第二章
――夏休みが終わり、残暑の厳しい八月末。
「ほ、本当ですか!?」
一階の下駄箱の真上にある教室――生徒会室で、ネオがテンションの高い声をあげている。
「ええ。いつもならオーディションをして決めているんだけど、貴方たちは正式な『同好会』として活躍しているから、特別に免除しよう考えているの。ね、実行委員長?」
とネオの真正面に座っている――生徒会長の右隣にいる、総合祭実行委員長――大山茜に話を振る。
「うん。去年のあのライブからずっと思っていたんだよね。それにアタシ、夏休みにあった『アマチュア・ロック・フェスティバルin IWAKUNI』に行ってたのよ。そしたらあなた達が出てきて……ライブを見て確信したわ。麻倉さん、是非moment’s(モーメンツ)のメンバーで総合祭を盛り上げてくれないかしら?」
茜は首を少し傾けて、ふふ、と微笑みながらネオを見つめる。
その視線にネオは迷わず目を輝かせて、
「や、やりますっ! というか、ぜ、是非やらせてください!!」
張りのある声で答えた。
次の目標の焦点にして夏休みも文化祭オーディションに向けてみっちり練習していた矢先に、まさか、無条件で叶うという思いがけないレアイベントで達成されるとは! ネオは興奮収まりきれなかった。胸の鼓動が高まる。この部屋から出たら爆発しそうだ。参加してよかった!
「じゃあ、決定ね」
生徒会長が立ち上がる。
「実行委員、いや、生徒会の正式な依頼としてお願いするわね。期待しているわよ」
「はい!」
生徒会長の差し出した手をネオはがっちりと握り、固い握手を交わした。
※※※
「「「マジっスか!!!」」」
ネオの一報を聞いて、メンバーの士気は一気に頂点に達した。
一〇月にある体育祭に続く学校行事――総合祭。世間では文化祭とも言う。
その企画の一つであり総合祭のメインイベントであるライブステージに、自分たちが『特別枠』として立ちあがるのだ。こんなに嬉しいことはない。
ネオたちは早速、生徒会と実行委員のご期待に添えるために選曲を決め、彼らは各パートそれぞれ自分の表現力を最大限に発揮し、他のどのステージよりも最高の舞台にするため、必死に練習を行った。
――そんな日々が毎日続き、気が付けば九月の中旬。
まだまだ残暑の厳しいこの季節。しかし、そんな暑さをものともせず、総合祭へ向けて、先に参加が決まったネオたちのテンションは、日に日に高くなっていく。
今宵も沈む夕日をバックに、演劇部の活動を終えたプレハブ小屋で、せっせと機材を準備し、活動を始めようとした……のだが、
「ネオ先輩、遅いっスねぇー」
健斗が呟く。
「前もそんなことがあったような」と巧。
腕を組んで苦虫を噛みつぶしたような顔のみちる。
三人は何の返事もないネオを待っている。
今日は総合祭でやる選曲を一通り音合わせする日。そのため、ボーカル兼リーダーである彼女がいないと練習にならないのだ。
壁に飾られている時計の針は六時半を指している。活動開始の時刻から三〇分経過。
「ほんとあの人、何やってんっスか」と不満を垂らす健斗に、
「アレでも二人の先輩でリーダーであって創部者だってのに……自覚がないのかねぇ。何度言ったら分かるんだか」
額に手を当て、呆れるみちる。
「しょーがないね。携帯に何回かけても出ないから、三人でさっさと……」
「みんな――――――っ!!」
外からネオの大声が聞こえてきた。
ややあって、
ズザアァァァ――――――ッ!!
急ブレーキで砂埃が巻き起こる。
猛ダッシュでここまで来たことをアピールして、お騒がせ娘がみちるたちの真正面に現れる。
そのまま靴を脱ぎ、
「ごめ――――――ん、遅くなっちゃった」
涼しげな顔で、ネオはすぐさまプレハブ小屋へと入っていく。
「「……」」
「あれ? みっちぃ、健斗、どうしたの?」
冷たい視線で自分を見つめる二人に、ネオは訝しそうに見つめる。巧は冷徹な二人が恐ろしいのか、背中を向ける。
みちるがネオのもとへと行く。その一歩はズシン、とプレハブ小屋全体を揺らしているかのようだ。
「?」
ネオは不思議そうにみちるを見つめる。
そして、
バッコ――――――ン!
