第四章
「……うっ……うっ」
空が隠れるくらい高い木に囲まれた暗い森に、一人の女性が地べたに座ったまま泣き続けている。
背は一五〇センチくらいで、肩までかかったふわふわした髪。緑の縦縞模様のパジャマで、大人しくて、か弱そうな容姿だ。高校生ぐらいの年齢だろうか。
そんな彼女を、森という檻に幽閉しているみたいだ。
「なんで……なんで、わたしだけ……」
手を伸ばしても一筋の光を手に入れることもできない絶望感。それを証明するかのように、
『おまえには孤独がお似合いだよ! アハハハハ!』
彼女を蔑む不気味な男の声が周りから聞こえてくる。そして、それを肯定するように、木々たちから『ウヒャヒャヒャヒャ!』と蛮声が聞こえてくる。
「嫌だ……嫌だ……っ!」
その嗤い声に傾けないよう、少女は必死に耳を閉じる。
誰か……誰か、私を、ここから……。
私は進みたいの! 夢を叶えたいの!
だから、こんな深い森の中でも……誰でもいいから、私の声を……。
「だれか、ここから助けてよぉ――――っ!!」
喉につっかえていた言葉を、懇願するかのように見えもしない空に向かって大声で吐き出す。
すると、
キ――――ン!!
耳につんざく音が空から聞こえ、光が闇夜の森を強く照らす。
「……」
上空の光に、彼女は思わず立ち上がり、目を丸くする。
『ギャアアアアア!!』
彼女を嘲る声の主や木々たちの声が苦しみに変わり、森は光とともに消滅していった。
そして世界はあっという間に白一色へと変わった。
彼女は呆然と見つめる。なんという暖かい光。幸福に満ちているみたいだ。
(それが、アンタの望みね)
「えっ?」
自分と同じくらいの女性の声が聞こえた瞬間、テレビゲームのように空のグラフィックがパッと緑豊かな星が輝く丘へと変わり、彼女はそこに立っていた。星たちは強く光を放ち、しっかりと存在証明をしている。
その中心には大きな満月。
そこから、
(その願い、叶えてあげる)
大きな満月が光を放った瞬間、彼女の前に白く輝く、自分より少し背の高い女性のシルエットが現れる。長い髪は、後頭部の高い位置で結っているように見える。顔が分からなくてもその奥では、穏やかな表情をしているのが不思議と少女は理解できた。
(さあ、手を)
言われるがままに、女性の手を握る。
この暖かい手――ああ、そうだ。私を『アンタ』と呼ぶ時点で誰だか分かるじゃない。
私を助けてくれるのは貴方なの?
(行こう、一緒に。前へ)
「うん」
やっぱり。
私を『親友』として見てくれる暖かい声。
彼女しかいない。
「ねぇ、貴方の名前、もしかして――」
ピピピピ! ピピピピ!
「!」
実緒のすぐ目の前に置いてある、目覚まし時計が鳴り、その音に合わせて目が覚めた。
目を開けると、そこに広がるのはピンクだらけの自分の部屋。
――あれは、夢?
実緒はゆっくりと起き上がり、布団をたたんだ。
そうだよね。私を助けてくれる人は、もう誰も……。
実緒はその場に座り込んで憔悴した。
自分がコーディネートしたピンクの部屋も黒く染まっているように見える。
置いてある絵を見つめるたびに、破れたり、ラクガキされた絵ばかりが脳裏に浮かぶ。自分を否定されて、ズタズタされた自分。そう思うだけで、周りも敵だらけに見える。
そのことを、自分のことを親友と呼んだ人にも言ったのだ。私を助けるひとは、もういない。
実緒の心は、絶望感でいっぱいだった。この心はもう……今日見たあの夢のように誰か……。
すると、
「シー、ディー?」
昨日何もなかったはずのローテーブルの上に、CDケースが置いてあった。
『いい曲だから聴いてみて』
「……?」
母親が書いたメモが貼っており、実緒はとりあえず書かれた通り、ケースを開けてCDを取り出し、再生した。
「!」
その歌声に、実緒の目が大きく見開いた。
この声は、ネオちゃん?
