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第三章


 タッタッタッタ。


 なんで、どうして……。


 ネオは全速力で、学生校舎から左側にある専門教室校舎へと向かった。


 実緒みおが無理矢理押し隠していた『不安』を確かめるために。


 下駄箱で別れた時の気の沈んだ顔が、頭の中で鮮明せんめいに蘇る。


 嫌な予感が、現実となっていく――。


 ――ネオが彼女に違和感を覚えた三日後。


「じゃあ、二年一組の出し物はこれに決定します」


 総合祭そうごうさい委員を中心とした話し合いで、総合祭の出し物が小さな子供たちにも楽しんでもらえるように、教室を使って『すごろくゲーム』を作ることに決定し、その準備で実緒とマスの絵を描こうと思ったのだが……。


 彼女は突然、クラスから姿を消したのだ。彼女の座っている席には、前から誰もいなかったと思えるくらい、ごく自然と。


 最初は風邪でも引いていたのだろうと思った。そう思いながら、二日、三日、そして四日目が経過。


 彼女は学校で姿を見せることはなかった。ネオが何度も携帯電話でメールや電話をかけても返事が来ない。


 「何か、あったのかな」とみちるに相談するが、「急病で休んでいるんじゃないの」と言われ、確かに急病で入院しているのなら出ることもないし、気を使わせたくないから先生に口止めしているのかも、と一応、そういう風に解釈していた。


 そして、休みをはさんで七日目。総合祭開催まで一週間となったこの日も、彼女は登校しなかった。


 ――絶対におかしい……。


 自分の知らないところで何かがあったんだわ!


 そう感じたネオは、帰りのホームルーム終わった直後、教卓にいる担任の大嶋おおしま先生にたずねた。


「先生、あの、きたいことが……」


「どうしたの? というか、あなた、服装!」


 「あっ、すいません」とネオはしぶしぶと服装を正す。


 普段は穏やかなのに、校則マナーに関しては厳しいので面倒くさい。まあ、それも実緒のためだ。そうしなくては、質問すら答えてくれそうにもない。


 服装を整えたネオに、よろしい、と先生は言い、


「で、訊きたいことは?」


「あ、あの、実緒――いや、竹下たけしたさんに何かあったの?」


「え?」


「いや、このところ彼女、何日も休んでいるから、心配で……」


 友達のことでやけになっていることが照れくさいのか、先生から視線を外すネオ。


「うーん、そうなのよね……」


 彼女が実緒のことをどう思っているのかを察したかのように、先生はネオだけに聞こえるように口の近くで手を当て、小さな声で、


「実はね、先生も竹下さんのことが分からないの。彼女は普段から真面目な子だから、体調不良の時はちゃんと連絡をしてくれてたんだけど、電話が来ないのよ」


「!」


 先生の言葉に絶句ぜっくするネオ。先生は続けて、


「朝のホームルームや昼休み、そしてこのホームルームが終わった後に、今日で五日目かな。家を訪ねたんだけど、ご両親は仕事で家を出ているから返事がなくて……明日も竹下さんの家に行こうと思っているのだけど、麻倉あさくらさんは何か知らない?」


「い、いえ……」


 ネオは顔をうつむく。胸が、ドクン、ドクン、と高鳴る。


 ――なぜ、こんなことになったの? どうして気づかなかったの?


 頭の中で言葉がぐるぐると回っていく。『不安』という言葉がぶわっと、身体中に、震えとして表れる。


「……」


「麻倉さん、顔が青いわよ」


 先生は心配そうな表情を見せる。


 しかしネオは、呆然ぼうぜんと立ちすくんだまま。


「麻倉さん!」


「!」


 先生の大声で、ネオは別世界から帰ったかのようにハッとして、我に返る。


「せ、せんせい……」


 涙で濡れた双眸そうぼうで、先生を見つめる。


「どうしたの? 大丈夫?」


「は、はい……」


 ネオは顔を先生に見られないように、再び目を逸らす。


 わたしは……彼女の近くに、いたの、に……。


 思いたくない。思いたくないけど。


 これってやっぱり……。


 頭の中で、ある三文字の言葉が思い浮かぶ。そして、その事件があったのは恐らく――。


 歯にぎゅっと力が入る。ネオはすぐに顔を上げ、


「先生! 竹下さんって、確か美術部でしたよね!?」


「え? ええ、そうだけど……」


「ありがとうございます!」


「麻倉さん!?」


 ネオは全速力で教室を出ていき、すぐ側にある階段をけ上がっていった。


 廊下で「ネオ!」と呼ぶ、みちるの声も空耳に聞こえるほど、必死に。


 ――そして今、ネオは学生校舎から右にある専門教室校舎へと向かっている。


 美術部に問い詰めるために。


 実緒が『傷つけられていた』という真相を確かめるために。彼女とのやり取りで思い当たる節がそれしかないのだ。


 ネオは思う。


 あの表情はもしかしたら、「助けて!」というサインだったんだ、と。それが本当なら、なぜあのときから気づけなかったのだろう。むしろ、その違和感を夏休みに打ち明けたら良かったんじゃあ……。思えば思うほど、早く行動しない自分がバカに思えた。


 歯をギリギリと噛みしめ、専門教室棟の階段を二階から三階へと上っていく。


 あのときのように友達を失いたくない。


 失ってたまるか!


 ――友達を失った出来事の一部始終いちぶしじゅうが、フラッシュバックする。



                  ※※※



 小学生五年生の頃、ネオはクラスメイトに傷つけられた苦い思い出があった。親友の裏切りによって。


 ある日の放課後。「私服に着替え次第、また学校で会おうよ」と、同じクラスであり、幼稚園の頃からずっと一緒だった親友(女の子)に呼ばれた。ネオは素直に親友の誘いに乗り、家にランドセルを置いて私服に着替え、すぐさま小学校へ向かった。


 待ち合わせ場所である下駄箱の前で親友と落ち合い、自分たちのクラスから二つほど離れた教室に連れてこられる。そこでネオは、先に待っていた彼女の友達――意地の悪そうな女子二人を紹介された。


 そのときからだ。


 親友が暗い何かにりつかれているような気がしたのは……。


 ――その予感が的中する。


「ねえ、こいつの机にラクガキしようよ」


 性格が気にくわないからさぁ、という理由で、クラスメイトの机に毎日、友達と共に「死ね!」とか、「消えろ!」とか、卑劣ひれつなラクガキをしていたのだ。そして、それをネオにも書いてもらおうと考えていたのだ。だって、


「あたしとネオは『親友』、でしょ?」


 ――こんなの、あんたなんかじゃない……。


 母親の言いつけで善悪ぜんあくの線引きがはっきりとしていたネオは、


「こんなの間違っている!」


 と抵抗し、親友に、


「他人が見ないところで悪さをするヤツほど、卑怯ひきょうという相応ふさわしい言葉はないわよ!」


 必死にうったえた。同時にここで自分と彼女の関係を崩してはいけないとも思った。


 誰かが見ないと、第二、第三のクラスメイトが傷つけられると思ったからだ。ちゃんと正しいことを言える人間がいないと、これはなくなるはずがない。


 ずっと一緒に、笑ったり、泣いたり、助けあった親友だから届くと思った。


 だが、


「そんなの知るかよ! やれ!」


 届かなかった。


「!」


 親友の命令で、ネオは友人二人に手をつかまれ、鉛筆を無理矢理握らされてしまう。彼女たちによって、「消えろ!」とか書かされてしまう。それだけはいやだ!


