第四話 オーガ
その違和感には、すぐに気がついた。
皆と別れてから一人でダンバートンの街を歩いていると、その異質な空気をすぐに感じることができた。広場に商人がいるにはいるのだが、売っているものが剣や斧、盾など物々しいものばかりだ。さらに買い求める客も、それに合わせるかのように冒険者が多く、いかにも歴戦の戦士を思わせる者もいる。
つまりは、一般的な住人がほとんど見あたらないのだ。
「な、なにこれ……?」
戸惑いながらも、広場を歩く。せっかくなので露店を見て回っているのだが、目に付くものは武具ばかり。あまり楽しいものではない。すぐに飽きて、広場の北にある普通の食料品店に入った。そこにも屈強な戦士達が大勢いたので、パンを買ってすぐに出る。
「なんだかなあ……」
そんなことをつぶやきながら、目的もなく歩く。パンを頬張りながらしばらく歩くと、南東の出口まで出てしまった。
「ん……どうしようかな……」
南へと延びる道を見つめながら、セフィルは腕を組んで考える。
ダンバートンで兄の情報を探すつもりだったが、広場にいる人達には正直聞きにくいものがある。ならいっそのこと、ここから南にある鉱山の街、バンホールに向かった方が早い気もするが、本当に何も聞かずに行っていいものだろうか。
「どうしよう……」
答えが出ずに途方に暮れていると、背後から人の気配がした。振り向くと、修道服に桃色の髪を持つ女が立っていた。
「そこの方、バンホールに行かれるのですか?」
女が言う。セフィルはわずかにためらった後、うなずいた。
「まだ決めてないですけど、多分行くことになると思います」
「そう、ですか……」
女がしばし押し黙る。セフィルが怪訝そうに眉をひそめると、女は慌てたように続けた。
「今現在、バンホールへの道には凶暴な魔物が出ると言われています。なので、よほどの理由がなければ行かない方がいいとは思うのですが……」
「魔物、ですか? ……もしかして広場の人達は、魔物を討伐するために?」
「はい。何人も討伐に向かって、誰も帰ってきていません。そのため高額な賞金までかけられ、あのような人達がダンバートンへと来ました」
ですが、と女は表情を曇らせた。何となく理由を察し、セフィルが引き継ぐ。
「それでもまだ、倒されていないんですね」
「はい。……魔物が現れてもう二週間。そろそろどうにかしなければ、バンホールの人達が飢え始めてくると思うのですが……」
セフィルは振り返り、道の先を見る。ここからではそれほど危険そうには見えないが、そう思った旅人等はその魔物の犠牲になってしまっているのだろう。討伐に向かい、帰ってこない者も返り討ちにあったのだろうか。
――……ほっとけないよね。
バンホールは鉱山の街。もともと人の行き交いの多い街だ。このままこの道が通れないとなると、多くの人が生活に困るだろう。それに、バンホールは鉱石は豊富だが、食料は他の街にほとんど頼っていると聞く。飢餓に苦しむのも時間の問題だろう。
セフィルは一つうなずくと、笑顔で振り返った。女の視線を正面から見て、言う。
「その魔物、倒してきます」
「は……? いえ、ですが……。おそらく、とても強力な魔物ですよ?」
「それでも……。ここで負けるようなら、私は旅を続けられないと思いますし」
兄が何をしようとしているのかは分からないが、きっととても危険なことなのだろう。なら、道をふさぐ程度の魔物は自分一人で倒せなければ、兄を捜しても意味がないと思う。
「あなたも、賞金が目当てなのですか?」
何を勘違いしたのか、女がそう聞いてくる。セフィルは首を振った。
「いりませんよ、そんなの。旅を始めたばかりで、お金はまだありますし」
「そうですか。……ではなぜ?」
「ちょっと恥ずかしいので言えません」
照れたような笑みを浮かべて言う。女はしばらくそんなセフィルの目を見つめていたが、やがて小さくため息をついた。
「分かりました。せめてこれを持っていってください」