ゆっくりと始まる旋律から、彼女が力強く歌い上げる。その声は優しさで溢れ、実緒の心に強く響く。
まるで、自分のために歌っているような気がした。ひとりじゃない。一緒に行こうよ、見守っているから、と言われているみたいだった。自分のことを、存在を、認めてくれている。
自然と、涙が溢れた。
そして、曲が終わり、
『実緒へ』
彼女からのメッセージだった。
『お元気ですか。うーん、やっぱり親友に対して『ですか』って改まって言うのは気恥ずかしいなあ、あははは。……普通に、わたしなりの言葉で言うね。
最近はどう? 実緒が元気でやっているのか、すごく、すごーく、心配だよ。あの雨の日からずっと考えているんだよ!
あの日は本当にショックだった。なんでって? そりゃあ、実緒がわたしから離れてしまったからだよ。こんなこと小学生の頃に続いて二度目だよ。
何度も言うけど、ホントに、本当にショックだった。悔しかった。なんでまた、親友の悩みに気づくことができなかったのか……うー、思い出すだけで自分に腹が立つなあ。
本当に、最低だよね……ごめんね。
わたしは……わたしはね、実緒のことは本当にバカになんてしていない! これだけは事実! それに、みっちぃだって、健斗やタッくんだって、すごいと言ってくれたんだよ。本当なんだから! moment'sは実緒の絵を大絶賛してるよ! 認めてるんだよ!
だから……聞いてほしいものがあるの!
わたしの気持ちを――今さっき流れたこの歌を、直接実緒に届けたい! CDではなく、生の声で!
わたしが気がづいたように、実緒にも『ひとりじゃない!』っていうのを! 傷つけられても、わたしたちmoment’sがいつまでも味方だってことを! いつも背中から見守っているってことを!
だから、怖いかもしれないけど……学校に来て! 『騙された!』と思って来てみてよ! わたしたち――わたしが、実緒のために用意したこの曲を、最後に届けたいから!
今日の総合祭――午後二時から一時間半、わたしたちのライブがあるから、最後の曲までには……来てね。必ずよ!
めちゃくちゃな言い分になっちゃったけど、これがわたしの本音だから。この想いだけは、変わらないから!
だから……待ってるよ!』
「……」
友達、いや、親友からの正直な――熱い想いが感じる。
強引なところもあるけど、常に笑っていた。
夢に向かって一緒に頑張ろうと言ってくれた大事な友人。
「……ネオちゃん……わたし……わたし……」
行かなくちゃ!
涙で濡れた目を手で拭いて、自然と実緒の足は、制服が置いてあるクローゼットの方へと動いた。
彼女に、会いに行くために!
※※※
「みんな、期待しているわよ!」
今回のライブのオファーをもらった総合祭実行委員長、大山茜がステージである講堂の舞台裏で、ネオとみちるを激励する。
「はい! 頑張ります!」
ネオは気合いの入った声で返事をする。
今日のネオたちは一味違う。この日のために、ライブ用の服を着ているのだ。
moment'sの服は、メンバーでお金を出して作った――胸にLightと白地で描かれた半袖黒Tシャツ以外は、自由な服装をしている。
ネオは腰の部分に、右足の膝まで届くくらいまでの赤いサッシュを巻き、紺色の三段フリルのミニスカートと合わせて黒のレギンスを穿き、そして頭に黒のリボンをつけた、トレードマークのポニーテール――プライドの高いリーダーを表現している。
「今、先生たちにインタビューしている隼人、いや、片平がみんなのことを呼ぶから、そのタイミングで登壇してね」
「了解です!」
とみちるがグッ! と茜に向かって親指を突き立てる。
彼女は、ピンクのベルトを締めた、黒の短いプリーツ・スカート、黒のニーソックス、両手首には黒のシュシュ、そして腰まで届く漆黒のストレートパーマという、ワイルドな感じに仕上げている。制服を着てもそんな雰囲気があったが、さらに磨きをかけたようだ。
「茜さん! 例の件、お願いしますね」
「まっかしといて!」
茜はネオに手を振りながら、勝手口からでていった。
総合祭。
学生主体で日頃の成果の展示や催し物を出して、学生はもちろん、保護者や地域の方々を楽しませる、学校の一大イベントの一つ。
三年生は調理室を使って料理を販売しており、二年生や一年生は出し物を行っていた。中には生徒会と実行委員会の許可を得て、視聴覚室でお笑いをしている学生や、部活でイベントを開いており、午前中から大賑わいだった。
ネオのクラスである二年一組では、教室をすごろくに見立てて作り上げた出し物、『サイコロ☆あどべんちゃー』をやっており、ネオは午前中、その運営当番をやっていた。
大人から子供までが楽しめる出し物であったためか、色々な世代の方が楽しんでくれた。しかし、お客さんがしばらく来ないときは、運営しているメンバーでやっていた……のだが、『好きな男子を教壇で叫ぶべし!』とかいう、突拍子もないマスにネオは止まってしまい、おかげで男子の中で誰が好きかを無理矢理言うはめになってしまった。そのことは三人には内緒だが。
そんなこんなでネオは総合祭を楽しんでいたが、やっぱり一人足りない。
その件について、
「竹下さん、どうしたのかなあ?」とクラスメイトの女子。
「何があったんだろ?」とクラスメイトの男子。
午前中に運営当番になった実緒のことを、クラスメイトのみんなが気にかけている。
その声を聞いて、ネオはすごく嬉しかった。
実緒には、帰る場所があることを。自分を始めとするクラスメイトは、彼女が来るのを待っていることを。
――それを……今日、伝えてやるんだ!