「やああっ!」


 ネオは机に書く瞬間、右肩方にいる親友の友人の腕を力づくで振り払った。ネオの右手から離れて、左側で動揺しているもう一人の友人の隙をつき、束縛そくばくされていた両手を振りほどいだ。


 そして親友に向かって、ネオは躊躇ちゅうちょせず頬に向かって勢いよく、


「てやあっ!」


 ぶん殴った。


 その一発で親友は倒れ、悪友あくゆう二人が彼女の下へ。


「……」


 これでりただろうと思い、ネオは無言で教室を出て行った。


 手が、震える。


 親友だから、親友だからこそ殴った……。


 そう言い聞かせ、ネオは一人、家に返った。




 しかし、翌日。昨日の一発もむなしく、今度は自分の下に牙が向けられた。


 机に「死ね!」とか、「消えろ!」とか、書かれていたのだ。それを書いたのはもちろんあいつだ。親友という関係を一瞬で崩した卑怯者ひきょうもの。ネオは消しゴムで消すが、そのラクガキは毎日続いた。


 しかし、ネオは我慢し続けた。


 彼女の良心が再び芽生めばえることを信じて、我慢がまんし続けた。『親友』だから。それに、先生に話したりすれば、さらに事が大きくなると思ったから。


 あいつのために、わたしが……。


 自ら背負った苦々しい日々を過ごし、時は夏。


 朝、机の上には小さなメモ用紙が置かれていた。


『放課後、教室に残って話したいことがある。逃げたらどうなるか……分かってるね』


 親友の筆跡ひっせきだった。


 ――分かったわよ。従おうじゃないの!


 ネオは挑発に乗り、放課後、教室で彼女とその悪友二人と対峙した。


「一体、何のようなの?」


 強気な態度で、ネオは親友に問う。


 彼女はフン、と鼻で笑い、


「ネオ、あんたがあーんな態度を取ることに、アタシらイライラしちゃったんでねー殴って分らせてやろうと思ったのよ」


 『あーんな態度』とは恐らく、不登校もせず、いやがらせにも動じないことを指すのだろう。


「あんたのような正義感を持ってるヤツは、ほーんと嫌気がさすよ。何度も自分を偽って、優しく接しやがってさぁ、ほんと……、」


 ガン! と教室のドアを叩きつけ、。


「ムカつくんだよ!!」


 とネオに向かって罵声ばせいを浴びせる。


「何よ? 言いたいことはそれだけ?」


「何?」


 ネオは自分の方がよほど格上だと、顔を少し上に向け、


「自分を偽ってる? バカ言わせないでよ。わたしは本心で接していたわよ! いつもアンタのことを大切に想っていたわ。 アンタもアンタよ! 何で言ってくれないのよ!? いつだって力になってあげたのに! わたしたちは親友でしょ!? なのに、アンタはわたしとの関係を壊そうとしてるんだよ! その意味がが分かっているの!? バッカじゃないの! 親友として何度も言うわ。こんなのアンタじゃない! こんなの絶対に間違っているって! わたしの家族も絶対にそう言うわ! わたしのことを偽善者ぎぜんしゃって言うのなら、あんたなんか、偽悪者ぎあくしゃよ! アンタの悪人面あくにんづらは、これ以上見たくない! だから、いつもの――」


「うるさいっ!!」


「!」


 ネオの訴えを『うるさい』の一言で消去された。


 親友は、顔を俯き、身体を震わせながら、


「それが独りよがりなんだよ!! アタシのことを親友と言うくせに、何も気遣ってくれないじゃない! どこが『大切に』だよ! 目障りなんだよ!」


「違う!」


「違わない! ……もういい。 おまえなんか、おまえなんか、アタシの気持ちが分からない、親友ぶっているおまえなんか……、」


 彼女の孤独な気持ちが――、


「やってしまえ!!」


 ネオに襲い掛かる。悪友二人に仕向けるその姿は、まさにぜんを裁く死神のようだった。


「くらえ!」


 二人はネオに殴りかかる。


「くぅっ!」


 ネオは右、左と、一発ずつ悪友たちに殴られる。


「な、なによ……自分はただの傍観者じゃない。ホントにひきょ……くううっ!」


 悪友にみぞおちにパンチを喰らい、ネオよろめき、倒れる。


「ははは、やっちゃえ!」


「やっちゃえ、やっちゃえ!」


 悪友たちに踏まれ、ネオの顔が腫れていく。


 ネオは、一切抵抗しなかった。親友の内心に気づけなかった、自分への罰として。


 一体、何があったのだろう。


 なんで、そこまで傷ついたのだろう。


 なんで、そんな彼女の仕草に気づかなかったのだろう。


 ――意識が遠のく中、ネオはたくさん後悔の念がよぎった。


 ごめん。本当にごめん。


 親友の気持ちに気づけないなんて、最低だね。


 あんたの言う通り、わたしは独りよがりだ。


 いっそこのまま、消えてしまっても……。


 そのとき。


「ネオ!」


「おまえたち! 何をしている!?」

「「「!」」」


 三人はビクッとなり、振り向いて廊下に立っている二人を見つめる。


「おにいちゃん……? せん、せい……」


 弱々しくかすれた声で、助けに来た二人を呼び、気を失った――。




「ん……」


「ネオ!」


 二歳年上の兄――麻倉広樹あさくら こうきの顔が、ネオの目に映る。


「おにい、ちゃん……」


 弱々しい声を発しながら、見つめる。


 窓から差し込んでくる夕日が眩しい。


「ここは……?」


「保健室だよ……良かった、無事で」


 広樹は白いベッドの上で、顔が腫れている妹を優しく抱きしめた。


 その中でぼんやりと、ネオは先ほどまでの『悪夢』が脳裏に浮かんだ。


 親友に痛めつけられた恐怖や悲しみ、彼女の孤独が入り混じり、


「お兄ちゃん……わたし、わたし……」


 自然とポタポタと涙が溢れる。


「ああ。よく耐えたな、ネオ」


 広樹は自然と強く妹を抱きしめた。


「わたし、わた、し……、」


 ネオも兄の胸に顔をぶつけ、彼の背中を強くつかみ、


「うわああああああっ!!」


 ネオはぐちゃぐちゃになった親友への想いを、泣き叫んだ。



                 ※※※



 この事件の後、毎日家で暗い顔浮かべ、寝る時には泣いてるネオに心配して、小学校を訪ねねたんだと広樹から聞いた。職員室で事情を話し、ネオの担任の先生と教室に向かったら、親友と教室で言い争いをしているのが聞こえ、助けることができたのだという。


 ネオが気を失った後、親友は悪友二人と共に警察に連行れんこうされた。


 そして翌日、この事件は小学校で話題となり、親友は少年院へと収容しゅうようされたことをネオは先生から聞いた。その原因を作った親友の両親は、麻倉家には謝罪の言葉も何も言わずに姿を消した。


 親友はどうやら両親に虐待ぎゃくたいを受けていたみたいだった。小学三年生の頃から受け、日が経つにつれエスカレートし、彼女の心は冷え切ってしまったのだった。そしてそのやり場のない、怒り、悲しみを罪もないクラスメイト、そしてネオにぶつけていたのだろう。


 そんな彼女の異変に気づけなかった自分が、今でも腹が立つ。ネオはいまだにこの出来事を自分へのいましめとしている。


 確かに彼女は悪いことをおかした。だけど、彼女の気持ちをみ取ることはどこかでできたはずだ。それが分かるのは、ずっと一緒にいる自分だけ。もしそれができていたら、変わったかもしれない。親に相談することだってできたはずだ。それができず、親友を失ったのが悔しくてたまらなかった。


 ――それを再び起こしてはいけない!


 ネオは静寂と化した教室の中で、学生たちがガヤガヤとしている――美術部が活動している美術室へと辿りついた。


 ネオはためらいもなく、


 バン!!


