第29章「ふたりの距離」
第29章「ふたりの距離」
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帰還から、三日が経った。
避難民の受け入れは、思ったよりスムーズに進んだ。
村長と父さんが中心になって、空き家や納屋を住居として割り当てた。
傭兵団のレナたちは、二日目の朝に出発していった。
「また会おうぜ、坊主」
そう言って、俺の頭を乱暴に撫でて。
「——強くなれよ」
その言葉を残して、去っていった。
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サヤは、うちに居候している。
客間を使ってもらっているが、落ち着かないらしい。
「……広すぎる」
「そうか? 普通だと思うけど」
「ヴェルム村じゃ、もっと狭かった」
サヤは、朝から修行をしている。
庭で槍を振り、走り込みをして、汗だくになって戻ってくる。
「……お前も、やるか」
「やる」
俺も、修行を再開した。
旅の間に身体がなまっている。取り戻さないと。
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問題は——ティナだった。
いや、問題というか。
「ハル、おはよう!」
毎朝、うちに来る。
「今日も修行しよ!」
笑顔で、俺の腕を引っ張る。
その時、サヤと目が合う。
「……」
「……」
無言の火花が散る。
俺は、その間に挟まれて——何も言えない。
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三人で修行することになった。
俺が提案した。
「……別に、構わねえけど」
サヤは、そっぽを向いて言った。
「うん、いいよ」
ティナは、笑顔で頷いた。
でも、その笑顔の奥に——何かがあるような気がした。
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修行は、激しかった。
サヤとティナが、手合わせをする。
前に一度やった時は、サヤの圧勝だった。
でも——今は違う。
「——っ!」
ティナの剣が、サヤの槍を弾いた。
「……やるじゃねえか」
サヤが、目を細めた。
「二週間、ずっと練習してたから」
ティナが、息を切らしながら言った。
「……そうか」
サヤの声が、少しだけ低くなった。
俺には分かった。
ティナが強くなった理由。
俺を待っている間、ずっと——。
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修行の後、俺たちは川で汗を流した。
もちろん、男女別々だ。
俺は上流で水を浴び、ティナとサヤは下流の、木々で隠れた場所へ。
「……」
水が冷たい。
体の熱が、ゆっくりと引いていく。
(ティナ、強くなったな)
二週間で、あれだけ成長するなんて。
俺のために——とは思いたくないけど。
でも、きっとそうなんだろう。
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「——きゃっ」
下流から、声が聞こえた。
ティナの声だ。
「どうした!?」
気づいたら、足が動いていた。
木々をかき分けて——
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「——っ!」
目の前に、ティナがいた。
濡れた髪。
水滴が滴る肌。
胸元を隠すように腕を組んでいるが——隠しきれていない。
「は、ハル……!?」
ティナの頬に朱が差した。
「ご、ごめん——!」
俺は、慌てて目を逸らした。
でも、一瞬見えてしまった。
白い肌。水に濡れて張り付いた髪。
「な、何見てんのよ……!」
「見てない! 見てないから!」
「嘘! 今、絶対見た!」
「声がしたから、心配で——」
「蛇がいただけ! もう逃げたから!」
「そ、そうか……よかった……」
よくない。
全然よくない。
頭の中から、さっきの光景が離れない。
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「……何やってんだ」
冷たい声がした。
振り返ると、サヤが立っていた。
こちらはもう服を着ている。
腕を組んで、俺を睨んでいる。
「ち、違うんだ——」
「何が違う」
「ティナが叫んだから——」
「覗きに来たのか」
「違う!」
「……ふうん」
サヤの目が、さらに冷たくなった。
「……最低」
「待ってくれ、本当に誤解で——」
「サヤ、違うの」
ティナが、服を着ながら言った。
「あたしが叫んだから、ハルが心配して来てくれたの」
「……」
「だから、ハルは悪くない」
ティナが、サヤの前に立った。
「……そうか」
サヤが、俺を見た。
「……でも、見たんだろ」
「……」
否定できなかった。
「……最低」
