第一話 初戦
第一話 始まり
まるで血のような紅色が目の前に広がっていた。その色は目の前の物体を呑み込み、次の獲物を探している。少女の目には、そう見えていた。
「父さん……母さん……」
隣の少年がそうつぶやく。
目の前の怪物の中に取り残されてしまった両親。その怪物……巨大な炎は、勢いそのままに大気を燃やしていく。
「君達は無事だったか。良かった……」
そんな声がかけられ二人が振り向いた先には、村長のダンカンがいた。ダンカンの周囲では、大勢の大人達が消火作業に取りかかろうとしている。
「村長、セフィルのことを頼むよ」
少年の言葉に、ダンカンだけでなく少女も驚いた。口を動かして何かを言おうとするが何も言えない。自分の気持ちを伝えようと、少年の服を握るだけだ。
「ごめんな、セフィル。でもみんながいるから大丈夫だよ」
そっと自分を抱きしめてくれる少年。まるで母親のような温もりがそこにはあった。
「……おやすみ、セフィル」
少年が小さくそうつぶやくと、少女の意識はゆっくりと闇の中へと消えていった。
それ以降、少年……兄とは、もう会ってはいない。
緑が豊かな山にあるのどかな村、ティルコネイル。その村の貯水池で、一人の少女が釣りをしていた。だが、釣り竿が獲物を知らせるために振動しても、その持ち主である少女はまったく気がつかなかった。
少女の傍らには水を張った桶があるが、獲物を入れるためであろうそれには何も入っていない。きれいな水が、風が吹くたびに波紋を広げるだけだ。
少女は釣り竿を持ってはいたが、膝を抱えて目を閉じていた。どうやら眠ってしまっているらしい。わずかに頭が動くたびに、背中に流れているきれいな金髪が揺れている。
「…………」
いつの間にか、その背後に一人の青年が立っていた。黒いローブにフードも被っているため、顔を見ることはできない。ただ、どこか呆れているように小さくため息をついた。
「おい、起きろ」
青年が呼びかけるが反応はない。少女は先ほどと変わらず、釣り竿を握ったまま眠っている。
「……まったく……」
つぶやいて、少女の肩を軽く叩く。
「おい、起きろ。釣り竿動いてるぞ」
「へ……?」
ようやく少女が目を開いた。動いている釣り竿を見て、しかし何もせずに今度は振り返る。暗褐色の瞳で黒ずくめの青年を見た。
「あ、師匠。おはよう」
「ああ、おはよう。で、釣り竿」
「……あ。ああ!」
少女はそこで釣り竿の動きに気づいたのか、慌てて立ち上がった。そして思い切り引っ張り上げようとする。が、重い。動かない。
「師匠! 助けて!」
「なんで俺が……」
言いつつも釣り竿を持ってやるのは、この青年の優しさだろうか。そして少女とタイミングを合わせることもなく、小さなかけ声一つで引っ張り上げた。
「わ、大物だ!」
少女が嬉しそうな歓声を上げる。釣り糸の先には、一メートルほどの魚がぶら下がっていた。逃げようと必死になって暴れている。
「でかいな。手伝ってやったんだから、半分よこせよ」
魚をまじまじと見つめながら青年が当然のように言って、少女は、
「うん、もちろん」
屈託のない笑顔で答えた。
中央の広場で少女はたき火を起こした。まだ朝早いためか、広場に人影はない。側の雑貨屋から調理道具を借りて、手際よく魚を切っていく。青年はその様子を、たき火の反対側から見守っていた。
「今日は休みか?」
青年が声をかけると、少女は小さくうなずいて答える。
「うん。本当は仕事だったんだけど、昨日の夜に明日は休みなさいって言われて」
「ああ、なるほどな」
「……何か知ってるの?」
少女が顔を上げて首を傾げる。青年は、知らないねと薄く笑いながら言った。何か隠していることは明白だが、きっと聞いても答えてくれないだろう。
「別にいいけど」
魚の切り身を木の枝に突き刺し、たき火の側へ。かなりの量になったが、この青年なら食べきるだろう。自分一人では食べきれないところだったので、青年の申し出は渡りに船だった。
「……? なに?」
自分を見ている青年の視線に気づき、少女が首を傾げる。
「いや……。この後どこか行くのか?」
「どうして?」
「遠出する時の服だから」
