第22章「倒れた先に」
第22章「倒れた先に」
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三日目の朝。
目を開けた瞬間、体が動かなかった。
「……っ」
全身がズシリと沈み込むようだ。
節々が痛む。熱っぽい。
(風邪、引いたか……)
当然だ。
二晩続けて、ろくに眠れていない。
食事も干し肉とパンだけ。体が限界を訴えている。
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それでも、起き上がった。
水筒の水を飲む。残りは四分の一ほど。
干し肉を一切れ、口に放り込んだ。
これで、食料は残り一日分。
(あと、三日以上歩かなきゃいけないのに)
計算が合わない。
分かっていた。
最初から、無謀な旅だって。
「……行くぞ」
自分に言い聞かせて、歩き出した。
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足が重い。
頭がぼんやりする。
街道を歩いているはずなのに、景色が霞んで見える。
(熱、あるな……)
額に手を当てた。熱い。
でも、止まれない。
止まったら、そこで終わりだ。
(サヤが……待ってる)
その想いだけを支えに、一歩、また一歩と足を進めた。
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昼頃。
とうとう、限界が来た。
視界が揺れる。
地面が傾いているように見える。
自分の足がどこにあるのか、分からなくなる。
「……っ」
膝が折れた。
地面に手をついて、なんとか体を支えようとした。
——支えられなかった。
腕が震える。力が入らない。指先が痺れている。
汗が止まらないのに、体の芯は凍えるように冷たい。
どさり、と。
自分の体が倒れる音が、やけに遠く聞こえた。
砂利が頬に当たる。冷たい。でも、起き上がれない。
空が、青い。
雲が、ゆっくり流れていく。
(ここで……終わりか)
悔しい。
サヤのところに、辿り着けない。ティナとの約束も、守れない。
——でも。
(嫌だ)
体が動かないのに、心だけが叫んでいた。
(まだ、嫌だ)
終わりたくない。こんなところで終わりたくない。
まだ何も果たせていない。まだ誰も守れていない。
母さんのお守りを、握りしめようとした。
指が動かない。
それでも——諦めきれなかった。
諦めきれないまま、意識が、遠くなっていく。
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——声が聞こえた。
「おい、大丈夫か!」
誰かが、俺の体を揺すっている。
「しっかりしろ! おい!」
女の声だ。
低くて、ハスキーで——どこか温かい声。
俺は薄目を開けた。
逆光で、顔がよく見えない。
「……だ、れ……」
「喋るな。水、飲めるか?」
口元に、水筒が当てられた。
冷たい水が、喉を潤す。
「……っ、げほっ」
むせた。でも、体が水を欲していた。
「ゆっくりでいい。少しずつ飲め」
言われるままに、水を飲んだ。
少しだけ、頭がはっきりしてきた。
目の前の人物が、ようやく見えた。
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女だった。
二十代半ばくらい。短く切り揃えた茶髪に、日焼けした肌。
革鎧を身につけ、腰には剣を佩いている。
冒険者——いや、傭兵か。
鋭い目つきだが、今は心配そうに俺を見下ろしている。
「子供が一人で何やってんだ。死にかけてたぞ」
「……北に……行かなきゃ……」
「北? この先は魔獣だらけだぞ。大人でも単独行動は避ける」
「……でも……」
「いいから休め。話は後だ」
女が、俺の体を抱き上げた。
軽々と。
「近くにあたしたちの野営地がある。そこまで運ぶ」
「あたし……たち……?」
「傭兵団だ。北の村に向かう途中でな」
北の村。
その言葉に、意識が少しだけ冴えた。
「ヴェルム……村……」
「ああ、そうだ。知ってるのか」
「……行きたい……そこに……」
女が、俺の顔を覗き込んだ。
「友達がいるんだ。……助けに……」
「……」
女は、しばらく黙っていた。
そして——
「分かった。とりあえず野営地まで来い。話はそれからだ」
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揺られながら、俺は目を閉じた。
知らない人に抱えられている。
本来なら警戒すべきなのに——不思議と、安心していた。
温かい。
誰かの体温が、凍えた体に染み込んでくる。
(……助かった、のか)
信じられない気持ちと、じわりと込み上げてくる安堵。
まだ終わりじゃない。
俺は、まだ——
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目を覚ました時、俺は焚き火の傍にいた。
毛布がかけられている。
まだ怠いが、さっきよりはマシだ。
「起きたか」
さっきの女が、焚き火の向こうに座っていた。
傍らには、干し肉を焼いている串。
「……ここは」
「言っただろ。傭兵団の野営地だ」
周囲を見回すと、天幕がいくつか張られていた。
男たちが何人か、武器の手入れをしたり、談笑したりしている。
「腹、減ってるだろ。食え」
女が、焼いた肉を差し出した。
俺は——躊躇なく受け取った。
熱い。でも、美味い。
塩気のある肉が、空っぽの胃に染み渡る。
「……ありがとう、ございます」
「礼はいい。で、話を聞かせろ」
女が、俺の正面に座り直した。
「なんで子供が一人で、北を目指してる。親は?」
「……村に、います」
「逃げてきたのか?」
「違います。……友達を、助けに」
「友達?」
「ヴェルム村に、大事な人がいるんです」
女の目が、少しだけ細くなった。
「……お前、名前は」
「ハル。ハル・カーマインです」
「あたしはレナ。この傭兵団の副長だ」
レナ、と名乗った女が、腕を組んだ。
「ヴェルム村は、今やばいことになってる。知ってるか」
「……魔獣が、増えてるって」
「増えてるなんてもんじゃない。毎晩、数十匹単位で押し寄せてる」
心臓が、跳ねた。
「村は持ちこたえてるが、いつまで持つか分からない。だからあたしたちが援軍に向かってる」
「……」
「正直、子供を連れていく余裕はない」
レナの言葉に、胸が冷えた。
「でも——」
レナが、俺の目を見た。
「お前、さっき倒れながらも北を目指してた。熱出して、食料も尽きかけて、それでも」
「……」
「その根性は、認める」
レナが、立ち上がった。
「団長に話を通してやる。足手まといにならないなら、連れて行ってやってもいい」
「……!」
「ただし、条件がある」
レナが、俺を見下ろした。
「村に着くまで、あたしの言うことを聞け。勝手な行動は許さない」
「……はい」
「返事が小さい」
「はい!」
レナが、にやりと笑った。
「よし。じゃあ今日は休め。明日から、地獄の行軍だぞ」
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焚き火の傍で、俺は空を見上げた。
星が、瞬いている。
(サヤ)
もう少しだ。
もう少しで、届く。
「……必ず行く」
今度こそ、声に出して言った。
約束だ。
必ず、辿り着く。
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【第22章 終】




