第25章「夜明けの選択」
第25章「夜明けの選択」
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戦いが終わった村は、静かだった。
いや——静かというより、疲弊しきっていた。
崩れた柵。焼け焦げた木材。地面に残る血痕と、魔獣の死骸。
傭兵たちが死骸を片付け、村人たちが怪我人を運んでいく。
俺はサヤと並んで、その光景を眺めていた。
「……ひどいな」
「ああ」
サヤの声は、淡々としていた。
でも、その横顔には疲労の色が濃い。
腕の包帯が、うっすらと赤く滲んでいる。
「怪我、大丈夫か」
「これくらい、なんともない」
「でも——」
「しつこい」
睨まれた。
でも、その目に怒りはない。
どこか——照れているような。
「……心配、してくれてんのは分かってる」
「……」
「だから、いい。大丈夫だから」
サヤが、視線を逸らした。
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「サヤ!」
声がした。
振り返ると、大柄な男が駆けてきた。
四十代くらい。短く刈り込んだ黒髪に、傷だらけの腕。
サヤと同じ、ダークグレーの瞳。
「父さん」
サヤの声が、少しだけ柔らかくなった。
「無事か。怪我は」
「平気。腕をちょっとやっただけ」
「ちょっとじゃねえだろ、その包帯——」
「父さんこそ」
サヤが、男の脇腹を指した。
血が滲んでいる。
「それ、深いんじゃないの」
「かすり傷だ」
「嘘つき」
「お前に言われたくねえよ」
二人が、睨み合う。
でも——どこか、安心したような空気があった。
(生きてた)
サヤの父親。無事だった。
俺は、胸を撫で下ろした。
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サヤの父親が、俺に気づいた。
「……誰だ、こいつ」
「あ、えっと——」
「カルム村から来た。ハル・カーマイン」
サヤが、俺より先に答えた。
「カルム村? 南の?」
「ああ」
「なんでそんな遠くから——」
「私を助けに来たんだと」
サヤの声が、少しだけ小さくなった。
耳が、また赤い。
サヤの父親が、俺を見た。
鋭い目だった。
傭兵——いや、元傭兵か。戦い慣れた人間の目つきだ。
「……子供が一人で、ここまで来たのか」
「途中で傭兵団に拾ってもらいました」
「それでも、大したもんだ」
父親が、俺の肩を叩いた。
痛い。
「こんなところまで、わざわざ助けに来るたあ、見上げた根性だ」
「あ、ありがとうございます」
「父さん」
サヤが、父親の腕を引っ張った。
「その辺にして。……怪我、診てもらわないと」
「お前もな」
「分かってる」
サヤが、俺を見た。
「……待ってろ。すぐ戻る」
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サヤたちが去った後、俺は村の広場に戻った。
傭兵団が、そこに集まっていた。
「おう、坊主。無事だったか」
ゴルドが、俺の頭を撫でた。
「はい。おかげさまで」
「大事な奴には会えたか」
「……はい」
「そうか。よかったな」
ゴルドが、にやりと笑った。
「さて、今夜は休息だ。明日、村の連中と今後のことを話し合う」
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夜が更けた。
村の集会所——半壊した建物だが、屋根はまだある——に、傭兵たちと村人が集まっていた。
俺は隅の方で、毛布にくるまっていた。
疲れているはずなのに、眠れない。
隣には、サヤがいた。
怪我の手当てを終えて、戻ってきたのだ。
「……眠れないのか」
サヤが、小声で聞いてきた。
「ああ。お前は?」
「……同じ」
二人で、天井を見上げた。
隙間から、星が見える。
「……なあ」
「ん?」
「なんで、来た」
サヤが、また同じことを聞いた。
でも、さっきとは違う。
責めるような響きはない。
ただ——確かめたいような、声だった。
「言っただろ。心配だったから」
「……それだけか」
「……」
俺は、少し迷った。
でも——ここで嘘をついても、意味がない。
「会いたかったんだ。お前に」
「……」
サヤが、黙った。
暗くてよく見えないが、頬がうっすら染まっている気がする。
「……馬鹿」
「何回目だよ、それ」
「何回でも言う。馬鹿だから」
「……」
「でも——」
サヤの声が、小さくなった。
「……嬉しかった。ちょっとだけ」
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その時だった。
集会所の奥——傭兵たちが寝ている辺りから、物音が聞こえてきた。
「……ん?」
最初は、寝返りの音かと思った。
でも、違う。
規則的な音。何かが軋む音。
そして——
「……っ、ゴルド……声、聞こえる……」
女の声。
レナの声だ。
「大丈夫だ。みんな寝てる」
低い声。ゴルドだ。
俺は、固まった。
隣のサヤも、同じように硬直している。
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「レナ……今夜は本当に死ぬかと思った……」
ゴルドの声が、いつもと違った。
低くて、少し震えている。
「……馬鹿。死なねえよ、あたしは」
「分かってる。分かってるが——お前がいなくなったら、俺は——」
「言うな」
レナの声が、詰まった。
「言わなくていい。……分かってる」
「レナ……」
「だから——今夜は、好きにしろ」
沈黙。
そして——湿った音。
口づけの音だ。
長い口づけ。舌が絡み合う音が、暗闇に響く。
「んっ……ん……」
「今夜は、離さねえ」
「……好きにしろ」
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衣擦れの音がした。
服を脱がせているのか。
「……っ、あ……待っ……」
「待たねえ。我慢できねえんだよ……生きてて、よかった……」
「……馬鹿……あたしだって……」
声が震えている。
二人とも、今夜の戦いで死を覚悟したのだろう。
その反動が、今、溢れ出している。
そのまま、二人は——
「あっ……んっ……」
抑えた声。でも、漏れてくる。
甘い、苦しそうな、でも嫌がっていない声。
板張りの床が軋む音。規則的に、だんだん速くなっていく。