 勢いよく教室のドアを開いた。


 その力強い音が、美術室にいた部員全員を黙らせた。キャンバスに向かって色を塗る作業も中断する。「あんた誰?」と言っているような視線が、ネオを完全アウェイな状況にさせた。


 上等じゃない! ネオは孤立こりつ状態に動じず、険悪な顔つきで堂々と中へと入っていく。


「あ、あのー」


 そんな彼女にびびるも、ひるまずにドアの近くで座って作業しているメガネをかけた真面目そうな男子が、部員を代表してネオの前へとやって来る。おそらく部長だ。それも学年が一つ上の。


「き、君は、軽音楽同好会の麻倉さん、だよね」


「そうよ!」


 上級生相手に威勢のいい態度をとるネオ。部長らしき男子はその勢いに押されつつ、


「い、一体、ウチに何のよう、ですか? 君の部活とは、無関係のは、はずですが」


「関係あるわよ! わたしの友人にね!」


「ゆ、友人?」


 肩をすくめる彼に、ネオは、ええ、とうなずき、


「この部活に所属している、竹下実緒についてよ!」


「竹下、さん……?」


 部長は『竹下さん』というワードに一瞬、ビクッと身体を震わせる。そのわずかな素振りをネオは見逃さなかった。


「そうよ! 急に一週間不登校になったんだけど、何か知らない!? 部活に行く前、暗い顔をしていたんだけど!」


 教室中に響く声で、ネオは弱腰よわごし部長に迫る。


「ねえ! どうなのよ!!」


「そ、それは……」


「はっきり言いなさいよ!!」


「ひ、ひぃっ!」


 ネオは胸倉むなぐらをつかみ、獲物を狙う猛獣のような鋭い目つきで前のめりになり、部長を威嚇いかくする。


「え、えーと……」


「何!?」


 ためらう部長に、もう一歩前へと踏み込もうとしたその時。


「竹下さん? ああ、あのオジャマムシのことだね。ずっと来ないと思ったら、そんなことになってなっていたんだねー」


「む、向井むかい君!」


 校舎が見える窓際の席に座っていた男子が立ち上がる。長身で、部長と同じようにメガネをかけているが、ずるがしこそうに見える。そして、自信に満ち溢れたその態度。友達としてつきあいたくないヤツだなとネオは思った。


 向井と呼ばれた男子は、「ふふふ」とネオをあざ笑いながら、こちらに向かってきた。彼の冷たく見えるそのみに、部長は「ひぃっ!」とあわてて二人の間に入る。教室の空気も急激きゅうげきに冷えていく。


 ネオは向井という名前と顔に聞き覚えがあった。コイツは確か、みちると同じクラスの――向井亮介りょうすけだったはず。


 でも、そんなことはどうでもいい。相手が誰であろうと、ネオの態度は変わらない。いばらのように刺々(とげとげ)しい形相で向井を見上げる。


「へーえ。このボクに対していい度胸してるね、麻倉さん」


「あんたにめられても、何もないわよ」


 強がるネオに向井はヘン、と上目使い。


「実緒が不登校する原因を作ったのは、アンタだね?」


 静かな怒りに燃えるネオの唐突とうとつな発言に、ハハハハ! と哄笑こうしょうする向井。


「ボクのせい!? 笑わせてくれるね! 逆だよ。あいつ自身が原因なんだよ!」


「な、何、それ? 一体、どういうことよ!?」


「ふふふふ。竹下さん、夏のコンクールで何を取ったと思う?」


「へ? 金賞でしょ。全校集会で校長から表彰を受けていたじゃない」


「そう。このボクより上の、ね」


「!?」


 向井の冷たい笑みから、き上がる怒りがあふれてくる。


「おかげであいつはこのボクを差し置いて、部員の中の誰よりも上手くて、憧れの対象さ。あいつは、無許可にボクの地位を奪いやがったんだよ!」


「!」


 向井の意味不明な言いがかりに、ネオは絶句する。


「入りたての頃は、ボクが部活のエースだった。他の部員よりも賞をいっぱいとって、先輩や同級生からも、憧れの対象となってたんだよ。 ボクこそが美術部の頂点! ボクこそが天才絵師だってね! だけど、そんなボクの居場所をあいつは……」


 ぎゅっと握る向井の両手が震える。俯いていた彼は、グンと顔を上げ、


「おかげでボクのプライドはズタズタさ。しかも、部員に褒められても、あいつは謙虚で大人しいし、なんだかお嬢っぽくてさ。そんなやつと交代するなんて、それはもうムカムカしてたよ。だからさ――」


 向井はニヤッと変人のように狂った笑みを浮かべ、


「あいつの絵を毎日、ラクガキしてむちゃくちゃにしてやったのさ! どっちが『格上』だったのかをハッキリさせるためにね。あいつの絶望に満ちてその場でたたずんでいたあの表情、実に愉快ゆかいだったよ! フフフフフ……」


 アハハハハハ! と向井は高らかに嘲笑ちょうしょうした。


 その卑劣ひれつ傲慢ごうまんな態度に部員たちは、他人事ひとごとのように見つめていた。向井に逆らうことのできない奴隷みたいだ。


 『部員にバカにされる』という実緒の言葉が、ネオの脳裏のうりに浮かぶ。


「だからボクは、竹下さんを追い詰めていないのさ! あいつは、ボクの居場所を壊そうとしたむくいを受けたのさ!」


 向井はうつむいているネオの顔をのぞく。


「これで分かっただろう。このボクに逆らうとどうなることが! 悪いことは言わないよ、麻倉さん。キミも素直に……、」


「ははは、何よ、それ?」


 うん? と首をかしげる向井に、ネオはスゥ――ッ、と息を吸い込み、怒りのこもった形相ぎょうそうで、



「この根性なしの、ゴミクズ野郎が!!」



 その瞬間、美術室が無音むおんと化した。


 誰も喋ることができない。


 その中で、



 ダン!!



 ネオが足で床を強く叩きつけた。


「な、なんだよ……ボ、ボクの何がいけないのさ」


 怒りをむき出しにしたネオに、向井は怖気づく。


「あんたみたいなヤツが……」


「え?」


「あんたみたいなヤツがいるから、努力を否定する大馬鹿者がいるから、夢への、未来への『自分の可能性』を失う人がいるのよ!!」


 ネオの拳に、両腕を震わせるほどの力が入っていく。


「ボクに逆らう? 怒りを通り越して、アンタの人間性に呆れるわよ。分からないの!? あんたが天才だからってね、努力し続けたものの方が、圧倒的に有利で、優れているってことが! 創作する全ての者はね、みんなみんな辛い道を通って、努力して、一歩ずつ前へと歩いているんだよ! わたしだって、去年は色々と迷惑をかけて、辛い思いだってしたわ! でもね、その過程があるからこそ今のわたしがある。それだけは否定できないわ! それは実緒だって同じよ! 努力したからすごい賞が取れた! 何物にも代えがたい価値を、あんたは壊したのよ! 誰にも否定できない『証』を! 存在を! 人の気持ちを傷つけてまで、美術を語るアンタなんか、アンタなんか……」


 涙でうるんだ瞳で、キッと鋭い目つきで向井を見つめ、


「こうしてやる!!」


 ネオは勢いよく向井の顔面を目がけて、力強くにぎった右のこぶしを突きだした。


 美術室に「うわぁ!!」と、恐怖と驚きが入り混じった悲鳴が響き渡る。


 しかし。


「……っ」


 向井の顔面ギリギリのところで、ピタッと踏みとどまった。


 ネオは分かっていた。同級生に向かって『殴る』という行為が、どれほど重たいものかを。小学生の頃とは違う。この一発と引き換えに、moment’sモーメンツメンバーを裏切ることがどうなるかということを。


 ここで彼と暴力沙汰ぼうりょくざたを起こしたら、内にめに溜め込んだ怒りから解放されるだろう。だが、それと引き換えに、総合祭に向けて必死にここまで頑張ってきたものが、崩壊してしまう。仲間たちを裏切るわけにはいかない。そして、自分たちのステージを楽しみに待っている学生たちにも……。


 だから、踏みとどまった。心の内にある怒りを、引き出しの奥へ奥へと無理矢理押し隠した。


 そして、こぶしを下げた。


 この場にいるのはネオと向井しかいないと思わせるような沈黙が続く。


 ネオはそれを利用し、踵を返して廊下の方へと歩き出した。


「な、なんなんだよ……」


 予想外の行動に、向井は唖然あぜんとする。


「……」


 ネオは涙をこぼしながら静かに廊下へ出ていき、


「あんたのせいで……、」


 溢れる涙でくしゃくしゃになった表情で向井を見つめ、


「あんたのその腐った神経が、実緒の心をむちゃくちゃにしたんだよ!!」


 抑え込んだ怒りを言葉に変え、ネオは猛スピードで廊下を走った。


 実緒、実緒!


