第35章「祭りの日」
第35章「祭りの日」
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あれから、一週間が経った。
避難民たちの体調は、順調に回復していた。トーマスも、もう起き上がって軽い仕事ができるほどになっている。
「ハル、おかげで助かった」
トーマスが、俺の手を握って言った。
「俺は何も——ミリアさんのおかげです」
「お前が夜通し傍にいてくれたって、聞いたぞ。——ありがとうな」
その言葉に、じんわりと温かいものが込み上げた。
前世では、こんな風に感謝されることなんてなかった。誰の役にも立てず、誰からも必要とされず——。
今は違う。
少しだけ、報われた気がした。
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三人での修行も、再開していた。
「——遅い」
サヤの槍が、俺の脇腹を掠める。
「っ——」
「また考えてから動いてる。体が先だって、何度言わせる」
「分かって——」
「分かってねえから当たるんだ」
容赦ない。
本当に、容赦ない。
でも——前より、楽しい気がした。
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「はい、休憩」
ティナが、水筒を差し出してきた。
「ありがとう……」
俺は、木陰に座り込んだ。
サヤも、少し離れた場所で息を整えている。
「ねえ、ハル」
「ん?」
「来週、王都で大きな祭りがあるんだって」
「祭り?」
「うん。年に一度の収穫祭。すごく賑やかで、露店もたくさん出るって」
ティナの目が、期待に満ちていた。
「父さんが、行ってみないかって」
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その夜、食卓で父さんが切り出した。
「王都の収穫祭、みんなで行くか」
「王都……?」
「ああ。俺も用事があってな。どうせなら家族全員で行こうと思ってよ」
父さんが、酒を飲みながら言った。
「最近、街道の魔獣も増えてる。村に残すより、一緒に連れて行った方が安心だ」
母さんが、頷いた。
「そうね。私も久しぶりに王都を見てみたいわ」
「やった! お祭り!」
ユナが、目を輝かせて立ち上がった。
「お兄ちゃん、一緒に露店回ろうね!」
「あ、ああ……」
「ティナとサヤも来るんでしょ? みんなで行こう!」
賑やかな食卓だった。
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出発の日。
朝早く、村を出た。
父さん、母さん、俺、ユナ。そしてティナとサヤ。
六人で、王都への道を歩く。
「どれくらいかかるの?」
「歩きで丸一日ってとこだな。途中で一泊して、明日の昼には着く」
空は晴れていた。
風が心地よい。
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道中、色々な話をした。
「王都って、どんなところ?」
「でけえよ。村が百個は入る」
「百個……」
「大袈裟じゃねえぞ。城壁に囲まれた街で、中央に王城がある。祭りの日は、街中が人で溢れかえる」
父さんの話を聞きながら、胸が高鳴った。
(王都、か……)
この世界に転生してから、ずっと村の周辺しか知らなかった。
北のヴェルム村に行ったのが、一番遠い場所だ。
王都は、もっと遠い。
もっと、大きい。
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「——楽しみだな」
サヤが、ぽつりと言った。
「え?」
「……なんでもねえ」
サヤが、視線を逸らしたまま黙っている。
「サヤも、祭りとか好きなの?」
ティナが、にやにやしながら聞いた。
「べ、別に好きとかじゃねえ。ただ——」
「ただ?」
「……賑やかなのは、悪くない」
サヤの声が、小さくなった。
耳の先が、ほんのり色づいている。
(……可愛いな)
思わず、そう思った。
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夕方、街道沿いの宿に泊まった。
部屋は三つ。男部屋、女部屋、そして両親とユナの部屋。
「じゃあ、明日も早いからな。さっさと寝ろよ」
父さんが、そう言って部屋に入っていった。
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夜。
俺は、宿の窓から外を眺めていた。
星が、綺麗だった。
(王都、か……)
どんな場所なんだろう。
どんな人がいるんだろう。
(ミリアさんは、元気かな……)
ふと、そんなことを思った。
神殿に戻ったミリアは、規則違反の処分を受けているはずだ。
大丈夫だろうか。
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翌日、昼過ぎ。
王都が、見えた。
「——すげえ」
思わず、声が出た。
巨大な城壁が、地平線まで続いている。
その向こうに、尖塔や屋根が無数に見えた。
中央には——白い城が、太陽に輝いている。
「あれが、王城だ」
父さんが、指差した。
「この国の王様が住んでる。——まあ、俺らには縁のねえ場所だがな」
「綺麗……」
ティナが、目を見開いていた。
