第3章「才能と、夜の音」
第3章「才能と、夜の音」
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ティナと友達になってから、毎日が変わった。
「ハルー! 遊ぼー!」
朝になると、ティナが家の前まで迎えに来る。
「ハル、またティナちゃん来てるわよー」
「……わかった」
母さんに背中を押されて、俺は外に出る。
金髪が朝日を受けて輝いている。満面の笑み。ヘーゼルの瞳がきらきらしている。
「今日はね、川に行こ! お魚いるんだよ!」
「おう……」
「ほら、早く早く!」
手を引かれて走り出す。
前世では考えられなかった光景だ。誰かが俺を誘いに来る。誰かと一緒に遊ぶ。誰かと笑い合う。
(……これが、普通の子供時代か)
嬉しい。間違いなく嬉しい。
なのに、どこかで「いつまで続くんだろう」と思ってしまう自分がいる。
前世の俺は、こういう幸せを維持できたことがなかったから。
でも、今は考えるな。
今だけを、見ろ。
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五歳になった。
「ハル、そろそろ教えてやろうか」
ある日の夕食後、父さんがそう言った。
「なにを?」
「魔法だよ。お前ももう五つだ。そろそろ覚えてもいい頃だろ」
魔法。
その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
(……来た)
ずっと待っていた。この世界に来てから、ずっと。
母さんが日常的に使う《浄水》。父さんが時々見せてくれる《火灯》。
この世界では、魔法は特別なものじゃない。誰でも、多少は使える。
「やる」
即答した。
「おお、いい返事だ」
父さんが笑う。
「じゃあ、明日から朝の修行だな。覚悟しとけよ」
「うん」
その夜、興奮で眠れなかった。
布団の中で何度も寝返りを打って、結局、窓から見える星を数えていた。
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翌朝。
「いいか、ハル。魔法ってのはな、体の中にある『魔力』を外に出すことで発動する」
家の裏庭。父さんが腕を組んで立っている。
「まずは、自分の魔力を感じるところからだ」
「魔力を、感じる……」
「ああ。目を閉じて、腹の奥に意識を集中しろ。そこに、何かあるはずだ」
言われた通りにする。
瞼を下ろす。腹の奥に意識を向ける。
最初は何も分からなかった。暗闘の中で、自分の呼吸だけが聞こえる。
(……何かある、はず)
集中する。もっと深く。もっと奥へ。
──そこに、あった。
(これ、か……?)
腹の奥に、何かが蠢いている。温かくて、流動的で、生きているような何か。
「……ある」
「おお、もう感じたのか。早いな」
父さんの声に、目を開ける。
「普通は一週間くらいかかるんだが……さすが俺の息子だ」
「……」
──褒められている。
父親に、褒められている。
前世では一度もなかった。
「お前は何をやってもダメだな」
「期待してなかったけど、それにしても酷い」
そんな言葉ばかりだった。
なのに今、この人は——俺を認めてくれている。
嬉しい。嬉しいに決まってる。
でも同時に、喉の奥が詰まるような、泣きそうな、変な感覚があった。
前世の俺が、遠くで「良かったな」と笑っている気がした。
「じゃあ次だ。その魔力を、手のひらに集めてみろ」
「手のひらに……」
父さんの声で、我に返る。
再び瞼を下ろす。
腹の奥にある魔力を、意識で掴む。それを、腕を通して、手のひらへと送り込む。
イメージだ。水を管に通すような。血液が流れるような。
「……っ」
手のひらが、熱くなった。
「おお……!」
父さんの声。驚いている。
目を開けると、俺の手のひらに、小さな光が浮かんでいた。
「すげえな、ハル。初日で魔力を可視化できるなんて、聞いたことねえぞ」
「これが……魔力……」
淡い青白い光。揺らめいている。俺の意思に反応して、大きくなったり小さくなったりする。
(……すごい)
感動していた。
前世では何の才能もなかった。勉強もスポーツも、何をやっても平均以下。
努力しても報われず、いつの間にか努力すること自体をやめていた。
でも、今は違う。
努力が、結果に繋がっている。
「よし、今日はここまでだ。あんまり無理すると魔力が枯渇するからな」
「……もう少しやりたい」
「ダメだ。焦るな。魔法は一日で覚えるもんじゃねえ」
父さんが、俺の頭をぽんぽんと叩いた。
「でもな、ハル」
「うん」
「お前、才能あるぞ。間違いなく」
その言葉が、胸の奥まで沈んでいった。