 なんで気づいてやれなかったんだろう。なんで力になれなかったんだろう。後悔の念が次々と、頭の中で渦を巻く。わたしはまた、あの時と同じことをやってしまうの!?


 とめどなく流れる涙が次々と宙に浮かぶ。


「ネ、ネオ!?」


「……っ!」


 大嶋先生から事情を聞いて追いかけていたみちるの存在にも気づかず、ネオは神速しんそくのごとく階段を駆け下り、下駄箱で革靴に速攻で履き替え、校舎まで続く長い坂を下って駐輪場へ向かった。そして自転車の鍵を外し、駅の方角へと向かう学生が「うわぁ……」とあっけにとられるほどの速さで実緒の家へと向かった。


 晴天だった空模様はネオの気持ちを反映しているのかのように、徐々に怪しくなった。




 ハァ……ハァ……。


 満身創痍まんしんそういの中、団地の長い坂を登りきり、ネオは実緒の家の前にいた。


 こんなに全力を出したのはいつだろうか? 制服が汗で冷たく染みている。


 ネオは家の前に自転車を置き、すぐさま玄関前にあるインターホンを鳴らした。すべては自分の想いを、向井という「あんなゴミクズとは違う!」ということを伝えるために。いつでも実緒の味方だと伝えるために。いつも親友のことを想っていることを。


 ――実緒の手をとって、暗い闇に染まった景色から引っ張り出したい。


 しかし、インターホン押しても何も反応がない。


 だがそれでも、ネオは何度も何度も鳴らした。


 そして、


 ガチャ!


「実緒!」


「ネオ、ちゃん……」


 緑の縦縞たてじま模様のパジャマを着た実緒が、恐る恐る顔を出した。精神的に疲れたのか衰弱しており、『恐怖』という塊が、全身をむしばんでいるみたいだ。


 でも、それでも実緒はいたのだ。


「よかった……最近、学校に来ないから心配したのよ」


 彼女がいることが確認でき、ネオはハァーッ、と安堵あんどの息が漏れる。


「何かあったの?」


 向井のことは分かっていない素振りで、そして彼女が怯えないようにネオは優しい口調で訊ねる。


「ネオちゃん、私……私……」


 実緒は涙ぐみ、


「もう、描けない……描けないよ……」


 胸に詰まったような悲痛な声が、ネオに突き刺さる。


「怖いの。怖くなったの。せっかく一生懸命が頑張っているのに、頑張っているのに……絵が、絵が、教室に入るたびに破られていて……。それを見るたびに頭が真っ白になって、拒絶されているみたいで。そう思ったら、クラスや部員のみんなと会うのも怖くて……」


「実緒……」


 やはり、不登校の原因はあのゴミクズ野郎――向井だった。


 実緒の双眸そうぼうから大粒の涙が零れていく。彼に植え付けられた恐怖が――あいつがいかに非道なことをしてきたか、この痛みをネオは分からせてやりたい気持ちでいっぱいになった。


「だ、大丈夫だって。わたしはあいつとは違うし、それにmoment’sのメンバーだって、実緒の絵を絶賛しているよ。そんな実緒の絵に――実緒が漫画家になりたいという夢に向かって一生懸命だから、わたしも歌手になる夢にもっと一生懸命になれるんだよ。負けられないって。だから……」


「……」


 戻ってきて、と言ってもきっと、今の実緒では届かない。


 大切に想っているとか、わたしがそばにいるから、そんなありきたりな言葉ではだめだ。歌手を目指しているのに、余計な言葉しか浮かばないそんな自分に、ネオはもどかしくてたまらなかった。


 どうすれば……。


「うっ……!」


「実緒!?」


 突然嘔吐おうとする彼女に、ネオはすぐに支える。


「だ、大丈夫……?」


「う、うん、平気……ゴホッ、ゴホッ……。ネオちゃん、ごめん。わたし、ネオちゃんですら話すのも、胸が、押しつぶされそうで……」


 胸元をぎゅっと手で押さえる実緒。


 これ以上はもう、話せそうもない。


「そう、ね。もう、休んだ方がいいよ」


「うん」


 それしかない。


 ネオの言葉に実緒は静かに頷き、苦しそうな表情でドアノブを握る。


「来てくれて、ありがとう……」


「うん……」


「ごめん、ね……」


 実緒は暗い家の中へと戻っていった。ドアが、光と闇の境界線を引いているみたいだった。


「実緒、みお……」


 ……。


 ――結局、何もできなかった。


 小学生の頃にあったことが再び、ドラマのハイライトみたいにパッ、パッ、とシーンが切り替わりながら、頭の中で再現され、。


 あの頃と変わらない。友達の力にもなっていない。


 その事実だけが、ネオの胸に刻まれる。無力な自分に、失望感でたまらなくなる。


 脱力してしまい、両膝が自然と冷たいコンクリートの上につく。


 扉の奥で、実緒は何を思っているのだろう。泣いているのだろうか。恐怖と絶望に、深い闇の中心で押しつぶされているに違いない。


 この両手は、一体、何のためにあるのよ……。


「うわああああああああ――――――っ!!」


 大粒の涙が、とめどなく流れ落ちた。


 そして、



 ザ――――ッ。



 涙を隠すように、雨が降り出す。


 後悔、絶望、無力……色々な感情でぐちゃぐちゃになり、それが雨脚あまあしを強くさせた。


 後ろから、足跡が微かに聞こえてくる。ザッ、ザッ、と。実緒のご両親が帰ってきたのだろうか。


 誰かが、立ち止まった。実緒のご両親が帰ってきたのだろうか。


 ゆっくりと振り返ると、


「……ネオ」


 ――みちるが静かに立っていた。




 実緒の家の近くにある、つい最近できたような真新しい公園の小屋で、ネオとみちるは雨宿りをした。ベンチは冷たく、全身の体温を下げていく。


 雨は相変わらず強く降り続き、大きな水たまりもできている。それが、わたしが流した涙の量を表しているみたいだ、とネオは思った。


ネオはその場で座ったまま、潤んだ瞳で公園の風景をじっと見つめた。目の前に置いてある二つの――ネオとみちるの自転車が冷たく光る。


 どうして、気がつかなかったのだろう。その言葉ばかりネオの頭に浮かぶ。実緒の心の叫びに応えられなかった悔しさで、胸が痛んでいる。自慢のポニーテールも、髪も花が元気を無くしたように、へたれているように見える。


「ネオ」


 公園内にある自販機に立ち寄っていたみちるが帰ってきた。


「はい、缶コーヒー。冷める前に飲みな」


「うん……ありがとう、みっちぃ」


 みちるはネオの隣に静かに腰を下ろし、コーヒーを飲む。ネオもそれに見習う。冷え切った身体が温まっていく。しかし、ネオの心まで熱が通ることはなかった。ため息が漏れ、二人の間に沈黙が続く。


 ややあって、


「……美術部の部長から聞いたよ」


 みちるが破いた。


「同じクラスにそんなヤツがいるとは思わなかったよ。あいつ、普段はクラスメイトに好かれているってのに、裏ではそんなバカなことをやっていたなんてね。……ホント、高校生になっても『正しい』と『悪い』の区別もつかない自己中ががいたとはね。ホンッと、学校じゃなかったら、空手でボッコボコにシメてやりたかったよ!」


 みちるもネオと同じ気持ちだった。悔しさと憎悪ぞうおで飲み干した缶コーヒーをへこませる。


 彼女も同じ気持ちをもっていることに、ネオは少し安心した。


「実緒は、向井のせいで深い傷を負ってしまった。わたしの手をつかめないほどズタズタにされて……」


 くやしいよ、とネオは項垂うなだれてしまう。


「あんな奴のせいで、あいつと一緒にされて、親友としての時間を、簡単に無かったことにされるなんて……!」


「ネオ……」


 再びネオの瞳から涙がほおを伝っていく。滲み出る彼女の悔しさに、みちるもどうしようもない気持ちでいっぱいになる。


「どうしたら、いいのかな。もう、終わりにするしかないのかな……」


「え?」


 終わり、というネオらしくもない発言に、みちるは思わず落ち込んでいる彼女の方へと振り向く。


「いつも、いつも、精一杯やれることはやってきたけど……実緒は、わたしたちのことまで『怖い』と思っているんだよ。そんな彼女と、どう向き合えばいいの? どんなことがあっても、絶対に離れたりしない、ずっと味方だって伝えたいのに……分からないよ……」


 両手で顔をふさぐネオ。


 一人でずっと考えるネオ。


 たった一人で苦しむネオ。


 相談はするけど、頼ることを知らないネオ。


 ――そんなネオに、みちるはふつふつと、苛立いらだちが募る。


 どうして。


 なんでなんだよ……。


 あんたはいつだってそうだよ!


