第42章「侵入」
第42章「侵入」
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夕刻。
俺たちは、王城へ向かった。
セレスティア王女に——報告と、相談のためだ。
懐には、シルヴィアからもらった銀の耳飾り。
あの女との一夜の対価。
——考えるな。今は、それどころじゃない。
「神殿が、メルティアという女に支配されている……?」
王女は、眉を寄せて俺の話を聞いていた。
「メルティア……聞いたことがあるわ。性悪で人を操ることに長けた女がいると」
氷のような青い瞳が、俺を見つめる。
応接室には、俺たち三人と、王女、そしてメイドのエレナだけ。
「その情報は、どこから?」
「……協力者から」
また、嘘をついた。
シルヴィアのことは——言えない。
あの夜のことも。
「協力者、ね」
王女が、視線を細めた。
「詮索するつもりはないわ。——でも、あなた、何か隠しているでしょう」
心臓が、跳ねた。
「……何のことです」
「さあ。——顔色が悪いのよ、昨日から」
王女の目が、一瞬だけ——何かを見透かすように光った。
「問題は、その情報が正しいかどうか。——そして、どう動くか」
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「今夜、神殿に潜入します」
俺は、告げた。
「中にいる知人を——助け出したい」
「知人?」
「ミリア・ラベンダという、治癒師見習いです」
王女の目が、わずかに細くなった。
「……前に聞いた、あの見習いね」
立ち上がり、窓の外を見る。
夕日が、街を赤く染めていた。
「彼女が、メルティアに囚われているの?」
「まだ無事らしいですが……いつまで持つか分かりません」
「そう……」
王女が、振り向いた。
「私も協力するわ」
「え——」
「直接動くことはできない。でも、支援はできるわ」
その声に、わずかな温かみがあった。
——いや、気のせいか。
「神殿の配置図と、警備の情報。——エレナ、用意して頂戴」
「かしこまりました」
メイドが、部屋を出ていった。
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「潜入ルートは、二つ」
王女が、机の上に地図を広げた。
「正面からは論外よ。裏手の搬入口か、東側の窓から」
俺たちは、地図を覗き込んだ。
「搬入口は衛兵が二人。東側の窓は二階にあるけれど、警備が手薄だわ」
「二手に分かれた方がいいですね」
ティナが言った。
「陽動と、本隊に」
「そうだな。——俺が搬入口から入る。お前たちは東側から」
「逆の方がいいんじゃないか」
サヤが、渋い顔をした。
「搬入口の方が危険だろう。お前一人で——」
「だから俺が行く。陽動は派手にやった方がいい」
サヤが、何か言いたげに口を開きかけた。
だが——結局、飲み込んだ。
「合流地点は、ここ」
王女が、地図の一点を指差した。
「礼拝堂の裏手にある、小さな部屋。——普段は使われていないわ」
「分かりました」
「もし敵と遭遇したら、無理に戦わないで。——情報を持ち帰ることを優先しなさい」
「……はい」
「それと」
王女が、俺を見た。
「その耳につけている飾り。——精神防御の魔道具かしら」
ドキリとした。
懐に入れていたはずが——無意識に耳につけていたらしい。
「……ええ」
「どこで手に入れたか、聞かないでおくわ。——メルティアと対峙するなら、必要なものよ」
王女の目に、かすかな皮肉の色が浮かんだ。
「高くついたでしょうね」
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夜。
俺たちは、神殿の近くで待機していた。
月が、雲に隠れている。
闇夜——潜入には、絶好の条件だ。
「……行くか」
「ハル」
ティナが、俺の腕を掴んだ。
「気をつけてね」
「ああ」
「絶対に、無茶しないで」
ティナの目が、真剣だった。
その奥に——不安と、何か別の感情が見える。
昨日から、ずっとこの目をしている。
