第26章「帰る場所」
第26章「帰る場所」
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朝靄の中、俺たちは出発した。
避難民は二十人ほど。子供と老人が中心だ。
荷車が三台。怪我人と最低限の荷物を積んでいる。
傭兵団の半数——レナを含む六人が、南への護衛についてくれることになった。
ゴルドは残りの傭兵と共に、西へ向かう組の護衛だ。
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「じゃあな、坊主」
ゴルドが、俺の肩を叩いた。
相変わらず痛い。
「世話になりました」
「礼はいい。——生き残れよ」
「はい」
ゴルドが、にやりと笑った。
「お前、見込みがある。また会えたら、その時は一人前の傭兵になってるかもな」
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サヤは、父親と向き合っていた。
「……気をつけろ」
「父さんこそ」
「怪我、ちゃんと治せよ」
「分かってる」
ぶっきらぼうな言葉の応酬。
でも、二人の間には確かな信頼があった。
「……あの坊主」
父親が、俺の方を見た。
「悪い奴じゃなさそうだ」
「……うん」
「ただ——」
父親の目が、鋭くなった。
「男ってのは、いつ馬鹿やるか分からねえ。気をつけろ」
「……父さん」
「なんだ」
「自分のこと棚に上げすぎ」
サヤが、呆れた顔をした。
父親は——少しだけ、決まり悪そうに頭を掻いた。
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出発から半日。
街道を南へ進む。
避難民の足は遅い。子供と老人が多いから、仕方ない。
俺は隊列の後方を歩いていた。
隣には、サヤ。
「……静かだな」
「ああ」
魔獣の気配はない。
傭兵たちが警戒を緩めていないおかげか、それとも運がいいだけか。
「……なあ」
サヤが、前を向いたまま言った。
「お前の村、どんなとこだ」
「カルム村?」
「ああ」
「……普通の村だよ。人口は百人くらい。畑があって、森があって」
「傭兵はいるのか」
「いない。父さんと母さんが元冒険者なくらいで、あとは農民ばっかりだ」
「……平和なんだな」
サヤの声が、少しだけ羨ましそうだった。
「ヴェルム村は違ったのか」
「……傭兵と元傭兵ばっかりだった。物心ついた時から、槍の握り方を教わってた」
「……」
「平和ってのが、どんな感じか分かんねえ」
サヤが、小さく笑った。
自嘲するような笑みだった。
「……なら、うちの村で体験してみろよ」
「……」
「平和すぎて退屈かもしれないけど」
サヤの視線が、こちらに向いた。
その目が、一瞬だけ揺らいだ気がした。
戸惑い。期待。怖さ。
——帰る場所という概念を、たぶんこいつはあまり知らない。
「……悪くない」
サヤは、それだけ言って視線を逸らした。
声が、少しだけ掠れていた。
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昼過ぎ。
休憩を取ることになった。
街道沿いの木陰で、避難民たちが腰を下ろす。
傭兵たちが周囲を警戒し、俺は子供たちに水を配った。
「お兄ちゃん、ありがとう」
五歳くらいの女の子が、水筒を受け取った。
「どういたしまして」
「お兄ちゃん、強いの?」
「……少しだけ」
「サヤお姉ちゃんより?」
「……サヤの方が強い」
「じゃあ、弱いんだ」
容赦ない。
「……まあ、そうだな」
「でも、お兄ちゃん、サヤお姉ちゃんのこと好きなんでしょ?」
「——っ」
水筒を取り落としそうになった。
「な、なんで——」
「だって、ずっと見てるもん」
子供は残酷だ。
「見て、ないし——」
「嘘だー」
女の子が、けらけら笑った。
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「何やってんだ」
声がして、振り返った。
サヤが立っていた。
「あ、いや、なんでもない」
「顔、赤いぞ」
「……暑いだけだ」
「嘘つき」
サヤが、俺の隣に座った。
女の子は、他の子供たちの方へ駆けていった。
「……子供、好きなのか」
「別に。普通だ」
「そうか」
サヤが、空を見上げた。
「……私は、苦手だ」
「子供が?」
「どう接していいか、分かんねえ」
「……そうは見えないけど」
「見えるだろ。さっきも、あの子に話しかけられて固まった」
「……」
「お前は、自然だった」
サヤの目が、俺を捉えた。
「……羨ましい」
その言葉に、少しだけ驚いた。
サヤが、俺を羨ましいと思うことがあるなんて。
「……俺は、お前の方が羨ましいけどな」
「は? なんで」
「強いし、真っ直ぐだし」
「……」
サヤが、顔を背けた。
「……変な奴」
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午後。
行軍を再開してしばらくすると、レナが足を止めた。
「……気配がある」
全員が緊張した。
傭兵たちが武器に手をかける。
俺も短剣を握った。
「……二匹。左の茂み」
レナの声は、低く鋭い。
「坊主、嬢ちゃん。避難民を守れ。俺たちが片付ける」
「はい」
「……分かった」
俺とサヤは、避難民の前に立った。
子供たちが、不安そうな顔をしている。
「大丈夫だ」
俺は、できるだけ落ち着いた声で言った。
「すぐ終わる」