 なんで、なんで、ボロボロになっても、「力を貸して」って言ってくれないんだよ!


 あたしはそんなに頼りないの?


 ――なんで頼らないだよ!


「もう諦めて……」


 その言葉をネオが発した瞬間、



「バカ!!」



 みちるは立ち上がり、放心ほうしん状態のうじうじネオを鋭い目で見下す。


「み、みっちぃ……」


「なんで、なんで、いつもいつも一人で考え込んで、無茶な事ばっかりして、ひとりで傷つこうすんだよ!」


「だ、だって、これは、わたしのもん……」


「カッコつけてんじゃねぇ!」


 みちるの叫びがネオの言葉を振り払う。


「それこそいい迷惑だよ! 少しはあたしを……あたしたちを頼れよ! みんなで力を合わせて、手をつないで、そして前進するのがアンタの創ったバンド――moment’sだろ!」


「……」


 みちるの涙で潤んだ瞳に、ネオの心が留まる。


 普段見せない顔だ。


「あたしにも、あたしにだって、竹下さんが不登校になった非はあるよ! あんたが竹下さんの本気で大事にしていたのに、あんなことを言ったんだから。その方が、お互い傷つかなくて済むと思ったから……」


「ううん、違うよ! みっちぃの言ってることだって正しいよ!」


「違わない! あたしがあんなことを言ったからあんたたちが……!」


「違う! 常に一緒にいて、気づかなかったわたしがいけないの!!」


「いいや! あたしが悪いんだ!!」


「いや、わたしだよ!」


「違う! あたし!」


「わたしだってば!」


 自分の主張が通じないみちるに、ネオもとうとう立ち上がる。

お互い、自分の気持ちを譲らず、ぶつかり合う。


「あたし!」


「わたし!」


「あたし!」


 ボクシングのようにラリーの応酬おうしゅうが続く。


 一分、二分と。


 そしてラウンド終了。


 ハア、ハア……。


 両者、決着がつかず、唇がかわき、息が漏れる。


 みちるは右手で唇を拭いて、


「やっとネオらしくなってきたじゃないの」


 うっすらと笑みを浮かべる。


 生意気なネオが戻ってきて、少し安心したのだ。


「みっちぃ……」


「まぁ、何はともあれ、あたしもネオの気持ちと同じだよ。それにこの問題は、moment’sの問題でもあるんだ。だってそうでしょ。あたしたちのためにポスターを描いてくれてんだろ。だったら、竹下さん、いや、実緒も立派なあたしたちメンバーの内のひとり、だろ?」


 みちるは左目だけ閉じ、ウインクをする。


「だから……」


 そしてネオの両手を握り、


「助けよう、実緒を!」


 みちるは真剣な表情で見つめるネオを見つめた。しかし、


「で、でも、助けようって言っても、どうするの……?」


 救いの手が欲しいと思わせるような相貌そうぼうで、ネオは彼女を見つめ返す。


「確かに……奇麗事きれいごとばかり言っても彼女に届くことはまずないだろうね。だけど、あたしたちには、あたしたちにしかない唯一の、とっておきの武器があるじゃないか!」


「えっ?」


「あたしたちは何の活動をしているの?」


「バ、バンド」


「そう。だから?」


「う、歌!?」


「正解!」


 みちるは大きく頷く。


「そう。ネオが大好きな、歌。これしかないよ。あたしたちは、『前進』というコンセプトのもと、みんなの背中を音で後押しして、みんなで前に進むんだろ? だったら、こっち側に引っ張り出すことだってできるだろ?」


「!」


 そうだ。そうだよ……。


 ネオは思わず口に手を当てる。


「ネオ、あたしはね、あんたの、諦めずにみんなで前を――明るい未来に向かって行こうと言う姿勢が好きだから、ここにいる。中学校で恐れられていたこんなあたしでも、明るくなったしね。だから、不器用でいい。今日、明日で届かなくてもいい。大事なのは、それを貫く姿勢だよ! 歌でメッセージを伝えようよ。あたしたちのできることで、実緒に届けようよ!」


 ……。


 ――みっちぃの、言う通りだ。


 歌。それは、自分の気持ちを必要以上に伝えられる、唯一の魔法。輝くことを許してくれる、今一番誇れるもの。


 ――なんで、すぐ近くにあるものを忘れていたのよ! 今こそ、わたしの想いを『歌』に込めないと! 『歌』の力を信じないと!


 友人のおかげで、道が開けた気がした。


 ネオから暗い表情が消え、決意を固めた真剣な表情へと変わる。


「ありがとう、みっちぃ。わたし、実緒のために、歌うよ! どんな結果になっても、やってやるわ!」


 そんなネオを見て、みちるは彼女の両肩を再びがっちりとつかみ、


「よーし、それでこそネオよ!! いや、ネオだけじゃない! あたし、健斗けんとたくみ――moment’sのマジのマジのマジをぶつけて、あの子の笑顔と取り戻して、みんなであのゴミクズの鼻の下をボッキボキに……!」


「み、みっちぃー、気合い入れ過ぎぃーっ!」


 ヒートアップしすぎて、思わずネオの肩を揺らしていたことに気づく。


「あ、ごめん。つい……」


 ピタッ、と動きが止まり、手が離れる。目が回ったように、前後ろへ揺れた感覚が残る。


「もうー、暴走しないでよね」


 ぷくーっ、とネオは顔を膨らませる。


 その顔を見て、もう大丈夫だな、とみちるは思った。いつものネオだ。


 それがなんだか妙におかしくて、ぷっ! と吹いて、ハハハハハ! と思わず笑った。それにネオもつられ、お互いに笑い合った。心が、少し軽くなった気がした。


 すると、


「あ、雨が……」


 ネオは空を見上げた。雨はいつの間にか止んでおり、雲間から差し込む光が二人を照らしていた。


「きれいだね」


「ああ」


 みちるもネオの隣で見つめる。


 まるで希望の光だ。これはきっと、前に進めという暗示だ。この光を、実緒にも見せてやりたいとネオは思った。


「さぁーてと!」


 みちるが背伸びをする。


「そうと決まったら、今日の練習から何とかしないとね。まあ、まずはあの二人を説得するのは……なんとかなるけど、問題は曲だな。こればっかりは話し合わないとね。よし! じゃあ、学校に戻るよ、ネオ!」


「うん」


 みちるは置いてある傘を自転車のかごの中に入れ、自転車を押し出し、先に小屋からでていく。


 先を行く彼女にネオは、何か言わなくちゃ、何か言わないと……、そんな気持ちが強くなる。


「み、みっちい!」


「何?」


「あ、あのね……。来てくれて、ありがとう! そして、ごめん。わたし、これからも素直に言えないかもしれないけど……わたしの友達でいてくれる? みっちぃを頼っても……いい!?」


