第14章「槍と、傷痕」──サヤ視点
第14章「槍と、傷痕」──サヤ視点
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北のヴェルム村に戻ってきて、三日が経った。
「サヤ、飯だ」
父さんの声が、小屋の奥から聞こえた。
「今行く」
槍を壁に立てかけて、居間に向かう。
木の器に盛られた、薄いスープと硬いパン。いつもの食事だ。
「今日も修行してたのか」
「当たり前だろ」
「無理すんな。お前、最近ずっと根詰めてる」
父さんが、スープを啜りながら言った。
四十を超えた傭兵崩れ。右腕に、古い刀傷がある。昔、戦場でつけられたものだ。
「別に。いつも通りだ」
「嘘つけ。カルム村から帰ってきてから、目の色変わってる」
「……」
否定できなかった。
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カルム村。
あの村で出会った、奇妙な奴。
「ハル、か……」
名前を口にすると、胸の奥がざわつく。
苛立つ。この感覚が、苛立つ。
あいつは弱かった。魔獣三匹に囲まれて、一人じゃ死んでたところだ。
自分で言うのもなんだが、かなりぶっきらぼうだったと思う……
でも、あいつは真っすぐに感謝の言葉をぶつけてきた。
初対面の、愛想のない、ぶっきらぼうな私相手に。
「……妙な奴だ」
「何の話だ?」
「独り言」
父さんが、不審そうな目でこちらを見た。
私は視線を逸らして、パンを齧った。
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この村は、傭兵と元傭兵ばかりだ。
戦場で稼いで、怪我をして、引退して、ここに流れ着いた連中。父さんもその一人。
母さんは、私が五つの時に死んだ。
病気だった。金がなくて、まともな治療を受けさせられなかった。
だから、私は強くならなきゃいけない。
金を稼げるくらい。誰にも頼らなくていいくらい。
そう決めて、十年近く槍を振り続けてきた。
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「なあ、サヤ」
「何」
「お前、そろそろ傭兵団に入るか?」
父さんが、真剣な顔で言った。
「ロルフの野郎が、お前を欲しがってた。腕は確かだって」
ロルフ。村の傭兵団の頭だ。
「……まだ早い」
「十二だろ。この村じゃ、十で戦場に出る奴もいる」
「知ってる。でも、まだ足りない」
「何が」
「全部」
私は、パンを飲み込んだ。
「もっと強くなってからじゃないと。中途半端で戦場に出たら、死ぬだけだ」
父さんが、しばらく黙っていた。
それから、ふっと笑った。
「……母さんに似てきたな」
「え?」
「頑固なとこ。譲らないとこ。そっくりだ」
母さんのことは、あまり覚えていない。
でも、そう言われると——悪い気はしなかった。
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夜。
私は、小屋の屋根に登っていた。
星が見える。月も出ている。
カルム村で見た月と、同じ月だ。
「……くそ」
また、あいつのことを考えている。
何でだ。会ったのは二回だけ。話したのも、ほんの少し。
なのに、頭から離れない。
あの目。私を見つめてきた、真っ直ぐな目。
「また会いたい」なんて、平気で言ってきた顔。
そして——あの金髪の女。
「ティナ、だっけ」
あいつの幼なじみ。私に手合わせを申し込んできた、不思議な女。
負けても笑ってた。「また来たら手合わせして」なんて言ってた。
普通、負けたら悔しがるだろ。泣くか、怒るか。
なのに、あいつは笑ってた。
「……理解できない」
二人とも、理解できない。
この村の連中とは、全然違う。
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ヴェルム村の連中は、みんな硬い。
笑わない。弱みを見せない。見せたら、舐められる。
私もそうやって育ってきた。
でも、あの二人は違った。
ハルは、弱いくせに「また会いたい」なんて言ってきた。
ティナは、負けたくせに笑ってた。
「……分からない」
分からない。あいつらが、分からない。
でも——
(嫌いじゃ、ない)
その事実が、一番厄介だった。
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屋根から降りようとした時、隣の小屋から声が聞こえた。
女の声。甘い、切なげな声。
私は、足を止めた。
隣の小屋は、ロルフの家だ。傭兵団の頭。四十過ぎの、傷だらけの男。
最近、若い女を囲ったって噂は聞いてた。
木壁越しに、寝台が軋む音が聞こえてくる。
男と女の、低い会話。息遣い。
私は、耳を塞いだ。
塞いでも、聞こえてくる。
寝台の軋みが激しくなる。女の声が高くなっていく。
やがて——静かになった。
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私は、屋根の上で膝を抱えていた。
(……何やってんだ、私)
聞くつもりはなかった。たまたま聞こえただけだ。
でも、体が熱い。
顔が火照っている。心臓が、うるさいくらいに鳴っている。
「くそ……」
こういうのは、この村じゃ珍しくない。
傭兵は荒っぽい。女も、金のために体を売る奴がいる。
私は、そういうのとは無縁だった。強くなることしか考えてなかった。
男に興味なんかない。そう思っていた。
でも——
(あいつと、ああいうこと——)
ハルの顔が、浮かんだ。
あの真っ直ぐな目。私を見つめてきた、あの目。
その目で、見つめられながら——
「っ……!」
慌てて、頭を振った。
「何考えてんだ、私……!」
馬鹿だ。馬鹿すぎる。
会ったのは二回だけ。話したのも、ほんの少し。
なのに、何であいつの顔が浮かぶんだ。
体の奥が、じんと疼いている。さっき聞いた声が、頭の中でぐるぐる回っている。
「……分からない」
自分が、分からない。
この感情に、名前をつけたくない。つけたら、認めることになる。
私は、膝を強く抱えた。
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翌朝。
父さんが、珍しく早く起きていた。
「サヤ。今日、カルム村に行くぞ」
「は?」
「商人への用事がある。前に頼んでた槍の穂先が届いてるはずだ。お前も来い」
カルム村。
あいつがいる村。
「……なんで私が」
「荷物持ち。それと、護衛。最近、街道で魔獣が出るって話だからな」
「……」
「嫌か?」
嫌じゃない。
嫌じゃないのが、一番嫌だ。
「……別に。行けばいいんだろ」
「そうだ。準備しろ」
父さんが、背を向けた。
私は、槍を手に取った。
心臓が、落ち着かない。
(あいつに、会えるかもしれない)
そう思った瞬間、自分の頬が緩みそうになった。
慌てて、顔を引き締める。
「……くそ」
おかしい。私は、絶対におかしい。
でも、足は自然と動いていた。
早く行きたいと思っている自分が、信じられなかった。
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【番外編 第14章 終】