そう言って差し出してきたのは、地図の描かれた紙だった。地図はダンバートンから南方の地図で、右下、南東の場所に印が書かれている。
「これは……?」
「その印の場所に例の魔物がいるそうです。信用できる友人から聞いたので、間違いないと思います」
「あ、ありがとうございます」
「いえ。御武運をお祈りしています」
女は小さく頭を下げると、それ以上は何も言わずに踵を返した。立ち去ろうとする女を、慌てて呼び止める。
「あ、あの! お名前を聞いてもいいですか?」
「……クリステルと申します。では、子供達が待っていますので」
今度こそ女は立ち止まらず、雑踏の中へと潜っていった。
セフィルは準備を整え、その日のうちに出発した。ダンバートンの南東の出口から出て道なりに進む。日が沈むまでひたすら歩き、日没後は野宿の準備を始める。たき火を起こし、簡易テントを組み立ててその中へ。食事は街で買い込んだ干し肉で済ませた。
その後は横にならずに、剣を持ってじっと座る。一人である以上、深い眠りに入ってしまうと魔物に襲われた時にどうしようもない。そのため、いつ何が起こっても反応できるように浅い眠りを繰り返した。
夜明けと同時に目を開け、片づけを始める。そして再び道なりに進み、昼前にはダンバートンとバンホールの中間地点、ドラゴン遺跡にたどり着いていた。
ドラゴン遺跡はその名の通りドラゴンの遺物を発掘している場所で、今でも少しずつ発掘作業が続いている。もっとも、働いているのはたった一人だけなのだが。
「大きい……」
そのドラゴン遺跡を見て感嘆のため息をついた。小さな城なら入ってしまいそうなほどのドラゴンの石像。誰が何のために作ったのだろうか。
「今は関係ないか」
ドラゴン遺跡を通り過ぎ、鉱山の街バンホールへの道を歩く。本来は一本道なのだが、一カ所だけ分かれ道があった。南北へと延びる道に、一本だけの東へと延びる道。コボルドが多数生息しているラインアルトへと続く道だ。この道を使う人間はほとんどいない。
ラインアルトへの道を見て、セフィルは小さく息をのんだ。所々に人の形をした骨が転がっている。
「……ちょっと……怖いかも……」
引きつった笑みのまま、剣を抜く。いつどこから襲われても対処できるように。
無言のままラインアルトへの道を歩く。一歩ずつ慎重に、周囲を警戒しながら。
ラインアルトは岩に囲まれた荒野だった。草木はほとんどなく、コボルドを何度か見かける以外には生命の気配を感じない。まさに魔物の巣窟といった場所。
少し歩くと、小さな広場のような場所に出た。コボルドなどは見かけないが、その中央に別の魔物が一匹。
オーガがそこにいた。
通常のオーガより一回り大きく、魔法を使えないはずなのにマナの流れを感じる。知能などほとんど持ち合わせていないはずなのだが、どうやら数少ない例外らしい。胡座を組み、目を伏せている。
セフィルが近づくと、その顔を持ち上げた。
「……人間か」
――しゃべったっ?
わずかに驚いて目を見開いていると、オーガがゆっくりと立ち上がった。武器などはないようで、ただセフィルを睨み付けるのみ。
「俺を討ちに来たか」
オーガが笑みを浮かべた。心を凍り付かせるような、冷たい笑み。それを見たセフィルは、思わず一歩後退った。
「腹が減っていたところだ。貴様の肉……、いただこう」
オーガが一歩前に出てきた。こちらの話は何も聞く気はないらしい。
――私だって、何も話すことはないけど……。
剣を構えるが、オーガの目を見ていると手が震えてくる。どうしても、嫌な予感が拭えない。
「……大丈夫」
自分に言い聞かせるようにつぶやく。これ以上、犠牲者を増やすわけにはいかない。
「だから、負けられない!」
セフィルは走り出した。剣を振りかぶり、オーガの巨体へと振り下ろそうとする。相手の防御を予想してその後の流れを考えていたが、
「え……?」
そんな素振りは見せなかった。悠然と、堂々と剣を待ち構える。
「……!」
不気味さよりも怒りが勝った。自分の剣など取るに足らないということか。
――だったら望み通り、これで終わらせる!