 友人に対して言いたかったことを全て吐き出し、ネオは長い息を吐いた。


 ややあって、みちるは静かに自転車に乗り、右手を挙げ、


「当たり前だよ」


 と言い、公園を出ていった。


 その様子に、ネオはほっとした。


 そして、その背中に向かって、「ありがとう」と心の中で伝えた。


「……って、ま、待ってよー!」


 自転車の鍵を開け、ネオはすぐにみちるの下へと向かった。




「――先輩のお願いなら、しょうがないっスね!」


 プレハブ小屋で、昼にあった出来事をネオから聞いた健斗は、開き直った態度で受け入れる。


 巧も、


「……やりましょう」


 とクールな態度をよそおうも、彼の胸の中には熱いものが込み上がっているなとネオは感じた。


 隣にいたみちるに左肩を、軽く叩かれた。「言ったとおりだろ?」と無言でネオにウインクしてみせる。


 本当に、いいメンバーが加わってくれたものだ。


「二人とも、ありがとう!」


 ネオは、健斗と巧に最大限の感謝を礼で表す。


 かしこまる彼女に一瞬戸惑とまどうも、ニッ! と健斗は口を横に広げて、


「オレらに礼は不要っスよ、先輩。どーせ、嫌だとか言っても、みっちぃ先輩が説得するんでしょ? 何が何でもやるって顔をしていましたよ。だったら、先輩の言うことを、オレたち一年が文句を言う義理は無いっスよ」


 健斗は隣にいる巧に、なあ? と同意を求める。


「……う、うん。俺たちの曲で、彼女が前へ向いてくれるのであれば、これほど嬉しいことはないですよ……それこそ、moment’sじゃないですか!」


 巧らしからぬ熱い言葉に、


「も、もう、タっくんのくせに、格好いい事を言っちゃって!」


 このこの! とネオは彼の背中を叩く。巧の顔がすぐに赤くなる。


「まっ、偉そうに言いましたけど、結局は、ネオ先輩のワガママにオレたちはいっつもついて行っているだけっスからねー!」


 へへん、と健斗がネオに向かって悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべる。


 ネオは『ワガママ』というワードに引っ掛かり、


「わ、ワガママって何よ!?」


 不満げな表情で健斗を見返す。


「そのままを言っただけですよ! いっつもオレたちに何も言わずに、選曲も決めたり、選曲が合わないものだって、『部長の権限けんげん』で意地でも押し通そうとするし……ワガママ以外の何物でもないじゃないっスか!」


「なにをーっ!」


 両者の間に見えない火花が散る。


 しかし、


「こら! 喧嘩をしている場合じゃないだろ!」


 とみちるに押されて、お互いの額をゴツン! とぶつけられる。


「いったぁーい!」とネオ。


「……ってー」と健斗。


 はぁー、とみちるからため息が漏れる。まったく、何度漏れたらいいのやら。


「と・に・か・く! 時間がないんだ! 彼女に届く曲は何か、とっとと考えるよ!!」


 命令するかのように、みちるは三人に指を差す。


「うーん、そうは言っても……オレたちの気持ちを伝えられるドストレートな曲っスかあ……」


 腕組みしながら考え込む健斗。


「急に言われても……」


 巧は目をつぶってあごに手を当て、うーん、と呻く。


「そうだよねぇ……ウチらで作ったので当てはまるとしたら、『wind』とか『run through!』 とかだと思うけど 、疾走しっそう感のある曲ばっかりだからねぇ」


 天井を見上げるみちる。


「ですよね。バラード系は全然作ってないっスから……」


「やっぱり、コピーするしかないのかな」


 うーん……。


 考え込み、沈黙が続く。


「ねぇ」


 ややあって、ネオが三人に声をかける。


「みんなに提案があるの」


「どうしたのよ。改まって」


 とみちる。


「ちょっと、無理なお願いなんだけど」


「無理なお願い?」


 不思議そうに見つめるみちるたち。


「うん。一週間でやるのは厳しいかもしれないけれど……新曲を作ろうよ! いつも通り、私が作詞で、みっちぃが作曲、そして健斗とタッくんが編曲で!」


「ま、マジ?」


 ネオの提案に、みちるをはじめ、健斗と巧も驚いた形相ぎょうそうを見せる。


 ネオは、そうよ、と言い、


「この問題はきっと、自分の言葉じゃないといけないと思うの。もちろん、有名アーティストの楽曲のコピーもいいかもしれない。でもそれは、人の力を借りたという事実があるから、言い方が悪いけど、わたしたちの気持ちなんてこれっぽっちもこもってない。なら、自分たちの気持ちを前面に引き出した、この世に一つしかない、『わたしたちだけの曲』を作った方がリアルに、実緒に届くんじゃないかなーと……」


 やっぱり、うまく言えないや。


 こんなの無謀むぼうだよね。今までだって、制作に二、三週間かかっているんだから。やっぱりやめよう、とネオが言いそうになったその時、


「ネオ」


 みちるがネオの前へと歩み寄る。


 彼女の両肩に手をあて、


「いいよ」


 彼女の答えにネオは思わず、


「いいの?」


 ときかえす。


 みちるは無言のまま、うん、と頷く。「それが竹下さんに伝える一番の方法だよ」と言っているみたいだった。


 そして後ろを振り向き、


「健斗、巧もそれでいいね?」


 みちるへの返答に、「うっス!」と健斗、「はい」と巧。


「よし、決定!」


 みちるはもう一度、ネオの顔を見つめ、


「作ろう! あの子に届ける歌を!!」


「……うん!!」


「よし! それじゃあ活動を始めるから、各自準備!」


 三人は楽器を取り出し、準備に取り掛かった。


 彼らの背中を見て、


 ――ありがとう。


 心の底から、ネオは思った。


 そう、わたしには仲間がいたんだ。一人で考える必要なんてないんだ。分からないなら、力を貸してもらえばいい。そうやって、力を合わせれば扉は必ず開いていく。


 ネオは、それを実感した。それをもっと早く気づいていたら、とも思った。


 でも、これでいい。


 実緒にも、この絆という力で、『実緒の背中にはわたしたちがいる』ことを教えることが出来るのだから。


 ――よし。


 ネオはこの想いを、今までの音楽活動の中で、最高の歌詞を書いてやると誓った。


 これからの、『わたしたち』のためにも。




「うーん」


 時計の針は二十三時三〇分を指そうとしていた。明かりが消えた暗い部屋で、ピンクのパジャマを着たネオが、布団の中で呻っている。


 彼女の家は、築三十年の古ぼけた二階建ての木の家で、実緒の家がある場所よりも緩やかな坂の上にできた団地にある。


 ネオは二階の右の部屋を使っている。ちなみに左の部屋は、兄――広樹こうきが使っている。


 机の上は学校で使っているノートや音楽雑誌がぐちゃぐちゃに散乱しており(その上、服も置きっぱなし)、女性らしからぬ、部屋の汚さだ。よく堂々と友達を入れることができるものだ。


 その空間でネオは、一〇代に絶大な人気のあるラジオ番組『SCHOOL OF LOCK!』を聴きながら、用紙とにらめっこしていた。


「ううーん」


 ああは言ったものの、なかなか歌詞が浮かんでこない。


 綺麗な言葉の方がいいのかなと考えるが、出てくる言葉はストレートな言葉ばかり。器用な言い回しの歌詞を書くのは、ネオにとっては難しかった。


 MC(教頭)の名台詞である『高二はいいぞ!』発言を聴いたところで、MDコンボの電源を切る。


「ふう、焦っていても仕方ないか」


 とりあえず、夜の空を眺めてみるか。もしかしたらピンとくるかもしれない。


 ネオは立ち上がりベランダに出て、夜風に当たった。


「うう……寒いなあ」


 真昼の暑さはどこへいったのやら。全身がぶるっと震える。


 ネオは耳にイヤホンを差し込み、アイポッドを起動させ、プロのアーティストの楽曲を聴きながら月を眺める。


 今日は満月のようだ。雨が昼に降ったせいか、雲一つなく、星と共にネオを明るく照らしている。それはどことなく、自分の身の心配をしているようにネオは思えた。「大丈夫?」と優しく語りかけるみたいに。


 すると、


『今もどこかで微笑んでいますように……』


「!」


 アイポッドから流れる歌詞に、ネオは耳を奪われた。


 小さい頃から自分が好きなアーティスト、Every Little Thing(通称ELT)の『good night』に。ごちゃごちゃになっていた頭の中が、急にスッキリした。


 ……そうだ。これだ!