ネオの頭にタンコブができた。
「いった――――――い! な、何すんのよ、みっちぃーっ!」
コブの部分に手をあて、左側の目を瞑って痛みを噛みしめる。
「なーにが、何すんのよ、だよ! 連絡も寄越さず、三〇分も遅刻して! えぇ!?」
フン! と腕を組んで、右斜め上に顔を向けてネオを見下す。
これじゃあどっちが部長なのか分からない。
「ほんとッスよ先輩! 今日から実践だっていうのに、迷惑かけすぎ……」
呆れ口調で女王の発言に同意する健斗。
何よ、ナル男のくせに! と文句を言いたいところだが、みちる様が壁を作っている以上、文句を言えまい。メンバーに迷惑をかけたことは事実だ。
というわけで素直に、
「申し訳ありませんでした」
空気を読んで謝罪の一言。ビシッと背筋を伸ばし、斜め四五度をキープ。
「よろしい」
みちる様の機嫌が直る。
こんなんじゃあ後輩には、『名ばかり部長』というレッテルを背中に貼られそうだ。貼ろうとしているかもだけど。
「で、こんなに遅れた理由は何? まさかあんた、素で遅刻したんじゃないだろうね? 事と次第によっちゃあ……」
「ま、待ってよ! ちゃんとした理由があるんだから! ……えーとね、描いてもらってたのよ」
「何を?」
「えっとね、確かここに……」
鞄を開き、ネオはガサゴソと探す。
「あった!」
クリアケースから一枚の用紙を取り出し、
「じゃーん!! どーよ!!」
バーン! と自慢げに一枚の絵を三人に見せる。
ポニーテールを揺らし、穏やかな表情で笑っている女性。その表情はまるで太陽みたいだ。
でも、どことなーく誰かに……。
三人は、息ピッタリに絵とネオを見比べる。
「これ、ネオさん、ですか?」
珍しく巧が訊ねる。
その質問にネオは、周囲に花が咲き誇るようなニッコリ笑顔で、
「うん!」
と即答。
三人は、目を丸くして、
「「「ええええええっ!?」」」
と仰天し、絵と本人を繰り返し見比べる。
「うっそ!」
とみちるが絶句し、
「マ、マジっスか……?」
と健斗が疑念を抱き、
「……は、はあ」
巧は口を開けたまま。
三者三様の反応に、ネオは思わずクスクスと笑い、
「にってるでしょー?」
ね! ね! ね! と賛同を求める。
しかし、
「に、似てませんよ!!」
そう言うのは健斗。
「思い違いっスよ!! だいたい、ネオ先輩がこーんな美人なわけないでしょ! 先輩はもっと、ガサツで、態度がデカくて、意地っ張りで……それが絵に表れてないっス!」
と、バカにしたように言い放つ。
それを聞いたネオはムッ! となり、
「何よ? わたしはいっつもこの絵の通りでしょ!」
「いいや、ぜんっぜん違いますって! 美人には程遠いっス!」
「わたしはいつだって美人よ!」
「いやいや、それこそナルシっスよ! カマみたいにザクッ! と殺人鬼ヘアーで斬りつけてくる時点で、美人ではなく悪魔っスよ!」
「あんたに言われる筋合いはないわよ! ていうか、わたしがいつそんなことをやったのよ!?」
「部活帰りにありました、よ!」
「それはあんたの注意不足でしょーが!」
「いーや、先輩っス! とんでもない野獣っスよ!」
「わたしが野獣!? はっ、ふざけないでよ! だったらあんたは、自分のナルシストぶりをお山の上で発揮する変態ザルよ!」
「だれがナルシスト変態ザルっスか! じゃあ先輩はジャイアニズムむき出しの、バカゴリラっスよ!」
「なにをーっ!」
んーっ! と真正面からのにらみ合い。
「もう! この二人はなんでいつもいつも……」
みちるはくしゃくしゃに髪をかきながら、しょうもない言い争いを永遠に続けそうな二人の後ろ頭に手を当て、
「いいかげんにしろっ!!」
ゴチーン!
ネオと健斗の頭がぶつかる。
「いったぁ……」
「うー……」
ネオと健斗は苦悶の表情で赤くなった額に手を当てる。
「毎日、毎日ケンカばっかりして……少しは仲良くやらんか!」
「はーい」
「すんません」
「まったく」
ふあぁー、と「あたしの身にもなれ!」と言わんばかりの大きなため息が漏れる。
「それにしても」
みちるはネオを方へ顔を向け、
「ネオ、その似顔絵は誰が描いたの?」
ようやく『本題』とも言える質問をネオに訊ねる。
「誰って、みっちぃも知っているじゃない。実緒よ、竹下実緒!」
「ああ、あんたがたまに昼休みに話をしている、影の薄そうな女子のこと?」
「影が薄いって……失礼ね」
友達をバカにされて、ネオはむっとした表情で前のめりになる。
「ごめん。あの子とあんなにフレンドリーになるとは思わなかったからさ」
あんな事があって、仲良くなっていることに疑っていたみちるは、改めて彼女の人付き合いの良さに感心する。
本当に人付き合いが良いのだ。普通、入学して間もない頃は同じ中学校の顔見知りがいるならともかく、どことなくぎこちなくて、「あの人は相性がよさそうだな」と探りながらクラスメイトに話しかけていくだろう。しかし、ネオは物怖じすることなく、クラスメイトと積極的に話の輪に入り、交流を深めていった。それは当時、一緒のクラスだったみちるも例外ではなかった。
『お隣どうし、仲良くしようね!』
入学当初、中学時代の噂がきっかけで同学年から恐れられていたにも関わらず、平気な顔で話しかけてきたのだ。最初は軽々しくてうっとうしいやつだと思ったが、徐々に打ち解け、自分もギターを趣味で引いていたことを話し、ネオと共に一年間、校内や路上で必死に音楽活動して、今に至っている。彼女のおかげで、みちるにも友達がたくさんできた。
ネオとはそういう人なのだ。ワガママな部分もあるが、海よりも広い心の持ち主なのだ。その良さは羨ましく思い、同時にそんな彼女の友達でいられることに、みちるは誇りを持っていた。本人には話せないけど。
「そういえば夏休み中、あんた、活動が終わってすぐに帰ったことがちょくちょくあったけど、彼女と遊んでいたの?」
「うん、そうよ」
「ふうん」
夏休みの活動は普段とは違い、演劇部が使わない日を利用して午前中から活動していた。そのため午後からはフリーなので、実緒の部活の休みに合わせて遊びに行っていたのだ。
「あ、みっちぃも遊びたかった?」
みちるはネオの気持ちを察して、
「いや。別にいいけど。でも、そんなに仲良くなったってことは、一緒に駅前の商店街とかで買い物したり、家で遊んだりしてたの?」
「まあね。なんてったってわたしと実緒は『親友』だからね。アレも渡したしね」
「アレって……アレのこと?」
「そっ! アレ、よ」
――それは、ネオと彼女の絆が強くなった大事な一日でもあった。
ネオは、自慢げに、そして誇らしげに話し出した。
※※※
「こ、ここ……だわ……」
ハア、ハア、息を荒げらながら、目の前にある太陽光パネルのついた青い屋根の一軒家――実緒の家へと辿り着いた。
「うわ、やば……」
灼熱の太陽の下、ネオは全身汗まみれだった。せっかく友達が外出用に選んでくれたパステルブルーのシフォンブラウスと七分丈のデニムにも汗の湿り気を感じ、べたべたする。ホント、せっかくの服がこんな形で不格好になってしまい、友達にも実緒にも申し訳ない。
だって大変だったのだ。ここまで来るのが!
