第38章「銀の髪」
第38章「銀の髪」
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翌朝。
目を覚ますと、両腕に温かな重みがあった。
左にティナ、右にサヤ。
二人とも、まだ眠っている。
「……」
昨夜のことを思い出して、顔が熱くなった。
何度も求め合って、明け方まで——。
(やりすぎたな……)
でも、後悔はしていない。
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「……ん」
ティナが、目を開けた。
「おはよう……」
「おはよう」
「……昨日、すごかったね」
「……まあな」
「……また、したい」
「……朝から何言ってんだ」
「えへへ」
ティナが、俺の胸に顔を擦り付けてきた。
薄い寝間着越しに、柔らかな膨らみが押し付けられる。
むにゅ……。
——朝から、刺激が強すぎる。
「——うるせえ」
サヤも、目を覚ました。
「……朝から発情してんじゃねえ」
「サヤだって、昨日——」
「言うな」
サヤの顔が、真っ赤になった。
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身支度を整え、宿を出た。
朝の王都は、昨日とは違う顔を見せていた。
商人たちが荷車を押し、職人たちが店を開ける。
活気があるが、どこか落ち着いた空気だ。
「さて、今日から本格的に冒険者だな」
「まずは依頼を受けよう」
ティナが、張り切った声で言った。
「……どんな依頼があるんだろうな」
サヤが、腕を組んで呟いた。
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ギルドに入ると、昨日よりも人が多かった。
朝から依頼を確認する冒険者たち。
掲示板の前には、人だかりができている。
「すごい人……」
「朝は混むんだろうな」
俺たちは、掲示板に近づいた。
受付カウンターの向こうでは、昨日と同じ受付嬢が対応している。
胸元の開いた制服から、豊かな谷間がちらりと覗いていた。
ぷるん、と揺れるたびに、つい目が吸い寄せられる。
——いかん。朝から煩悩が。
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依頼書が、びっしりと貼られている。
「えーと……」
「新人向けは、こっちだな」
サヤが、掲示板の端を指差した。
『薬草採取』『害獣駆除』『荷物運搬』——。
地味な依頼が並んでいる。
「最初は、こういうのからか……」
「当たり前だろ。いきなり魔獣討伐なんて受けられるわけねえ」
「分かってるけど……」
少し、がっかりした。
「これなんてどう?」
ティナが、一枚の依頼書を指差した。
『王都近郊・東の森 薬草採取 報酬:銀貨五枚』
「薬草採取か。——まあ、最初はこんなもんだな」
「よし、これにしよう」
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受付で依頼を受理した。
「東の森ですね。王都から歩いて半刻ほどです」
受付嬢が、にっこりと微笑んだ。
身を乗り出した拍子に、谷間が強調される。
ぷるん。
——目のやり場に困る。困るけど、見てしまう。
「あ、ああ。ありがとう」
「最近、森の奥で魔獣の目撃情報がありますので、深入りはしないでくださいね」
「分かった」
受付嬢が、地図を渡してくれた。
「——お気をつけて」
俺たちは、ギルドを出た。
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東の森は、王都の城壁を出てすぐのところにあった。
「ここか……」
木々が鬱蒼と茂っている。
日の光が差し込んでいるが、奥は暗い。
「依頼書によると、目当ての薬草は森の入り口付近に生えてるらしい」
ティナが、依頼書を確認しながら言った。
「深入りするなって言われたしな。さっさと採って帰ろう」
「行こう」
俺たちは、森に入った。
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薬草は、すぐに見つかった。
「これだな。——青い花が目印」
「結構、たくさん生えてるね」
ティナが、嬉しそうに薬草を摘んでいる。
俺とサヤも、手伝った。
