第27章「ただいま」
第27章「ただいま」
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走った。
考えるより先に、足が動いていた。
金色の髪が、どんどん近づいてくる。
「ハル!」
ティナの声が、涙声だった。
「ティナ——」
俺の声も、掠れていた。
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ティナが、俺に飛びついてきた。
勢いで、二人とも地面に転がりそうになる。
なんとか踏ん張って、受け止めた。
「……っ、ハル……ハル……!」
ティナが、俺の胸に顔を埋めた。
肩が、小刻みに震えている。
「心配、した……すごく、心配、したんだから……!」
「……ごめん」
「謝らないで……帰ってきてくれたから……」
ティナの腕が、俺の背中に回った。
強く、強く抱きしめてくる。
痛いくらいに。——でも、離してほしくなかった。
「……おかえり」
その言葉に、鼻の奥がツンとした。
——帰ってきた。
ずっと会いたかった。ずっと、この声を聞きたかった。
「……ただいま」
声が震えた。情けない。でも、止められなかった。
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どれくらい、そうしていただろう。
ティナが、ゆっくりと体を離した。
頬に涙の跡が残っている。目が赤い。でも——笑っていた。
「……本当に、帰ってきた」
「ああ。帰ってきた」
ティナが、俺の顔をじっと見つめた。
何か言おうとして——でも、言葉にならないみたいだった。
嬉しさと、安堵と、それから——何か別の感情が、入り混じった顔。
そして——俺の後ろに視線を移した。
「……あ」
表情が、一瞬だけ固くなった。
サヤが、少し離れたところに立っていた。
腕を組んで、こちらを見ている。
その目は——どこか、居心地悪そうだった。
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ティナが、サヤに近づいた。
俺は、胸がざわついた。
この二人が顔を合わせるのは、あの手合わせ以来だ。
「……久しぶり」
ティナの声は、平静を装っていた。でも、わずかに硬い。
「……ああ」
サヤの声も、素っ気なかった。
「……また、会えるとは思わなかった」
「私も」
ティナが、サヤの前で立ち止まった。
沈黙が、数秒。
空気が重い。二人の間に、何か見えない壁がある気がした。
「……ハルを、助けてくれたんだよね」
ティナの声が、少しだけ柔らかくなった。
「……助けてねえ。勝手についてきただけだ」
「でも、一緒にいてくれた」
ティナが、頭を下げた。
「ありがとう」
サヤが、目を見開いた。
「……なんで礼を言う」
「ハルが無事だったから。それだけで、十分」
ティナが、顔を上げた。
笑っていた。
——でも、その目の奥には、別の何かがあった。
警戒。対抗心。それから——認めたくないけど認めるしかない、複雑な感情。
涙の跡が残る顔で、それでも——笑っていた。
「……変な奴」
サヤが、顔を背けた。
その声にも、困惑が混じっていた。
「……前も、そう言われた」
「覚えてんのか」
「忘れないよ。初めて手合わせした相手だもん」
ティナが、サヤに手を差し出した。
「改めて、よろしくね。私はティナ・ブランシュ」
サヤは、しばらくその手を見つめていた。
何を考えているのか、分からない顔だった。
そして——
「……サヤだ」
ぶっきらぼうに、手を握った。
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「おい、坊主」
レナが、俺の横に来た。
「感動の再会は終わったか?」
「あ、はい」
「避難民の引き渡し、済ませねえとな。村の責任者はどこだ」
「えっと——」
「俺だ」
低い声が、聞こえた。
振り返る。
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父さんが、立っていた。
腕を組んで、俺を見下ろしている。
その目は——怖かった。
怒りだけじゃない。何か、押し殺しているような。
「……父さん」
「……」
父さんは、何も言わなかった。
ただ、俺を見ている。
沈黙が、重い。
「……ただい——」
言い終わる前に、拳が飛んできた。
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頬に、衝撃が走った。
視界が揺れる。地面に倒れ込む。
「ハル!」
ティナの悲鳴が聞こえた。
「……っ」
頬が、じんじんと熱い。口の中に血の味が広がる。
殴られた。
本気で、殴られた。
「……約束を、破ったな」
父さんの声が、低く響いた。
「北に行くなと言った。お前は、行った」
「……」
「なんで行った」
俺は、地面に手をついて起き上がった。
頬を押さえながら、父さんを見上げる。
——怒っている。当然だ。
でも、後悔はなかった。
「……友達を、助けに」
「友達?」
「……大事な人が、いたんだ。北に」
父さんの目が、サヤに向いた。
サヤは、何も言わずに父さんを見返していた。