――それはまさに、試練という言葉がお似合いだった。
家を出て、通学用の自転車で軽やかに国道沿いを進む……まではよかったのだが、教えられたルートは徐々に国道から離れていき、狭い道を通り、しまいにはあの坂――総合坂よりも急な角度の長い坂が待ち受けていた。この試練を乗り越えたら、絶景や楽園が待っている、と思うくらいの。灼熱の太陽の下で、これは反則だろう!
実緒が親の車で毎日登校するのが理解できた。
地獄から天国に這い上がらないといけない状況を目の当たりにして、ネオの身体はへなへなにふやけて、自転車のハンドルバーの上にもたれ掛る。しかし、その先で親友と思っている実緒が待っているのだ。彼女が笑っている姿が脳裏に焼き付く。そんな彼女を、自分がここで引き返して、悲しませ、「友達をやめる」なんて言われたくない。「大変だよ」と忠告してくれた実緒に「大丈夫だから!」と余裕の表情で言ったのは自分なのだ。責任を果たさないと。
「実緒がわたしを待っている!」と自分に言い聞かせ、自転車を押しながら坂を必死に歩いていった。
――それを乗り越え、ここに実緒の家に着いた。
おかげで喉はカラカラ、足はヨロヨロでサンダルを穿いている感覚がなく、身体が悲鳴をあげている。やはり、陸上をやめたからであろうか。
「は、はやく……中に……」
このままこの日差しを浴びると、魂が肉体から飛び出そうだ。
ネオは家の前に自転車を置いて、カゴに入っているピンクのショルダーバックを取り、ヘビーな顔つきで前のめりになりながら、玄関の近くにあるインターホンを、
ピンポーン!
タッタッタッタ、とドアの奥から走ってくる音が聞こえてくる。
ガチャ! と扉が開き、
「あ、ネオちゃん」
「や、やあ……」
「……だ、大丈夫?」
全身から噴き出す汗と、死にそうな友の顔に実緒はあっけにとられる。
今日の彼女は、学校の時のような真面目な雰囲気ではなかった。
いつも見るストレートの髪ではなく、少しウエーブをかけてふわふわしており、白い水玉模様がある紺色のチュニック、ピンクの九分丈カーゴパンツと、いかにも可愛さを引き立てる、夏にピッタリの服装。その姿はまさに可愛い! のひと言。男子も女子も関係なくノックアウトされる愛くるしさ! まるでモデルみたい!
学校でもそんなんでいいのよ! と言ってやりたいが。
「つかれたぁー……」
「ちょ、ちょっと、ネオちゃん!?」
つかれた、の4文字しか浮かばす、実緒にもたれかかった。
やっぱり、ここまで登ってくるバスに乗ればよかった。
後ろから、ブロロロロロ、と大きなエンジン音が聞こえた。
※※※
「本当に、大丈夫?」
「な、何とか……聞いたときはそれほどでもないと思ってたけど……地獄だわ。あれは……」
「だから言ったのに……はい、お茶」
「ありがとう」
あやうく熱中症になるところだった……、とカーペットの上にへたりこんでるネオは、お茶をグイッ! と飲み干した。
乾ききった喉が一気に潤い、
「ぷっっっはーっ、生き返った――――っっ!」
ドン! とローテーブルにコップを叩きつけた。その姿はビールで疲れを流し込むサラリーマンのようだ。この瞬間だけ、ネオは間違いなく中年のオッサンへと変わった。
そのオッサンに実緒は、
「じゃあ、もう一杯いりますか? ご主人様?」
「うむ。いただこう……って、わたしはアキバ系の男どもか!」
メイドのような姿勢でネオをもてなす彼女に、すかさずツッコミを入れる。その空気が妙に可笑しくなって、二人は笑い合った。
実緒の意外な一面をまた見ることができ、ネオは嬉しかった。打ち解けてよかった、と心からそう思う。
ふう……、と一旦、呼吸を落ち着かせ、
「それにしても……」
ネオは辺りを見回す。
「……わたしの部屋と全然違うわね」
螺旋階段を上った先にあるこの部屋――実緒の部屋。
この趣味全開と言わんばかりのコーディネートは一体何なんだ?
ネオから見て左の隅にあるタンスの上には、綺麗に並んだクマやパンダなどの可愛いぬいぐるみが並んでいる。タンスの隣は、自分の机が置いてあり、教科書などがきちっと整理されている。右の隅に置かれてある縦に長い3段の本棚には、漫画(もちろん『ミラーマジック』が全館揃っている)と絵の入門書やずらっと並んでいる。
仕上げはこの部屋を象徴する色――壁やカーテンが全てピンク。そしてカーペットもピンク。そして実緒の穿いているカーゴパンツもピンク! ピンクピンクピンク! 部屋全体ピンク一色!
学校で見る彼女の雰囲気とは裏腹のファンシーな部屋に、目からうろこが落ちる。どこでもドアで別世界に連れてこられたのかと思った。
「……どうやったらこんなに可愛い部屋になるのよ?」
「えっと……綺麗しようと思って、色々とこだわってたら壁紙も貼りたくなって、気がつけばこんなになっちゃた」
つまり、あくまで自然の摂理でなった、ということ?
……。
はああああっ?
