第三話 エルフの少女
ティルコネイルから最も近い街は、山を下るようにして二日間歩き、山を完全に下りた平原にある。その途中はトゥガルドアイルと呼ばれ、伐採キャンプもあるため凶暴な動物等は生息していない。
村を出発し、翌日に昼頃には伐採キャンプにたどり着いた。キャンプと言っても木こりが数人いるだけの小さな所だが、歩き疲れた体を休めるにはちょうどいい。
「ここで一時間ほど休憩しましょう。一時間後に南側集合で、それまでは自由行動でいいですよね?」
カティアが確認するように聞いて、クロスが不機嫌そうにうなずいた。
セフィルは二人どこか険悪そうな二人から離れると、伐採キャンプの中央へ向かう。その場所には一際大きな木があることで有名で、噂通り周囲の木とは一線を画す巨木がそこにあった。
「おっきい……」
その木の根本、影の部分に腰を下ろす。涼やかな風が時折頬を撫で、気持ちがいい。
「あの二人……どうして仲が悪いのかな……」
自分の師匠と先生の様子を思い出す。あの二人は口論こそしないが、常にお互いを警戒しているように見える。厳密に言えば、カティアがクロスを警戒し、クロスはそれが面倒でカティアを避けている感じだ。セフィルのことで何か意見がぶつかれば、ほとんどの場合クロスが引き下がる。苦手意識のようなものを持っているのかもしれない。
「二人とも仲良くできればいいのに……」
小さくあくびをする。気温もそれほど低くもないため、少し昼寝をしても風邪などひかないだろう。
「ちょっとだけ……」
そっと目を閉じると、セフィルの意識はすぐにまどろみの中へと沈んでいった。
両脇を森に挟まれた山道が見える。その道を行く幌馬車も。
――なにこれ?
セフィルは宙に浮いて、その光景を眺めていた。すぐに自分が眠っていることを思い出し、これは夢かと自覚する。
――変な夢。
御者台には薄い紫色の髪を持つ若い男。耳がわずかに尖っている。うとうととしながらも、しっかりと手綱を握っている。
幌の後ろ側からは、少女が身を乗り出してゆっくり流れる景色を楽しんでいた。こちらも薄い紫色の髪で、耳がわずかに尖っていた。エルフの親子だろうか。
しばらく眺めていると、森から人影が飛び出してきた。黒いローブに身を包み、巨大な剣や斧等を持った人間達。御者台の男が真っ先に気づき、何かを叫ぼうとしたところで、
――……あっ!
黒い人間の持つ剣が、男の胸を貫いた。
幌の中から人が飛び出してくる。数人の男女と、先ほどの少女。全員が剣や弓を持ち、戦闘態勢に入ろうとする。だが、準備をする間もなくほとんどの者は走り寄ってきた人間の剣の犠牲になった。
残った数人は逃げるように馬車の裏側へ。だがすぐに、馬車が倒され、全員がその下敷きになってしまった。
――ひどい……。
盗賊。話には聞いたことはあるが、見たのは初めてだ。
――……見る……?
自分が考えたことに疑問を持った瞬間、セフィルの意識は現実へと引き戻された。
「……っ!」
目をかっと見開き、周囲を見渡す。眠り始めた時と同じ、伐採キャンプの風景だ。違うと言えば、側のテーブルでクロスがおにぎりを頬張っていることか。
「師匠!」
「ん? もう起きたのか?」
慌てるように跳び起きたセフィルを、クロスが怪訝な瞳で見る。
「どうした?」
「近くで盗賊に襲われた馬車が! 助けないと!」
「落ち着け。何の話だ。ほら、深呼吸」
言われるままに深呼吸を一回。それで少し落ち着き、セフィルは夢の話をした。
「所詮夢だって言われるかもしれないけど、どうしてもそんな感じじゃなくて……」
「なるほどな」
クロスが空を仰いだ。セフィルも釣られるように視線を上へ。
「……ドラゴン?」
小さな影が空を横切っていた。あまりにも距離があるため、正確にその姿を判別することはできない。だが、確かにドラゴンの姿をしていたと思う。
「先に行け。カティアを連れて後を追う」
クロスの落ち着いた声。正確な場所が分からないと言うと、
「その道の先だ。多分だけどな」
クロスが指し示した道は、伐採キャンプから西へと延びる道だ。小さな森を抜け、タルティーンという都市へと続く道。
「信じるよ、師匠」
「ああ。気をつけてな」
セフィルはクロスの言葉を最後まで聞くこともなく、脱兎の如く走り出した。
それを見送って、クロスは再び空を仰ぐ。ドラゴンの影がまだ見えた。セフィルは気づかなかったが、クロスが指し示した道はドラゴンが飛翔してきた先だ。
