第39章「神殿の影」
第39章「神殿の影」
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翌日の昼過ぎ。
俺たちがギルドで次の依頼を探していると——。
「ハル・カーマイン様、いらっしゃいますか」
聞き覚えのある声がした。
振り返ると、メイド服の女性が立っていた。
昨日、森で会った——。
「エレナ、さん……?」
「覚えていてくださったのですね。——殿下がお呼びです」
ギルド内がざわついた。
「殿下って……王女様が?」
「ええ。昨日の御礼を、正式にしたいと」
周囲の冒険者たちの視線が、俺たちに集まる。
「お、おい。あの新人、王女様に呼ばれてるぞ」
「何やったんだ……?」
ひそひそ声が聞こえてくる。
「……行くか」
俺は、ティナとサヤを見た。
ティナは眉を寄せ、唇を噛んでいた。
昨日、王女を見た時の俺の反応を、覚えているのだろう。
サヤは腕を組んだまま、じっと俺を見ている。
何か言いたげな目だ。でも、口には出さない。
「……行こう」
ティナが、小さく頷いた。
その声には、どこか硬いものが混じっていた。
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エレナに連れられ、王城へ向かった。
城門では厳しい検査があったが、エレナの通行証で問題なく通過できた。
「……すげえな」
城の中は、想像以上に豪華だった。
磨き上げられた大理石の床。
天井には巨大なシャンデリア。
壁には歴代の王族の肖像画が並んでいる。
「こちらです」
エレナが、廊下の奥へと案内した。
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通されたのは、小さな応接室だった。
豪華だが、謁見の間ほど仰々しくはない。
「——待っていたわ」
窓際に、銀髪の女性が立っていた。
セレスティア王女。
今日は白いドレスではなく、青い衣装を纏っている。
それでも——その美しさは、変わらない。
「昨日は、助けてもらったわね」
「いえ、当然のことをしたまでです」
「その『当然』ができる者は、少ないのよ」
王女が、こちらへ歩いてきた。
「改めて、礼を言うわ。——ありがとう」
王女が、軽く頭を下げた。
「あ、頭を上げてください——!」
「形式的なものよ。気にしないで」
王女が、ソファを勧めた。
「座りなさい。——話がある」
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俺たちは、ソファに座った。
王女は向かい側に座り、エレナが紅茶を運んできた。
「昨日のこと、少し気になることがあるの」
「気になること……?」
「あの魔狼たち。——普通ではなかった」
王女が、紅茶のカップを手に取った。
「東の森に魔狼が出ること自体は珍しくない。でも、あの三匹は——まるで、私たちを狙っていたかのように動いていた」
「……狙っていた?」
「偶然の遭遇なら、馬車を襲った時点で逃げるはず。でも、あいつらは執拗に私たちを追い詰めた。——まるで、殺すことが目的だったかのように」
俺は、昨日の戦闘を思い出した。
確かに、あの魔狼たちは異常だった。
普通の魔獣なら、火球を受けた時点で逃げ出すはずだ。
でも、あいつらは——最後まで、戦い続けた。
「……誰かに操られていた、ということですか」
「その可能性がある」
王女が、紅茶を一口飲んだ。
「私がなぜ、お忍びで森にいたか。——話しておくわ」
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「神殿の視察に行っていたの」
「神殿……?」
「ええ。——最近、神殿の様子がおかしいという報告があった」
王女の表情が、わずかに曇った。
「教皇が人前に出なくなった。神官たちの態度が変わった。寄付金の使途が不明瞭になった。——些細なことだけれど、積み重なると無視できない」
「それで、直接確かめに……」
「そう。でも、神殿の中には入れなかった。——理由をつけて、追い返された」
王女が、カップを置いた。
「王族である私を、だ」
その言葉に、重みがあった。
「帰り道で、あの魔狼に襲われた。——偶然だと思う?」
「……思えません」
「私もよ」
王女が、俺を真っ直ぐに見た。
「神殿で、何かが起きている。——そして、私はそれを知ろうとしたから狙われた」
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「あの……」
ティナが、おずおずと手を挙げた。
「はい?」
「神殿に、知り合いがいるんです。——ミリア・ラベンダという、治癒師見習いの……」
「ミリア……」
王女が、少し考え込んだ。
「聞いたことがあるわ。——規則を破って、村人を助けに行った見習いがいると」
「それが、ミリアさんです」
俺は、身を乗り出した。
「彼女は、大丈夫でしょうか」
「分からないわ。——神殿の内部で何が起きているか、私にも掴めていない」
王女が、眉を寄せた。
「ただ——もし神殿全体が何者かに掌握されているなら、中にいる者は皆、危険な状態にあるかもしれない」
胸の奥が、ざわついた。
重い石を飲み込んだみたいに、喉が詰まる。
ミリア。
あの穏やかな笑顔。
「また会いましょう」と言ってくれた、優しい声。
助けたい——でも、怖い。
神殿を敵に回すってことだ。俺たちみたいな新米冒険者が、手を出していい相手じゃない。
分かってる。分かってるのに——。
「……ミリアさんを、助けたい」
気づいた時には、声が出ていた。
体が先だった。頭で考えるより、口が動いた。
「ハル——」
ティナが、俺の腕を掴んだ。
「……俺は、彼女に助けられたんだ。病気の時も、傷を治してもらった時も。——恩返しがしたい」
嘘じゃない。本心だ。
でも——それだけじゃない気もする。
自分でも、よく分からなかった。