少女の服装は、青いワンピースのような服に胸と上腕の一部を金属で保護している簡単な鎧だった。鎧としての効果はあまりなさそうに見えるが、重たくないし動きやすいという理由で少女は愛用している。
「悩んでるところ、だよ。シドスネッターに行こうかなって」
「悩むほどのところか? すぐそこじゃないか」
「だって……。コヨーテが怖いから……」
シドスネッターとは、ティルコネイルの北側、さらに山を登った場所だ。年中雪が降っている上に凶暴なコヨーテが生息しているため、好んで登る人間は少ない。何かしらの用事のある人間は、旅の冒険者を護衛に雇うのが常だ。
「何のためにお前に剣を教えたと思っているんだ。コヨーテぐらいなら対処できるだろ」
「うん……」
うつむいて黙り込んでしまう。青年は小さくため息をつくと、魚を手にとって口に放り込んだ。
ゆっくりと太陽が昇り、そして傾いていく。少女はその様子を、村の広場にある大きな木にもたれ掛かりながら眺めていた。
あの後、剣の師である青年とは無言のまま別れた。別れ際に何かを言いたそうだったが、結局何も言われなかった。何となく、その内容には予想がついているが。
「自信を持て、か……」
何度も言われた言葉だ。だが、少女は魔法には多少の自信があるが、剣に関しては自信を持つことができない。
「あの熊……待ってるかな……」
少女の手には、青い薬草が握られている。これはシドスネッターにいる熊の好物で、いつからか忘れたが休みのたびに熊に届けるようになっていた。熊はまるで人間のように、喜びを表してくれる。それが嬉しくて、何度も向かってしまうのだ。
「どうかしたかね? セフィル」
物思いに耽っていると、頭上から声をかけられた。見ると、村長のダンカンが少女の顔をのぞき込んでいる。その表情はどことなく心配そうだ。
セフィルと呼ばれた少女は、苦笑気味に眉尻を下げた。
「いえ、何でもありません」
「そうかな? またクロスに何か言われたのではないかな?」
「あう……」
クロスというのは、先ほどまでセフィルと一緒にいた青年だ。本来は村の住人ではないのだが、何を気に入ったのかセフィルに剣を教えるために頻繁に村に出入りしている。
「その……自信を持て、と言われました」
「ふむ……。剣のことかな?」
「はい」
素直にうなずくと、ダンカンはそうかそうかと何度もうなずいた。
「クロスの言う通り、君はもう少し自信を持っていいと思うよ」
「そう、でしょうか?」
「うむ。レイナルド先生も君の剣の腕は認めているんだよ」
初耳だった。レイナルドは学校の教師で、戦い方の基礎を教わった。だが、基礎しか教わらなかったからかもしれないが、誉められたことはない。
「それに……」
言いかけて、ダンカンは口を閉じた。視線をゆっくりと左へ、シドスネッターの道へと向ける。セフィルも怪訝そうに眉をひそめながらも、そちらへと視線を向けた。
男が慌てて走ってくるところだった。この村の住人だ。男はダンカンを見つけると、こちらへと一直線に走ってきた。
「村長!」
「どうしたのかね、そんなに慌てて」
落ち着きなさい、とダンカンは男に言った。とりあえず一度、ゆっくりと深呼吸させる。
「それで、何かあったのかな?」
「はい! 妻がアルビから戻ってこないのです! こんなことなら、無理にでも一緒に入れば……!」
「捧げた供物は?」
セフィルの声に、男が驚いて目を見開いた。どうやら今の今までセフィルには気づいていなかったらしい。それだけ慌てていたのだろう。
「包帯を一個……」
「包帯ですね、分かりました」
セフィルはうなずくと、すっくと立ち上がった。そしてそのまま二人には何も言わず走っていく。ダンカンの呼び止める声が聞こえたが、聞いている暇はないと無視をした。
セフィルの家は、シドスネッターへと行く道、つまりティルコネイルの北の外れにある。小さな木造建ての家で、見た目に特徴はない。内装も簡素で、入って左奥にベッド、右奥に机といす、反対側の隅にタンスなどがあるだけだ。
セフィルはベッドに立てかけてあった剣を手に取る。クロスから前祝いだと言われて譲り受けたブロードソード。何の前祝いかは教えてもらえなかった。それを持って家を出る。向かう先は家の東側にあるアルビダンジョン。