「そんなに姫が心配か?」
つぶやき、ため息をついて踵を返した。
森の中の道を十分ほど走ったところで、それはあった。
道の中央に横転した馬車。馬にはすでに巨大な剣で刺されたあとがあり、そこから大量の血を流している。その馬車の周囲には、黒ずくめの盗賊の集団。馬車に乗っていただろう人の多くは、地面に倒れ伏して動かない。
盗賊の一人が、横転した馬車の下から人を一人引っ張り出した。薄い紫色の髪の少女。盗賊達を見て、その表情は凍り付いている。
セフィルは走りながら詠唱を開始。相手がこちらに気づいたところで手を前に出し、練り上げた魔力を躊躇なく放出した。
盗賊達の上空に雷が発生する。それに気づき見上げた盗賊達へと、容赦なく降り注いだ。
中級魔法の一つ、サンダー。
詠唱に五段階あり、本来なら五段階まで終了させてから放つのが理想だ。だがセフィルでは五段階まで詠唱し、放った場合は行動不能になるし、何よりも威力が高すぎて殺しかねない。故に一段階で詠唱を放棄した。
強大な魔族相手ならさほど効果はないだろうが、人間相手には十分な威力を発揮した。落雷を受けた盗賊達はその場に倒れ伏し、動かなくなった。
唯一落雷を免れたのは、少女を引っ張り出していた盗賊。少女の髪を乱暴に掴み、持っている剣を振り上げたところで動作が完全に止まっていた。その目はセフィルを見て見開かれている。
「その手を離しなさい!」
叫び、勢いよく剣を抜く。狙い違わず相手の剣に吸い込まれていき、その剣をはじき飛ばした。
「……っ!」
盗賊が何かを叫んでいたが、それを最後まで聞き取ることはできなかった。
すでに、セフィルの剣の柄が盗賊の鳩尾に入り、すぐに倒れてしまったためだ。
「これで全員……かな?」
もたれ掛かってきた盗賊の体を地面に投げ捨て、周囲をゆっくりと見回す。もう人間の気配は感じられない。
小さく息をついて少女を見る。少女は呆然とセフィルを見上げていた。
「大丈夫?」
手を差し出すと、少女の体がびくりと震えた。その手をしばし眺め、セフィルを見て、もう一度手を見て……。やがて、そっとセフィルの手を取った。
「ありがとう……ございます……」
高く澄んだ声だった。練習すれば歌姫とかになれそうだな、と場違いなことを思ってしまう。
「あの……他のみんなは……」
「あ……」
改めて周囲の倒れている者を見る。盗賊以外の者は、心臓を一突きにされていた。一目ですでに絶命していると分かってしまう。
「多分……もう……」
「…………」
少女が泣きそうな瞳をセフィルに向ける。その瞳を真正面から見ることができず、思わず目をそらしてしまった。
少女はセフィルから視線をはずすと、側に倒れている女を抱き起こした。息をしていないことを確かめ、今度は御者台の方で倒れている男へ。その生死を確認すると、次の一人へ。またその次へ。全員の生死を確認し終えると、少女はその場で座り込んでしまった。
「一人に……なっちゃいました……」
「…………」
こんな時、セフィルは何を言えばいいのか分からない。
しばらくの間静寂が二人を包み、やがてそれは少女のか細い泣き声に変わった。
伐採キャンプにある巨木にセフィルは戻っていた。その根本に座り、隣でうずくまっている少女の手をただ黙って握っている。
あの後、クロスとカティアがやってきて、クロスとカティアが盗賊達を縄で縛っている間に、セフィルは少女を連れて伐採キャンプに戻ってきていた。テーブルやいすもあったが、それらのほとんどにはすでに人がいたので、木の根本に座ることにした。
少女はセフィルの隣で、膝を抱えてすすり泣いていた。何も言うこともできず、セフィルはその側で、ただ少女の手を握ってやるだけ。相手もその手を振りほどかないので、拒絶されているわけではなさそうだ。
やがて、クロスとカティアが戻ってきた。クロスはセフィルを一瞥しただけで、そのまままたどこかへと歩き去っていく。カティアの方はそんなクロスに苦笑しながら、セフィルの元へと歩いてきた。
「遅くなってごめんなさい。クロスはここの責任者の方に話をしに行きましたよ」
「あ、はい。分かりました」
「では……。少し大事な話をしましょうか」
そう言って、カティアは視線を少女の方へ。優しく語りかける。
「とりあえず名前と出身地と。あと……」