やってやる!
責任重大だ……ネオは、気の引き締まる思いで講堂のステージを見続けた。
先にジャズ演奏をやった、三人の先生のインタビューもあと少しで終わる。
それを余所に、moment'sのタイムシフトが近づくにつれ、ステージ裏からでもはっきりと聞こえるくらい、学生たちの人数や大人や子供のざわつきが大きくなっている。毎月やっている学校でのライブや夏休みのロックフェスに参加した結果なのかもしれない。
ガチャ! と講堂内を偵察した健斗と巧が戻ってくる。
「人がものすごく集まってきたっス」
健斗がネオたちに報告する。
彼は頭に部活でも使う白のバンダナを巻き、両手には黒の指ぬきグローブ、ズボンは青のデニムと、いかにもカッコつけた着こなしをしていた。
一方、
「緊張しますね……」
と巧。緊張のあまり、手が震えている。
彼は昨日言われたように、いつもの暗い雰囲気から脱却――いや、「自分を変えたいんなら、まずは服装からよ!」とネオに指摘され、彼女とみちるの自腹(バイトで貯めたお金)で買った、ビジュアル系バンドが穿いてそうな、彼の細い脚を美しく目立たせるスキニーチノ。腰のベルトはギラギラと銀色に輝いている。そして、他のメンバーのような緑色の体育館シューズではなく、黒のブーツを履いている。本来はいけないが、今日は緑のシートが講堂中に敷かれているので問題ない。そして最大にして最強の武器、顔が整ったこのイケメン顔。いかにも某男性アイドル事務所でデビューできそうなテイストだ。
その服装に似合わない、ガチガチの強張った顔をしている巧に、みちるは肘で脇腹をつつき、
「とか言って、ロックフェスのときは、相棒のベースを楽しそうに引いていたクセに」
「そうそう、今日もアレくらいやっちゃてよ!」
ネオにも背中を軽く叩かれる。
「は、はあ……」
どうしたらいいんだろう、と巧は思う。
終わったら……またあの悪夢が――ライブ終わりに、また女子たちからサインを求められるのだろうか。
「あ、ああいうの、俺、苦手なんですけど……」
「何? タッくんのくせに先輩にケチ付ける気? それとも毎回あのようにできないってわけ?」
巧の申し出にムッとなるネオ。
彼は焦ったように、
「い、いや、ライブはちゃんとやりますけど……あ、あのですね……アレは、体が勝手に……あの人の多さで目が眩んで、無意識にああなってしまいまして……」
「嘘つけ!」
健斗が鬼のような形相で巧を見つめる。
「け、健斗!?」
「巧おまえ、お客さんと一緒にものすごく楽しんでいたじゃないか! 勝手に出しゃばって、そしてオレより先に女子たちの人気者になりやがって! ……いいか! 今日はおまえよりも俺が一流ってところを見せてやる!」
「ええっ!?」
目から火花を散らす健斗に、巧は動揺する。
「はいはい、おふざけはここまでにして……あの子はまだ、来てなかったのよね?」
みちるが健斗と巧に確認する。
「はい。実緒さんは、どこにも……」
「そっか……」
ネオの顔が暗くなる。
――やっぱり、そうだよね。
そんな言葉を胸の内で思っているネオに、
「大丈夫さ」
みちるが声をかける。
「あんたの気持ちはちゃんと届いている。最後のとっておきまでには必ず来るはずさ。信じてみようよ。なーに、来なかったら機材ごと実緒の家に運んで、意地でも生音届ければいいんだよ!」
そんな無茶な、とネオは苦笑い。しかし、励ましてくれる友の声に、鼓動が止んだ。
「うん。大丈夫。ありがとう、みっちぃ」