「……平和だな」
「初依頼なんてこんなもんだろ」
サヤが、薬草を袋に詰めながら言った。
「地道に実績を積んで、少しずつランクを上げる。——焦っても仕方ねえ」
「……そうだな」
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薬草採取が終わりかけた頃。
「——ん?」
俺は、森の奥から聞こえる音に気づいた。
「どうした?」
「今、何か——」
耳を澄ませる。
遠くから、悲鳴のような声が聞こえた。
「——誰かいる」
「行くか?」
サヤが、槍を構えた。
「深入りするなって言われたけど……」
ティナが、不安そうな顔をしている。
「……放っておけない」
俺は、走り出した。
「ハル——!」
「ったく——!」
二人も、後に続いた。
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森の奥へ進むと、声がはっきりと聞こえてきた。
「——助けて!」
女性の声だ。
「こっちだ——!」
俺たちは、声のする方へ駆けた。
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開けた場所に出ると——。
馬車が、横転していた。
そして、その周りを——三匹の魔獣が取り囲んでいる。
狼型の魔獣。
だが、普通の狼よりも一回り大きい。
毛並みが黒く、目が赤く光っている。
「魔狼か——!」
馬車の陰に、二人の人影が見えた。
一人は、メイド服を着た女性。
もう一人は——。
心臓が、跳ねた。
いや——止まった。
銀色の、長い髪。
白いドレス。
遠目でも分かる、凛とした佇まい。
木漏れ日に照らされた銀髪が、夢のように輝いている。
八年前。
収穫祭の舞台で見た——あの横顔。
あの、氷のような瞳。
一瞬だけ視線が交差した、あの人だ。
体が熱くなった。
同時に、冷たいものが背筋を走る。
嬉しいのか、怖いのか、分からない。
分からないけど——足がすくんでいる場合じゃない。
「——セレスティア王女……!」
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考えるより先に、体が動いていた。
気づいた時には、もう駆け出している。
「《火球》——!」
炎の塊が、魔狼の一匹を直撃する。
「ギャウッ——!」
魔狼が、悲鳴を上げて倒れた。
熱い。腕が焼けそうだ。
でも——止まれない。止まったら、あの人が。
残り二匹が、こちらを振り向く。
赤い目が、俺を捉えた。
獣の目だ。殺意がある。
足が震えた。逃げたい。怖い。
でも——体は前に出ていた。
「サヤ——!」
「分かってる——!」
サヤが、槍を構えて突進した。
「——はあっ!」
鋭い突きが、魔狼の首を貫く。
一撃。的確だ。
「ティナ、王女を——!」
「うん——!」
ティナが、馬車の方へ走った。
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最後の一匹が、俺に飛びかかってきた。
「——っ!」
剣を抜き、斬り上げる。
だが、浅い。
毛皮が硬い——!
魔狼の爪が、俺の腕を掠めた。
ザクッ——!
「くっ——!」
熱い。痛い。
血が滲んでいる。
「ハル——!」
サヤの声が、遠くで聞こえた。
「問題ない——!」
嘘だ。痛い。腕が痺れる。
でも——あの人が見ている。
銀髪の王女が、こちらを見ている。
情けない姿は、見せられない。
——いや、違う。
そんな打算じゃない。
ただ——守りたい。
理由なんて分からない。分かりたくもない。
俺は、剣を構え直した。
手が震えている。でも、握りしめた。
魔狼が、再び飛びかかってくる。
「《炎槍》——!」
炎を纏った剣で、魔狼を迎え撃つ。
全身の魔力を、刃に乗せる。
燃えろ——燃えろ——!
刃が、魔狼の胴を深く斬り裂いた。
「ギャアアア——!」
炎が、傷口から魔狼の体内を焼く。
魔狼が、地面に倒れた。
動かない。
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「——終わった、か」
息を整える。
膝が笑っている。
怖かった。死ぬかと思った。
でも——生きてる。
腕の傷が、じくじくと痛む。
「ハル、怪我——!」
ティナが、駆け寄ってきた。
勢い余って、俺にぶつかる。
むにゅ——!
