第24章「届いた声」
第24章「届いた声」
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村が、燃えていた。
いや——正確には、柵の一部が燃えていた。
魔獣を寄せ付けないための火だ。
俺たちは村の入り口に駆けつけた。
崩れかけた柵。散乱する瓦礫。血の匂い。
「援軍だ! 傭兵団が来たぞ!」
村人の誰かが叫んだ。
歓声が上がる——だが、すぐに途切れた。
「来るぞ! また来る!」
森の方角から、唸り声が響いてきた。
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「全員、迎撃態勢!」
ゴルドの号令が飛ぶ。
傭兵たちが散開し、柵の前に布陣した。
俺も短剣を構えようとした。
「お前は下がってろ」
レナが、俺の前に立った。
「でも——」
「言っただろ。足手まといになるなって」
「……」
「大事な奴に会いたいなら、生き残れ。死んだら会えねえぞ」
その言葉に——反論できなかった。
悔しい。自分の無力さが、情けない。
でも、その通りだった。
「……分かりました」
「よし。柵の内側で待機しろ。終わったら探してやる」
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俺は柵の内側に下がった。
村人たちが、武器を手に集まってくる。
傭兵と村人が入り混じって、防衛線を張る。
そして——
森から、魔獣が現れた。
狼型。十匹以上。
赤い目が、月明かりに光っている。
低い唸り声が、夜気を震わせる。
毛並みが逆立ち、涎が牙を濡らしている。
「来い!」
ゴルドが叫んだ。
戦いが、始まった。
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傭兵たちは、強かった。
魔獣が突っ込んでくるのを、次々と斬り伏せていく。
レナの剣が閃くたびに、獣が倒れる。
血飛沫が舞う。断末魔が響く。
ゴルドの大剣が振り下ろされるたびに、魔獣が真っ二つになる。
地面が赤く染まっていく。
村人たちも負けていない。
槍を構えた男たちが、柵の隙間を塞ぎ、魔獣を串刺しにしていく。
(すごい……)
俺は、その光景に見入っていた。
これが、本物の戦いだ。
俺が村で修行していた頃とは、次元が違う。
命のやり取り。一瞬の判断が生死を分ける。
拳を握りしめた。ここにいることしかできない自分が、たまらなく歯がゆかった。
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だが——
「左から三匹、抜けた!」
誰かが叫んだ。
柵の隙間から、魔獣が村の中に侵入してきた。
三匹の狼型が、村の奥へ駆けていく。
「追え! 村人を守れ!」
傭兵の一人が叫ぶ。
だが、前線は手一杯だ。追撃に回れる人間がいない。
(……行くしかない)
考えるより先に、足が動いていた。
俺は、走り出した。
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三匹の魔獣を追って、村の中を駆ける。
息が切れる。足がもつれそうになる。
一匹が、民家の前で立ち止まった。
扉を嗅いでいる。中に、獲物の気配を感じているのか。
——中から、子供の泣き声が聞こえた。
心臓が、跳ねた。
「させるかっ!」
叫んでいた。
俺は短剣を構えた。
「《火球》!」
炎が、魔獣の背中に命中した。
毛皮が焦げる匂いがする。
獣が振り返る。赤い目が、俺を捉えた。
殺意が、空気を震わせる。
「こっちだ!」
俺は、魔獣の注意を引きつけながら後退した。
民家から離れる。子供を守るために。
足が震えている。怖い。
でも——今、ここで逃げたら。
あの子供が、死ぬ。
魔獣が、俺に向かって跳びかかってきた。
牙が迫る。爪が光る。
「《炎槍》!」
喉から絞り出すように詠唱した。
槍状の炎が、獣の胸を貫いた。
悲鳴を上げて、魔獣が地面に転がる。
痙攣して、動かなくなった。
「はっ……はっ……」
息が荒い。膝が震えている。
(一匹——)
だが、残り二匹がいる。
振り返ると、二匹が同時にこちらを見ていた。
赤い目が、獲物を見定めている。
「……っ」
魔力が、もう少ない。
《炎槍》をあと一発撃てるかどうか。
二匹同時は、無理だ。
(どうする——)
逃げるか。いや、逃げたらあの民家が。
戦うか。でも、勝てるのか。
手が震える。短剣を握る指が、汗で滑る。
その時だった。
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風を切る音。
銀色の光が、俺の横を通り過ぎた。
槍だ。
槍が、一匹の魔獣の首を貫いた。
獣が、声も出さずに崩れ落ちる。
「——は?」
頭が、真っ白になった。
何が起きた。
背後から、足音が聞こえた。
振り返る。
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黒髪が、目の前で揺れていた。
高めのポニーテール。汗で額に張り付いた髪。
ダークグレーの瞳が、俺を見つめている。
「……サヤ」
声が、掠れた。
出そうとしたのに、声にならなかった。
サヤが、そこにいた。
血と土にまみれて、腕に包帯を巻いて——それでも、槍を構えて。
(いる)
(本当に、いる)