「うっそーん! こだわるにもほどがあるわよ、これ。……わたしなんか、音楽雑誌やら、楽譜やら、ぐちゃぐちゃに置きっぱなしでも、平気に中へ入れるもん」
「そ、そうなんだ……」
それはどうかと……、と思いながら実緒は微苦笑してみせる。
「すっごぉー……」
病みつきになるとここまでやるのか! その精神に、ネオは感服した。絵もそうだけど、実緒ははまるとすごいんだなあ。自分もそのぐらい音楽を極めないと。
「で、おじさんとおばさんはどんな仕事をしているの?」
「お父さんは銀行員で、お母さんはファッションデザイナーだよ」
「へぇー、ファッションデザイナーかあ。かっこいいなあ……」
父親は普通だが、母親がデザイナーとは……何となく実緒が絵を描いているルーツが分かったような気がした。そして、その可愛い服はおそらくお母さんが作ったものだろうとネオは思った。
自分も……というか、moment’sの服を作ってほしいなあ。デザインはだいたい決まっているし、それを四人とも一緒にして団結してる雰囲気を作って……、
「ネオちゃん?」
「うおっと!」
実緒がネオを妄想世界から連れ出す。
「どうしたの?」
「ごめんごめん、考え事してた。ああ、もう、こんなんじゃあ本題に入れないよね!」
ネオは慌てて目の前に置いてあるショルダーバッグを取り、中からケースを取り出す。その中にはディスクが入っていた。
「はい。これが約束のブツね」
「これは……DVD?」
「うん。昨日開催されたロックフェスでわたしのグループ――moment’sがライブをやったんだ。そのときの映像よ。兄貴に撮ってもらったんだ」
「そうなんだ」
夏休みにあった、岩国市内で活動しているアマチュアバンドのロックフェス――アマチュア・ロック・フェスティバルin IWAKUNI。閑散とした商店街にある小さなライブハウスであった、若者たちの青春で彩られた日。
このディスクには、ネオたちmoment’sのひと夏の記憶が刻まれている。兄貴――麻倉広樹の協力により。
「ありがとう。早速見てもいい?」
「もちろんよ!」
実緒はすぐに勉強机に置いてあるパソコンをローテーブルに置き、起動し、ディスクを入れて動画を再生する。
真っ暗な会場の中で、ステージのセンターに立っている岩国総合高校の夏服を着ているネオにスポットライトが浴びる。その瞬間、観客の歓声が沸き上がる。
『みなさん、こんにちは――――――っ!! moment’sです! 今日は、このステージで、みんなが忘れないように、この瞬間を胸に刻んでやるからな! 準備はいいかぁ、しっかりついてこいよ―――――っ!! それではいくぜ! ワン、ツー、スリー、ワァ――――――ッ!!』
叫んだ瞬間、ステージが明るくなり、ネオの後ろにいる同じく総合高校の夏服を着た、みちる(ギター)、巧、健斗が暴力的な音を奏で、観客たちの耳に刺激をあたえ、彼らも負けじと『ワアアアアアアアアッ!』と一体となって絶叫した。ネオたちのライブが今、始まった。
――実緒は一つ一つの曲ごとにネオの解説を受けながら、彼女たちの楽曲を楽しんだ。
有名なプロのアーティストのアップテンポな曲がうまく再現されており、moment’s独自の楽曲も、彼らが伝えたい『前進』というキーワードのもと、風を駆け抜けるような熱い曲が溢れていた。
そして、
「じゃあここで一旦、おふざけターイム!!」
謎のコーナーの始まりに、観客たちは響く。
『どーしても、この舞台で自分のキャラをさらけ出したいというメンバーがいるので、くぁわりに歌ってもらうわよーっ!! なるお――――――っ!!』
『うおぉぉおおいっ!?』
あらかじめ決めていた演出ではないが、奥のドラムがある場所から、某有名お笑い芸人事務所が劇場でやっている舞台ばりのズッコケをなるお……いや、ナル男こと野上健斗。いつも演奏する時に巻いているバンダナがずれる。開場からぶわっ! と笑いが巻き起こる。
自分のことを『ナル男』と言われたのが気に障ったのか、顔を赤くしながら大股開きでネオの下へと行き、
『本番中にそれを言わないで下さいよっ!』
ネオが持っているマイクをぶんどり、ボーカルの位置へと立つ。逆にネオは、奥にあるドラムの席へと座る。
健斗はマイクを叩き、調子を伺う。
すると、目の前にいる女の子たちから、
『ナル男――――っ!!』
『うるせぇ!』
マイク越しで健斗がツッコむ。
「ボーカル、ネオちゃん以外にもいるんだ……」
その映像を見て、ポカーンと口が開く実緒。
「うん、わたしは未だに納得できないんだけどね」
怪訝な顔つきで映像を見るネオ。
「何かあったんだ」
「うん、あったの」
――それは、ロックフェス開催一週間前のこと。
「だーかーらー! アニメソングには、J-POPとは違う魅力があるんスよ!」
「魅力、ねぇ……」
ネオはうーん、と呻くように考え込む。
――だめだ、やっぱり理解できない。アニソンの魅力。
こいつにボーカルをやらせたのは間違いだったのでは、と思う。でも、入部前にカラオケ」で聴いた声が良かったから文句は言えまい。
「わたしはミニコンサートでやっている曲のほうがいいんだけどねぇ……」
「アニソンには、それしかないパワーが宿っているんですよ! ハイテンションにさせたり、J―POPにはない独特な曲調! そして、負けず劣らず、アニメから引き出された、現代に問うダイレクトなメッセージ性! 水木兄貴曰く、『アニソンには勇気や夢や希望や正義など、人間が忘れてはいけないものがたくさん揃ってる』んですよ!」
「『ゼット!』の人がそう言ってもなぁ。わたし、わっかんないし……」
その一言に、どんだけもったいないことをしているんだこの人、と健斗は心の底から思う。
「うー、みっちぃ先輩ぃー」
泣きそうな呻き声をあげながら、隣にいるみちるに懇願する。彼女は、ネオに説得して健斗に歌うチャンスをくれた、唯一の救世者なのだ。
「そうだなあ……」
みちるは顎に手を置き、目を瞑る。そして、十秒も立たないうちに、何かを決断したように、パチッと目を開いて顎から手を離し、
「ネオ……やらせようよ!」
「みっちぃ先輩!」
みちるの決断に、健斗は目を輝かせる。
「ほ、本気で言ってるの?」
唖然とした顔でみちるを見つめるネオ。
「本気だよ。ここまでコイツが言うんなら、好きにやらせた方が今後のためにもなると思うよ。ここで断って、今、『俺、部活やめるっス!』とか言われても困るし。それにあたしも、」