 その歌詞と眺めている月が、リンクした。


「月って、みんなのことを見守っているように見えるよね。だったら、月から実緒が元気でいるようにと見守っている……。そういう歌詞にすれば……!」


 いける!


 ネオは、部屋に戻って再び布団に寝そべり、置いてある紙に鉛筆で書いていった。すらすらと言葉が浮かぶ。


 ――実緒! アンタは、ひとりじゃない!


 彼女への想いを歌詞に込めていくネオを、月が優しく見守った。



                  ※※※



 そして、一〇月四日。夜。


 夜の闇に包まれ、静寂と化している中、岩国総合高校の片隅にある、演劇部が使っている古ぼけたプレハブ小屋の中から、ギュイイイ――――――ン!! と強く輝く一等星のように、自分たちの存在を示している。


「イエ――――――――――ッ!!」


 ネオが高らかにシャウトする。


 それに呼応するように、後ろにいる三人が――エレキギター(みちる)、エレキベース(巧)、ドラム(健斗)が狂乱的に鳴り響く。


 周囲にある古臭い窓ガラスから、うるせぇ! と教師たちが忠告しているかのように、ガタガタと揺れる。しかし、彼女たちの前では演奏楽器の一つに過ぎない。その音も、かき鳴らす音色へと変化する。


 四人はアイコンタクトを取る。


 ボーカルの女子が両手を勢いよく振り下ろす。


 そして、



 ド――――――ン!



 バンバン!


「やったぁー! 何とか間に合ったー!」


 リハーサルを終え、ネオは両手を上げて喜びをあらわにした。


「ああ、間に合ってよかったよ」


 ふう、とみちるが一息をつく。


「そうっスね!」


 奥にあるドラムセットのところに座っている、白いバンダナを巻いている男子――健斗が、


「これで明日はばっちりっスね! これでオレの冴えわたるドラムさばきと美声が、女子たちのハートをがっちりとつかめますね!」


 親指を突き立てて、ニッ! と白い歯を二人に見せる。


 オレはかっこいい! と思っている彼を、


「そして、あんたそのナルっぷりもねー」


 ネオは呆れた表情で見つめ返す。


 ナル男――健斗はムッとなり、


「な、ナル男じゃねぇっスよ! オレはただ、オレのカッコ良さが明日際立つなと思っただけで」


「だからあたしらにそう呼ばれるんだよ!」


 みちるが横から入ってくる。


「み、みっちぃ先輩まで……。あーもう、わけわかんないぜ」


 「自覚がないのかい!」と先輩二人からツッコミを受けているところを、


「……ふふ」


「あっ、巧! お前、笑ったな!?」


 せっせとベースを直す、巧の背中を健斗は見つめる。


 ホック付きの緑のネクタイをきっちり身に着け、シャツはズボンの中に入れているという、岩国総合生を代表する着こなしをしている。シャツ出し三人とは大違いだ。


「……いや。笑っていない」


「ウソつけ! 聞こえてたんだぞ! お前までオレの敵になるのかよ!?」


「そ、それはないけど、それよりも、片づけなくてもいいの?」


「あっ、ほんとだ」


 ネオは巧の真上にある、壁に飾られている時計を見上げる。巧の言う通り、八時一五分前を指している。


「無駄話してる時間はないわね。早く片付けるわよ! 特に健斗! あんたのが一番大変なんだから!」


「分かりましたよ。ちぇっ、真面目なヤツなんだから……」


 受け流すのが上手いヤツだなあと思いながら、健斗も片づけ始める。彼のドラムや譜面台は音楽室から借りてきたもので、校舎を完全に締め切られる八時までには返さないといけないのだ。


 四人は急いで片付けを終え、借りてきた機材を持ってすぐにプレハブから出ていった。




 昇降口前。輝く星空の下、機材を無事に返した四人は円になって、


「よーし、明日はいよいよ総合祭本番だ! あたしらが目標にしていたステージだ。学生たちに、あたしらの最高のパフォーマンスを胸に刻んでやろうぜ!」


 みちるが今日の活動の締めを告げる。


 明日はいよいよ総合祭――文化祭である。


 自分たちが目標にしていたステージに立てる、待ちに待った日。


「うん。ここまで頑張ってきた成果を出そう!」


 ネオの言葉に、三人は頷く。自信に満ちた表情で。


「そして、総合祭のためにみんなで決めたコスチュームをぜぇったい、忘れないように! 特に巧! 恥ずかしいとか言ってワザと忘れんじゃねぇぞ!」


 ビシッ! と巧に向かって勢いよく指を差すみちる。


「え……本当に、あれを着るんですか……?」


 全くこの男は、動揺する巧にネオはため息漏らし、


「……何度も言うけど、タッくんが言ったのよ。『後ろ向きな思考を、音楽を通じて変わりたい』ってあんたが言うから、わたしたち三人のコスチュームよりも三割増しの良い服を選んだんだから!」


「た、確かに言いましたけど……やっぱり、それとこれとは……」


 話は別なのでは……、と先輩の前で口をこぼす。


「いーや! まずはその真面目な服装をまず変えることが何より大事よ! それに、ロックフェスであれだけ人気者になったんだから、ここでも女子生徒の需要を増やすべきよ! イケメンがもったいないわよ!」


 需要って……別にそこまでモテる希望はあまり、と巧は思いつつも、無口な自分への先輩方のご厚意こういなので、


「……わ、わかりました。……ネオさんがそこまで力説する、なら」


 顔を赤くしながらしぶしぶ承諾した。


「うん、ばっちりキメてきてよね! タッくんはカッコイイんだから、自信を持ってよ!」


「は、はい……」


 ネオは、うんうん、と頷く。それを黙ってみるしかなかった巧に健斗は、


「ネオ先輩に言ったのが間違いだったな、ドンマイ」


 と、ささやく。しかし、


「あらぁー? 健斗、わたしからの、巧への愛ある支援に茶々入れる気?」


「い、いえ。何でもないっス!」


 健斗はビシッとネオに向かって自衛隊のような背筋をピンと伸ばし、綺麗な姿勢をとる。


「まったく。あんたたちには緊張のカケラがこれっぽっちもないんだから」

 みちるは額に手を当てて、ネオと健斗のやりとりに呆れる。

 ははは! と、ネオは笑い、


「でもそれが、わたしたちらしさ、じゃない?」


「そうっスよ、変に気構えるのって性に合わないっスよ、みっちぃ先輩」


 健斗が続ける。


「うん! みんながありのままの気持ちで音と声を届けるのがわたしたちmoment’sだよ」


「……そうですね」


 ネオの言葉に賛同する巧。


 そんな彼女たちの言い分にみちるはふふっ、と笑みを浮かべ、


「まっ、確かに、こんな個性派ぞろいに、なーにを言っても無駄だわな」


 彼女の開き直った発言に、ぷっ! とネオが吹き、ははははは! とメンバーは大笑いした。これがバンドとしての『あるべき姿』なのかもしれない、とネオは思った。


 存分に大笑いして落ち着きを取り戻したメンバーは、真剣な目つきで各々の顔を見つめ合う。


「……」


 時がとまったような数秒の沈黙が続いたあと、


「あとはこれだね」


 ネオはカバンからCDケースを取り出す。この中身には、昨日完成した『あの曲』が入っている。アイツのために歌った曲が。


「明日、来る、かな……?」


 心配そうな表情でネオはメンバーに訊ねる。これが、彼女の心に届くのだろうか? 不安でたまらない。


 そんなネオを気遣きづかうように、みちるはポン、とネオの右肩に手を置く。


「大丈夫。あの子は絶対に来るよ、必ず!」


 みちるはコクリ、と強く頷く。


「あんたは不器用で、まっすぐで、友達想いだってことをあたしは知っている。そんなネオだから、ここまで活動ができたと思っている。あんたのその諦めの悪さは、大げさかもしれないけど、みんなを『前』へと向かう力をくれた。今回も、きっとそうに決まってる! 信じよう、あの子を! そして届けよう、あんたの想いを!」