「……生きてる……お前と一緒に……」
「ああ……生きてる……」
その夜は、長かった。
互いの存在を確かめ合うように、二人は——
やがて、静かになった。
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長い沈黙。
二人の荒い息遣いだけが聞こえる。
「……生きてる、な」
ゴルドの声が、静かに響いた。
「……ああ。生きてる」
「明日も、明後日も、一緒に生き残ろう」
「……当たり前だろ、馬鹿」
レナの声が、微かに震えていた。
「……あんたといると、死ねない気がする」
「俺も同じだ」
「……馬鹿」
「お前も大概だ」
小さな笑い声。
それから——衣擦れの音。
「……寝よう。明日も、早い」
「……ああ」
静寂が、戻ってきた。
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俺は、毛布を頭まで被っていた。
顔が熱い。心臓がうるさい。
隣を見る勇気がない。
でも——気配で分かる。
サヤも、同じように固まっている。
しばらく、沈黙が続いた。
「……」
「……」
「……聞こえた、か」
サヤの声が、かすれていた。
「……聞こえた」
「……」
「……」
また、沈黙。
「……寝よう」
「……ああ」
それ以上、何も言えなかった。
顔を合わせられない。
でも——隣にいるサヤの体温が、やけに近く感じた。
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翌朝。
村の広場に、生き残った住民が集まっていた。
三十人ほど。昨夜の戦いで、また何人か減った。
サヤの父親が、前に立った。
「みんな、聞いてくれ」
声が、広場に響く。
「昨夜の戦いで、柵はほぼ壊滅した。魔獣の数も、日に日に増えている」
「……」
「傭兵団の力を借りて、なんとか凌いでいる。だが——このままじゃ、持たない」
重い沈黙が落ちた。
「俺たちには、二つの選択肢がある」
サヤの父親が、指を立てた。
「一つ。このまま村に残って、戦い続ける」
誰も、何も言わない。
「もう一つ。近隣の村に避難する。南のカルム村か、西のミレア村」
ざわめきが起きた。
「故郷を捨てるのか」
「でも、このままじゃ——」
「子供たちだけでも逃がすべきだ」
「いや、全員で——」
議論が、紛糾し始めた。
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ゴルドが、前に出た。
「俺たちは傭兵だ。依頼は『村の防衛』だった」
全員が、ゴルドを見た。
「正直に言う。このまま防衛を続けても、いずれ限界が来る。俺たちも、永遠にここにいるわけにはいかない」
「じゃあ、見捨てるのか」
「そうは言ってない」
ゴルドが、腕を組んだ。
「避難するなら、護衛する。南のカルム村までなら、二日の道のりだ」
「……」
「戦うか、逃げるか。決めるのは、お前たちだ」
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議論は、昼過ぎまで続いた。
結論は——避難。
子供と老人を優先して、南のカルム村へ。
戦える者の一部は、西のミレア村へ分散する。
ヴェルム村は、一時的に放棄。
「……仕方ねえ」
サヤの父親が、拳を握りしめていた。
「村を守れなかった。俺たちの力が、足りなかった」
「父さん」
サヤが、父親の腕に触れた。
「生きてりゃ、また戻って来れる」
「……ああ」
「だから——」
サヤが、俺を見た。
「私は、カルム村に行く」
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「……は?」
サヤの父親が、目を丸くした。
「お前、何言って——」
「こいつの村だ。世話になる」
「いや、待て。なんでお前が——」
「父さんは、西に行くんだろ。戦える奴と一緒に」
「……ああ。怪我人を守りながら、ミレア村まで」
「なら、私は南だ。子供たちの護衛、人手がいるだろ」
「それは——」
サヤの父親が、俺を見た。
そして、サヤを見た。
また、俺を見た。
「……そういうことか」
「何が」
「いや——」
父親の目が、少しだけ細くなった。
「分かった。好きにしろ」
「……いいの?」
「ダメだって言っても聞かねえだろ、お前は」
「……」
サヤが、俯いた。
「……ありがと」
「礼はいい。——おい、坊主」
俺は、びくりとした。
「は、はい」
「娘を頼んだぞ」
「え——」
「変なことしたら、殺す」
「し、しません!」
サヤの父親が、にやりと笑った。
怖い。
でも——どこか、認められた気がした。
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夕方。
出発の準備が進んでいた。
荷物をまとめ、食料を分配し、怪我人を荷車に乗せる。
俺は、サヤと並んで村の入り口に立っていた。
「……本当にいいのか」
「何が」
「俺の村に来ること」
サヤが、俺を見た。
「……お前、嫌なのか」
「違う。嬉しい。ただ——」
「なら、いいだろ」
サヤが、髪を払って横を向いた。
「……私も」
「……?」
「……もう少し、お前と一緒にいたいって思っただけだ」
声が、掠れていた。
俺は——何も言えなかった。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……ありがとう」
「礼を言うな。気持ち悪い」
「ひどい」
「うるさい」
サヤが、そっぽを向いた。
でも——その横顔は、少しだけ笑っているように見えた。
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明日、出発だ。
南へ。
俺の村へ。
サヤと一緒に。
(ティナ)
幼なじみの顔が、頭に浮かんだ。
帰ったら、なんて言おう。
サヤを連れて帰ったら、どんな顔をするだろう。
(……怒るかな)
いや——あいつは、そういう奴じゃない。
きっと、笑って迎えてくれる。
そう信じたい。
俺は、夕焼けに染まる空を見上げた。
長い旅が、終わろうとしている。
でも——新しい何かが、始まる予感がした。
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【第25章 終】