「……この嬢ちゃんか」
「……はい」
「……」
父さんが、俺の前にしゃがみ込んだ。
目が近い。逃げられない。
「お前、死ぬところだったんだぞ」
「……」
「途中で倒れて、傭兵団に拾われたって聞いた。違うか」
レナから聞いたのだろう。
「……はい」
「運がよかっただけだ。運が悪けりゃ、野垂れ死んでた」
「……」
分かっている。分かっているから、何も言い返せない。
「俺は、お前に生きてほしかった。だから、北に行くなって言ったんだ」
父さんの声が、震えていた。
怒りだけじゃない。——その奥に、何かがある。
「……母さんが、どれだけ心配したか分かるか」
「……」
「ユナが、毎日『兄ちゃんは』って聞いてきたの、分かるか」
胸が、締め付けられる。
「俺が——」
父さんの声が、詰まった。
大きな手が、震えている。
「俺が、どれだけ——」
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父さんが、俺を抱きしめた。
強く。
痛いくらいに。
さっき殴った同じ腕で、今度は——
「……馬鹿野郎」
声が、掠れていた。
「心配、させやがって……」
「……」
「でも……よく、帰ってきた」
父さんの腕が、俺の背中を叩いた。
がっ、がっ、と。乱暴で、でも——温かかった。
「よく、生きて帰ってきた……」
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俺は——気づいたら、泣いていた。
いつの間にか、頬を濡らしていた。
「……ごめん、なさい……」
声が震える。子供みたいだ。情けない。
でも——止められなかった。
「約束、破って……心配、かけて……」
「……ああ。怒ってる。すげえ怒ってる」
父さんの手が、俺の頭を撫でた。
ぐしゃぐしゃに、乱暴に。
「でも——お前が無事なら、それでいい」
その言葉に、また涙が溢れた。
怒られている。許されている。愛されている。
全部が混ざって、何が何だか分からなくなった。
「……ただいま」
「……ああ。おかえり」
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しばらくして、父さんが体を離した。
俺の顔を、じっと見る。
「……泣き顔、母さんに見せるなよ。余計心配する」
「……うん」
「拭け」
ぶっきらぼうに、袖を差し出される。
俺は、自分の服で顔を拭った。
父さんが、立ち上がった。
そして——サヤの方を見た。
「お前が、息子の友達か」
「……ああ」
サヤが、父さんと向き合った。
「サヤだ。ヴェルム村から来た」
「ガルド・カーマインだ。この馬鹿の父親だ」
サヤが、小さく頭を下げた。
——珍しい。サヤが、自分から礼をするなんて。
「……息子が、世話になった」
「世話してねえ。勝手についてきただけだ」
「そうか。——でも、礼は言う」
父さんが、サヤの肩を叩いた。
「うちの息子を、よろしく頼む」
サヤが、目を丸くした。
「……は?」
「避難民の受け入れ、村で話し合う。お前も、しばらくここにいるんだろ」
「……ああ」
「なら、うちに泊まれ。部屋くらいある」
「いや、そこまでは——」
「遠慮すんな。息子の友達なら、家族みたいなもんだ」
父さんが、にやりと笑った。
「——まあ、友達かどうかは知らねえがな」
「……」
サヤの顔が、わずかに赤くなった。
耳まで染まっている。
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「さて」
父さんが、レナの方を向いた。
「傭兵団の副長さんか。話は聞いてる」
「ガルド・カーマインだな。息子から聞いた」
レナが、父さんと握手を交わした。
「避難民の件、村で受け入れの相談をしたい。ついてきてくれ」
「ああ。頼む」
父さんとレナが、村の中へ歩いていく。
避難民たちも、それに続いた。
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俺は、その場に立ち尽くしていた。
頬が、まだ痛い。じんじんする。
でも——胸の中は、軽かった。
「……ハル」
ティナが、俺の隣に来た。
「大丈夫? 頬、腫れてる」
「……平気」
「嘘。すごく赤いよ」
ティナが、俺の頬にそっと触れた。
ひんやりした手のひらが、熱を吸い取っていく。
「……痛い?」
「……ちょっと」
「ガルドさん、本気で殴ってたもんね」
「……うん」
「でも——」
ティナが、微笑んだ。
「よかった。ちゃんと怒ってくれて」
「……?」
「怒ってくれるのは、心配してくれてる証拠だから」
その言葉に、胸が温かくなった。
ティナは——いつもそうだ。俺が言葉にできないことを、分かってくれる。
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サヤが、俺たちの方に歩いてきた。
「……行くぞ。置いてかれる」
「あ、うん」
俺は、歩き出そうとした。
ティナが、俺の腕に手を絡めてきた。
「え——」
「一緒に行こ」
ティナが、にっこり笑った。
その笑顔には——何か、意志のようなものがあった。