剣を両手で持ち、全力で振り下ろした。
だが。
固い物が打ち合う、澄んだ音が響き渡った。剣は、オーガの巨体をわずかに斬ることもなく、完全に止まっていた。むしろその反動でセフィルの手が痺れたほどだ。
「どうして……」
と考えようとしたところで。
自分の体が宙に舞った。
殴られた。そう認識した直後には、セフィルの体は背後の岩へと叩きつけられていた。
「く……!」
痛みで顔をしかめる。すぐに体勢を立て直そうとするが、足が言うことを聞かずに地面へと膝をついてしまった。
「うぁ……」
目がかすむ。たった一撃でこれほどとは。
「でも……。まだ、戦える……!」
歯を食いしばり、立ち上がる。再び剣を構えようとして、その手に何も握られていないことに気がついた。
「うそ……! 剣は……」
慌てて視線を周囲へ。前方、かなり離れた場所に剣があった。それを見つけると同時に、その場にオーガがいないことにも気がつく。
「どこに……。いや、それよりも先に……!」
まずは剣。あれがなければ、相手を見つけても攻撃できない。
そう思って剣へと駆け出す。剣までの距離は、五十歩ほどの距離だ。すぐにたどり着く。
だが、あと十歩というところで、何かが足を掴んだ。すぐには反応できず、前方へ思い切り倒れてしまう。
「な……!」
慌てて振り返ると、泥の手がセフィルの足を掴んでいた。ここからは逃がさないとでも言うように。
「離して!」
叫び、自由な方の足で泥の手を蹴る。直後に、頭上に大きな魔力の気配。
「え……?」
顔を上げると、巨大な雷がそこにあった。
中級魔法、サンダー。自分でも扱えるために、それが最終段階まで詠唱されたものだとすぐに分かる。術者にもよるが、魔物の大群すらも蹴散らせる雷。それが今、目の前にあった。
「い、いや……!」
急いでその場を離れようとするが、泥の手はセフィルを放さない。その隙に、巨大な雷は轟音と共に落ちた。
「あああぁぁぁ!」
電流が全身を駆けめぐり、今まで感じたこともない痛みが全身を貫いた。意識が闇に持っていかれそうになるが、懸命に繋ぎ止める。
「あ……ああ……」
何とか意識は保てたが、それだけだった。最早セフィルには、体を動かす力は残っていない。油断すると意識もすぐに消えてしまいそうだ。
それでも、セフィルは手を伸ばした。土を掴み、少しずつ前へ。だが、それを阻むのは巨大な手だ。
「行かさん」
オーガの手が、セフィルの体を押さえ付けた。それだけで、セフィルは身動きができなくなる。
「はな……して……」
抵抗するが、オーガを振り解けない。それでも剣へと懸命に手を伸ばすが、剣には届かない。もう、目と鼻の先に剣はあるのに。
「……いや……」
何もできない。自分は為すすべもなく負けたのだと理解して。
その直後には、死の恐怖がセフィルを襲った。
――……死ぬ……?
「いや……死にたく……ない……」
瞳から涙が溢れる。それを我慢することもできず、ただ必死に手を伸ばした。
「諦めの悪い人間だ。その心を折るのも悪くはないか」
オーガがつぶやく。そして、唐突な浮遊感。投げられたと理解するよりも早く、また岩に体を打ち付けられた。
「くぁ……」
苦痛で顔が歪む。今度は体勢を立て直すこともできず、その場に崩れ落ちた。
「かっ……」
うまく呼吸ができない。酸素を求めて息を吸い込むがむせてしまう。
「あ……」
周囲に魔力の流れ。それを察する前に体中に電流が、痛みが走った。
「うああ!」
ライトニングボルト。小さな雷の魔法だが、今のセフィルには激痛に感じる。
その場に倒れてしまったが、すぐに手を前に出した。
――死にたく……ないよ……。
まだ兄にも会えていない。こんなところで死にたくはない。
剣を探して必死に手を伸ばすが、無論そんなところに剣はなく、はるか前方にあるのだが、それすらもセフィルには分からなくなっていた。
目の前にオーガが立つ。その気配を察して、セフィルの表情が凍り付いた。
――誰か……助けて……。
「たす……けて……」
オーガの表情が嬉しそうに輝いた。セフィルの絶望を楽しむかのように。
「ここには、お前を助けてくれる者などおらん」
オーガがセフィルの腕を掴んだ。そのまま持ち上げ、自分の目の前へとつり上げる。
「人間の肉は久しぶりだ」
「……!」
意識は朦朧としているが、その言葉の意味するところは分かる。
――私を……食べるの……?