ダンジョンとは、かつて女神が封じた迷宮だ。通常は広い部屋に女神像があるだけなのだが、女神像に供物を捧げるとその奥へと転移させられる。。捧げるものは何でもよく、ものによって進める場所が違う。
アルビと呼ばれるダンジョンは、数多くあるダンジョンの中でも比較的弱い魔物が生息している。弱いといっても、奥へ行けばそれなりに凶悪な魔物も生息しているため、剣を持たない一般人は近づくことを許されていない。
セフィルはアルビに入ると、その中央にある女神像へと向かった。翼を持った美しい女の石像だ。その石像の前で包帯を取り出し、床に落とす。
わずかな浮遊感の後、石像の裏の壁から通路が現れた。逆に、背後の入り口は消滅している。ここから出るには、ここか奥の女神像で祈るしかない。
セフィルは剣の柄を握ると、ゆっくりと鞘から抜いた。
「……!」
剣を抜いて、初めて恐怖を感じた。今までクロスや旅の冒険者と模擬戦はやったことはあるが、実戦はない。命のやりとりは、今回が初めてだ。
「……大丈夫……。早く行かないと……」
自分に言い聞かせるようにつぶやくと、セフィルは歩き出した。
狭い通路を進み、小さな部屋をいくつも通っていく。途中白クモや灰色ネズミなどの魔物はいたが、楽に倒せるものばかりだった。
――大したことはないかな。
今まで強くなっている実感はなかったが、確かに強くはなっているようだ。これなら、よほどの魔物が出てこない限りは大丈夫だろう。
例えば、目の前にいるスケルトンとか。
「……え?」
たどり着いた場所は、巨大な広間だった。今までの部屋の倍以上の広さだ。その中央に、ひっくり返った巨大なクモの姿がある。その前には、鎧を身につけた銀色の骸骨。
「どうして……」
ダンジョンによって、封じられている魔物は違う。目の前にいる魔物は、アルビでは見ることのない魔物、スケルトンだ。しかもあれは、それの上位種。
「メタルスケルトン……」
ごくりと唾を呑み込んだ。今までのザコとは違い、勝てるか分からない敵だ。幸い相手はこちらに気づいていない。戦わなくてもいいのなら、それに越したことはない。
「セフィ、ちゃん?」
呼ばれ、セフィルは右へと視線を向ける。部屋の隅に、ティルコネイルの伝統衣装を着た女がいた。帰ってこなかったという男の妻だ。
「大丈夫ですか?」
できるだけ物音を立てないように女に近づく。敵への警戒は怠らない。
「え、ええ。ちょっと足を挫いたけど、大丈夫よ」
「そうですか。よかった……」
心配事の一つが消えた安堵に胸をなで下ろす。だが、足を挫いているなら早くは歩けないだろう。
「立てますか?」
女はうなずくと、左足をかばうようにゆっくりと立ち上がった。
「ここまでの魔物は倒しているので、入り口の女神像へ戻ってください」
「セフィちゃんはどうするの?」
「……足止め、します」
スケルトンへと視線を戻す。いつの間にかセフィル達の方を向き、カタカタと小刻みに、威嚇するように顎を震わせていた。こちらへと一歩を踏み出す。
「セフィちゃん……!」
「大丈夫」
笑顔を見せると、女はまだ躊躇していたが歩き出した。セフィルが入ってきた入り口へと歩を進めていく。魔物はその姿を追おうとしたが、
「行かせないよ」
その間に剣を構えて立ちふさがると、魔物も剣を構えた。
「お手並み拝見、だな」
一人と一匹がいる大きな部屋の前にクロスはいた。隠れるようにして二者の様子をうかがう。ケガをしていた女はクロスに気づくことなく部屋を出ていった。
「がんばれよ」
剣の打ち合う音が室内に響く。
魔物の振り下ろす剣を受け止めて、それをはじいて斬り返す。魔物はそれを鎧で受け止め、再び斬りかかる。セフィルはすぐに反応して一歩下がり、二撃目をはじいて斬り返す。それを何度も何度も繰り返していた。
――相手に知能があるわけじゃない。剣の腕なら、私の方が上。だけど……。
魔物の鎧に阻まれ、決定打を放つことができない。鎧の隙間をついても、魔物の骨は鋼鉄化していてやはり斬れない。
魔物は剣を振り回すだけなので当たることはないが、こちらも決定打を放てない以上勝負がつかない。
――違う……。
スケルトンの特徴は、アンデッドだということだ。疲れを知らず、相手が倒れるまで攻撃し続ける。体力に限界のある人間とは、決定的に違う点だ。
――このままだと、負ける!