二回目だった。
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夕方。
俺は、家の前で一人、空を見上げていた。
(最悪だ……)
サヤには睨まれるし、ティナには顔を合わせづらいし。
「……ハル」
声がした。
ティナだった。
「あ——」
「……ちょっと、いい?」
「う、うん」
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二人で、村の外れまで歩いた。
夕日が、畑を橙色に染めている。
「……さっきは、ごめん」
俺は、頭を下げた。
「見るつもりはなかったんだ。本当に、心配で——」
「分かってる」
ティナが、隣に並んだ。
「ハルが、そういう奴じゃないのは知ってるから」
「……」
「でも——」
ティナが、俺を見た。
頬が、ほんのりと色づいている。
「……ちょっとだけ、嬉しかった」
「……え?」
「あたしのこと、心配してくれたんでしょ?」
「そりゃ、当然——」
「なら、いいの」
ティナが、笑った。
夕日に照らされた笑顔が、やけに眩しかった。
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「……ねえ、ハル」
「ん?」
「あたしね、二週間、ずっと考えてた」
ティナが、空を見上げた。
「ハルがいない間、何ができるかって」
「……」
「修行して、強くなって。リーナさんのお手伝いして、ユナちゃんの相手して」
「……うん」
「でも、ずっと——寂しかった」
ティナの声が、小さくなった。
「毎日、北の空を見てた。ハルが帰ってくるの、待ってた」
「……」
「だから——」
ティナが、俺の方を向いた。
「帰ってきてくれて、本当に嬉しい」
その目が、揺れていた。
俺は——何も言えなかった。
胸の奥で、何かがぐちゃぐちゃになっていた。嬉しいような、苦しいような、それとも違う何かなのか——分からない。言葉にしたら、嘘になる気がした。
「……ただいま」
「うん。おかえり」
ティナが、笑った。
泣きそうな、でも幸せそうな顔だった。
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「……ねえ」
帰り道、ティナが言った。
「サヤのこと、どう思ってる?」
「……」
「正直に、言って」
俺は、少し考えた。
嘘はつきたくない。
「……大事な奴だ」
「……そう」
「お前と同じくらい」
ティナが、足を止めた。
「……同じくらい、か」
「……ごめん」
「謝らないで」
ティナが、俺の顔を覗き込んだ。
「あたし、最初から分かってたから」
「……」
「ハルは、サヤのために北に行った。命がけで」
「……」
「それくらい、大事な人なんでしょ」
俺は——頷くしかなかった。
「……でも」
ティナが、俺の手を取った。
「あたしも、諦めないから」
その手は、温かかった。
「待ってたんだよ、ずっと。帰ってくるの」
「……」
「だから——負けない」
ティナの目が、真っ直ぐに俺を見ていた。
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家に戻ると、サヤが玄関先にいた。
腕を組んで、俺たちを見ている。
「……遅かったな」
「ちょっと、話してて」
「……そうか」
サヤの視線が、俺とティナの繋がれた手に向いた。
ティナが、慌てて手を離した。
「あ——」
「……」
サヤは、何も言わなかった。
ただ、俺を一瞬だけ睨んで——家の中に入っていった。
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夜。
俺は、布団の中で天井を見つめていた。
(どうすりゃいいんだ……)
ティナも、サヤも、大事だ。
どっちかを選ぶなんて、できない。
でも——このままじゃ、二人を傷つけることになる。
(……ハーレム、か)
前世で夢見たこと。
今世で、本気で目指すと決めたこと。
でも、現実は——そう簡単じゃない。
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「……ハル」
声がした。
部屋の戸が、少しだけ開いている。
「……ティナ?」
「……起きてた?」
「ああ」
「……ちょっと、いい?」
戸が開いて、ティナが入ってきた。
寝間着姿。薄い生地が、月明かりに透けている。
「な、なんで——」
「眠れなくて」
ティナが、俺の布団の傍に座った。
「……ハルも、眠れないんでしょ?」
「……まあ」
「……一緒にいても、いい?」
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俺の心臓が、跳ねた。
「い、いいって——」
「別に、変なことしないから」
ティナが、少しだけ拗ねたような顔をした。
「ただ、傍にいたいだけ」