才能がある。
前世の俺が、喉から手が出るほど欲しかったもの。
何度「才能があれば」と思ったか分からない。
才能さえあれば、努力できたのに。認められたのに。誰かの特別になれたのに。
——今、それが目の前にある。
嬉しさと、戸惑いと、どこか申し訳なさが混ざった、名前のつかない感情だった。
「……ありがとう」
声が、少し震えた。
「なんだよ、急に改まって。気持ち悪いな」
「べつに」
「まあいい。明日も同じ時間だ。遅れるなよ」
「うん」
父さんが家の中に戻っていく。
俺は一人、裏庭に残った。
手のひらを見つめる。さっきまであった光は、もう消えている。
でも、感覚は残っていた。体の奥に、確かに何かがある感覚。
(……これが、チートか)
白い空間で、謎の声が言っていた。『能力も、少しだけ授けましょう』と。
たぶん、これがそうだ。魔法の才能。普通より早く習得できる力。
(ありがてえ……)
素直に感謝した。
この世界で、俺は何者かになれる。強くなれる。
そして──モテる。
拳を、気づいたら握りしめていた。
(全力で、やってやる)
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その日から、毎朝の魔法修行が始まった。
一週間後。
俺は《火灯》を発動できるようになっていた。
「マジか……」
父さんが、信じられないという顔をしている。
「普通は半年かかるんだぞ……」
「そう、なの?」
「ああ。俺だって、《火灯》覚えるのに三ヶ月かかった」
俺の手のひらに、小さな炎が揺れている。オレンジ色の、暖かい光。
「お前、本当に才能あるな……」
「……」
「いや、才能だけじゃねえか。毎日ちゃんと練習してるもんな」
父さんが、珍しく真剣な顔をした。
「努力できるってのも、才能だ。忘れるなよ、ハル」
「……うん」
その言葉は、前世の俺に向けられているようだった。
努力を、途中でやめた俺。何かを成し遂げる前に、諦めた俺。
今度は、違う。
今度は、最後までやり抜く。
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夜。
修行の疲れで、すぐに眠りに落ちるはずだった。
だが、その夜は違った。
「……ガルド、今日は……いいでしょ?」
隣の部屋から、母さんの甘えた声が聞こえた。
「ああ。ハルはもう寝てるだろ」
「でも……声、聞こえちゃうかも……」
「大丈夫だって。静かにするから」
俺は布団の中で目を開けた。
(……またか)
中身が七十二歳の俺には、何をしようとしているか分かっていた。
夜中に隣の部屋から物音がするたび、布団を被って気づかないふりをする。
五歳の体で聞くのは、なんとも言えない気まずさがある。
「んっ……」
母さんの、抑えた声。
ぎし……。
ベッドが軋む音が聞こえ始めた。
(寝たふり、しとくか……)
布団を頭まで被る。でも、壁一枚では、音は遮れない。
二人の睦言が、微かに漏れ聞こえてくる。
「ガルド……」
「リーナ……」
そして、静かになった。
——その夜は長かった。
俺は布団の中で、じっと夜が明けるのを待っていた。
しばらくして、母さんの甘えた声が聞こえた。
「……愛してる、ガルド」
「……俺もだ、リーナ」
くすくすと、笑い声が聞こえた。
幸せそうな、穏やかな笑い声。
俺は、布団の中で息を吐いた。
(……仲いいな、あの二人)
前世では、両親の仲は最悪だった。毎日のように喧嘩して、最後には離婚した。
その後、俺は父親にも母親にも捨てられた。どちらも、俺を引き取りたがらなかった。
でも、今の両親は違う。
喧嘩もするけど、すぐに仲直りする。お互いを大切にしている。愛し合っている。
(……いいな)
羨ましい、と素直に思った。
気まずさより、羨望の方が強かった。
ああいう関係が、欲しい。
誰かに愛されて、誰かを愛して、夜にはあんなふうに──
(……って、俺まだ五歳だった)
頭を振る。
でも、いつかは。
いつか、ああいう関係を築きたい。
それも一人じゃなく、何人もと。
(ハーレム……)
その言葉が、また頭をよぎる。
愛し愛される関係を、複数人と。
贅沢だろうか。傲慢だろうか。
でも、それが俺の夢だ。
前世で叶えられなかった、ただ一つの願い。
隣の部屋では、もう音は聞こえない。
二人は今頃、腕を絡めて眠りについているのだろう。
(……羨ましいな)
その気持ちを、否定しなかった。
いつか、俺もああなる。
絶対に。
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【第3章 終】