首を落とせば、アンデッドといえども動けなくなる。故に狙うは……。
「首!」
セフィルの剣が真横に振られた。狙い違わず魔物の首に当たるが、そこも鋼鉄化していて斬ることはできなかった。高い音とともにはじかれ、その剣を魔物が掴んだ。
「あっ!」
それに気づいた時には、魔物は剣を振り上げていた。表情のない魔物のはずなのに、その顔はどこか笑っているように見える。そして、振り下ろした。
「……っ!」
剣から手を放して大きく下がる。それを追うように、血が床へと落ちた。
「くぅ……!」
斬られた箇所は右腕。あまり深く斬られたわけではないが、痛みで感覚が麻痺している。このままでは剣を持てない。もっとも、自分の剣は相手の手中にあるわけだが。
「ど、どうしよう……」
予備の剣など持っていない。身近に武器になるようなものもない。慌てているセフィルに、魔物はゆっくりと近づいていく。まるで恐怖を煽るかのように。
「あ、ああ……」
蒼白になり、パニックになりかけた瞬間、
「魔法を使え阿呆!」
聞き慣れた声が聞こえた。その声に我に返り、左手をかざす。魔物もその意図が分かったのだろう、慌てて後ろへ下がろうとしたが、
「アイスボルト!」
セフィルの放った氷弾は相手の首に当たった。その部分が凍り付く。続けて両腕、両足へ。相手がうまく動けなくなったのを確認して、セフィルは地を蹴った。
「でりゃあ!」
雄々しい掛け声と共に、相手の首へ跳び蹴り。狙い違わず首に当たり、その箇所の氷は粉々に砕け散った。頭と胴が分かれ、頭が床へと落ちて軽い音が響き渡った。続けて体が後ろへと倒れた。
「……勝った……?」
荒い息をつきながら、しばらく魔物の体と頭を交互に見ていた。動かないことを確認して、ゆっくりと息を吐く。
――やった……!
勝てたことにまず喜びを噛みしめ、満足したところで魔物の腕から自分の剣を取った。氷はもう溶け始めていて、さほど苦労はしなかった。
「もらっていくね」
魔物の頭に声をかけ、相手の剣も手に取る。セフィルの剣よりも長大な剣だ。
「お疲れ」
入り口側から声をかけられ振り返ると、そこにクロスの姿があった。どこか誇らしげな笑顔を浮かべている。
「師匠……。いるなら助けてよ」
「お前なら勝てると分かってたからな。……魔法も使わず剣だけで戦っていた時は、正直肝を冷やしたが。訓練じゃないんだ、魔法ぐらい使え」
「あ、あはは……。忘れてました……」
「……阿呆」
呆れたようにため息をついたが、すぐに笑顔に変わった。
「まあ、何にせよお疲れ。無事に勝てたようでよかったじゃないか」
「うん。……これはどうしよう?」
魔物から取った剣を見せる。クロスはそれをしばらく眺め、
「バスタードソード、だな。お前がもらっておけ。ここに残しても錆び付くだけだしな」
「い、いいのかな?」
「いいんだよ。冒険者の多くはそれで収入を得ているんだから。売るなり使うなり好きにしろ」
クロスは軽く手を振ると、部屋の奥へと歩き出す。セフィルはしばらく魔物の剣を見ていたが、すぐにその後を追った。
広い部屋の次は、女神像のある小さな部屋だった。そこで行き止まりで、他には何もない。
「出るぞ」
「うん」
クロスに促され、セフィルは女神像へ祈る。その直後にわずかな浮遊感の後、アルビの入り口に戻ってきた。外への出入り口がある部屋だ。それを見て、セフィルは安堵のため息をついた。
――戻ってきた……。
「で、セフィ」
「あ、はい?」
「腕はいいのか?」
クロスに指摘され、腕に切り傷があるのを思い出した。今まで意識していなかったが、思い出すとだんだんと痛くなってくる。
「……痛い」
「だろうな。ここなら落ち着いて魔法使えるだろ」
「うん」
うなずき、目を閉じる。持っていた剣を床に置いて、右腕の傷に左手をかざした。その手が淡い青色の光を発する。数秒後、腕の傷はきれいに消えていた。
「さて、俺はダンカンに報告してくる。お前は家に戻って休め」
「自分で行けるよ」
「今はまだ興奮が冷め切ってないだけだ。いきなり疲れがくるから、今にうちに家にいけ」
「ん……。師匠がそう言うなら」
セフィルはうなずくと、言われた通りに家へと向かう。歩いている間に、どんどんと足が重たくなってきた。さらに眠気まで襲ってくる。
「うぅ……。意外と疲れていたのかな……」
家に入り、剣をベッドの下へ。そのままベッドに倒れ込むと、すぐに意識が遠ざかっていった。
物音が聞こえる。話し声も聞こえる。
――……誰?