そして不敵な笑みを浮かべ、
「アニソンを演奏することに、興味がある。面白そうじゃないの!」
ふふん! と鼻で笑った。
「ま、マジ……?」
「これもmoment’sに必要だってことよ」
ふふん、とほくそ笑み、ネオの両肩を叩く。
「……というわけで、文句を言ったら……」
鉛が乗っているかのように、グッ! とみちるの両手が肩に重くのしかかる。
これはもう逆らえまい。部長はわたしなのに……。
「わ、わかったわよー……だったら、健斗! そんなに自信があるのなら、恥を覚悟で本気で歌ってもらうからね!」
「言われるまでもねえっス! やってやりますよ!!」
「こいつ、ものすっごいナルシストなのよ」
「そうなの?」
「見たらわかるわよ」
そんな風には見えないけど……、実緒はパソコンに映っている映像を見つめる。
ネオの真後ろ――ドラム担当の野上健斗がセンターに立ち、ドラムのところにネオは座る。このためだけに、必死に練習してきた。指導者がセンターに立っている生意気な後輩だということが、どこか釈然としないが。
映像の健斗は観客に向かって指を差し、
『いいかぁお前ら! リーダーからナル男とバカにされたが、そうはいかねぇ! 念願かなったオレ様の魅惑のヴォイスで、甘い楽園へと誘ってやるぜえぇぇぇぇ!!!!ウワ――――――オ!!!!』
と全力でシャウト。
観客も大声でそれに応える。
『リーダーに説得に説得しまくってつか(つか)んだ、俺が愛してやまないアニメソングとその良さを、moment’sロックで表現してやるぜ――――――っ!!!! いくぞぉ! みんなも知っている今話題の人気アニメ、世紀末美少女ポパイちゃんのオープニングより、恋に恋してノックアウトオォォォォォオオ!!!!』
ネオの叩く小刻みなドラム音から、曲がスタートする。
よく知っているなぁ……、盛り上がっている八割の学生たちに無言のツッコミを入れ、ネオはドラムを練習通りに黙々と叩く。アニメ知識のない自分は、蚊帳の外にいるような気がした。
センターにいる健斗は、これがやりたかったんだよ! と言わんばかりのハイテンションでアニソンを歌う。
しかし、見事な歌いっぷりにネオは改めて心の中で、認めたくはないが
「すご……」と思った。
明らかに女性ものの曲であるが、高い音域をものともせず平気な顔で楽しく歌っているのだ。さすが、中学のときにもバンドを組んで、文化祭をアニソンで盛り上げただけのことはある。あのアニソンの帝王も驚くに違いない。
『――君にノックアウト、ノックアウト、ノ――――クゥ、アウトォ――――――ッ!!!!』
空に向かってシャウトし、楽園の終幕を告げた。
うお――――――っ!! と観客の叫び声が響く。
その声に、健斗はすがすがしい表情で、
『この楽園、楽しんでいただけたかな?』
左目をウインクし、左手の指で銃を作り、観客に向かってパキューン! とギザなポーズをとる。
その姿に男子たちは、『いいぞ――――――っ!!!!』や『ナルシ――――――!!!!』と賞賛(?)が、逆に女子生徒からは『キモ――――――い!!!!』とか、『こんのナル男―――――――っ!!!!』とか言われ放題だった。
ナル男発言した女子たちに向かって『その名で言うな!』とツッコミながらも、満足気な表情でネオと席を交代する。この舞台でアニソンが歌えたことが、相当嬉しかったのだろう。
そんな彼のパフォーマンスに、
「……ナルシストだね」
実緒も納得。
映像のネオがセンターへと戻り、最後の曲に入る前にメンバーを紹介し、一人ずつパフォーマンスを行う。
健斗のドラム、みちるのギターと続き、
「さあ、ここからが見どころだよ」
ネオのテンションが高くなる。そりゃあ、そうだ。まさかあの男がこんなになるとは思いもしなかったのだから。
『ベース、巧!』
すると、巧はステージのギリギリまで前進し、目の前にいる女子たちに己のベーステクを見せつける。そして、ベースを高く上げ、激しくかきならす。
一人だけスポットライトに当たっているせいか、生まれつき持っているそのイケメンな容姿が、女子たちの目に留まってしまい、『キャア――――ッ!』と叫ぶ。
そんな汗を散らして一生懸命ベースをひいている輝くイケメンのワンマンステージに――見たこともない一面に、ネオたちは目も、身体も止まってしまう。
――コイツ、ステージに立つと性格変わるんだ……。
プロのアーティストの何人かは持っている二面性キャラが、すぐ近くにいたとは。
「か、かっこいい」
実緒も思わず見とれてしまう。
「すごいでしょ……後輩のくせに。こいつ、普段は全然喋らないのよ。イケメンでもたいしたことないなーと思ってたけど、ライブになるとこれなんだもん……」
ほんと、いつでもこのキャラでいてほしいと思う。
「この子、すごい人気ありそうだよね」
と実緒。
「うん。ライブが終わった後、わたしたちが楽屋が出てきた瞬間、タッくん――巧のことね、彼に会うために女の子たちが待っていたんだよ。それがすごくてさ、100人くらいいたと思うよ。『巧様――――っ!!』って囲んじゃって。アマチュアバンドでは異例だよ。まあ、党の本人はスイッチオフしちゃったからものすごく動揺してたけどね。あーあ、助けるのに骨が折れたわ」
「そう、なんだ」
トントンと肩を叩くネオに、実緒は苦笑いを浮かべる。
「まあ、あいつのおかげで、わたしたちも名が売れそうだし、良いことづくめよ。わたしも頑張らないとね。じゃあ、ラストの曲に入るわよ! 実緒に一番聞いてほしいオリジナル曲よ」
巧のパフォーマンスが終わり、
『それじゃあ、行くわよ! これがラストの曲、run through!』
4人にライトが照らし出される。みちるのギターから入り、ネオが歌い始める!
『今日もやるせない 中途半端な生活
陰口ばかり気にしているよ
分かっているのに 心はどしゃぶりの雨
そんな自分が大っ嫌い
こんな想いをしているのはわたしだけ?
テヲニギッテクレマセンカ
さあ行こう 立ち上がろう
誰もが苦しむ その未来へ
立ち向かう壁は同じさ
理想に向かって ぶっこわそう
夢に向かってrun through!
「でもやっぱり……」と耳を塞ぎこむわたし
足もとまってしまったよ
殻が破れず ビジョンが見えない
そんな自分が大っ嫌い
わたしに未来を選ぶ権利はあるの?