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茂みから、狼型の魔獣が飛び出してきた。
二匹。
レナと傭兵たちが、迎え撃つ。
剣が閃く。血飛沫が舞う。
あっという間だった。
二匹とも、地面に転がっている。
「……終わりだ」
レナが、剣の血を払った。
「怪我人は?」
「いません」
「よし。進むぞ」
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日が傾き始めた頃。
俺たちは、小さな村の近くで野営することになった。
カルム村まで、あと半日ほど。
明日の昼には着く。
焚き火の傍で、俺は空を見上げていた。
「……明日、着くな」
サヤが、隣に座った。
「ああ」
「……緊張してるのか」
「……少し」
「なんで。自分の村だろ」
「……父さんとの約束、破ったから」
サヤが、俺を見た。
「約束?」
「北に行くなって言われてた。でも、行った」
「……」
「怒られるだろうな」
俺は、苦笑した。
「殴られるかも」
「……お前の父親、どんな奴だ」
「豪快で、酒好きで、女好きで——」
言いかけて、止まった。
父さんの浮気のことを思い出した。
「……どうした」
「いや、なんでもない」
「……」
サヤは、それ以上聞いてこなかった。
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「……なあ」
しばらくして、サヤが言った。
「お前の村に行ったら……あの女も、いるんだよな」
「あの女?」
「……金髪の。前に手合わせした」
ティナのことだ。
そうだった——サヤとティナは、俺の村で一度会っている。
サヤが親の用事でカルム村に来た時、二人は手合わせをした。
サヤが圧勝して、ティナは「また来たら手合わせして」と笑顔で言って——
「……ああ。ティナも、いる」
「……」
サヤの表情が、少しだけ硬くなった。
「……あいつ、お前のこと待ってんだろ」
「……」
嘘はつけなかった。
「……ああ。待っててくれてる」
サヤが、黙った。
焚き火の炎が、ぱちぱちと爆ぜる。
「……そうか」
サヤの声は、平坦だった。
でも、どこか——硬かった。
「……怒ってるか」
「怒ってねえ」
「……」
「ただ——」
サヤが、膝を抱えた。
焚き火の光が、その横顔を照らしている。
「……あいつの顔、思い出した。『守りたい人がいる』って言ってた」
前に、ティナがサヤに言った言葉だ。
サヤは、覚えていた。
「あの時は、意味分かんなかった。でも——今なら、分かる」
「……」
「あれ、お前のことだったんだな」
俺は、何も言えなかった。
「……分かってた。お前みたいな奴が、一人だけってわけないだろ」
サヤが、小さく息を吐いた。
「でも、聞いたら——」
サヤの声が、少しだけ震えた。
「ちょっと、むかついた」
正直だった。
でも、その言葉の後、サヤは黙り込んだ。
膝を抱える腕に、力が入っているのが分かる。
「……こういう気持ち、初めてだ」
サヤの声は、小さかった。
「私、今まで——誰かに嫉妬するなんて、なかった」
「……」
「だから、どうしていいか分かんねえ」
サヤが、髪を掻き上げた。苛立ちを誤魔化すように。
「むかつく。なのに——お前のことは嫌いになれない。それが、余計にむかつく」
吐き捨てるような声だった。
でも——どこか、困っているような声でもあった。
「……ごめん」
「謝んな」
サヤが、立ち上がった。
「……寝る」
「サヤ——」
「明日、早いんだろ」
サヤは、振り返らなかった。
その背中が、小さく見えた。
——追いかけるべきだと思った。でも、足が動かなかった。
何を言えばいいのか、分からなかった。
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翌日。
朝から曇り空だった。
サヤは、いつも通りだった。
いつも通り——少しだけ、距離があった。
俺は、何も言えなかった。
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昼前。
丘を越えた先に、見覚えのある景色が広がった。
畑。森。川。
そして——小さな村。
「……あれが、カルム村か」
レナが言った。
「はい」
俺の声が、震えた。
帰ってきた。
本当に、帰ってきた。
「……」
鼻の奥が、ツンとする。
同時に——胸が重くなる。
嬉しいはずなのに、怖い。
会いたかった。でも、会うのが怖い。
父さんの顔が浮かんだ。
母さんの顔が浮かんだ。
ティナの顔が浮かんだ。
(……怒られるな)
分かっていた。
約束を破った。心配をかけた。
でも——それだけじゃない。
(サヤを連れて帰る)
ティナは、どんな顔をするだろう。
怒るだろうか。悲しむだろうか。
笑って迎えてくれるだろうか。
分からない。分からないから、怖い。
でも——
(帰りたかった)
この場所に。
この人たちのところに。
何が起きても、ここが俺の帰る場所だから。
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村の入り口が見えた。
人影がある。
誰かが、こちらに向かって走ってくる。
金色の髪が、風になびいていた。
「——ハル!」
声が聞こえた。
ティナの声だ。
「ハル! ハルーーー!」
涙声だった。
俺は——走り出していた。
考えるより先に、足が動いていた。
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【第26章 終】




