第34章「蜜の罠」──メルティア視点
第34章「蜜の罠」──メルティア視点
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神殿への道中、私は内心で笑いを噛み殺していた。
(まさか、こんなに簡単に懐に入れるとはね)
隣を歩くシモン司祭は、左腕の傷を庇いながらも、毅然とした態度を崩さない。
四十代半ばといったところかしら。
厳格そうな顔立ち。
規律を重んじる、いかにも神殿の人間という感じ。
(でも——男は男よ)
私は、唇の端を緩めた。
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「メルティア殿」
シモン司祭が、私に声をかけてきた。
「何かしら?」
「改めて礼を言う。あなたがいなければ、我々は——」
「いいのよ。困っている人を見捨てられない性分なの」
私は、わざとらしく肩をすくめた。
「それに、神殿の方とお近づきになれるなんて、光栄だわ」
「……そうか」
シモン司祭の目が、一瞬だけ私の胸元に落ちた。
すぐに逸らしたけれど——見逃さなかったわ。
(やっぱり、男ね)
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日が暮れ始めた頃、私たちは街道沿いの宿に着いた。
小さな宿だった。
部屋は三つしかない。
「ミリア、お前は一人部屋を使え」
シモン司祭が、ミリアに言った。
「でも、シモン司祭——」
「それぞれ部屋を取ろう。メルティア殿にも休んでもらわねば」
「あら、ありがとう」
私は、にっこりと口角を上げた。
「——でも、シモン司祭の傷が心配だわ」
「傷?」
「ええ。ミリアさんに治療してもらったとはいえ、まだ完治していないでしょう?」
私は、シモン司祭の左腕に視線を落とした。
「夜中に熱が出たりしたら、大変だもの」
「……私は大丈夫だ」
「そうおっしゃらないで。私が、時々様子を見に行ってもいいかしら? 万が一のために」
シモン司祭が、少し考える素振りを見せた。
「……そこまで気を遣わせるのは——」
「遠慮しないで。私がそうしたいだけよ」
「……分かった。では、頼む」
(かかったわね)
獲物が罠に足を踏み入れる瞬間——いつ見ても、ぞくぞくする。
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夜。
私は、自分の部屋で鏡を見ていた。
黒いドレスを脱ぎ、薄い寝間着に着替える。
胸元が大きく開いた、ほとんど透けるような生地。
(さて、仕事の時間ね)
私は、小瓶を取り出した。
中には、淡い紫色の液体が入っている。
催淫の薬——ではない。
私の魔法を増幅させるための媒介。
これを肌に塗れば、触れた相手の精神への干渉が、より容易になる。
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廊下を歩き、シモン司祭の部屋の前に立った。
軽くノックする。
「——誰だ」
「私よ。メルティア。傷の具合を見に来たの」
少しの沈黙。
「……入れ」
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部屋に入ると、シモン司祭は寝台に腰掛けていた。
上半身は裸で、左腕には包帯が巻かれている。
鍛えられた体だった。
神殿の司祭とはいえ、元は騎士か何かだったのかもしれない。
「傷を、見せていただけるかしら」
「ああ」
私は、シモン司祭の隣に座った。
わざと、近く。
太腿が触れるほどの距離。
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「失礼するわね」
包帯に手を伸ばす。
指先が、シモン司祭の肌に触れた。
「……っ」
シモン司祭の体が、微かに強張った。
(分かりやすいこと)
胸の奥で、優越感が膨らんでいく。この男も、結局は私の手の中。
「傷は……ええ、順調に塞がっているわね」
「そうか」
「でも、まだ無理はダメよ」
私は、包帯を巻き直しながら、シモン司祭の目を覗き込んだ。
「痛くない?」
「……いや」
「本当に?」
私は、わざと顔を近づけた。
薄い寝間着の胸元が、シモン司祭の視界に入る。
彼の視線が、一瞬だけ下に落ちた。
そして——慌てて逸らした。
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「……メルティア殿」
「何かしら?」
「その……服装は、少し——」
「あら、ごめんなさい。寝間着しかなくて」
私は、わざとらしく胸元を押さえた。
押さえる振りをして、むしろ強調する。
「目のやり場に困るかしら?」
「いや、そういうわけでは——」
私は、喉の奥で含み笑いを漏らした。
「正直な方ね」
そして、シモン司祭の頬に手を添えた。
「私、正直な男性は好きよ」
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「——何を」
「ねえ、シモン司祭」
私は、囁いた。
「今日は、怖かったでしょう? 山賊に囲まれて、傷を負って」
「……」
「ミリアさんを守らなければならない。でも、自分も傷ついている。——辛かったわよね」
「……そんなことは——」