張りのあるしっかりとした声音でネオは答えた。
「すいませーん! そろそろスタンバイをお願いしまーす!」
暗幕のところに立っている、総合祭実行委員の男子が声をかける。
どうやら『夢の舞台』に立つ時間のようだ。
「よーし、それじゃあ、」
ネオがみちるを見つめる。彼女は頷き、
「うん! 円陣を組むよー!!」
おおっ! と四人は円になり、みっちぃ、健斗、巧、ネオの順に手を重ね、本番前の儀式を始める。
「みんなぁ! 今日は思い出に残る最っっっ高のライブにするわよ!! いいわね!!」
「「「おおうっ!!」」」
リーダーの叫びにメンバーが応える。そして、
「いくわよ! 一瞬の光をつかむのはー……せーの」
四人の手が勢いよく弾み、
「「「「モウメ――――――ンツ!!」」」」
一斉に天井に向かって振り上げた。
「さあ、行くわよ!」
自分たちの音楽に絶対の自信を胸に秘め、ネオたちは今か今かと待ちわびている学生たちの下へ――自分たちが唯一大きな輝きを放つステージへと向かった。彼女たちの顔は岩国総合高校の学生ではなく、バンドグループ、moment'sの顔になった――。
「さあ! みなさん、たい! へん! 長らくお待たせしましたぁ! いよいよ、いよいよ、彼女たちのご登場です! 去年は女子学生デュオとして、学校中を騒がしていた二人が、今年は一年生部員を加え、生徒会と実行委員直々のオファーで参加が決定したこのバンド! 前へ踏み出す瞬間を、彼女たちとここで刻もうじゃないかあああああああああっ!」
司会進行役である総合祭実行委員長の大山茜と同じクラスである、片平隼人の全力のハイトーンシャウトに、「わ――――――っ!!」と彼女たちを見に来た大勢の者がハイテンションな声をあげる。まるで講堂がライブハウスになったみたいだ。
「それでは、呼ぶぜえぇぇぇぇ!! 岩国総合を揺るがせた四人組公認ロックバンド!! モウメ――――――――――ンツ!!!!」
「ゥワ――――――――ッ!!」
顔を赤くしながら、ステージから出ていく隼人とは対照的に、堂々と実行委員がセットしたステージへと向かう。自分たちのポジションへと移動し、みちると巧はあらかじめステージに置いているそれぞれの愛用の楽器を手に取り、健斗は後ろにあるドラムの方へ。それぞれ音を確かめ、巧とみちるはアンプを回して調節する。
ネオは自分たちを見に来てくれて学生たちを眺めた。衣替えの期間だからか、夏服とブレザーを着た学生が混ざり合っている。
学年の枠を超え、彼らに興味を示してくれた彼らの声や大人たちの拍手が止まらない。それに応えるべく、ネオは見に来てくれた学生たちに手を振る。
「ネオーっ!」、「みっちぃーっ!」と彼女たちを知る友達の大声や「ケンーっ!」、「タクー」と一年生男子たちの声援が健斗と巧に向けて飛び交う。
そして一番後ろの方では、
「……」
メガネを上げて、鷹のような鋭い目で見つめる向井亮介が。
ネオの顔が一瞬、強張る。
――見てなさいよ。
ネオはステージの中央あるマイクスタンドに手を添える。
すると、
「ねおっちーっ!」
と気さくに呼ぶ声が。ネオは咄嗟に声のする方へと顔を向ける。
「!」
クラスメイトであり、小学生からの長い付き合いである小倉優太がいた。
午前中にあったあの屈辱的な事が蘇る。顔が赤く変色しかけるが、気づかれないように横に振り、持ち堪える。今は、ライブに集中しなくては!
平常心、平常心。ネオは顔を横に振り、すぐさま会場全体を見つめ、深呼吸。
――さあ、開演だ!