サヤが、それを見て——一瞬だけ、目を細めた。
「……勝手にしろ」
足早に、先へ行ってしまう。
「……サヤ、怒ってる?」
「……さあ。分かんない」
ティナの声に、かすかな棘があった。
俺の腕に絡めた手に、少しだけ力が入る。
「……でも、負けないから」
「……え?」
「なんでもない」
ティナの横顔は、笑っていた。でも——目だけは、真剣だった。
分からない。でも、何か大事なことを言っている気がした。
「行こ、ハル。みんな待ってるよ」
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村の中を歩く。
見覚えのある景色。見覚えのある家。見覚えのある人たち。
すれ違う村人が、俺に声をかけてくる。
「おお、ハル! 帰ってきたのか!」
「無事でよかったなあ」
「リーナさん、心配してたぞ」
俺は、頭を下げながら歩いた。
(帰ってきたんだ)
実感が、じわじわと湧いてくる。
足の下の土。馴染んだ匂い。聞き慣れた声。
全部が、懐かしかった。
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家が見えた。
玄関の前に、母さんが立っていた。
その腕には、ユナ。
「——ハル!」
母さんの声が、裏返った。
「ハル……! ハルーーー!」
母さんが、駆け寄ってきた。
ユナを抱えたまま、俺に抱きついてくる。
「よかった……よかった……!」
母さんの涙が、俺の肩を濡らした。
声にならない嗚咽。ずっと我慢していたのだろう。
「心配したの……すごく心配したの……!」
「……ごめん、母さん」
「もう……もう、いいの……帰ってきてくれたから……」
「お兄ちゃん!」
ユナが、小さな手を伸ばしてきた。
「お兄ちゃん、おかえり!」
「……ただいま、ユナ」
俺は、ユナの頭を撫でた。
妹の髪は、柔らかかった。
——守りたいものが、ここにある。
その実感が、胸に広がっていく。
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母さんが、体を離した。
涙を拭いながら、俺の顔を見る。
「……あら、頬が」
「……父さんに殴られた」
「まあ……」
母さんが、困ったように笑った。
「あの人、心配しすぎると手が出ちゃうのよね」
「……知ってる」
「冷やさないとね。中に入りましょう」
母さんが、俺の手を取った。
「……あら」
ティナとサヤに気づいた。
「ティナちゃん。それに——」
「サヤです。息子さんに、世話になりました」
サヤが、頭を下げた。
母さんの目が、少しだけ光った。
何かを察したような顔。
「まあまあ、丁寧に。——あなたが、ハルの……」
俺を見る。また、サヤを見る。ティナを見る。
そして——小さく微笑んだ。
「……とにかく、みんな中に入って。お腹、空いてるでしょう」
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久しぶりの、我が家だった。
見慣れた居間。見慣れた食卓。見慣れた匂い。
俺は、椅子に座って——深く息を吐いた。
「……帰ってきた」
「うん」
ティナが、隣に座った。
自然に、当たり前のように。
「おかえり、ハル」
サヤは、少し離れた場所に座っていた。
周りを見回している。落ち着かない様子だった。
「……落ち着かねえ」
「そう? ゆっくりしていいよ」
ティナが、サヤに声をかけた。
「ここ、ハルの家だけど——あたしもよく来るから。遠慮しないで」
その声は優しかった。でも——どこか、牽制のようにも聞こえた。
サヤが、ティナを見た。
しばらく、二人の視線が交錯する。
「……ありがとう」
ぼそりと、そう言った。
視線を逸らす。どこか、所在なさげだった。
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母さんが、温かいスープを持ってきた。
「さあ、食べなさい。旅で疲れたでしょう」
湯気が立ち上る。
野菜と肉のスープ。懐かしい味。
俺は、スプーンを手に取った。
一口、飲む。
「……」
喉の奥が、熱くなった。
——この味だ。
何度も食べた。当たり前だと思っていた。
でも、今は——
「……美味しい」
声が掠れた。
「そう? よかった」
母さんが、俺の頭を撫でた。
優しく、ゆっくりと。
「ゆっくり食べなさい。おかわりも、あるからね」
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窓の外を見た。
夕日が、村を橙色に染めている。
(帰ってきた)
本当に、帰ってきたんだ。
隣には、ティナ。
斜め前には、サヤ。
台所には、母さん。
どこかで、父さんが避難民の受け入れについて話し合っている。
みんな、ここにいる。
俺の——帰る場所。
スプーンを握る手に、少しだけ力が入った。
守りたい。
この場所を。この人たちを。
前世では、何も守れなかった。何も残せなかった。
でも、今は——
(今度こそ)
その思いを、胸の奥にしまった。
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【第27章 終】