「……」
「……ダメ?」
その目で見られたら、断れるわけがない。
「……いいよ」
「……ありがと」
ティナが、俺の隣に横になった。
すぐ傍に、ティナの顔がある。
月明かりに照らされた横顔。
長い睫毛。少し開いた唇。
「……ハル」
「……ん?」
「……キス、して」
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時間が、止まった気がした。
「……いいの」
「いい」
ティナが、顔を上げた。
目を閉じて。
唇を、少しだけ開いて。
——気づいたら、俺は顔を近づけていた。
考えるより先に、体が動いていた。
その唇に、自分の唇を重ねた。
柔らかかった。
甘かった。
「……ん」
ティナの声が、漏れた。
俺たちは、しばらくそのまま——。
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「……っ、ハル……」
唇が離れた時、ティナの目が潤んでいた。
「……もう一回」
「……いいの?」
「いい」
また、唇を重ねる。
今度は、少しだけ深く。
ティナの舌が、俺の唇に触れた。
「……ん、んっ……」
甘い声が漏れる。
俺の手が——気づいたら、ティナの背中に回っていた。
「……ハル……っ」
「……ティナ」
そのまま、二人は——
しばらく、そうしていた。
何がどうなったか、よく覚えていない。
ただ、ティナの体温だけが、確かに伝わってきた。
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「……あたし、ハルのことが好き」
ティナが、俺の胸に顔を埋めたまま言った。
「ずっと、好きだった」
ティナの目から、涙がこぼれた。
嬉しいのか、怖いのか——きっと両方だ。
「だから——」
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その時だった。
廊下から、足音が聞こえた。
俺たちは、同時に凍りついた。
「——っ」
「——っ」
足音が、俺の部屋の前で止まった。
「……ハル、起きてんのか」
サヤの声だった。
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俺は、咄嗟にティナを布団の中に隠した。
「な、なに——」
「静かに——」
「……ハル?」
戸が、開いた。
サヤが、立っている。
「……眠れなくて。ちょっと話——」
サヤの目が、俺の布団を見た。
明らかに、膨らんでいる。
一人分じゃない膨らみ。
「……」
「……」
サヤの目が、冷たくなった。
「……邪魔したな」
「待っ——」
戸が、閉まった。
足音が、遠ざかっていく。
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「……バレた、かな」
布団の中から、ティナが顔を出した。
「……バレた」
「……どうしよう」
「……分からない」
俺は、天井を見上げた。
(最悪だ)
でも——。
(これが、俺の選んだ道、か)
二人とも大事だと言った。
その結果が、これだ。
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「……ハル」
「……ん」
「……ごめんね」
「謝るなよ。俺が悪い」
「……でも——」
ティナが、俺の手を握った。
「……あたしは、後悔してない」
「……」
「ハルと一緒にいられて、嬉しかった」
「……」
「だから——明日、サヤにちゃんと話す」
「……いいのか」
「逃げない」
ティナの目が、真っ直ぐだった。
「あたしは、ハルが好き。それは、隠さない」
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ティナが、部屋を出ていった。
俺は一人、布団の中で考えていた。
(これから、どうなるんだろう)
サヤは、怒っているだろうか。
傷ついているだろうか。
——いや、それよりも。
サヤは、どうして俺の部屋に来たのか。
「眠れなくて」と言っていた。
話がしたかったのだと、言っていた。
それは——。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
(……俺は、二人を傷つけたくない)
でも、今夜のことを後悔はしていない。
ティナの気持ちを、確かに受け取った。
あとは——サヤにも、ちゃんと向き合わなきゃ。
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窓の外で、夜が白み始めていた。
長い一日が、終わろうとしている。
そして——もっと長い一日が、始まろうとしていた。
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【第29章 終】