信じられなかった。
ずっと会いたかった。ずっと探していた。
その人が、目の前にいる。
「……なんで」
サヤの声が、震えていた。
「なんで、ここに——」
俺は、答えようとした。
言葉を探した。理由を説明しようとした。
でも——口から出たのは、たった一言だった。
「助けに来た」
「……」
「お前を、助けに——」
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残り一匹の魔獣が、唸り声を上げた。
俺たちに向かって、突進してくる。
「後ろ!」
サヤが叫んだ。
俺は振り返った。
間に合わない——短剣を構えるのが精一杯だ。
爪が、眼前に迫る。
だが、サヤが俺の前に飛び出した。
黒髪が翻る。
手に持った二本目の槍を、魔獣の喉に突き立てる。
肉を貫く、鈍い音。
獣が、地面に転がった。
びくびくと痙攣して——動かなくなった。
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「……っ、はあ、はあ……」
サヤが、荒い息を吐いた。
槍を握る手が、微かに震えている。
俺も、膝に手をついた。
足から力が抜ける。
しばらく、二人とも動けなかった。
静寂が、降りてくる。
遠くで、まだ戦いの音が聞こえる。でも、ここには——二人だけだった。
「……馬鹿」
サヤの声が聞こえた。
顔を上げると、サヤが俺を睨んでいた。
「なんで来た。危ないって、分かってただろ」
「……分かってた」
「じゃあ、なんで——」
「お前が心配だったから」
サヤの目が、見開かれた。
「……」
「ダリオさんから聞いた。ヴェルム村が大変だって」
「……」
「じっとしてられなかった。お前が、どうなってるか分からなくて」
俺は、サヤの目を見た。
怖かった。震えていた。
でも——言わなきゃいけないと思った。
「会いたかったんだ。お前に」
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サヤは、何も言わなかった。
ただ、俺を見つめていた。
月明かりの下、その目が——少しだけ、潤んでいるように見えた。
口元が、かすかに震えている。
何か言おうとして、でも言葉にならない。
そんな顔だった。
「……馬鹿」
また、同じ言葉。
でも、さっきとは違う響きだった。
怒りじゃない。責めてるんじゃない。
震えている。声が、かすれている。
「お前、本当に——馬鹿だ」
サヤが、俺の胸を軽く叩いた。
——ぽすん、と。
弱い力だった。子供みたいな、力の入らない拳だった。
「……でも」
サヤの声が、小さくなった。
俯いて、顔が見えない。
耳だけが、赤くなっているのが分かる。
「……来てくれて、嬉しい」
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その言葉を聞いた瞬間——何かが、胸の奥で弾けた。
安堵か。喜びか。それとも——
分からない。分からないけど、目頭が熱くなった。
鼻の奥がツンとする。
泣きそうだった。情けないくらい、泣きそうだった。
「……よかった」
声が震えた。
「……」
「無事で、よかった」
サヤが、顔を背けた。
耳だけじゃない。首筋まで、赤くなっている。
「……変な奴」
「お互い様だろ」
「……」
サヤが、小さく笑った。
吐息みたいな、かすかな笑い声。
初めて見る、柔らかい笑顔だった。
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「おい、無事か!」
声が聞こえた。
振り返ると、レナが駆けてきた。
血がついた剣を片手に、息を切らしている。
「お前——勝手に動くなって言っただろ!」
「す、すみません——」
「まあいい。怪我は?」
「ないです」
レナが、俺とサヤを交互に見た。
目が細くなる。口元が、にやりと曲がった。
「……なるほど。この子が、お前の『大事な人』か」
「え、あ——」
「へえ。いい女じゃねえか」
サヤが、眉を寄せた。
「……誰だ、こいつ」
「あ、えっと、傭兵団の副長で——」
「レナだ。よろしくな、嬢ちゃん」
サヤが、俺を見た。
「……傭兵団?」
「途中で助けてもらったんだ。色々あって」
「……」
サヤの目が、少しだけ細くなった。
レナを見て、また俺を見て。
「……後で、詳しく聞かせろ」
その声に、微かな棘があった。
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前線の方から、歓声が上がった。
「魔獣、撤退したぞ!」
「今夜は凌いだ!」
戦いが、終わったらしい。
俺は、空を見上げた。
月が、雲の切れ間から顔を出している。
冷たい夜風が、火照った頬を撫でていく。
(来れた)
ここまで、来れた。
サヤに、会えた。
生きてた。無事だった。
嬉しいのに、まだ実感がわかない。
夢みたいだ。
——でも、隣にいる。確かに、いる。
「……ありがとう」
誰にともなく、呟いた。
ティナに。母さんに。レナに。傭兵団のみんなに。
俺をここまで連れてきてくれた、全員に。
サヤが、隣でこちらを見ていた。
月明かりに照らされた横顔。
血と土で汚れていても——きれいだと思った。
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【第24章 終】