「やだ……やめて……」
「安心しろ。じっくりと、恐怖を与えながら喰ってやる」
セフィルのもう片方の腕を掴み、腕が水平になるように持ち上げる。そして、無防備になったその脇腹に、オーガは食らいついた。
「あああぁぁぁ!」
セフィルの悲鳴が響き渡る。オーガはそれすらも楽しむかのように、さらに強い力で食らいついた。
「いやああぁぁ……!」
オーガの力が増す。その体を食い破ろうとするかのように。その直前、セフィルは反射的に魔法を唱えていた。
「ぬっ……!」
ファイアボルト。集中力がないために小さな火球にしかならなかったが、オーガは怯んだように手を離した。
地面へと落ちた衝撃が脇腹の傷に激痛を与え、苦悶の表情を浮かべてしまう。だがすぐにそこから逃れようと、這いずり始めた。ゆっくりと、少しずつ。顔を涙で濡らしながら。
「痛い……」
手を前に出し、オーガから少しでも離れようとする。脇腹の傷口からは、血が絶え間なく流れていた。
「こんな……やだ……」
必死に這いずる。が、すぐにオーガは目の前に立ちはだかった。
「油断した……。先に殺すとしよう」
「ひっ……!」
セフィルの短い悲鳴と、
「ごあ!」
オーガの悲鳴は同時だった。
最初何が起こったのか分からずに呆然としていたセフィルだったが、何かをするよりも早く自分が抱き上げられたことに気がついた。直後に風になったかのように、自分を抱いた人間が走る。
「落ちるなよ」
その声を、なじみ深い師の声を最後にセフィルは気を失った。
目を覚まして最初に見たものは、石造りの天井だった。
「……ここ……どこ?」
寝る前に何をしていたか思い出そうとする。しかし寝起きの頭ではしっかりと思い出せない。そのままぼんやりと天井を見つめること十分。ようやく意識がはっきりとしてきた。
「確か、オーガに負けて……」
思い出したのと同時に、その時の恐怖がセフィルを襲う。顔を歪め、自分の体を抱いて、感情の波が静まるのを待つ。
――……怖い……。
オーガの姿を思い出すだけでも体が竦んでしまう。どうにかその感情を抑え、記憶の糸をたどっていく。
「……師匠に助けられて……その後は、もう……」
ゆっくりと部屋を見回す。左側の壁に窓があり、太陽の光が差し込んでいる、右側には木製の扉。部屋の中央にはテーブルといすがあった。自分の使っているベッドは、窓際の壁に接している。
セフィルは窓をそっと開け、そこからの風景を見る。石造りの建物が並び、広場がかすかに見える。下を見ると、窓が縦に三つ並んでいた。ここは四階らしい。
「ダンバートン……かな?」
その問いに答える者は誰もいない。
セフィルは窓から顔を引っ込めると、ベッドから下りてゆっくりと立ち上がった。かすかな痛みを感じ、脇腹に手を触れる。オーガに噛まれた場所だ。だが、確かに何かしらの違和感はあるが、傷跡などは何もなかった。
――誰かが魔法で治してくれたのかな……。
しばらくそのまま立っていたが、すぐにベッドに座り込んだ。まだ体力までは回復していないらしい。
「これからどうしよう……」
まずは師に礼を言う。それはもう決まっている。だが、その後は……?