サヤも、黙って城を見つめている。
「お城! お城だよ、お兄ちゃん!」
ユナが、俺の腕を引っ張った。
「ああ、見えてる」
「王女様とかいるのかな!」
「……いるんじゃないか」
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城門をくぐると、喧騒が押し寄せてきた。
人、人、人。
露店が立ち並び、威勢のいい声が飛び交っている。
焼き肉の煙が流れ、香ばしい匂いが鼻をくすぐる。色とりどりの飾りが風に揺れ、どこからか陽気な楽器の音が聞こえてきた。
「すごい人……」
「収穫祭だからな。一年で一番賑わう時期だ」
父さんが、肩をすくめた。
「俺と母さんは用事があるから、お前らは自由に見て回れ。夕方、この門で待ち合わせな」
「分かった」
「ユナ、兄ちゃんたちから離れるなよ」
「分かってるー!」
父さんと母さんが、人混みの中に消えていった。
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四人で、祭りを見て回った。
焼き鳥の匂い。
果物を売る声。
大道芸人が火を吹いている。
子供たちが走り回り、笑い声が響く。
人混みが、押し寄せてくる。
「きゃっ——」
ティナがよろけて、俺の方に倒れ込んできた。
むにゅ——
柔らかいものが、腕に当たった。
「わ、悪い——」
「ち、違う、押されただけだから——!」
ティナの顔が、みるみる赤くなっていく。
俺の方も、心臓が跳ねていた。今の感触が、まだ腕に残っている。
柔らかくて、温かくて——。
「……おい、何ニヤけてんだ」
サヤが、冷たい目で俺を見ていた。
「ニヤけてない」
「嘘つけ」
「……」
否定できなかった。
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「ねえ、あれ見て!」
ティナが、露店を指差した。
色とりどりの髪飾りが並んでいる。
「可愛い……」
ティナの目が、きらきらしている。
「欲しいの?」
「え、いいよ。高そうだし——」
「見るだけ見てみようぜ」
俺たちは、露店に近づいた。
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「お、若いの。彼女へのプレゼントかい?」
店主のおばさんが、にやりと笑った。
「か、彼女じゃ——」
「あら、違うの? 二人とも可愛いじゃないの」
「……」
ティナが、俯いている。耳まで紅潮していた。
サヤは、そっぽを向いていた。
「これ、いくらですか」
俺は、青い花の髪飾りを指差した。
「それなら銀貨二枚だよ」
「……買います」
「ハル——!」
「いいから」
俺は、財布から銀貨を出した。
父さんからもらった、旅の小遣いだ。
「はい、ティナ」
「え、あたし——」
「似合うと思って」
ティナが、髪飾りを受け取った。
その目が、潤んでいる。嬉しいのか、照れているのか——たぶん、両方だ。
「……ありがと」
小さな声だった。でも、確かに聞こえた。
「お兄ちゃん、ユナにも何か買って!」
「お前は自分の小遣いで買え」
「けちー!」
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「——私には、ねえのか」
サヤが、ぼそりと言った。
「え?」
「……なんでもねえ」
サヤが、早足で歩き出した。
「あ、待てよ——」
俺は、慌てて追いかけた。
そして——別の露店で、赤いリボンを買った。
「サヤ」
「……なんだ」
「これ」
サヤに、リボンを差し出す。
「髪、結ぶのに使えるかなって」
「……」
サヤが、リボンを見つめた。
その顔に、複雑な表情が浮かんでいる。嬉しいのを隠そうとして、でも隠しきれなくて——。
「……いらねえ」
「え——」
「嘘だ。——もらう」
サヤが、リボンをひったくるように受け取った。
視線が泳いでいる。唇がわずかに緩んで、でもすぐに引き締める。
「……ありがとよ」
最後の一言は、ほとんど聞こえないくらい小さかった。
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昼下がり。
中央広場に、人が集まり始めていた。
「何かあるのかな」
「さあ……」
人混みをかき分けて、前の方へ進む。
広場の中央に、舞台が組まれていた。
そして——その舞台の上に。
「——あれ、王族の方々だって」
隣の男が、興奮した声で言った。
「今年は王女様も来てるらしいぜ」
「王女……」
俺は、舞台を見上げた。
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何人かの貴族らしき人々が、舞台の上に立っている。
その中に——一人だけ、目を引く存在がいた。
銀色の髪。
長く、絹のように流れている。
遠目でも分かる、凛とした佇まい。
白いドレスが、陽光に輝いていた。
心臓が、止まった気がした。
頭が真っ白になる。
綺麗だ——という単純な言葉では足りない。
絵画の中から抜け出してきたような、現実味のなさ。見ているだけで、胸が苦しくなる。
でも——同時に、分かった。
あの人は、俺のいる世界とは違う場所にいる。
手を伸ばしても届かない。そもそも、伸ばすことすら許されない。
分かっているのに——目が離せなかった。