ネオは後ろにいる三人とアイコンタクトで確認し、ここいる学生たちに向かって、
「こんにちはーっ! 初めましてーっ! そして学生のみんなは久しぶりーっ! 軽音楽同好会バンド――『moment's』だぁっ、ぜぇぇ――――――いっ!!!!」
歓声のボルテージがさらに高まる。そんな空気に、ネオの声も一体化する。
「わたしたちが目標としていたこの舞台のために、選りすぐりの楽曲を用意してきたよぉーっ!! 今しかないこの瞬間を、高校生活の思い出に刻んでやるからなぁー、耳かっぽじって遅れずに、ついてこいよぉ――――――っ!!!!」
もはや歓声が「WAAAAAAAAAA!!」に変わるくらいの臨場感へと増す! 「早くやってくれ!」というギャラリーたちの思いがひしひしと伝わってくる!
「いっくぜぇ――――っ!!」
ギュイイイイイイ――――――ン!!!!!
みちるのハードなギター音が鳴り響き、
そして、健斗のドラムが、
ドドドドドドッ!!
と唸り、
ギュギュギュッ!!
と巧のベース音が、それらの音を引き立たせる!
――総合祭最大の宴が、開幕した!
彼女たちに送る歓声とリズムに合わせた拍手が鳴りやまぬ中、次々と歌いこなすmoment's。オリジナルの曲もあるが、中心となる楽曲はプロのアーティストで、お気に入りの曲を歌うコピバンなわけだが、ネオは彼らに匹敵するくらいの歌唱力で歌いこなす。
「みぃせ、つづぅ、ける、ことがモット―――!!」
と、表現力豊かな人気若手シンガー、阿部真央の『モットー』を歌えば、
「時間が経ってぇ、色褪せたぁってー」
miwaの『441』をハスキーボイスで力強く歌い、観客たちの心にこの瞬間を刻んでいく。
自分たちが決めた選曲を順調に歌い上げる。
ネオの質問に、ウワアアアアアア――――――――!! と講堂中に声を響かせ、ネオに答える。
そしてトークを交えた後、
「まだ聴きたいかあ――――――!!」
「聴きたい――――――!!」
「オッケー!! それじゃあ、景気よくいくわよぉ――――――!!run thought!」
ロックフェスでやった、あのオリジナル曲を披露。
ギュイイイイイイ――――――ン!!
再びみちるのエレキギターから、頭を狂わせるほどの大音響が講堂全体に響く! まるで彼らの脳内にある、ぐちゃぐちゃに渦巻いているたくさんの悩みを、音に変換して絶叫しているかのようだ。
「まずはこれからぁ――っ! わたしが一番やりたかった曲、Every Little Thingの『JUMP』!!」
ネオの叫びと共に、講堂が震動した!
みちるの重厚なギターの響き、健斗のドラムさばき、そして、間奏のときに、
「かっこいい――――――!!」
と女子学生から言われながらも、みちると一緒に前へと出て、楽しそうに曲を引き立て、自分のエレキベースのテクを見せつける巧。本番前のうじうじした彼とは違う。今日もエンジン全開だ。そして、リーダーであるネオの歌唱力。
曲が終わるたびに拍手喝采、歓声が轟く!
その大波に乗るかのように、自分たちのボルテージも高くなる! 自分たちの音楽で!