詰問されるかと思っていた。問い詰められれば、俺は何も言い返せない。
でも——ティナは、何も聞いてこなかった。
聞かないことを選んだのか。
それとも——聞きたくないのか。
どちらにせよ——俺には、ティナの目を真っ直ぐ見る資格がない。
「……行ってくる」
俺は、ティナの手から逃げるように——走り出した。
後ろで、ティナが何か言った気がした。
聞こえなかったふりをした。
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搬入口に、近づいた。
衛兵は、二人。
松明の明かりが、彼らの顔を照らしている。
(……どうする)
正面から行けば、見つかる。
かといって、迂回する時間もない。
俺は——懐から、小石を取り出した。
物陰から、衛兵の反対側に投げる。
カラン——と、音が響いた。
「何だ?」
衛兵の一人が、音のした方へ歩いていく。
今だ。
俺は、残った衛兵に忍び寄り——首筋に、一撃を入れた。
「ぐっ——」
衛兵が、崩れ落ちる。
もう一人が振り返る前に、《火球》を放った。
「がっ——!」
炎が、衛兵を包んだ。
悲鳴を上げる暇もなく、意識を失う。
「……よし」
俺は、搬入口の扉を開けた。
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神殿の中は、静まり返っていた。
廊下には、松明の明かりがぼんやりと揺れている。
人の気配は——ない。
(静かすぎる……)
背筋を、冷たいものが這い上がる。
嫌な予感。
——罠か。
王女から聞いた通り、礼拝堂の裏手を目指す。
廊下を進み、角を曲がり——。
「——待っていたぞ」
低い声が、響いた。
足が、止まった。
——体が、勝手に止まった。
廊下の先に——男が立っていた。
褐色の肌。
傷だらけの巨躯。
重厚な鎧。
腰には、大剣。
その存在感だけで、空気が変わる。
息が、詰まった。
「……誰だ」
声が、震えていた。
分かってる。震えてる。
でも——足が動かない。
「ふん……」
男が、ゆっくりと歩いてきた。
その足音が、廊下に響く。
一歩ごとに、空気が重くなる。
「お前が、冒険者か。——随分と早く来たな」
「……知っていたのか」
「ああ。——『泳がせておけ』と言われていたが、俺は待つのが嫌いでな」
男が、大剣を抜いた。
ずしりと重い金属音。
体中の毛が逆立つ。
本能が——叫んでいる。
逃げろ。
こいつには勝てない。逃げろ。死ぬぞ。
「俺の名は、ザルヴァ。——お前の名は?」
「……ハル・カーマイン」
「ハル、か。——覚えておこう」
ザルヴァが、剣を構えた。
「来い。——お前の実力、見せてもらう」
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瞬間——ザルヴァが、消えた。
いや、消えたように見えるほど——速い。
「——っ!」
体が、勝手に動いた。
考えるより先に、剣を抜いていた。
ガキィン——!
金属がぶつかる衝撃。
腕が、痺れた。
たった一撃で——体が、吹き飛ばされそうになる。
足が、床を滑る。
「ほう……受けたか」
ザルヴァが、感心したような声を出した。
「なかなかの反応だ」
反応じゃない。
体が——勝手に動いただけだ。
考えてたら、死んでた。
「……っ」
体勢を立て直す。
手が、震えている。
膝が、笑いそうだ。
——怖い。
素直に、そう思った。
今まで戦ってきた相手とは、何もかもが違う。
森で出会った魔獣なんかとは、比べものにならない。
これが——本物の強者。
「どうした? 来ないのか?」
「——《火球》!」
俺は、炎を放った。
考えるより先に、撃っていた。
ザルヴァは——片手で、それを払いのけた。
「魔法も使えるか。——だが、この程度では」
「《炎槍》!」
炎を纏った剣で、突進する。
怖い。足が竦む。
でも——逃げたら、ミリアを助けられない。
逃げたら——また、俺は——。
ザルヴァの大剣と、俺の剣が交差した。
ガキィン! ガギン! ガキィン——!