ただ、放っておけない。それだけは、確かだった。
「……」
王女が、じっと俺を見つめていた。
その目が——何かを見定めるように、光っている。
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「……面白いわね」
王女が、ふっと笑った。
「恩返し、か。——それで、危険に飛び込むと?」
「はい」
「愚かね」
「……かもしれません」
「でも——」
王女が、立ち上がった。
「嫌いじゃないわ、そういうの」
窓際に歩いていき、外を見つめる。
「私は、神殿の真相を知りたい。あなたたちは、知人を助けたい。——利害は一致している」
「……つまり?」
「協力しない?」
王女が、振り返った。
「私は王族として、表立って動けない。でも、あなたたちは冒険者。——自由に動ける」
「俺たちに、神殿を調べろと?」
「調べるだけでいい。中で何が起きているか、その知人が無事かどうか。——それを確かめてきてほしい」
王女が、近づいてきた。
「報酬は出すわ。それに——」
俺の目の前で、立ち止まった。
「あなたの知人を助けられるかもしれない。悪い話ではないでしょう?」
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俺は、ティナとサヤを見た。
ティナは俺の腕を握ったまま、眉を寄せていた。
不安なのか。それとも——別の何かなのか。
「……ミリアさんのことは、気になる」
ティナが、小さく言った。
声が硬い。でも、俺の腕を握る手は、さっきより強くなっていた。
「……でも、危険すぎる。私たち、まだ銅のプレートの新人なんだよ」
「分かってる」
「分かってないよ。——神殿を敵に回すって、どういうことか」
ティナの目が、揺れていた。
怒っているのか。怖いのか。
分からない。でも——。
「……それでも、行くの?」
「……ああ」
長い沈黙。
ティナが、ふうっと息を吐いた。
「……馬鹿」
「悪い」
「謝らないでよ。——あたしも行くから」
ティナが、俺の手を強く握り返した。
その目に、覚悟が宿っていた。
怖い。でも、引かない。
——それが、ティナだ。
「……サヤは?」
サヤは、腕を組んだまま天井を見上げていた。
「……危険だろうが、やるしかねえだろ」
ぶっきらぼうな言葉。
でも、その声には——どこか熱いものがあった。
「神殿に何かが起きてるなら、放っておけねえ。——それに」
サヤが、俺を睨んだ。
「借りを作りっぱなしってのも性に合わねえ。あの治癒師には、お前が世話になったんだろ」
「……ああ」
「なら、返しに行くしかねえじゃねえか」
サヤが、にやりと笑った。
目は笑っていない。覚悟を決めた目だ。
俺は、王女に向き直った。
「——分かりました。やります」
「そう。——ありがとう」
王女が、微かに笑った。
その笑顔は——どこか、寂しそうに見えた。
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「詳しいことは、エレナから聞いて」
王女が、メイドを呼んだ。
「神殿の配置図、出入り口、警備の情報。——分かる範囲で渡すわ」
「ありがとうございます」
「それと——」
王女が、何かを取り出した。
小さな、銀色のブローチだ。
「これを」
「これは……?」
「私の紋章よ。——いざという時、それを見せなさい。少しは役に立つかもしれない」
俺は、ブローチを受け取った。
ずしりと、重みがある。
銀の輝き。冷たい金属の感触。
——それ以上の、何かが伝わってきた。
これは、信頼だ。
王女が俺を信じて、預けてくれたものだ。
嬉しかった。
同時に、怖かった。
この信頼に応えられるのか。俺なんかが。
手のひらの汗で、ブローチが滑りそうになる。
「……大切なものでは」
「だから渡すの。——返しに来る理由ができるでしょう?」
王女が、いたずらっぽく笑った。
その笑顔を見て——胸の奥が、熱くなった。
嬉しいのか、苦しいのか、分からない。
ただ——この人のために、何かしたいと思った。
「……必ず、返しに来ます」
「期待しているわ」
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王城を出ると、日が傾き始めていた。
「……大変なことになったな」
「……うん」
ティナが、少し強張った顔で頷いた。
「神殿に何かが起きてる。——王女様まで狙われるなんて」
「……敵は、相当やばい奴だろうな」
サヤが、険しい顔で言った。
「魔獣を操れるってことは、かなりの使い手だ。——覚悟しとけ」
「分かってる」
俺は、手の中のブローチを見つめた。
銀色の紋章が、夕日に輝いている。
(ミリア……無事でいてくれ)
胸の奥で、祈った。
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「——まずは、情報を集めよう」
俺は、二人に言った。
「いきなり神殿に乗り込むのは危険だ。周辺を探って、中の様子を掴む」
「そうだな。——冒険者ギルドで、神殿関連の依頼がないか見てみるか」
「あと、街の噂も集めよう。神殿がおかしいって話、他にも聞いてる人がいるかもしれない」
ティナが、提案した。
「よし。——明日から、動こう」
俺たちは、宿への道を歩き始めた。
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夕暮れの街を歩きながら、俺は考えていた。
神殿で、何が起きているのか。
誰が、王女を狙ったのか。
そして——ミリアは、無事なのか。
分からないことだらけだ。
でも——。
(やるしかない)
守りたいものがある。
助けたい人がいる。
そのために、俺は——前に進む。
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【第39章 終】




