第23章「鉄の背中」
第23章「鉄の背中」
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翌朝。
「起きろ、ガキ! 出発だ!」
怒鳴り声で目が覚めた。
体を起こすと、傭兵たちがすでに天幕を畳み始めていた。
空はまだ薄暗い。夜明け前だ。
「ほら、飯だ。五分で食え」
レナが、硬いパンと干し肉を投げてよこした。
「あ、ありがとうございます」
「感謝は後だ。遅れたら置いていくからな」
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傭兵団は、総勢十二人だった。
全員が武装し、荷物を背負い、整然と隊列を組んでいる。
俺は最後尾、レナの後ろについた。
「いいか、お前は俺の後ろから離れるな」
「はい」
「魔獣が出たら、俺が対処する。お前は逃げることだけ考えろ」
「……でも、俺も戦え——」
「黙れ」
レナの声が、鋭くなった。
「足手まといになるなって言っただろ。戦力として数えてねえんだよ、お前は」
「……」
悔しかった。
分かっている。分かっているのに——喉の奥が熱くなる。
「生きてヴェルム村に着くこと。それだけ考えろ」
厳しい言葉だった。
でも——その通りだと思った。悔しいけど。
「……分かりました」
「よし。行くぞ」
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行軍は、過酷だった。
傭兵たちは休憩もほとんど取らず、黙々と歩き続ける。
俺は必死についていくだけで精一杯だった。
足が痛い。息が切れる。
太腿が悲鳴を上げている。踵に水膨れができたのが分かる。
でも、弱音は吐けない。
(置いていかれたら、終わりだ)
歯を噛みしめて、一歩、また一歩と足を進めた。
レナの背中を見つめる。
革鎧に覆われた、幅広の背中。無駄のない動きで歩いている。
あの背中についていけ。それだけを考えろ。
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午前中。
先頭を歩いていた傭兵が、手を上げた。
「止まれ」
全員が足を止める。
俺も慌てて立ち止まった。
「……どうした」
レナが、前方に目を凝らす。
「魔獣の気配だ。左の茂み」
緊張が走った。
傭兵たちが、音もなく武器に手をかける。
俺も短剣を握った。
——指が、微かに震えている。
しばらくの沈黙。
風が、茂みを揺らす。
「……行ったか」
先頭の傭兵が、手を下ろした。
「進め。ただし警戒は解くな」
行軍が再開された。
俺は、まだ胸の奥で何かが暴れていた。
怖い。怖いのに——どこかで、ほっとしている自分がいる。
戦わなくて済んだ。それが嬉しいのか、情けないのか、分からない。
(これが、本当の戦場に近づくってことか)
村で修行していた頃とは、空気が違う。
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昼過ぎ。
ようやく休憩が入った。
俺は木の根元に座り込み、荒い息を吐いた。
膝が笑っている。指先がじんじんする。
「へばったか、坊主」
声をかけてきたのは、大柄な男だった。
禿頭に傷跡。腕は俺の胴体ほどもある。
「お、おじさんは……」
「ゴルドだ。この傭兵団の団長をやってる」
団長。
レナが話を通してくれた相手だ。
「あ、あの、同行を許可していただいて——」
「礼はいい。レナが認めた奴なら、俺も認める」
ゴルドが、俺の隣に腰を下ろした。
地面が軋んだ気がした。それくらい、大きい。
「しかし、大したもんだな。子供が一人で、ここまで来るとは」
「……途中で倒れましたけど」
「倒れても、北を目指してたんだろ? レナから聞いた」
「……」
「大事な奴がいるんだってな」
ゴルドが、空を見上げた。
「守りてえもんがある奴は、強くなる。覚えとけ」
その言葉が、胸の奥に沁みた。
——守りたいもの。
サヤ。ティナ。家族。
守りたいものなら、ある。
「……はい」
「俺たちも同じだ。金のためだけじゃねえ。守りてえもんがあるから、戦ってる」
ゴルドが、立ち上がった。
「お前も、その仲間入りだ。生き残れよ、坊主」
——仲間。
その言葉に、胸が熱くなった。
認められた気がした。ほんの少しだけ、この場所に居ていいと言われた気がした。
「……はい」
声が、震えていたかもしれない。
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午後の行軍。