何度も、何度も斬り合う。
腕が痺れる。体が軋む。
一撃ごとに、押されていく。
「悪くない」
ザルヴァが、言った。
余裕の表情。遊ばれている。
「お前は強い。——この歳で、ここまでとは」
息が上がる。視界がぼやける。
「だが、まだ足りない」
ザルヴァの大剣が、横薙ぎに振るわれた。
俺は、剣で受けようとした。
だが——。
「——がっ!」
受けきれなかった。
剣が弾き飛ばされ、俺の体は壁に叩きつけられた。
「うぐっ……」
背中に、激痛が走る。
息ができない。
視界が、白く染まる。
──痛い。
──死ぬ。
──逃げたい。
全身が、悲鳴を上げている。
「……どうした? もう終わりか?」
ザルヴァが、見下ろしていた。
その目に——侮蔑はない。
むしろ——興味深そうな光が宿っている。
「まだ……終わって……ない……」
俺は、壁に手をついて立ち上がろうとした。
足が震えて、言うことを聞かない。
立てない。
でも——立たなきゃ。
ミリアが、待ってる。
ティナが、信じてる。
サヤが、背中を預けてくれてる。
——シルヴィアから、あんなものを受け取ってまで。
——あんなことまで、しておいて。
——ここで終わってたまるか。
「ふっ。その気概は称えるが……」
ザルヴァが、大剣を肩に担いだ。
「今日は、ここまでだ」
「……何?」
「殺せと言われていない。——『泳がせておけ』と言われただけだ」
ザルヴァが、背を向けた。
「お前は、まだ弱い。——だが、見込みはある」
悔しい。
悔しいのに——体が動かない。
立ち上がれない。
「鍛え直して、また来い。——その時は、本気で相手をしてやる」
ザルヴァが、廊下の奥へ消えていく。
俺は——動けなかった。
壁に寄りかかったまま、床にずり落ちていく。
……情けない。
情けなくて、涙が出そうだった。
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どれくらい、そうしていただろう。
「——ハル!」
声が聞こえた。
顔を上げると——ティナとサヤが、駆けてくるのが見えた。
「ハル、大丈夫!?」
「……ああ……」
「怪我してる——!」
ティナが、俺の傍らに膝をついた。
その顔が、すぐ近くにある。
心配そうな目。潤んだ瞳。
——こんな顔をさせて。
——俺は、何をやっているんだ。
「何があったの……」
「敵が……いた……」
「あたしたちも……」
サヤが、苦々しい顔で言った。
「銀髪の女に、やられた。——全く、歯が立たなかった」
「……そうか」
俺たちは——完敗だった。
誰一人、目的を果たせなかった。
ミリアを、助けられなかった。
「……撤退だ」
俺は、なんとか立ち上がった。
ティナが肩を貸してくれる。
その温もりが——今は、痛い。
「今日は……無理だ」
「うん……」
三人で——神殿を後にした。
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王城に戻り、王女に報告した。
「四天王……」
王女の表情が険しくなった。
「ザルヴァとリーシャ。——どちらも、魔王直属の配下よ」
「ご存知なのですか」
「名前だけはね。——まさか、神殿にいるとは思わなかったけど」
王女が、視線を落とした。
「メルティアだけでなく、他の四天王まで……。神殿で、何が起きているのかしら……」
「……ミリアは、見つかりませんでした」
「そう……」
「でも——」
俺は、ザルヴァの言葉を思い出していた。
『泳がせておけ』——。
そして、撤退する時に聞いた、サヤの言葉。
「サヤ。——お前が戦った女、何か言ってなかったか?」
「……ああ」
サヤが、頷いた。
「『効かない者は、地下に閉じ込めておく』と」
「地下?」
「精神魔法が効きにくい者がいるらしい。——そういう奴は、地下に隔離するって」
俺の頭の中で、点が繋がった。
ミリアは——治癒師だ。
神聖な力を扱う者は、精神魔法に耐性があるかもしれない。
だとしたら——。
「ミリアは、地下にいるかもしれない」
「……なるほど」
王女が、頷いた。
「メルティアが聞いた通りの性格なら、そうするかもしれないわね。——殺すには惜しいが、操れない者は邪魔。だから、閉じ込めておく」
「もう一度、潜入します」
俺は、言った。
「今度は——地下を目指す」
「待ちなさい」
王女が、俺を制した。
「今のあなたたちでは、四天王には勝てないわ。——無謀よ」
「でも——」
「焦る気持ちは分かる」
王女の声が、少しだけ柔らかくなった。
「でも、死んだら終わりよ。——そうでしょう?」
その目が、俺を射抜く。
分かってる。
分かってるけど——。
「まずは体を休めなさい。——作戦を、練り直しましょう」
拳を、握りしめた。
爪が、掌に食い込む。
悔しい。
あんなに準備して。
あんなものまで手に入れて。
それでも——何もできなかった。
自分の弱さが、悔しい。
情けなくて、消えてしまいたい。
でも——王女の言う通りだ。
今のままでは、勝てない。
感情で動いても、また負けるだけだ。
「……分かりました」
俺は、頭を下げた。
「少し、時間をください」
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【第42章 終】




