第20章「遠い炎」──サヤ視点
第20章「遠い炎」──サヤ視点
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また、魔獣が来た。
私は槍を構えたまま、柵の向こうを睨んでいた。
夜闘は三日連続。腕が重い。指先の感覚が鈍くなっている。
「サヤ! 左から二匹!」
父さんの声が飛ぶ。
振り向きざまに槍を突き出す。狼型の魔獣——その喉元を貫いた瞬間、熱い飛沫が頬にかかった。
もう一匹が跳びかかってくる。
牙が月明かりを反射する。近い。間に合わない——そう思った時には、体が勝手に動いていた。
柄で顎を打ち上げる。怯んだ隙に、返す刃で腹を裂く。
悲鳴。血飛沫。倒れる獣。
「……っ」
息が荒い。心臓がうるさい。
怖い。
怖いのに——止まれない。止まったら、死ぬ。
膝に手をついた。視界がぼやける。
「大丈夫か」
父さんが駆け寄ってきた。
「平気」
嘘だ。
腕が震えている。でも、それを認めたら——立てなくなる気がした。
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ヴェルム村。
傭兵と元傭兵ばかりが住む、北の辺境の村。
一週間前から、魔獣の襲撃が激しくなった。
最初は数匹だった。
今は、毎晩十匹以上が押し寄せてくる。
「このままじゃ、持たねえな」
父さんが、柵に寄りかかった。その背中が、少しだけ小さく見えた。
「援軍の話は」
「わからん、期待はするな。どこも手一杯だとさ」
舌打ちが漏れた。
私たちは、おそらく見捨てられている。
分かっていた。この村は、最初から——誰にも期待されていない場所だ。
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夜明け前。
ようやく襲撃が止んだ。
私は井戸で水を汲み、顔と腕を洗った。
冷たい水が、汗と返り血を流していく。
薄い肌着が濡れて、肌に張り付いた。
ぴたり、と布地が体に密着する。引き締まった腹筋のライン、鍛えられた腕の輪郭が浮かび上がっていた。
——見られたくない。
こんな姿、誰にも。
汗で透けた布地が、乳房の形まで拾っている。村の男たちの視線が痛い時がある。戦士として見てほしいのに、女として見られる。それが——たまらなく嫌だった。
でも。
(あいつなら——)
ふと、そんな考えが浮かんだ。
慌てて首を振る。
何を考えている。
獣の血の匂いが、まだ鼻に残っている。こんな時に——馬鹿なことを。
髪を絞り、小屋に戻った。
藁のベッドに倒れ込む。
疲れているのに、眠れない。
目を閉じると——あいつの顔が浮かぶ。
(ハル……)
南の村で会った、変な奴。
魔法使いのくせに、剣も振る。
ビビりのくせに、いざとなったら突っ込んでくる。
「……なんで」
呟いた。
なんで、あいつのことばかり考えてしまうんだろう。
分からない。分からないのが、苛立たしい。
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翌朝。
集会所で、村の大人たちが話し合っていた。
「南に逃げるべきだ」
「馬鹿言え、途中で魔獣に襲われるぞ」
「このまま籠城しても、いつか破られる」
「だったらどうしろってんだ!」
怒号が飛び交う。
私は壁際に立って、黙って聞いていた。
答えなんか、誰も持っていない。それを叫び合っているだけだ。
「……サヤ」
父さんが、隣に来た。
「お前は、どう思う」
「……逃げるなら、早い方がいい」
「だな」
父さんが、腕を組んだ。
「だが、全員は無理だ。足の遅い奴がいる」
「……」
「誰かが、殿をやらなきゃならねえ」
その言葉の意味が、分かった。
父さんは——残るつもりだ。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられた。
「私も残る」
「駄目だ」
「なんで」
「お前は若い。生き延びろ」
「父さんだって——」
「俺は傭兵だ」
父さんが、私の頭に手を置いた。
大きな手だった。昔から、この手に守られてきた。
「こういう時のために、生きてきた」
その声が、穏やかだった。
穏やかすぎて——怖かった。
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その夜。
襲撃は、さらに激しくなった。
十五匹。
過去最大の数だ。