柔らかなものが、胸に押し付けられた。
「わ、悪い——!」
「いや、いい。——王女は?」
「無事。メイドさんも」
「そうか……」
ティナの体温が、まだ胸に残っている。
——こんな時に、何を考えてるんだ、俺は。
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馬車の方へ向かった。
メイドが、王女を庇うように立っている。
「……怪我はありませんか」
俺は、声をかけた。
声が震えていないか、不安だった。
メイドが、警戒した目で俺を見た。
「あなたたちは……?」
「冒険者です。悲鳴を聞いて——」
「——殿下、やはりお忍びでの外出は危険だと申し上げたではありませんか」
メイドが、振り返って言った。
「森の薬草をご自身の目で確かめたいというお気持ちは分かりますが……」
「——エレナ、黙りなさい」
涼やかな声が、響いた。
メイドの後ろから、銀髪の女性が姿を現した。
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目が、離せなかった。
八年前より——もっと、美しくなっていた。
銀色の髪が、風に揺れている。
白いドレスが、陽光を受けて輝いていた。
そして——氷のような青い瞳が、俺を見ている。
心臓が、うるさい。
呼吸を忘れそうだ。
綺麗だ——という言葉では、足りない。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
嬉しいのか、苦しいのか、分からない。
八年間、ずっと頭の片隅にいた人。
あの収穫祭の日から、ずっと——。
「助けてくれたのでしょう。感謝します」
セレスティア王女が、口を開いた。
「い、いえ。当然のことを——」
声が裏返った。
情けない。
「当然?」
王女が、わずかに眉を上げた。
「魔獣に襲われている者がいれば、助けるのは当然です」
なんとか言葉を繋げた。
「……そう」
王女の表情が、ほんの少しだけ——和らいだ気がした。
いや、気のせいかもしれない。
でも——そう思いたかった。
「あなた、怪我を」
王女が、俺の腕を見た。
「これくらい、大したことありません」
「大したことある」
有無を言わさぬ口調だった。
「——エレナ、治療具を」
「しかし、殿下——」
「構わない」
王女が、自らメイドから布を受け取った。
そして——俺の腕に、手を伸ばしてきた。
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「え、あの——」
「動かないで」
冷たい指が、傷口に触れた。
——いや、冷たくない。
ひんやりとしているけど、どこか温かい。
不思議な感覚だ。
丁寧に、布が巻かれていく。
王女の手が、俺の肌に触れている。
その事実だけで、頭が真っ白になりそうだった。
「……あの、自分でできます」
「黙っていなさい」
有無を言わさぬ口調だった。
でも——どこか、優しい気がした。
王女の顔が、近い。
銀色の睫毛が、長い。
吐息がかかりそうな距離。
鼻腔をくすぐる、かすかな花の香り。
——やばい。心臓が爆発する。
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「——終わりよ」
王女が、手を離した。
名残惜しい——と思った自分を殴りたい。
「あ、ありがとうございます……」
「礼を言うのはこちらの方。——あなたの名前は?」
「ハル・カーマイン、です」
「ハル……」
王女が、俺の名前を呟いた。
その唇から発せられる、自分の名前。
なんだか——変な気分になった。
「覚えておくわ」
「は、はい……」
「——殿下、そろそろ」
メイドのエレナが、促した。
「分かっている。——ハル・カーマイン」
「は、はい」
「いずれ、正式にお礼をさせてもらうわ。——冒険者ギルドの『暁の剣』、でいいのかしら」
「え——どうして、パーティー名を」
「その銅のプレートに刻まれている」
俺は、自分の胸元を見た。
……確かに、刻まれている。
「そ、そうでしたか……」
「では、また」
王女が、踵を返した。
エレナが、壊れた馬車から荷物を取り出している。
「お送りしましょうか——」
「不要よ。ここから王都はすぐ。——それより、あなたたちは依頼を完了させなさい」
「……はい」
王女とメイドが、森の出口へ向かって歩いていく。
その銀色の髪が、木漏れ日に輝いていた。