隊列の中で、傭兵たちが小声で話しているのが聞こえた。
「なあ、ヴェルム村ってどれくらいやばいんだ?」
「毎晩数十匹だとよ。柵も半壊してるらしい」
「マジかよ。援軍が俺たちだけで足りんのか」
「足りなくても行くしかねえだろ。依頼は受けたんだから」
傭兵たちの声は、軽口を叩きながらも硬さを含んでいた。
これから向かう先が、どれだけ危険か。
全員が分かっている。
分かっていて、歩いている。
俺は、その背中を見つめながら歩いた。
(この人たちは、命をかけて戦いに行く)
金のため。守りたいもののため。
理由は様々だろう。でも——足を止めない。
自分が、どれだけ甘かったか。
少しだけ、分かった気がした。
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夕方。
野営地を設営することになった。
俺も手伝おうとしたが、レナに止められた。
「お前は休んでろ。明日も歩くんだ」
「でも——」
「いいから」
レナが、俺の頭を軽く叩いた。
——ぽん、と。
不思議と、嫌じゃなかった。
「無理すんな。倒れられたら、俺が困る」
ぶっきらぼうな言葉。
でも——心配してくれているのが、分かった。
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夜。
焚き火の傍で、俺は毛布にくるまっていた。
傭兵たちは天幕に入ったり、焚き火の周りで酒を飲んだりしている。
レナが、隣に座った。
「眠れないか」
「……少し」
「緊張してるな」
「……はい」
レナが、水筒から何かを飲んだ。酒の匂いがする。
「明日、村に着く。そこからが本番だ」
「……」
「怖いか」
「……正直、怖いです」
「そうか」
レナが、焚き火を見つめた。
炎が顔を照らしている。傷ひとつない、引き締まった横顔だった。
「怖いのは、普通だ。怖くない奴は、馬鹿か、嘘つきだ」
「……レナさんも、怖いんですか」
「当たり前だろ」
レナが、にやりと笑った。
「でも、怖くても行く。それが傭兵だ」
「……」
「お前も同じだろ。怖くても、大事な奴のところに行きたい」
「……はい」
「なら、それでいい」
レナが、立ち上がった。
「寝ろ。明日に備えろ」
「……レナさん」
「ん?」
「……ありがとうございます。助けてくれて」
レナが、少しだけ目を細めた。
「礼を言うのは、生き残ってからだ」
そう言って、天幕に向かって歩いていく。
その背中を見送りながら——俺は、少しだけ分かった気がした。
この人は、優しい。
ぶっきらぼうで、厳しくて、口が悪い。
でも——優しい人だ。
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翌日。
行軍は続いた。
昨日よりも、少しだけ足が軽い気がする。
——嘘だ。体は悲鳴を上げている。
でも、心が違う。
一人じゃない。
その事実が、俺の足を前に進ませていた。
二日目の午後、レナが足を止めた。
「見えるか」
指差す先に、煙が上がっていた。
「あれが、ヴェルム村だ」
——息が、止まった。
煙。
黒い煙が、空に向かって立ち昇っている。
戦いの煙だ。
「……サヤ」
胸の奥で、何かが叫んでいた。
俺は、走り出しそうになった。
足が勝手に動いていた。考えるより先に、体が前に出ていた。
「待て」
レナが、俺の肩を掴んだ。
強い力だった。
「焦るな。ここからが本番だ」
「でも——」
「お前の大事な奴は、まだ生きてる。煙が上がってるってことは、戦ってるってことだ」
戦ってる。
——サヤが、今も戦ってる。
その言葉で、少しだけ頭が冷えた。
でも——手が震えていた。
怖いんじゃない。
会いたい。早く会いたい。無事を確かめたい。
その気持ちが、抑えられない。
「……はい」
「よし。いい顔になってきたな」
レナが、俺の背中を叩いた。
「お前、見込みがある。生き残れよ」
その言葉が——嬉しかった。
胸の奥が熱くなる。涙が出そうになる。
——泣くな。まだ何も終わっていない。
「……はい!」
「よし。全員、戦闘準備! これより、ヴェルム村の救援に向かう!」
ゴルドの号令が響いた。
傭兵たちが、武器を構える。
俺も、短剣を握りしめた。
柄が手のひらに食い込む。
怖い。
怖いけど——行く。
(サヤ)
今、行く。
必ず、辿り着く。
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【第23章 終】