オシエテクレマセンカ
さあ行こう 前を見よう
だれだってあるさ そんな不安
知らない自分に会いに行こう
みんな一緒さ 熱い鼓動をさらけ出そう
新しい自分へ run through!』
間奏に入り、みちると巧が前に出て力強くかき鳴らす。ギターとベースの圧倒的なパワーに、実緒は自分が前に押されているような感覚になる。未来の自分に向かって。
間奏が終わりに差し掛かり、ネオが再び前に出る。
『光をその手につかむまで 走りつづけろ
果てなき道に進むのは一人じゃない
だから……
さあ行こう 立ち上がろう
誰もが苦しむ その未来へ
立ち向かう壁は同じさ
理想に向かって ぶっこわそう
さあ行こう 前を見よう
だれだってあるさ そんな不安
知らない自分に会いに行こう
みんな一緒さ 熱い鼓動をさらけ出そう
夢に向かって
新しい自分へ
空に向かって
run run run through!』
ネオが最後までしっかりと歌い上げ、フィナーレへと向かう。曲の終わりにドラム、ベース、ギターが狂乱的にまで音をかき鳴らす。両手を突き上げたネオに習って、客席も突き上げ『わああ――――――っ』と大音声に負けじと精一杯シャウトする。
『みんな―――っ、今日はありがと―――――う!』
マイクを両手で強く握りしめ、ネオは振り絞った声で感謝の言葉を伝える。そして、再び両手を突き上げ、三人とアイコンタクトで意思疎通を交わす。
音のタイミングに合わせ、勢いよく両手を振り下ろした瞬間、
ドオ――――――――――――――ン!
――ネオたちのステージが幕を下ろした。
『ワアア―――――――っ!』
観客の歓声と拍手が止まぬそのステージに、実緒はずっと見ていた。
ネオたちが輝いた、その舞台を。
「すごいね。プロのアーティストみたい。自分もあのステージ立っているみたいな感覚だったよ」
実緒の賞賛にネオは、
「そ、そう?」
少し照れた表情を見せる。
「うん、本当にすごいよ。ネオちゃんがこんなに歌が上手だなんて、びっくりしちゃった。歌詞や曲の激しさによって、こんなに表現できる人ってあまりいないよ! カラオケとかで練習しているの?」
「うん。あんまり人には言わないけど、週三回はカラオケショップで歌っているし、ボイストレ―ニングの本も買って、わたしなりに努力してるよ」
そんなネオの一面を見て、
「すごいなぁ。こんなに努力しているなんて……私なんか全然だよ」
「いやいや、実緒と比べたら全然……」
「違うよ。真っ直ぐで、必死に夢に向かって……ネオちゃんが羨ましい」
実緒は肩を落とし、
「私なんか、いつも不安に押しつぶされっぱなしだもん。部員のメンバーにもバカにされるから……だから、そんなネオちゃんが、羨ましいよ……」
泣きそうな低い声音で、床をじっと見つめる。その姿が自分の才能に悲観しているように、ネオには見えた。
だから、
「あ、あのねえ、実緒……」
悄然としている彼女の肩を叩く。
「そんな些細なこと、ほっときゃあいいのよ! わたしもそうしているよ」
実緒は、ネオのまっすぐな表情を見つめる。
「自分の好きなことなんでしょ? だったら前を向いて、とことんまで足掻いて、自分が納得できるところまでやらないと!」
「自分が、納得できるまで……?」
「そうよ! バカにされたっていいのよ! そういうコンテスト? に何回も堂々と参加すりゃあいいのよ! 大切なのは夢を諦めないこと! その意志があり続ける限り、奇跡は起きるわ! どんな道を辿ったとしても、最後には夢が叶う! わたしは、そう、信じる」
「ネオちゃん……でも……」
胸が苦しい表情で俯く実緒。
「大丈夫! わたしがついているから! ね!」
「え?」
実緒は顔を上げ、ネオがウインクしている姿を見つめる。
「道が違っても、夢に向かう情熱は……絶対に同じだわ! みんながみんな、夢が違うのは当然だよ。だけど、『叶える』というゴールへの道は、夢を持っている人すべての、共通のゴールだわ! わたしも実緒もその途中にいる。だから、一緒に行こうよ! そのゴールへ! お互い悩みとか、打ち明けながら、協力して目指していこうよ! run throughだよ!」
「ネオちゃん……」
首を少し傾けて笑う彼女が、実緒には救いの手を差し伸べる天使のように見えた。
少し楽になった気がした。
「だ・か・ら! 見せて!」
「ええっ?」
実緒の鼻がくっつきそうなところまで迫るネオ。
「約束! したでしょ! わたしがこれを見せたんだから、あんたも早くみ・せ・て!」
「は、はいっ!」
ドアップのネオのご立腹ぶりにビビったのか、実緒は慌てて机の上にあるファイルを取る。勢いよくペラペラとめくっていく。
「あ、あった! ……はい」
ファイルからA4の画用紙を取り出し、ネオに見せる。
「ありがとう。どれどれ……おおー……!」
感嘆の声が漏らしながら、手に取った実緒のノートを見つめる。
「ど、どう……」
実緒は顔を赤くし、もじもじしながら身体を左右に揺らす。
「すごい……すごいよ! わたしたちらしいよ!」
「ホントに?」
「うん!」
ネオは頷き、お腹いっぱいの表情をみせる。
それは、夏休み前にネオが実緒に頼んだ通りの絵だった。
女二人と男二人がバンドを組んで歌と曲をかき鳴らしている姿――センターでマイクスタンド持って叫んでいる、髪のポニーテールを半袖カッターシャツと黒とギザギザな黄色い横縞模様のミニスカート。白のソックスに赤いコンバースのスニーカー。
彼女の右上にいるのは、センターにいる女子と同じ服装だが、漆黒のストレートパーマを揺らして、エレキギターを奏でている。
左上は前髪を左右に分けた半袖カッターシャツと黒のズボンを穿いた、クールでイケメン顔の男子が、淡々とエレキベースを弾いている。