見送りながら——俺は、自分の心臓がまだ暴れているのに気づいた。
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「——行っちゃったね」
ティナが、隣に来た。
近い。肩が触れている。
「……ん」
「王女様、綺麗だったね」
「……そうだな」
「……ハル」
「何だ?」
「顔、赤いよ」
「……そうか?」
「うん。真っ赤」
ティナの声が、少しだけ硬かった。
「——おい」
サヤが、俺の頭を叩いた。
「いてっ——」
「鼻の下、伸びてんぞ」
「伸びてない」
「嘘つけ。さっきから目が泳いでんだよ」
サヤが、じとりとした目で俺を睨んだ。
「……まあ、確かに綺麗だったけどよ。——住む世界が違うだろ」
「……それもそうだな」
分かってる。
分かってるけど——胸の奥が、まだざわついている。
「さっさと薬草持って帰るぞ」
俺は頷いて、もう一度だけ——王女が去っていった方を見た。
『いずれ、正式にお礼をさせてもらうわ』
その言葉が、頭から離れなかった。
あの声。あの瞳。あの、かすかに和らいだ表情。
——また、会えるんだろうか。
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ギルドに戻り、依頼を完了させた。
「お疲れ様でした。——あら、怪我を?」
受付嬢が、俺の腕を見た。
心配そうに身を乗り出すと、谷間が強調される。
ぷるん。
——いかん、視線が吸い込まれる。
「ちょっと、森の奥で魔獣と」
「まあ。お怪我は平気ですか?」
「ええ、心配いりません」
「それなら良かった。——はい、報酬の銀貨五枚です」
銀貨を受け取る。
三人で分けると、一人あたり銀貨一枚と少し。
「……地道だな」
「これからだろ」
サヤが、肩を竦めた。
「実績を積めば、もっと良い依頼を受けられる。——焦るな」
「分かってる」
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宿に戻り、一息ついた。
「今日は、色々あったね」
ティナが、ベッドに座りながら言った。
「まさか、王女様を助けることになるとはな」
「セレスティア様……」
ティナが、少しだけ複雑な顔をした。
「あのね、ハル」
「ん?」
「……王女様には」
ティナが、真剣な目で俺を見た。
いつもの明るさが消えている。
目の奥に、揺れない決意が見えた。
「——絶対、譲らないから」
その声が、胸に刺さった。
静かなのに、強い。
「……お前な」
「本気だよ」
ティナが、俺の手を取った。
ぎゅっと、握りしめてくる。
「ハルは、あたしたちのものなんだから。——ずっと一緒にいるって、約束したでしょ」
その目が、わずかに潤んでいた。
不安なのか。怖いのか。
でも——視線は逸らさない。
「……分かった」
「——私もだ」
サヤが、俺のもう片方に座った。
「王女だろうが何だろうが、お前を取られる気はねえ」
ぶっきらぼうな言い方。
でも——耳が、赤い。
「取られるって……」
「うるせえ。——いいな」
サヤも、俺の腕を掴んだ。
ぎゅ、と。
強く。必死に。
「……ああ」
二人の視線が、痛いくらいに俺を射抜いていた。
嬉しい。
申し訳ない。
そして——こんな俺を、こんなにも想ってくれている。
その事実が、胸を熱くさせた。
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窓の外では、夕日が沈みかけていた。
冒険者としての、最初の一日が終わろうとしている。
初依頼。
魔獣との戦闘。
そして——王女との再会。
八年前、舞台の上で見た銀髪。
今日、目の前で見た銀髪。
同じ人。でも——今日は、言葉を交わした。
名前を、覚えてもらえた。
(これから、どうなるんだろう)
分からない。
王女と俺じゃ、住む世界が違う。
また会えるなんて、期待するべきじゃない。
でも——。
『いずれ、正式にお礼を』
その言葉が、胸の中で響き続けている。
守りたいものがある。
会いたい人がいる。
そのために、俺は強くなる。
隣にいる二人を見ながら、俺は静かにそう誓った。
ティナとサヤ。
俺の、大切な人たち。
この二人を——絶対に、離さない。
そして——いつか。
また、あの銀髪に会えた時。
今度は、堂々と名乗れる自分になっていたい。
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【第38章 終】