「強がらなくていいのよ」
私は、シモン司祭の胸に手を当てた。
心臓の鼓動が、速くなっている。
私の言葉一つ、仕草一つで、この男の体が反応している。それが、たまらなく気持ちいい。
「私に、癒させて」
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「——メルティア殿、これは——」
「《催淫》」
私は、小さく呟いた。
魔力が、指先からシモン司祭の体に流れ込む。
彼の目が、一瞬だけ虚ろになった。
そして——瞳に、欲望の色が浮かんだ。
「……っ」
「ふふ。素直になれたわね」
堕ちていく瞬間。その目を見るのが、私は好き。
私は、シモン司祭の唇に、自分の唇を重ねた。
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「んっ……」
シモン司祭の手が、私の腰に回った。
最初は戸惑いがちだった動きが、次第に大胆になっていく。
(簡単すぎるわ)
魔法の効果もあるけれど——元々、溜まっていたのかもしれない。
堅物だと思っていた司祭が、こうも簡単に崩れていく。その様を見下ろす優越感が、体の芯を疼かせる。
「メルティア殿……」
「呼び捨てでいいわよ。——いえ、そう呼んで」
「メルティア……」
「ええ。そう……」
私は、寝間着の紐を解いた。
薄い生地が、肩から滑り落ちる。
月明かりに照らされた私の肌を、シモン司祭が見つめていた。
「……美しい」
「ありがとう。——触っていいのよ?」
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シモン司祭の手が、私の体に触れた。
「あっ……」
私は、甘い声を漏らした。
演技半分、本気半分。
(なかなか、上手いじゃない)
見なさい。この男は、もう完全に私のもの。
そのまま——私は彼を寝台に押し倒した。
その先は、書けない。
書けないけれど——その夜、私たちは一線を越えた。
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快楽と魔法で、彼の精神は私の手の中。この瞬間が、一番好き。男たちが全てを曝け出していく瞬間。
「ねえ、シモン……」
私は、彼の耳元で囁いた。
「神殿には……どんな、秘密があるの……?」
「秘密……」
「ええ……教えて……?」
「地下に……封印が……」
「封印?」
「古い……魔道具が……封印されて……」
「どんな、魔道具……?」
「分からない……上層部しか……知らない……」
(ふうん……魔道具、ね)
まずまずの収穫だわ。体を売る価値はあった。
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「んっ……」
シモン司祭の体が、大きく震えた。
彼が果てた瞬間、私も声を上げた。
演技。
でも——悔しいけど、体が反応したのは本当。このまま自分も達してしまいそうで——
ダメよ。仕事なんだから。
そう言い聞かせながら、でも——体は正直だった。
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「はぁ……はぁ……」
事が終わった後。
シーツは乱れ、汗ばんだ肌が月明かりに濡れていた。
シモン司祭は、深い眠りに落ちていた。
魔法の効果で、朝まで目覚めない。
そして——今夜のことは、曖昧な夢としてしか記憶に残らない。
「お疲れ様」
私は、彼の頬を撫でた。
満足感が、体の奥底から込み上げてくる。情報を手に入れた達成感と——認めたくないけど、体が満たされた感覚と。
「なかなか、楽しかったわよ」
こういう仕事は嫌いじゃない。むしろ——好き。
男を堕とす快感。支配する悦び。それと——たまに、本気で気持ちよくなってしまう自分への苛立ち。
複雑よね、私って。
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寝間着を羽織り、部屋を出る。
廊下を歩きながら、私は考えていた。
(神殿の地下に、封印された魔道具……)
それが何なのかは分からない。
でも——調べる価値はありそうね。
(あの坊やも、気になるわ)
村で出会った、黒髪の少年。
ハル、とか言ったかしら。
あの歳で、あれだけの魔法を使える。
しかも——私の魔法に、微かに違和感を覚えていた。
(普通の子供じゃないわね)
面白い。
久しぶりに、興味を惹かれる獲物を見つけた気分。
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自分の部屋に戻り、窓から月を見上げた。
「さて、次は何をしようかしら」
神殿に入り込む足がかりは、できた。
あとは——もう少し、情報を集めて。
「ヴェルザード様には……まあ、細かい事気にする方じゃないし、いいでしょう」
私は、満足げに喉を鳴らした。
(神殿の封印された魔道具ね……私が有効活用してあげようかしらね……)
いつか、魔王の座を奪い取る。
そのための駒は、一つでも多い方がいい。
月明かりに照らされた私の瞳が、紫色に光った。
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【番外編・第34章 終】




