校正者のざれごと――ピー音による自主規制と『ムカエニキテ』
私は、フリーランスの校正者をしている。
午後、部屋で仕事をしていると、外から下校中の小学生の元気な声が聞こえてくる。近くには小学校があり、家のすぐそばの道路が通学路になっている。
「ザラメが溶けてゲロになりそう。ボンッ!」
小学生男子の大きな歌声が聞こえた。数人で楽しそうに通り過ぎていく。米津玄師さんの『IRIS OUT』という歌の一節だ。人気のアニメ映画の主題歌になっている。
この曲について、おもしろい記事を見かけた。飲食店などでこの曲が流れてくるとき、歌詞の「ゲロ」の部分に「ピー音」が入っているというのだ。店に流れるBGMは有線放送の場合が多いが、このピー音はUSENが入れたものではなく権利元であるソニー・ミュージックが自主的に入れているという。確かに飲食店で流す歌詞としてそぐわないかもしれないが、ピー音を入れることでかえって変に意識してしまうような気もする。
小学生男子はただ何気なく歌っていたのかもしれないが、このように大人は思わず眉をひそめるような言葉を、子どもたち、とりわけ男子はとにかく喜んで使う。
そこでふと頭に浮かんだのが、あの大人気の学習教材「うんこドリル」だ。
このドリルの編集に携わった人の話を読んだ。初めは「うんこ川柳」というのを作っていたらしい。そのとき、「うんこ」という言葉を使うだけでどうしてこんなに次から次へと川柳が浮かぶんだろう、と彼は不思議に思ったそうだ。数年後、それが漢字の学習ドリルというかたちで発信され、子どもたちに支持されていく。その魅力はたぶん、ふだんは使うと怒られるような言葉を正々堂々と使えること。この言葉の持つパワーだ。そしてそのパワーは、それを子どもたちに提供する親や先生たちも巻き込んでいく。
そして今回、こうして「うんこドリル」について書こうとして検索していたら、さらにすごいものを見つけてしまった。それは金融庁とコラボした「うんこドリル×金融庁」というサイト。NISAについての説明もしているという。解説担当はうんこ先生。ついにそんなところにまで進出していたのね。「うんこドリル」恐るべし。
ここまで何の躊躇もなく「うんこ」という言葉を書き続けてきたが、本来は文字にするときは「う〇こ」などと伏せ字にされることが多いと思う。伏せ字は広辞苑によると「印刷物で、明記することを避けるためにその字の箇所を空白にし、また〇×などの印で表すこと。また、そのしるし」とある。明記しない理由としては個人の特定を避ける、読者に不快な思いをさせないようになどさまざまだが、一部だけを隠すことで明記せずとも理解してもらいたい、察してねという思惑もある。
余談だが、私には高校生の頃から聞いていて大好きなシンガーソングライターの女性がいる。相曽晴日さん。高音がきれいで、ピアノの演奏もとても美しい。歌詞も魅力的なのだが、アルバムの中の曲を聴いていてふと気になる歌詞があった。それは『ムカエニキテ』という歌の一節。
ボクハ ヒトリキリ この部屋だけが僕を 守る全てだった
だけど この部屋は 僕の心の吐瀉物で もうこれ以上息もできない
この「吐瀉物」という歌詞がどうしても引っかかって、この歌にちょっと違和感を覚えていた。こんな言葉を、歌詞に使うのはどうなんだろう。
でも、何度も聞いているうちに少し考え方が変わった。聞き手に思いを伝えるには、時にはドキッとするような強い表現を使う必要があるのだろう。この歌の「僕」の苦しい思いは、この「吐瀉物」という言葉がなければ聞き手には伝えられないのかもしれない。
もうひとつ、初めて聞いたときに衝撃を受けたのが、中島みゆきさんのこの歌詞。
あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ
CMでも使われている『ファイト!』という曲の一節だ。耳に残っているのはきっとこの部分だろう。
ファイト! 闘う君の歌を 闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ
でも、この歌の歌詞を最初から全部読むと、ただ聞いた人の背中を押してくれるだけの曲ではないと感じる。サビの部分だけでは心に届かない思いが、曲全体から伝わってくる。圧倒的な世界観。表現の奥深さを感じる。そういった感覚は歌でも文章でも変わらない。
「校正者のざれごと」というエッセイを書き始めるとき、最初は「校正者のひとりごと」にしようかと考えた。もちろん、あの大人気の作品にあやかってのことだ。でもさすがに……まあ、そこは自主規制をして「ざれごと」に落ち着いた。「ざれごと」は漢字で書くと「戯言」で、これは「ざれごと」と「たわごと」の二つの読み方がある。どちらにしようか考えて、「ふざけて言う言葉、冗談」を意味する「ざれごと」に決めた。
そしてタイトルに「校正者」と謳っているからもう少し仕事についての某かを入れたいと思っていたのだが、今は年末進行(出版業界の風物詩)とやらに追われていて結局こんな感じになった。まあ、年の瀬ですね。なんてことを思いながら、そろそろ筆を置こうかと思います。では、また。