正直、もう剣を握るのも怖い。もう一度魔物と戦えるかと聞かれると、答えに逡巡してしまう。あのオーガと戦えと言われれば、それは無理だと言ってしまいそうだ。
「あはは……情けないなあ……」
顔を伏せ、唇を噛む。涙が一粒、床に落ちた。
その時、扉が開く音がした。慌てて顔を上げると、入ってきた者と目が合った。
「メル……?」
エルフの少女がそこにいた。セフィルの姿を見て、驚いたように目を見開いている。だがそれは、すぐに泣きそうな表情へと変わった。
「気が、ついたんですね……」
メルはベッドの側まで来ると、嬉しそうに微笑んだ。その目尻には涙がたまり、目は真っ赤に充血していた。
「もう起きないんじゃないかと……思いました……」
「……心配させて、ごめんね」
メルの頭に手を置く。優しく撫でると、メルは小さく首を振っただけだった。
「まあ、とりあえず気がついて何よりだ」
その声に顔を上げると、扉の前でクロスが立っていた。その手にはパンの入った袋を持っている。その袋を掲げて、言った。
「腹、減ってるだろ?」
言われて、セフィルは空腹感に気づいた。今まで感じたことのない空腹感。まるで数日何も食べていなかったような……。
「私、どれぐらい眠っていたの?」
「えっと……。三日ぐらいです」
「三日……? そんなに……」
丸一日ぐらいかと思ったのだが、まさか三日も寝込んでいたとは。メルが心配していたのもよく分かる。
「とりあえず食べろ。話はそれからだ」
クロスがパンを一つ取り出すと、それをセフィルへと放り投げた。
部屋の中央のテーブルにパンの袋と紅茶のカップが置かれ、それを囲むように三人は座っていた。紅茶はメルが用意したものらしく、誰かのカップが空になるたびに素早くおかわりを注いでいる。
クロスは黙々とパンをかじる。不機嫌さを隠そうともせず、小さくなってもそもそとパンを食べるセフィルを時折睨んでいる。
やがてパンがなくなり、空になった袋を捨てるためにメルが退出したところで、
「この、バカがっ!」
クロスの雷が落ちた。
「たった一人であのオーガに勝てるとでも思ったのか、お前は!」
「…………」
「大方、『勝てるか分からないけどここで勝たないと兄に会った時に意味がない』とでも思っいたんだろう! 違うか!」
「……はい」
クロスの目を見ることができず、うつむいて小さくうなずく。そんなセフィルの様子を見て、クロスは大きくため息をついた。
「お前は、自分の剣の腕が超一流だとでも思っているのか?」
「……思っていません」
「ならばいい。オーガに挑み、敗れた冒険者の中にはお前よりも強いやつは当然いた。それでも勝てないんだ、お前が一人で勝てるわけがないだろう」
「……うん」
「それに、お前は剣よりも得意なものがあるだろう。何だ?」
問われ、セフィルは一瞬悩んでしまう。だがすぐに思い当たり、クロスの顔を見て言った。
「魔法……?」
「そうだ。お前は中級魔法も扱えるだろ」
「でも、本気で中級魔法を使おうと思ったら、戦いながらじゃ……」
クロスが呆れ果てたように大きなため息をついた。
「お前は兄を助けるために、共に戦うために捜すんだよな?」
クロスの問いかけに、しっかりとうなずく。
「いつ、誰が、それまでお前は一人でいなければならないと言った?」
「え……? それって、どういう……」
「仲間を見つけろ。お前と共に戦ってくれる仲間を」
それを聞いたセフィルは、しばらくぽかんとした表情でクロスを見つめていたが、やがて首を振って、
「私の旅の目的は、すごく個人的なことだよ。そんな旅に協力してくれる人なんて……」
「そうか? もういると思うがな」
怪訝そうに首を傾げるセフィルの前で、クロスは立ち上がって音も立てずに扉に近づいた。そして勢いよく開ける。
「わっ!」
メルが小さな悲鳴を上げながら床に倒れた。
「メル? どうしたの?」
困惑して首を傾げるセフィルと、どこか居心地が悪そうにもじもじとしているメル。クロスはその間に静かに扉を閉め、その場で目を閉じて気配を消す。
