「存在」を望んだ少女 6
「……つ、疲れた」
昼休み、私はかつてない疲労感の中に沈んでいた。
ホームルームが終わってから今に至るまで四時限授業を受けたのだが、どうしてかその全てで先生に当てられることになったのだ。
ここまで行くと、もはや神様の力というよりは、呪いに近いんじゃないか、と思いたくなるレベルで。
「大分こってりと絞られてたわね〜。ほら、これあげるから、元気出しなさい」
「ありがと……」
紅音に手渡されたジュース缶のプルタブをさっさと引いて、一気に中身をあおる。疲れた身体に炭酸の刺激と糖分の甘みが染み込んでいくのを感じながら、私は深々と息を吐いた。
「ったく、何なのよあの教師陣。私が何かしたかっての、こんちくしょ〜!」
「確かに、あれはないわよねぇ」
疲労のあまり、若干オッサン臭いことを言っている私に、紅音は苦笑する。
「アンタ、本当になにもしてないのよね?」
「してないよ……何で私ばっかり……」
実は思い辺りが無い訳ではないのだが、紅音に言うには早すぎるし、人目もある。昼食時で騒がしいように見えて、人は自分たちのグループ以外の会話も意外と聞いているものだ。
「ま、とりあえずお昼にしようよ。今日は当番なんでしょ?」
「あ〜、そうだった……」
私は図書委員をしているのだが、今日に限ってカウンターで貸し借り作業をする係が当たっている。神様からもらったこの能力がどこまで適用されているのかはわからない現状、カウンターに立つのは色々と抵抗がある。
人の意識を自分へと引き寄せる力。
聞こえは相当良かったものの、今のところデメリットしか見えてない。弁当箱を机の上に出して、紅音と机をくっつける。溜め息をつきながら箱を開けた。
「あ、あれ……?」
箸が無い。確かに入れたはずなのだが……。
「どうしたの、彩花」
「箸、忘れたみたい……」
グッタリと机に突っ伏す。今日は本当に良いことなしだ。だが、そうやってふて腐れていても、状況が好転しないのは経験から痛いほどに理解している。
「食堂で箸もらってくるね」
「ん、それじゃついでに飲み物買ってきてもらって良い?」
「わかった」
紅音に手渡された小銭を手の中で鳴らしながら、食堂への道を小走りで駆ける。大分急いだのだが、それでも食堂は人でいっぱいだった。
(うわぁ……メンドくさ)
箸を取るにもジュースを買うにも一苦労しそうだ。とは言え、ある程度予想していたことでもあるので、諦めて列の後ろに並ぶ。すると、そんな私の姿を見て苦笑している優也がいた。
「よう、彩花。珍しいな、お前がここに来るなんて」
「箸忘れたからもらいに来たの。優也は一人?」
「違うよ」
言いながら、優也は自分の前を顎で示す。その方向を見た途端、私は自分の鼓動が跳ね上がるのを感じた。
優也の前にいたのは、上津玲也という少年。
バスケ部のキャプテンであり、成績も優秀。自他両方に厳しいキャプテンとして知られているが、誰よりも努力を積んで実績を上げているので、後輩や同期にも信頼されている。
また、バスケを始めれば素晴らしくキレのある動きを見せるのに、日常生活では何かとドジな面も多く、そのギャップがより多くの人間を引き寄せていた。
私が彼を知ったのは、高校一年生の春だった。
入学当初から、私はバスケ部に所属しようと考えていた。特にこれといった理由はない。ただ、中学校の時に授業でやって、一番楽しかったのがバスケだったから、というだけのことだ。
そんな、何となくの気持ちで仮入部をして、彼に出会った。
そして、その瞬間に恋をした。いわゆる、一目惚れというヤツだろうか。
何せ彼はめちゃくちゃカッコ良いのだ。特にいじっている訳でもないのにハネ気味なつんつんの髪、細身であるにも関わらずがっちりと鍛えられた、バスケットマンであることを主張する体躯。
女子と見紛うほどに整った顔立ちに、鷹を意識させる鋭い目。
女子だけでなく、男子でさえ憧れるほどの、イケメン。
普通ならとっくに彼女がいてもおかしくはないのだが、彼はバスケ一途で誰にもなびくことがなかった。
かくいう私も、どうにかして彼と一緒に練習しようと努力していたりしたのだが、男女の差以上に実力の差がありすぎて、そもそも相手にすらされていない。
そういう訳で、同じ部活に所属していて、しかも二年生からはクラスも一緒とわりかし近い位置にいるにも関わらず、一切眼中に入れられることなく今日に至っている。
(あ、でも今日なら……)
そう、今なら。
神様の力をもらい、人への意識をこちらへ向けやすくなっている、今なら。
「あの、玲也君!」
名を呼ぶと、玲也君はゆったりとこちらを向いた。
バスケをしているときの射貫くような視線と違って、普段は眠たそうな半眼をしている。そのギャップもまた、恋する乙女にとっては愛しいものだ。
「……何」
「今日の練習メニューって何だったか、覚えてる?」
「ランニング、シュート練、ディフェンス練、3on3、1on1、試合だろ」
「あ、ありがと」
尋ねたら、心底面倒臭そうな口調で、しかし一切の淀みなく答えてくれた。お礼を言うと、興味を失ったように(実際にないのだろう)、再び前を向こうとする。
だが、ここで退いたら、わざわざ話しかけた意味がない。玲也君が向き直る前に、私は続けて言葉を重ねた。
「そ、そう言えば、今日は何を食べるの?」
「天ぷらうどん、肉トッピング。いつもそれ」
「いつも!? 飽きないの?」
「別に。腹がいっぱいになって、練習まで保てば、それで良い」
「玲也は食うよりも、その後の昼練の方が大事なんだよ」
な? と優也が確認すると、玲也はゆったりと頷いた。
この二人は今年初めて同じクラスになったにも関わらず、どうしてかかなり仲が良い。二年間同じクラスなのに、一切腹を割ってくれない私からすれば、羨ましい限りだ。
「優也、さっさと行くぞ。食ったら、相手しろ」
「はいはい。じゃ、彩花また後で」
「あ、うん。また後で……」
そう言ってさっさと去っていく玲也と、慣れたようについていく優也に、内心で半泣きになりながら手を振る。
いや、わかってるよ?
私に対する彼の好感度なんて、ゼロだって事はよく知ってるんだよ?
ただね、そうとは言ってもね、あからさまに興味がないって扱いをされたら……ね?
(……辛い)
どんよりとした空気を纏いながら、私は食堂のおばちゃんにお金を払ってジュースを受け取り、箸をもらった。
あまりに暗い雰囲気だったせいかおばちゃんが何か言いたげに口を開いていたが、何を言われても辛いので、私はそれを無視して食堂を出た。
ていうか、この能力殆ど役に立っていないじゃないか。
先生とか紅音にはさっさと気付かれたのに、肝心の彼には全く届いていない。確かに『存在感を増やしてほしい』という願いは叶っている。けれど、こんなんじゃ、何の意味もない。
「お帰り、ってどうしたの彩花!?」
「あはは……ちょっとね……」
ジュースを渡すと、紅音がひどくうろたえたように聞いてきた。
私はそんなにひどい表情をしているのだろうか。ふと気になって手鏡を覗いてみると、両目から生気の抜けた目で見返してくる少女がいた。
溜め息が、自然とこぼれ落ちた。
次の投稿は、十一月の頭を予定しています。