「あ、起きかけていますよ」
「よし、もう一度だ」
「あなたは鬼ですか」
その声の直後、再び激しい睡魔が襲ってきた。
――気になるけど……もう少しだけ……。
再びセフィルの意識は闇へと沈んだ。
次に目を覚ました時、室内の様子はがらりと変貌していた。
「……え?」
大きな机が運び込まれ、その上には料理の数々。さらにはクロスやダンカンを始め、親しい人達も大勢詰めかけていた。
「おはよう、セフィル」
そう声をかけたのは、青いドレスに身を包んだ女性。長い金髪はセフィルと違って後ろで束ねている。蒼い瞳でセフィルを優しげに見ていた。
「……カティア先生?」
「はい」
カティアと呼ばれた女性は、嬉しそうな満面の笑顔を浮かべた。セフィルに魔法を教えた人物で、月に一度ティルコネイルに来る旅のヒーラーだ。
「あの……これは……?」
セフィルが部屋を見渡しながら言うと、
「パーティだよ。お前の誕生日の」
カティアの隣にいたクロスが、どこか面倒くさげに言った。さっさと起きろと目で言っている。
「主役が起きないと始められないだろうが」
「あ、はい」
まだよく分からないが、とりあえずセフィルは立ち上がった。カティアの手で部屋の中央へ、料理の前へと通される。その奥には、ダンカンが笑顔で立っていた。
「十五歳の誕生日おめでとう、セフィル。一人前の年齢は本来十八歳なのだが、君は少々特別でな。今日、君を一人前と認めるよ」
「え……? どうしてですか……?」
「うむ。話すと長くなるからな……」
ダンカンが周囲を見ると、セフィルと料理を交互に見ている者が多い。皆待ちきれないのだろう。
「先にパーティをしてしまおう。話はそれからだ。もう一度……、誕生日おめでとう、セフィル」
「あ、ありがとうございます」
慌てて頭を下げると、拍手と歓声に包まれた。
セフィルの家は広くない。一人暮らしのために建ててもらった家なので当然なのだが、それ故に招待客は全員入りきらなかったらしい。外でも机を並べていた。
セフィルはダンカンに連れられ、家の外に出た。後ろにクロスとカティアが続く。そのままアルビの方へ向かい、入り口前で立ち止まった。
「セフィル、お前に話しておかなければならないことがある」
いつも以上に真剣な眼差しに、セフィルは背筋を伸ばした。今のダンカンの顔を見ていると、なぜか緊張してきてしまう。
「お前の兄、セルクについてだ」
「お兄ちゃんのこと、ですか?」
セフィルの兄、セルクは両親が亡くなった時に村を出ていった。もう十年前のことで、セフィルは当時五歳。正直顔も覚えていないが、母に似た温もりだけは覚えている。
「三年前、村に立ち寄ったのだ」
「え……?」
初耳だった。あの兄のことだから死んではいないだろうと思っていたが、まさか村に立ち寄っていたとは思わなかった。
「どうして教えてくれなかったんですか!」
「お、落ち着きなさい」
詰め寄ってくるセフィルにダンカンは顔を引きつらせながら後退りした。それでもセフィルの追求は終わらない。
「私が……! 私がお兄ちゃんを心配してるってこと、知ってますよね……!」
「もちろんだ。とりあえず落ち着きなさい」
「…………」
息を荒らげながらも、セフィルは一歩下がった。元の位置に戻り、しかしダンカンを睨み続ける。
「セルクは、すぐに出ていくからお前には会えない、と言っておったよ。ぬか喜びさせたくなかったのだろう」
「…………」
兄の考えそうなことではある。理解はできるが納得はしない。
「さらに言えば、数ヶ月前にも立ち寄っていろいろと話をしたよ。どうやら、危険なことに巻き込まれているらしい。それこそ命に関わるような……。誰か仲間を見つけなさいとは言ったが、あの者のことだ、一人で背負い込むだろう」