そして最後に、ギターとベースの二人の間に入るように、ドラムセットの前に、スティックを持ってウインクしながらキラン! と白い歯を輝かせている、ナルシストな白いバンダナの男がいる。
そう。実緒が描いたのは、ネオ、みちる、健斗、巧――moment’sの面々だ。ネオ以外の三人のことは、ネオが特徴を教えてあげた。完璧に特徴をつかんだものに仕上がっている。まだ、線画ではあるが。
「これでさらにアピールできるよ! あとはこれを塗るだけだよね?」
「うん。白黒で塗ろうと思うけど、どうかな。縁取るからひとりひとりが目立つと思うんだけど……」
「実緒が思うなら、それでいいよ」
「えっ、いいの?」
「わたしは実緒の慣性を信じているから!」
ルンルン気分で答えるネオ。このテンションは、一日中続きそうだ。
「あ、ありがとう……はあーっ」
実緒は、ものすごく喜んでくれたことに一息つき、空気が抜けたかのようにへたりこむ。
そんな彼女を見て、
「もう、大袈裟なんだから」
ネオは苦笑する。
「だ、だってぇ……」
じ、自信が、と実緒は小さく呟く。
「もう、卑屈なんだから……いい、実緒!」
ネオは立ち上がり、胸を当てながら、
「少しは自信を持ちなさい! 実緒はできる子なんだよ! 少なくともわたしはそう思っている! 卑屈になってたら、前へと進めないわよ! 恐れる必要なんてない!」
仏のように、実緒に道を指し示す。
「わたしだって、同じよ! 不安も少しはあるわ! でも、わたしには認めてくれる人がいた。才能を認められることって、本当にすごいことなんだよ! そういう友達や人が少なからずいるってことは、前に進んでる証拠! わたしはもう実緒のファンだよ! あんたを認めてるんだよ! 応援しているんだよ! 進んでいるんだよ! 頑張ろうよ!」
胸に置いた右手を力強く振り払う。
黙ったまま、実緒はネオを見つめる。本当にこの人は真っ直ぐだ、と心からそう思う。そして、勇気をくれる。
「だから、勝手かもしれないけど……わたしは、実緒のことを同じ夢を目指す『親友』で、ジャンルが違っても、『ライバル』だと思っているから。負けないわよ!」
「ええっ!」
勝手に宣戦布告するネオに、動揺する。
「なによー、嫌?」
むー、と実緒の顔を覗く。
実緒は顔を横に振ってみせる。
「う、ううん。イヤじゃないよ。ただ……」
「ただ?」
「私のことを、こんなに……」
涙が一滴、こぼれる。
大人しい性格だからなのか、今まで共に喜怒哀楽を分かち合える本当の『友達』と呼べる存在がいなかったのだろう。ネオに出会うまでは。
それが涙として、集約された。悲しいのではく、嬉しいのだ。
「ちょっ、ちょっと、実緒!」
泣いている彼女に、ネオは慌てふためく。
「わ、わたし、な、何か傷つけるようなことを言った!?」
「ううん。違うの。嬉しくて……」
大粒の涙がポタポタと白のカーゴパンツを滲ませる。
「もう、可愛い顔が台無しになっちゃうよ」
ネオは微笑みながら、ポケットにある水色のハンカチを取り出し、実緒の涙をやさしく拭いた。
――ひとり、じゃないよ。
※※※
――そしてネオは、新たにできた親友のこと――駅前にあるデパートで買い物したり、夢を語り合ったことや、お互いに悩みなどを打ち明けたりしたことを三人に話した。
「へぇー、やるじゃない」
とみちるが感心する。
「やっぱり、あんたはすごいね」
「単に先輩のことをおせっかいだと思ってるかもしれないっスけどねー」
みちるの褒め言葉の裏に隠された気持ちを代弁しているかのように、健斗が悪戯っぽい笑みを浮かべて茶化す。
そんな彼にネオはすかさず後頭部を、
パッコ――――――ン!
「いってぇー……」
みちるほどではないが、脳を抉られるようなゲンコツを喰らい、健斗は頭を抱える。
「まったく!」
フン! とネオは鼻息を鳴らす。
しゃがみこんでいる健斗の頭を撫でるみちる。
そんな二人をスルーするように、
「本当に、すごいですよ、ネオさん」
巧が話に入ってくる。
「そう?」
「は、はい。俺には、こんなこと、とても……」
自分を見つめる彼女の表情に思わずドキッとしたのか、巧は床を見てしまう。
「そう? わたしにとっては当然のことをしただけなんだけどなぁー」
三人に「すごい」と言われたことに、ネオは微苦笑して見せる。
「それができるからすごいんだよ。普通ならそういうことはなかなか言えないよ」
みちるが立ち上がる。
「それにしてもこの子、いや、竹下さんにこんな特技があるとはね。美術家とか、何かを目指しているの?」
「うん。彼女、漫画家になりたいの」
「なるほどね。道理で美術の教科書みたいな、古臭い絵じゃないってわけね」
もう一度見せて、とネオに頼み、ネオの自画像をまじまじと見つめる。
「で、わたしの勝手でお願いしたんだけど……この同好会をアピールするためのポスターを、今、描いてくれているんだ」
「ええっ!?」
マジっスか! と痛みから復帰した健斗がサッ! と立ち上がる。
「それって、俺ら全員が入っているってことっスか?」
「当然でしょ。わたしが特徴を教えたら、それはもうそっくりに描いてくれて」
「そ、そっくり……」
現実の自分をリアルに描いているのではと考え、絶句する巧。
「……タッくん、何もそこまでリアルじゃないわよ。ファイナルファンタジーじゃあるまいし。ていうか第一、ゲームみたいにCGで描かないわよ」
巧の考えていることを見透かすようなツッコミを入れる。
「ちゃんと漫画にでてくるようなキャラになっているよ。あとはカラーを塗るだけだから、期待しててね」
ふふっ! と笑みをこぼしながら、ネオはウィンクして見せる。
「おお、それは楽しみだね」
「オレのカッコよさを際立たせてくださいよ」
「……ま、待っています……」
みちる、健斗、巧の順にそれぞれ期待を寄せた。
そのことを実緒に伝えなくっちゃ! とネオは内心思ったが、
「うん……でも、ちょっと……」