まさにネオが望む『自分たちと観客がこの瞬間だけ一つになる』ステージへと登りつめていった。
そして、時間はあっという間に過ぎていき、
「えー、楽しい時間も残念ながらね、これが最後の曲になって、」
「ええ――――――――――っ!?」
ライブではつきものの、残念がる観客たちの声。
「もう時間がないんだぁー、次のプログラムがあるからねぇ……」
ネオは残念そうな声音で観客に答える。
「嫌だ――――――っ!!」「まだやって――――――!!」という声が聞こえる度に、ネオに笑みがこぼれる。諦めずにバンドをやってよかったと思える。
「それじゃあ……最後にふさわしく、とびっきりちょ――――――ういい曲を歌うからさぁ、それでいい?」
とネオは観客に訊ねる。
「いいよ――――――っ!!」と女子学生の声、「やれやれ――――――っ!!」と男子生徒の声。
『あの曲』を歌う準備は整った。
しかし。
この舞台の『主役』がまだいない。ネオの想いが詰まった歌を捧げる唯一無二の親友。
そう、彼女が……。
――実緒。
朝と放課後に学生が行き交う下駄箱前の階段で、総合祭実行委員長の大山茜がブレザーを膝にかけて座っている。
「はぁ~」
雲一つない青空の陽気に似合わないため息が漏れる。
ここに座って、かれこれ1時間弱が経過。
「待ち人来ず、って感じだな」
「隼人」
下駄箱の方から、夏服姿の片平隼人がアクエリアスを持って、彼女の下へとやってくる。
「ほい」
「あ、ありがとう」
アクエリアスを渡し、茜の左隣に座る。
「隼人っていっつもこれだよね」
茜はペットボトルのラベルを見つめる。
「しょうがねぇだろ。好きなんだから」
ゴク、ゴク、と喉を鳴らして飲む。
茜も隼人に続く。
「ぷっはぁーっ! ……ねぇ、ホントに来ると思う」
茜は隼人に訊ねる。
「さあな。麻倉が言うんなら、来るんじゃないか」
「何よ、その根拠」
「彼女を信じているから、待っているんだろ?」
「そ、そうだけど」
ネオからライブ前に、「学校に来なくなった親友を、わたしのクラスメイトの竹下さんを呼んだから、来たらソッコーで連れてきてください。お願いします!」って頼まれたときの、彼女の強い目を思い出す。「やるべきことはやっていますから!」と言われているみたいだったから、頼みはしたが。
茜は腕時計を見つめる。時刻は、タイムシフトが終わる時間に差し掛かっていた。
「うーん。残念だけど、もう時間だわ。次のプログラムもあることだし、サインを送らないと……」
moment'sに報告するために、ブレザーを着て腰を上げたそのとき、
「あっ!」
隼人が急に立ち上がって指を差す。
「車が来たよ!」
車は茜たちの目の前に止まる。
そして、中から出てくるのは、小柄で、ふわふわとした長い髪、おしとやかでお嬢様のような雰囲気をもつ女子学生。
「まさか……」
茜は上履きのまま、彼女の下へと走っていった。
「――というわけでね……」
「みちる、はやくやってよー」
「いつまでMCをやってんだよ! もう時間ねーぞ!」
「うっ……」
ネオのために、みちるがMCをやって粘っていたが、限界のようだ。タイムシフト上、あと少しで自分たちのパフォーマンスも終わる。だというのに、この目的を知らない学生からしてみれば、苛立ちが募るばかりだ。それだけ、自分たちの曲に期待する人たちが増えている証拠ではあるが……。
「そうだね、ゴメン。じゃあ、ネオ」
寂しそうな表情を浮かべるネオの下に、みちるがやってくる。タイムリミットだ。ネオの方をポンと叩き、首を左右に振る。
ネオはコクン、と小さく頷く。
「うん。それじゃあ、用意したとっておきの新曲を――」
その時だった。
「……!」
ネオは、目を見開いて遠くの出入り口を見つめる。どこかで見たことがあるそのふわふわとしたその長い髪、それはまさに……、
「み、お……」
――彼女しかいない!
わたしの、唯一無二の親友。
彼女は、ゆっくりとネオたちのいるステージのへと向かって歩いてくる。その隣にいる実行委員長の大山茜が目配せしながら親指を立てる。
そして、その後ろには実緒の母が……。
――来てくれた……!
「……」
実緒の少し青ざめた顔が、人と接することが怖いと訴えかけているように、ネオには見えた。
準備は整った。その心を、少しでも和らげないと!
「お待たせしてゴメン! よーし、役者も揃ったことだし、今から最後の――moment'sとっておきのオリジナル新曲をやっちゃうわよ―――――っ!!!!」
右手を突き上げて、宣言する。
歓声の渦の中、たった一人の女の子を凝視しながら、ネオは真剣な目つきで学生たちを見つめる。そんなネオの雰囲気にのまれた学生たちは、静かに彼女の方へと顔を向ける。
「これは……みんなにも、そしてわたしにもありえることだけど……人は誰しも、悲しいときや傷ついたときに、ひとりになりたいことがあると思います。でも、わたしたちはひとりじゃない。見守ってくれる人が必ずどこかにいる。たとえ距離が離れていても、見えなくても、背中を支えているはずだよ。ひとりでも、誰かが見守っているからこそ、苦しい事を乗り越えることができるし、夢だって追いかけられるはず。手を取り合って、乗り越えて、それぞれの道へ進めるはずだよ。そんな想いを、歌詞に込めました。これは、大切な人がいる全ての人――最大の勇気を出してここに来てくれた、わたしの親友に捧げる、大切な曲です」
涙をこらえながら力強く訴えるネオ。震える口から、自分の気持ちの全てを言い尽くし、
「聴いてください。moonlight」
始まりの合図を告げる。
その瞬間、ステージのライトが、ネオだけを照らす。まるで、月から見守る聖女のようだ。
その聖女を、実緒は見つめる。
優しくて、力強いギターの音が鳴り響く。
『冷たい夜に キミの名を呼んだ
その声は閃光のように かき消された
こんなにも想っているのに 何で遠ざけるの?