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その人が、こちらを——いや、群衆の方を見渡した。
一瞬だけ。
氷のような青い瞳が、俺の視界を掠めた。
いや——交差した。
確かに、目が合った。
時間が、止まった気がした。周りの喧騒が遠くなる。
心臓が、うるさいくらいに跳ねている。
彼女の瞳は、何も映していないように見えた。
冷たくて、遠くて——どこか、寂しげだった。
そして、視線は通り過ぎていった。
俺のことなど、見ていなかったのかもしれない。
ただの群衆の一部として、視界を横切っただけ。
なのに——胸の奥に、何かが残った。
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「あれが、第一王女のセレスティア様だって」
隣の男が、また言った。
「セレスティア……」
名前を、口の中で転がした。
銀色の髪と、氷の瞳。
セレスティア。
「——ハル?」
ティナの声で、我に返った。
「どうしたの、ぼーっとして」
「あ、いや——」
「……王女様、見てたんだろ」
サヤが、じとりとした目で俺を見た。
「べ、別にそういうわけじゃ——」
「嘘つけ。顔に出てる」
「……」
否定できなかった。
「お兄ちゃん、王女様に見惚れてたの?」
ユナまで、にやにやしている。
「うるさい」
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舞台では、何かの式典が行われていた。
王女——セレスティアは、微動だにせず立っている。
完璧な姿勢。
完璧な佇まい。
まるで——氷の彫像のようだった。
周りの貴族たちは談笑し、時折笑い声をあげている。
でも、彼女だけが——笑わない。
表情を動かさない。
祭りの喧騒も、周囲の談笑も、彼女には届いていないみたいだった。
(……笑わないんだな)
祭りなのに、嬉しそうな顔をしていない。
その姿が——どこか、痛々しく見えた。
大勢の人に囲まれているのに、一人だけ別の場所にいるみたいだ。
孤独。
そんな言葉が、ふと浮かんだ。
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式典が終わり、王族たちが舞台を降りた。
人混みが、少しずつ散っていく。
「——行こうぜ」
サヤが、俺の腕を引っ張った。
「え、あ、ああ……」
俺は、最後にもう一度だけ舞台の方を見た。
銀髪の姿は、もう見えなかった。
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夕方。
城門で、父さんたちと合流した。
「楽しめたか?」
「うん。すごかった」
「そうか」
父さんが、笑った。
「さて、帰るか。——明日からまた、いつも通りだぞ」
「分かってる」
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帰り道。
俺は、何度も王都の方を振り返った。
(セレスティア、か……)
あの銀髪の王女。
氷のような瞳。
大勢に囲まれながら、一人だけ孤独だった横顔。
(——いつか、また会えるかな)
そんなことを、ふと思った。
馬鹿げた考えだ。
俺は村の子供で、あの人は王女だ。
住む世界が違う。
会える可能性なんて、ほとんどない。
でも——。
一瞬、視線が交差した気がした。
あの冷たい瞳の奥に、何かがあった気がした。
気のせいかもしれない。ただの自意識過剰かもしれない。
それでも——忘れられなかった。
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「ハル」
ティナが、隣に来た。
「何、考えてるの?」
「……別に」
「嘘。——王女様のこと?」
「……」
「図星だ」
ティナが、少しだけ笑った。
でも——その笑顔の奥に、複雑なものが見えた。
「綺麗な人だったね」
「……ああ」
「すごく綺麗で、あたしなんかじゃ勝てないって思った」
「ティナ——」
「でも」
ティナが、俺の手を握った。
その手が、わずかに震えていた。
「——あたしも、負けないから」
「……」
「あたしはずっと、ハルの隣にいたんだから。これからも、いるんだから」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
「……ありがとう」
「お礼じゃないよ」
ティナが、顔を上げた。
目が少し潤んでいる。でも、視線は真っ直ぐだった。
「——宣戦布告」
ティナが、いたずらっぽく——でも、どこか真剣に笑った。
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「——おい、置いてくぞ」
サヤの声が、前から聞こえた。
「あ、待って——」
俺たちは、走り出した。
夕陽が、背中を照らしている。
長い影が、道に伸びていた。
(もっと、強くなりたい)
ふと、そう思った。
守りたいものがある。
会いたい人がいる。
そのために——もっと、強く。
氷の瞳が、まだ脳裏に残っている。
あの寂しげな横顔が、頭から離れない。
いつか——また、会えるだろうか。
俺たちの足音が、夕陽の中に溶けていった。
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【第35章 終】