「そうっスよ! ネオ先輩を信じてオレたち――オレは、無謀むぼうとも言えるスケジュールを乗り越えてきたんですから、自分を信じてやってくださいよ。じゃないと、信じた意味がないっスよ。なあ、巧?」


「……あ、ああ」


 巧は健斗の意見に賛同し、ネオを見ながら、


「ネオさん……だ、大丈夫ですよ。ネオさんみたいな方を裏切ることは絶対にない、はずです。俺だって、ネオさんのおかげで、前を向いていられる、から……」


 恥ずかしそうに、最大限の思いを伝える。


「巧、『はず』ではない、だろ?」


「そ、そうですね! す、すいません、ネオさん!」


 巧は慌ててネオに向かって、お手本と言えるような斜め45度の角度で、ビシッと謝罪の一礼をする。


「ははは」


 ネオは苦笑いを浮かべる。


「巧、真面目すぎ」


 健斗につっこまれ、巧は、


「ううっ……」


 顔を赤らめ、俯く。その形相に笑うみちると健斗。


 このやり取りで、ネオはあることを再認識した。


 わたしは一人で戦っているんじゃない。メンバー全員がわたしの友人のために戦ってくれている。背中にはみんながいる。だから、わたしはここに立ち続けることができたんだ。自分が作った『あの歌』のように。笑ったり、泣いたり、怒ったり、悲しんだり、色々な感情を分かち合える『当たり前の生活』を壊すことは許されないんだ。明日は、それを守るために歌うんだ。みんなと一緒に。


 そう思うと、体中に満たされていた『不安』という二文字が消えた。


「みんな、ありがとう」


 ネオはメンバーに感謝の言葉を告げる。


「何をいまさら。やってやろうぜ!」


 みちるはネオに向かって拳を突きだす。


「うん!」


 ネオもそれを突きだし、彼女の拳に軽くぶつけた。


「よーし、最後はアレをやるよ! ネオ、いいよね」


「もっちろんよ! 明日に向けて気合いをいれちゃおう!」


「ま、マジっスか!?」


 みちるの提案に、健斗は思わず上体を軽く反らす。


「何? あたしが考えた本番前のゲン担ぎが嫌だっての?」


「い、いえ、こんなところでやるのが、なんだか恥ずかしくて……」


「へえー、健斗、いつも偉そうなことを言っているのに、意外とシャイなんだー」


 ネオが茶化す。


「そ、そんなわけないじゃないっスか! みっちぃ先輩、とっととやりましょう!」


「はいはい。あたしたち以外、誰もいやしないよ。……はい、健斗!」


「うっス!」


 みちるが四人で作った円の中心に差し出した手の上に健斗が手を重ね、


「タク!」


 巧が黙って手を重ねる。そして最後に、


「ネオさん!」


「うん」


 最後にネオが手を置く。


「リーダー! 頼むよ!」


 みちるの掛け声に、分かった! とネオはこたえる。


「みんなぁ! 明日は最っっっ高のライブにするわよ!!」


「「「おおうっ!」」」


「いくわよ! 一瞬の光をつかむのはー……」


 勢いよく弾ませ、四人の手が一斉に振り上がり、


「「「「モウメ――――――ンツ!!」」」


 気合いの入った彼女たちの声が、空に向かってこだました。



                   ※※※



 部活が終わり、ネオとみちるは一年生二人組と別れ、


「ごめんくださーい」


 実緒の家を訪ねた。


「あらネオちゃん」


 玄関のドアが開き、実緒の母が二人を迎える。


「こんな時間にどうしたの?」


「いえ、ちょっと、実緒が元気かなあって……」


「わざわざありがとう。だけど、あの子はまだ部屋でずっと塞ぎこんでいて……」


「そう、ですか……」


 母親の暗い表情が、ネオたちまで暗くする。


「ごめんね。せっかく来てくれたのに」


 申し訳なさそうな精一杯の笑顔をみせる実緒の母。


「いや、いいんです。そ、それよりも、今日はこれを渡したくて……」


 ネオは、実緒の母にCDケースを差し出す。


「これは?」


「明日、文化祭――総合祭があるんですけど」


「ええ。知っているわ」


「このCDは、明日のステージでわたしたちが歌う曲が入っています。わたしたち、ライブをやるんです」


「まあ……」


 実緒の母は、少し口を開ける。


「わたしたち、落ち込んでいる実緒を元気づけたくて……というか、学校で、もっと話をしたり、楽しいことを実緒といっぱいしたいから……。だからせめて、わたしたちだけでも、わたしたちだけは、実緒のことを大切に想っているって、届けたくて……」


「ネオちゃん……ありがとう」


 実緒の母は、受け取ったCDを見ながら、


「あの子は幸せ者ね。友達に、こんなに大切に想われているんだから」


 と微笑ほほえむ。


「はい。実緒は……あたしたちの活動のために、絵を描いてくれてPRをしてくれました。彼女にはとても感謝していますし、あたしにとっても大切な友達です」


 ネオの隣にいるみちるが、想いを伝える。


「それで、おばさん。あの、難しいとは思いますが……頼みたいことがあるんです」


「頼みたいこと?」


 ネオは覚悟を決めた真剣な表情で実緒の母を見つめる。


「これを実緒に渡したうえで……明日、明日だけでいいです。実緒を、学校に連れてきてくれませんか?」


「え?」


「わたし、実緒の前でこの曲をどうしても歌いたいんです! この歌は、実緒の前で歌ってこそ意味があると思うから……」


「ネオちゃん……」


「だから、お願いします! いつでもいいから、わたしたちのステージが始まる二時頃でもいいです! 実緒を連れてきてください!」


 ネオは実緒の母に深々と頭を下げた。それに続けて、


「あ、あたしからも、よろしくお願いします!」


 みちるも頭を下げた。


「ちょ、ちょっと二人とも、顔を上げて」


 二人の姿勢に、実緒の母は困惑気味こんわくぎみに「うーん」としばらく考え込んだ。


 そして、


「そうね……そうよね。分かったわ。実緒の大切な友達の頼みだものね。明日は仕事が休みだし……うん。なんとかしてみるわ」


「ほ、本当ですか!?」


 ネオの喜びを含ませた声音に、実緒の母は頷き、


「うん。とりあえず、このCDを実緒に渡しておくわ。来れるかどうかは、あの子の気持ち次第しだいになるけど、それでもいい?」


「はい! それだけで十分です」


「ありがとうございます」


 ネオとみちるはまた、深々と頭を下げた。




「これでいいんだよね、みっちぃ」


「ああ。間違ってないよ、ネオ」


 帰り道。二人は実緒のことを考えながら、自転車を押して団地の長い坂を下っていく。


 ここ一週間、ずっと彼女のことばかり考えていた気がするなとネオは思った。


 あの日から――実緒がドアを閉めて、ひとり別の世界へ行った時からずっと。


 アイツが行く世界は、そこじゃない。わたしたちと同じこの輝く世界だ。夢に向かって苦しみながら、楽しみながら、みんなで渡っていくこの世界だ。


 そこから手を取って、実緒を連れ出すためにやれるだけのことは、全部やった……と思っている。


「明日、大丈夫よね」


 言い聞かせるかのように、ネオはみちるに訊ねる。


「大丈夫さ。ネオの気持ちは、必ず届くよ。おばさんも、伝えるって言ったんだから」


 みちるがネオの背中を優しく叩く。


「信じよう、実緒を」


「うん」


「さあ、早く帰ろう。明日は早いよ」


 みちるは自転車に乗り、先に行った。


 ネオは足を止め、空に浮かぶ月を見上げた。今日もキラキラと輝き、彼女を優しく照らしている。自分がここにいてもいいと伝えているみたいだった。


 そして、浮かぶシルエットはうさぎ、ではなく、親友の顔。牢屋にこもって、ただ泣いている彼女。


 ネオは目を閉じ、片手を胸元の近くで握りしめた。


 ――実緒。わたしの想い……届けるからね!


 どうか実緒が少しでも元気になりますように、とネオは輝く月に願いを込めた。


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