「お兄ちゃんなら……そうでしょうね……」
特に命に関わることなら、誰も巻き込まないようにするだろう。兄はそんな人だった記憶がある。
「さて、セルクの話はひとまず終わろう。次の話だ」
「え? あ、はい」
唐突な話題転換に、セフィルはわずかに慌てた。このまま兄の話が続くと思っていたのだが、どうやら違うらしい。それとも、兄に関わる別の話、なのだろうか。
「カティアには村に来てもらうたびに占いをしてもらっているのだが、これがよく当たるのだ」
「はあ……。先生が占いもしてるのは聞いたことありましたけど、村長もしてもらっていたんですね」
「うむ。先日のカティアの占いの結果は、わしに関するものというよりはエリンに関するものだった。……カティアさん、頼めるかな?」
「はいはい」
セフィルの後ろで、カティアが楽しそうに返事をした。振り返るとカティアと目が合い、どこか嬉しそうに笑う。
「私の占いは、女神様からお告げをもらうというものです。……本当に女神様からなのかは分からないですけど」
気恥ずかしそうに眉尻を下げて笑うカティア。この辺りはセフィルも一度聞いたことがある。
「で、この前聞いたお告げはね。異世界から来たミレシアンが世界を救う戦いに赴くこと、そしてそれは誰かが助けなければ失敗してしまうこと」
「異世界のミレシアンって……」
「あなたの兄ですよ」
驚きに目を見開き、ダンカンを振り返る。神妙な面もちで一度だけうなずいた。それが本当なら、自分は兄と血が繋がっていないことになる。
「わしもそのことに関しては詳しく知らないのだ。セルクに会った時に聞くといいだろう」
「……はい」
ひとまずそれで納得して、カティアへと視線を戻す。
「続けますね。ミレシアンと共に戦う者は、アルビの侵入者を倒した者になると聞きました。アルビの侵入者とはおそらく、セフィが倒したスケルトンでしょう」
「故にセフィル」
反対側からの声でまた振り返る。
「今日の誕生日で、お前を一人前と認めることにした。スケルトンを倒せる力量があるなら、旅に出ても十分だろう。……お前の誕生日にこの事件が起こったこと、お前が侵入者を倒したこと、わしには運命に思えたよ。無論、お告げに従うかは君の自由だ」
「旅に……」
セフィルは目を閉じてしばし考え込んだ。
前々から旅に出たいとは思っていた。兄が死んでいるとは思えなかったため、自分の足で探しに行きたいと思っていたのだ。だが、それはあくまで個人的な理由であって、世界が関わってくるなど思ってもみなかった。
――お兄ちゃん……。私は……。
セフィルはゆっくりと目を開けた。ダンカンが心配そうな顔でセフィルを見ている。そのダンカンに笑顔を向けた。
「行きます。でも、世界のことなんか私には分からない。私はただ、お兄ちゃんを捜したい」
「うむ。それでいいと思うよ」
セフィルの答えを聞いて、ダンカンは満面の笑顔になった。
「旅立ちの時期はセフィル、君で決めなさい。……その前に、クロスからも話があるそうだ」
「師匠から……?」
振り返ると、クロスと目が合った。不機嫌そうにセフィルを睨んでいる。
「俺はまだ、お前を一人前と認められない」
クロスの声。その内容は予想できていたが、セフィルはうなだれてしまう。
「確かにお前は強くなった。スケルトンを倒せるぐらいにだ。ただ、正直俺の助言がなかったら、お前は死んでいただろう」
「……はい」
それは否定できない。クロスの言葉がなければ、自分はあの場で殺されていたかもしれない。
「だからセフィル。卒業試験だ」
セフィルが顔を上げる。クロスの表情は、どこか意地の悪いものだった。
「キアのゴーレムを一人で倒してみせろ」
ゴーレムと聞いてセフィルは蒼白になったが、クロスはにやにやと笑っているだけだった。