「あ、あの!」
メルが立ち上がり、セフィルの隣へと走った。セフィルはただ首を傾げるばかり。
「わ、わたしが! 一緒に行きます!」
「……え?」
「セフィさんの旅……。手伝わせてください!」
「ええっ?」
驚いて目を見開き、メルをまじまじと見てしまう。その間も、メルは視線を逸らさない。まっすぐに、セフィルの視線を受け止める。
「何があるか分からないよ……?」
「はい」
「私が言うのもなんだけど……。今回みたいに危険かもしれないし、もしかすると死んじゃうかも……」
「はい!」
「え、えっと……。どうして?」
逆に聞き返され、メルは一瞬言葉に詰まった。何かを考えるように視線を上へ。だがまるで諦めたかのように少しだけ息を吐くと、再びセフィルの瞳を見る。
「助けてもらった恩返しと言いますか……。わたしはセフィさんに命を助けられました。いろいろと優しくしてもらいました。すごく、あったかかったです……。だから、見ず知らずの人と暮らすより、セフィさんと一緒に世界を回ってみたいんです!」
「えっと……。ごめん、よく分からない」
苦笑混じりのセフィルの返答。それに同意するかのようにクロスも渋い顔でうなずいていたが、二人は全く気づかない。
「あう……」
「でも、気持ちは分かったよ」
その言葉を聞いて、メルは不安げに顔を曇らせた。おびえたように顔を伏せ、目をきゅっと閉じる。その手は少しだけ震えていた。
「後悔……しないの……?」
「……はい」
か細い声でうなずくメル。それを聞いて、セフィルは薄く微笑んだ。
「私と一緒に来てくれる?」
「……!」
メルが勢いよく顔を上げ、ぱっと表情を輝かせた。涙ぐみながら、何度もうなずく。
「それじゃあ……。よろしくね、メル」
「はい!」
嬉しそうに返事をするメル。クロスはそれを見て満足そうにうなずくと、テーブルの側へと戻った。
「話は終わったな?」
「わっ! 師匠いたんだ……」
「失礼なやつだな。……まあ俺がいたら会話しづらいかと思って気配は消したが」
いすに座り、足を組む。メルがどこか緊張した面もちでクロスを見る。
「で、だ。これからどうする? セフィ」
「うん……。やっぱり、オーガを放っておくことは、私にはできない……」
クロスの雷が再び落ちることを覚悟して、それでもしっかりとその目を見て言った。クロスの方は、そうだろうなと短く同意しただけで、特に怒りはしなかった。
「いいことを教えてやろう。魔物によっては、強力な防御魔法を持っているやつがいる」
「防御魔法?」
セフィルが首を傾げ、メルがクロスの代わりに説明する。
「物理攻撃や魔法攻撃を完全に無効化したりする魔法です。防御魔法には三種類あって、『ヘビースタンダー』、『ナチュラルシールド』、『マナリフレクター』があります」
「へえ……。詳しいね」
「家族から聞いた話、なんですけどね」
メルが苦笑した。クロスがうなずいて続ける。
「まあその通りだ。一つ目は剣や斧などの物理攻撃を、二つ目が弓などの遠隔攻撃を、三つ目が魔法を防ぐ。上位の魔物は、このうち最低一つは修得していると考えていい」
「へえ……。じゃあもしかして、あのオーガは……」
「十中八九ヘビースタンダーを持っているな。初めからお前に勝ち目はなかったよ」
「そ、そうなんだ……」
「俺が教えてやるのはここまでだ。捕捉として、全ての防御魔法を完全に修得することはほぼ不可能だということも覚えておけ」
「はい。ありがとうございます、師匠」
「わ、えと、ありがとうございます!」
セフィルに続き、メルもしっかりと頭を下げる。クロスはそんな二人を見て、薄く微笑んだだけだった。
「お前ら二人なら、お互いの弱点を補えるだろう。次からはもう助けないからな」
言って、クロスは立ち上がって扉の方へと歩き出した。慌てて止めようと席を立つが、呼び止める前にクロスは扉の奥へと姿を消した。
「は、はやいよ師匠……」
「あ、あはは……」
後には呆然とするセフィルと苦笑するメルがその場に残された。