いきなり、気難しい顔に方向転換する彼女に、三人は、ん? と目を丸くしながら見つめる。
「まさか、これだけ期待しといて、『実はウソでしたー』とか言うんじゃないだろうね。エイプリルフールはとっくに過ぎているんだけど」
みちるが目を細める。
ネオは慌てて両手を開いて左右に振り、
「ちがう、ちがう! ただ、気になることがあって……」
「気になること……?」
うん、とネオは頷き、普段見せない真剣な表情を見せる。
「最近気づいた違和感なんだけど、最近、表情が暗くなっているような気がして……」
「暗い?」
首を傾げるみちる。
「夏休みは、ものすっごい明るかったの。テンションも高かったよ。ところが、学校が始まってからの昼休み中の実緒は、明るいんだけど、どことなく暗くて……それが、だんだん目に見えてきて……う~ん、わたしの思い違いなのかなぁ……」
ネオは腕組みをして天井を見つめる。
「まあ、確かに元気なくもないような気もないけど……」
みちるも顎に手を当てて考え込む。
そう見えるんだよ、とネオははっきりと言える。
休み時間や昼休みに会話するときも、日に日に気が沈んでいるような……空元気で無理に笑っている表情を作っているようには見えたし、授業中もしゅんとしていて、度々、先生の質問に答えられなかったり……彼女らしくもないのだ。
そして今日も、だ。
下駄箱で別れるとき、
『また明日ね! 実緒!』
『う、うん。また、ね』
表では明るく見えたが、歯切れの悪さに裏側にある重く、暗い表情がネオには見えた。まるで、「別れたくない」と心の中で訴えていたような……部活で何かあったのだろうか。
「うー、気になるなあー」
頭を抱えて項垂れるネオ。
仕方がないのだ。友達のことになると、どうしても本気で気になる。
「こういうときって、わたしから聞くべきなのかなぁ……?」
「大丈夫よ」
みちるがネオの前へと出る。
「そんなに仲良くやっているのなら、楽しいと思っているわよ。寂しいんじゃないの?」
「だといいんだけど……」
「まあ、人間、誰にだって言えない悩みの一つや二つはあるからね」
「うーん、でもなあ……」
精一杯の作り笑顔っぽかった実緒の表情が、ネオの脳裏に焼き付く。
とにかく、煮え切らない気持ちでいっぱいなのだ。
「誰にだって、言えない事はある」というみちるの言葉も理解できる。でも、吐き出すことでスッキリすることだってあるはずなのだ。そのための友達なんじゃないのか、とも思う。
――本当に黙って見守るべきなのか。
「ネオ、心配し過ぎだよ」
ネオは右肩を優しく叩くみちるを見つめる。
「そんな風に考えることは良い事だけど、言いたくない事まで踏み込んで『話してよ!』と押し付けたら嫌われてしまうよ」
『嫌われる』という言葉に、ネオはビクッ! と背筋に電撃が走った。
「そ、そう?」
「そう! 世の中近づ離れずの距離で語り合うのが一番! ずんずん前に出たら、逆に言えなくなるし、無神経って思われてしまう。友達付き合いも駆け引きが重要だよ。大丈夫さ。時が来れば、そのうちあっちから悩みをぶつけてくるよ、きっと」
「そう言われると、確かに……」
みちるの言い回しに、自然と納得してしまう。
「よし! 分かったんなら堅苦しい話はもうおしまい! あーあ、活動開始から五〇分も経過して、日も落ちちゃったよ。誰かさんのせいで」
みちるは踵を返して、定位置にあるエレキギターのケースを開く。
嫌味っぽくみちるに言われて、
「うっ……悪かったよ……」
そこは責任を感じたのか、ネオは素直に謝る。
「健斗も巧もすぐに準備をする!」
二人もみちるの指示に「うっス!」、「はい」と、自分の定位置で準備を始める。
「今日は総合祭で歌う楽曲の音合わせをするんだから、本番だと思ってやるように! 特にネオ!」
ビシッと、黒いエレキギターをストラップで吊るして左肩にのせた状態で、右手の人差し指で、ネオの顔を差す。
「え? わたし!?」
思わず右手の人差し指を自分に差す。
いやいやわたし、準備OKなんですけど。
「そう! 竹下さんの事を考えるのはいいけど、リーダーらしくきっちりやってよ! あんたが元気じゃないと、ウチらはなーんにもできないんだから!」
ああ、そういうことか。
みちるなりの気遣いに内心感謝しながら、
「わかっているわよ!」
と強気で、威張った態度を取る。
――うん。みっちぃの言う通り、信じよう。わたしと実緒は『夢』を追いかける親友だもの! 大丈夫!
親友になる以前から、実緒のことは信じているのだ。ここで信じないでどうする。わたしらしくもない。
ネオは開き直り、準備ができた三人に向けて、いつものハイテンションな声で、
「よぉーし! 今日も爆音で夜を明るく照らすわよ!!」
「「「おおーっ!!」」」
部員達はネオの大声で盛り上がる。
そして、練習という名の夜の宴が今日も始まった。
――総合祭まで、あと二週間と三日。
※※※
「ふう……」
落ち込んでいるような表情で、専門教室棟の階段を歩く実緒。
やはり、相談した方がよかったのだろうか。いつも応援してくれる彼女なら、力を貸してくれただろうか。
いや、これは自分の問題だ。人に助けられても、結局は自分が解決しなければ意味がないのだ。せっかく、彼女は目標とした夢舞台へと立てるのだ。こんな大事なときに、巻き込むわけにはいかない。
気がつけば、美術室の前にいた。
「お疲れ様です」
実緒は中へと入る。
部員達は実緒を一瞥すると、声もかけずにすぐに顔をそらし、それぞれ作品の制作に向けて準備をしていた。まるで、「竹下さんの居場所はここにはない」と背中で言っているように見える。
部員達の素振りに、実緒は苦しそうな表情で窓際においてある白い布がかけられているキャンバス――自分の座席へと向かう。
席に座り、布をとる。
すると、
「!」
――実緒の頭の中が真っ白になった。