「来るぞ! 構えろ!」
ロルフの怒号が響く。
私は柵の前に立ち、槍を構えた。
月明かりの下、黒い影が次々と森から飛び出してくる。
心臓が跳ねている。手のひらが汗ばむ。握りが滑りそうだ。
——怖い。
でも、同時に——血が滾っている。
この矛盾が、自分でも分からない。死にたくない。でも、退きたくない。
最初の一匹が柵に体当たりした。木が軋む。衝撃が腕に伝わる。
「させるかっ!」
槍を突き出す。眼窩を貫いた。手応え。熱い血が柄を伝って流れてくる。
だが、次が来る。その次も。
右から跳びかかってきた魔獣を、横薙ぎに払う。
左から来たもう一匹——間に合わない。
体が凍る。死ぬ。そう思った。
「サヤ!」
父さんの槍が、横から獣を貫いた。
「前を見ろ!」
「分かってる!」
声が震えていた。——怖い。でも、立ってる。まだ、戦える。
三匹目が正面から突っ込んでくる。
槍の柄で顎を打ち上げ、怯んだ隙に喉を突く。
血が噴き出す。返り血が顔にかかった。温かい。気持ち悪い。でも——
(まだ、だ)
「柵が——!」
誰かの悲鳴。
振り返ると、柵の一角が崩れていた。
五匹の魔獣が、村の中に雪崩れ込んでくる。
「押し返せ! ここで止めろ!」
ロルフが叫ぶ。傭兵たちが殺到する。
私も駆けた。
足が重い。息が続かない。でも——止まるな。止まったら、終わりだ。
一匹の背中に槍を突き立てる。
振り向いた別の一匹——爪が腕を掠めた。
「っ……!」
熱い。血が滴る。
痛みを無視して、槍を振り下ろす。頭蓋を砕いた。
骨が砕ける感触が、手のひらに伝わる。
気持ち悪い。でも——
(生きてる)
私は、まだ生きている。
それだけが、確かだった。
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どれくらい戦っただろう。
気づけば、空が白み始めていた。
魔獣の死骸が、村のあちこちに転がっている。
私は血まみれの槍を杖代わりにして、かろうじて立っていた。
全身が汗と血にまみれている。黒髪が額に張り付いて、視界を遮る。
息が荒い。膝が震える。立っているのが、やっとだ。
「……凌いだ、か」
父さんの声。
振り返ると、父さんも立っていた。無事だ。——それだけで、涙が出そうになった。
「……ああ」
声が掠れる。
なんとか、生き延びた。
でも——怪我人が増えた。死者も一人出た。
柵は半壊。
次の襲撃を、耐えられるか分からない。
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私は崩れかけた柵の傍に座り込んだ。
朝焼けが、空を染めていく。
南の方角——カルム村がある方向を、ぼんやりと眺めた。
(ハル)
あいつは今、何をしてるんだろう。
平和に暮らしてるんだろうか。
ティナって奴と、仲良くやってるんだろうか。
——その想像が、なぜか胸を刺した。
(なんで)
なんで、こんな気持ちになる。
あいつが誰と仲良くしようが、私には関係ない。
関係ないはずだ。
なのに——胸の奥が、ざわざわする。
認めたくなかった。
でも、認めないと——この気持ちが、どこにも行けない。
(……会いたい)
その想いが、ふっと浮かんだ。
自分でも驚いた。
——いや、驚いたふりをしているだけだ。
本当は、ずっと前から分かっていた。
私は——あいつに、会いたいと思っている。
「……なんなんだ、これ」
声が漏れた。
恋なのか。
そんなもの、したことがない。分からない。
ただ、あいつの顔が見たい。
声が聞きたい。
あの真剣な目で、私を見てほしい。
——そんな自分が、情けなくて、恥ずかしくて、どうしようもなかった。
「来るわけ、ないよな」
自嘲が漏れた。
あいつは南にいる。
ここで何が起きてるかなんて、知らないだろう。
知っていたとしても——こんな場所まで、来てくれるはずがない。
「……来なくていい」
呟いた。
本当は、来てほしい。
でも——来てほしくない。
こんな場所に来たら、あいつだって危ない。
あいつには、平和な場所で、笑っていてほしい。
矛盾している。自分でも分かっている。
でも、どうしようもない。
どっちも、本当の気持ちだから。
朝焼けの空が、少しだけ滲んでいた。
——涙じゃない。
きっと、汗が目に入っただけだ。
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【番外編 第20章 終】