これからどうしたいか。
カティアのその言葉を聞いた瞬間、少女の体が一際大きく震えたのが分かった。
少女の旅の仲間は、皆死んでしまった。おそらくその中には家族も含まれていただろう。今後はたった一人で生きて行かなくてはならない。
しばらくうつむいて黙り込んでいたが、やがて声を少し震わせながらも、話し始めた。
「名前は、メル……。メルロス・ディネルースです。フィリアから来ました。これからのことは……よく、分かりません……」
少女の手を握る力が少し強くなった。励ますようにこちらも強く握り返してやると、相手が驚いたように顔を上げてセフィルを見た。泣きそうな顔になりながらも笑顔を見せてくる。今にも消えてしまいそうな、儚い笑顔だった。
「ではダンバートンの教会に行きましょう。あそこには身寄りのない子供が集まっています。今後のことは、そこでゆっくり考えましょう」
「はい……。よろしくお願いします」
少女が頭を下げたのを見て、カティアはとても悲しそうな表情をしていた。
ダンバートンまでの道のり限定だが、旅の仲間が一人増えた。
メルと名乗ったエルフの少女とは、道中で仲良くなり、色々な話を聞くことができた。
メルはエルフの里であるフィリアから、行商のために海を渡ってやってきたらしい。今までは家族が里に帰ってくるのを待つだけだが、今回初めて同行が許されたそうだ。
「それがまさか、こんなことになるなんて……」
そう言ってメルは笑っていたが、その心の中ではどのように思っていたのだろうか。
翌日の昼頃、ダンバートンにたどり着いた。
ダンバートンは北、南、西への道があり、それぞれが他の村や街に繋がっている。そのため、行商人の拠点として栄えてきた街だ。この国では、首都に次ぐ賑わいを見せている。
街は正方形の形をしていて、三つの出入り口を除いて全てが城壁のような壁に囲まれている。魔族が攻めてきた時のためだとは思うが、詳しいことは知らない。建物は木造の多いティルコネイルとは違い、石造りや煉瓦など、頑丈なものが主流となっている。
「噂には聞いていたけど、大きい街だね」
感嘆のため息をつきながらセフィルが言った。クロスもうなずきながら、
「人の数は行商人を含めると、首都とそれほど変わらないらしいからな。毎日広場で行商人が露店を出しているから、後で見てみるといい」
「うん」
「それじゃ、俺はここでお別れだ」
言って、クロスはさっさと歩いていってしまおうとする。慌てて呼び止めると、
「ここまでの約束だ。必要なことは教えたしな。生きていたらまたどこかで会おう」
冗談めかしてそう言うと、今度こそ立ち止まらずに人混みの中へと姿を消した。
「では、私も行きますね」
今度はカティアだ。クロスとは違い、セフィルの言葉を待っている。
「あ、はい。お世話になりました。……メルのこと、よろしくお願いします」
「ええ。任せてください。……と言っても、私は教会に送るだけですけど」
カティアがメルの背を押す。メルはセフィルの方へと顔を向け、どこか悲しそうな表情を浮かべた。昨日まではそれなりに笑顔を見せてくれていたのだが、今日はずっと悲しげな表情のままだ。
「あの……セフィさん」
「うん。なに?」
「ありがとう、ございました……。助けられたご恩は、一生忘れません」
驚いて目を瞠った。ずっとそんなことを考えていたのだろうか。
「気にしなくていいよ。私こそ、もっと早くに行けたら良かったのに……。ごめんね」
「いえ……。私でお力になれることがあれば、いつでもお手伝いします。だから……」
また、会いに来てください。
寂しそうにそう言われ、セフィルも泣きたくなってしまった。たった一日しかいなかったのに、もう情が移ってしまったらしい。
「うん。ありがとう。何もなくても……遊びに行くね」
「……! はい!」
ぱっと顔を輝かせ、メルは大きくうなずいた。
カティアに手を引かれ、メルは教会の方へ。その姿も、人混みの中へとすぐに消えた。
「ここからは一人……か。ちょっと寂しいな……」
しばらく一人でそこに立っていたが、やがて小さく首を振った。バッグがあることを確認し、剣の柄を握りしめる。そしてセフィルも、街の中へと歩き出した。
空を飛ぶ蒼色のドラゴン。ドラゴンは少女の姿が人混みの中へと消えるまでその場にいたが、やがて東の空へ飛んでいった。
黒い、真っ黒な雲の中へと。