居場所はクリステル司祭に聞くといい。理由は言えないが、詳しいからな」

「う、うん……」

 こくこくと何度もうなずくセフィル。クロスは満足そうにうなずくと、踵を返した。

「じゃあな。俺が手助けするのはここまでだ」

「それ、似たようなことを前も聞いたよ」

「じゃあ今回が本当に最後だ」

 クロスが真顔で言い切った。何となく、今回は本当のような気がする。

 この先は、どれだけ危険なことがあっても助けてはくれない。

 セフィルは姿勢を正すと、しっかりとうなずいた。

「よし。まあ死なない程度にがんばれよ」

 笑いながら手を振るクロス。そしてそのまま歩き去ってしまった。

「いつも思いますけど……」

 それまで黙っていたメルが口を開いた。クロスが去った方角を見て、複雑そうな表情を浮かべている。

「本当に不思議な方ですね」

「……うん。私もそう思う」

 セフィルもうなずいて、メルと同じ方角を見続ける。

 そんな二人の遙か上空を、大きな影が静かに通り過ぎていった。

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