ねぇ 教えてよ!
わたしのナニがイケナイの……
月の光の中で 私は見ているわ
背中からキミを包み込んで
一緒に行きたい わたしの『勇気』を与えたい
「側にいたい」と叫んでいる
雨降る夜に キミの涙が映った
黒く塗りつぶされて 涙があふれた
この雫を照らしたい キミを輝かせたい
ねぇ 教えてよ!
わたしにデキルコトを……
キミの手を わたしがつかむわ
「いつも側にいるから」
振り返れば いつもここに立っている
キミの力になりたいから』
ネオからの、胸に痛いほど伝わる自分への気持ち。
実緒の胸にぽっかりと開いた孔に、ネオから貰った、金色にキラキラと輝く月の雫で埋めつくされる。自然と涙が零れる。
間奏に流れるエレキギター、エレキベース、ドラムの優しい音色が、自分を闇から引きずり出していく。
そして、ネオが実緒の手を――
『その手をつかんだ瞬間 扉が開いた
一緒に行こう
わたしたちはひとりじゃない
もう 怖いものはないよ』
涙で濡れた瞳を輝かせて、力強く――
『キミの手を わたしがつかむわ
「ここにいるから」
振り返れば いつも叫んでいる
キミの名前を
あの月の光の中で
見守っているから……』
歌にのせて、実緒の手を強くつかみ、光の世界へと連れ出した。
ネオは涙を見せながら、精一杯の笑顔を作る。そしてメンバー全員で、聴いてくれた観客に一礼した。
学生や大人たちの心に響いたのか、彼女たちが舞台から降りるまでの間、会場は暖かい拍手に包まれた。
そして実緒は、
「……う……ううっ」
跪き、学生たちの後ろで泣き続けた。茜が、彼女の背中を擦った。
実緒の瞳から伝っているそれは、黒ではなく、純白の涙だった――。
※※※
「「「「かんぱーい!!」」」」
総合祭の片づけが終わり、ホームルーム終了後。
太陽が沈みかけ、星や満月がうっすらと見える中、四人はプレハブ小屋でドリンクをコツンと当て、ささやかな飲み会をしていた(もちろん、学生服に着替えている)。
ライブは大盛況のうちに終わった。
四人は各クラスで、「楽しかったよ」「いいライブだったぜ!」「あの曲良かったぜ」など、クラスメイトから賞賛の言葉をもらい、喜びを噛みしめた。
自分たちのライブという『瞬間』を、彼らの胸中に刻まれていることに。
「あっという間だったね……」
夕日を見ながら座っているネオがポツリと呟く。
「うん。だけど、楽しかったね」
ネオの呟きに、右隣にいるみちるが答え、
「そうっスね。最高だったス」
「はい」
健斗と巧が続く。
彼女たちは達成感で溢れた顔つきだった。どんな風に楽しかったと聞かれても具体的な理由などない。ただただ、あのステージが楽しかったのだ。
こんな異例な部活に『特別枠』としてバックアップしてくれた、生徒会と総合祭実行委員会には感謝しないといけないなとネオは思った。
そして、自分についてきてくれた三人にも。
実緒の件から今日にかけてネオは、自分の背中にはこの三人やクラスメイトの友達、ライブを見に来てくれる人たち、家族など、力になってくれる人が背中にたくさんいるという自分に改めて気づくことができた。
自分もこの『瞬間』を忘れてはいけない、いや、忘れることのできないものとなった。
これからも自分と自分を支えてくれる人を大事にしながら、歌手と言う夢に向かって強く生きていこうとネオは思った。頼れる仲間がいるのだから。
「……それにしても、巧、おまえ、また女子たちにサインを求められていたよな……」
健斗はじろり、と巧を見つめる。
「い、いやあ……そ、それは……」
巧は後ろ頭に手を当て、顔を赤らめる。
「そうなの!?」
ネオはクイッ! と急に巧の方へと振り向く。
「巧、モッテモテじゃないのよー」
やるねぇ! とみちるは巧の背中をバシバシ叩く。
うげっ! と巧は呻く。
「そーなんスよ! オレは巧よりも先に教室に帰ってたんスけど、しばらくすると廊下から女子たちの声がうるさくて、なんだと思ったら、コイツが渋々(しぶしぶ)とサインを書いていやがったんですよーっ!」
ふてくされた表情で巧に指を差す。
「そ、そーいうー健斗だって、サインを書いてたじゃないか!」
「違う! オレはサインを書くぞーとアピールしても、『ナル男には興味はないっ!』『アニオタはどっか行けっ!』って断られたんだよ! おまえだけいい思いしやがって」
立ち上がり、こんのー! と巧の首を健斗は絞める。
「ぐええええ――っ!」
蛇のような腕を前に、巧は喚く。これで健斗はロックフェスから巧に二敗目。悔しさが滲み出ている。
「……ったく、もーっ! なんで、なんでこうなるんだーっ!!」
巧から離れ、健斗は俯いて両手で頭を抱えた。
「まあ、ナル男はナル男だからねぇー」
ぐふふ、と悪戯っぽい笑みで健斗を見つめる。
「そうッスよ! だいたい、ロックフェスや毎月のライブで、ネオ先輩がオレをナル男って言うから、こうなったんじゃないっスか――!!」
ネオに向かって指を差す健斗。
「いやいや、あんたがアニソンを歌うからでしょ!」
ネオも立ち上がって健斗を責める。
「アニソンは関係ないっス! どう見ても先輩のせいっス! この殺人鬼ヘアーが!」
健斗はネオに近づいて反撃する。
「わたしは真実を言ったまでよ! こんのナルシスト!」
「ナルシストはそっちだろーっ! ワガママリーダー!」
「ワガママなのはそっちも同じでしょー!」
う――――――っ!
飲み干したペットボトルをギュッ! と握りしめ、バチバチと火花を散らすネオと健斗。
もう! とみちるが割って入ろうとするが、
「みんなーっ!」
「!?」
文化祭実行委員長である大山茜がやってくる。
「あっ……なんか、タイミングが悪かった?」
二人の睨み合いを目の当たりにして、茜は慄く。
ネオと健斗は彼女の顔を見て、硬直する。
「い、いえ、全然!」
みちるはそういうと、ネオの背中を叩き、
「そ、そうね! みんな! 整列!」
ネオの指示で、四人はサッ! と靴を履き、先輩と向かい合わせになって綺麗に横一列。
「ははは……そう固くならなくてもいいのに」
「いやいや、茜さんには頭が上がりませんよ。この度は本当にありがとうございました」
メンバーを代表して礼をするネオ。
「いえいえ、こちらこそ最高のライブをありがとう。それで、ちょっとお客様を呼んだんだけど……」
「お客様?」
「うん。竹下さーん!」
「えっ?」
茜が呼んだ名前に、ネオはビクッとなる。
彼女の向いている方向――校舎の角から一人の女子が現れる。それはブレザーとスカートを正しく着た、見覚えのある彼女――竹下実緒だった。
久しぶりのネオに、
「ね、ネオ、ちゃん……」
身体を震わせながら、恐る恐るネオの顔を見上げる。
そんなネオに、
「なーに怯えてんのよ、実緒!」
気負うことなく、明るい表情で彼女を見つめるネオ。
「わたしの曲、聴いてくれた?」
「うん。CDよりも、すっごく、良かった……」
「そう。よかった、一週間頑張った甲斐があったよ」
ネオは実緒に微笑む。
「ネオちゃん……わたし、わたし……」
実緒の瞳から大粒の涙が溢れる。
「謝り、たくて……」
うっ……ううっ……。
ネオはそんな実緒を優しく抱きしめて、
「なんでアンタが謝るのよ。ありがとう、来てくれて」
「ネオちゃん……!」
ネオの胸の中で、実緒は子供のような泣き声をあげた。それは悲しい涙ではなく、嬉し涙であった。
「ごめんね……ごめんね……」と実緒は言い続けた。
ネオは優しく頭を擦ってあげた。
これでもう大丈夫。
一緒に、『夢』に向かって頑張ろう。
抱き合う二人を、みちると健斗と巧、そして茜は微笑んだ。
プレハブ小屋から見える満月が、二人を優しく照らした。