第1章「さよなら、ぼっち人生」
第1章「さよなら、ぼっち人生」
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天井のシミを数えるのにも飽きた。
病院のベッドに寝転がって、もう何日になるだろう。
見舞いに来る人間なんて一人もいない。
当たり前だ。友達はいない。家族とは二十年以上前に縁を切られた。恋人なんて、一度もできたことがない。
七十二年。
俺の人生は、七十二年だった。
「……ハーレム、したかったなあ」
誰に言うでもなく、声が漏れた。
情けない。死ぬ間際に出てくる言葉がそれかよ。
でも、本音だった。
美少女に囲まれて「あなたが好き」って言われたかった。
朝起きたら隣に女の子がいて、「おはよう」って笑ってほしかった。
誰かに必要とされたかった。
誰かを守りたかった。
誰かの特別になりたかった。
全部、叶わなかった。
ゲームの中でしかハーレムなんて経験したことがない。
二次元の女の子に「好き」って言われて、画面の前で泣いたことがある。三十代の頃だ。
あの時、俺は確かに幸せだった。
現実には何もなかった。
バイト先でも空気。近所付き合いもゼロ。SNSのフォロワーは三人で、全員bot。
最後に誰かと会話したのは、一週間前の看護師さんだ。
「加賀見さん、お薬の時間ですよー」
それだけ。
俺の人生で一番長い会話が、コンビニの店員との「袋いりますか」「いえ」だったかもしれない。
「…………」
天井のシミが滲む。
泣いてるのか、俺。
情けない。みっともない。七十二にもなって、病室で一人で泣いてる。
なのに、涙が止まらなかった。
やり直したい。
もう一回、最初からやり直せたら。
今度はちゃんと頑張る。ちゃんと人と関わる。ちゃんと努力して、ちゃんとモテて、ちゃんとハーレム作って──
「……無理、か」
目を閉じた。
怖い。死ぬのが、怖い。
なのに——どこかで、ほっとしている自分がいた。
もう頑張らなくていい。もう一人で耐えなくていい。
楽になれる。
その安らぎが、余計に悲しかった。
次に目を開けることは、たぶんない。
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白かった。
真っ白な空間に、俺は立っていた。
「……は?」
死んだはずだ。心臓が止まる感覚は、確かにあった。
なのに、今は立っている。体がある。
両手を見下ろすと、シワだらけだった皮膚がない。若い。いや、若いというか──
「……子供?」
自分の体が小さい。五歳か、六歳くらいの。
「おめでとうございます」
声が聞こえた。
振り返る。誰もいない。白い空間が広がっているだけ。
「あなたは選ばれました」
声は続く。男とも女ともつかない、不思議な響き。
「どこ……誰だ」
「名乗る必要はありません。ただ、伝えることがあります」
白い空間が揺らいだ。
足元から、何かが染み上がってくる。色だ。緑と、青と、茶色。草原と、空と、土。
「あなたはこれから、別の世界で生まれ直します」
「……は?」
「記憶は残ります。能力も、少しだけ授けましょう。ただし──」
声が、笑った気がした。
「その先は、あなた次第です。どう生きるかは、あなたが決めてください」
「待て、ちょっと待て! 意味が分からない! なんで俺が──」
「理由は、ありません」
声が遠ざかる。
「少なくとも、私はあなたに伝える理由を持ちません。あなたが知る必要もありません」
「おい!」
「さようなら、加賀見春男さん。あなたの二度目の人生に、幸運を」
世界が弾けた。
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泣き声が聞こえた。
自分の泣き声だと気づくのに、数秒かかった。
(……赤ん坊?)
体が動かない。視界がぼやけている。
でも、温かい。誰かに抱かれている。大きな手。優しい声。
——なんだ、これ。
胸の奥が、じんとした。
知らない感覚だった。いや、知っている。ただ、あまりにも久しぶりすぎて、名前が思い出せない。
「ほら、泣くな泣くな。俺がついてるだろ」
男の声だ。低くて、どこか陽気で。
「ガルド、もっと優しく抱いてあげて」
女の声。柔らかくて、疲れている。
「これでも優しくしてるっての。なあ、坊主。お前、いい面構えしてるじゃねえか」
抱き上げられる。
視界が揺れて、ぼんやりとした影が見えた。大きな輪郭。低くて陽気な声。
「よう。俺はガルド。お前の父親だ」
父親。
「こっちはリーナ。お前の母親な」
母親。
——嘘だろ。
信じていいのか、分からなかった。
でも、この手は——確かに、俺を抱いている。
「名前、決めたの?」
「ああ。ハル。ハル・カーマインだ」
ハル。
春男、じゃない。でも、ハル。
偶然か。それとも──
「いい名前でしょ。私が考えたのよ」
「はいはい、お前のおかげだよ」
二人が笑う。
その笑い声を聞きながら、俺は──ハルは、赤ん坊の体の中で、ぼんやりと考えていた。
(転生、した)
嘘みたいだ。
(本当に、やり直せるのか)
心臓が跳ねた。小さな、赤ん坊の心臓が。
(だったら)
今度こそ。
今度こそ、本気でやる。
本気で努力する。本気で人と関わる。本気で強くなる。
そして──
(ハーレム、作ってやる)
絶対に。
何がなんでも。
美少女に囲まれて、愛されて、必要とされて、誰かの特別になって。
前世の俺が夢見た全部を、今度こそ手に入れる。
泣き声が止まった。
代わりに、笑い声が漏れた。赤ん坊特有の、きゃっきゃという声。
「おお、笑った! リーナ、見ろ、笑ってるぞ!」
「本当……可愛い」
違う。
これは笑ってるんじゃない。
決意だ。
(見てろよ、前世の俺)
今度こそ、全力で生きてやる。
(全力でハーレム、目指してやる)
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……なんて、格好いい決意を固めたはいいものの。
赤ん坊の体は、マジで不便だった。
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【第1章 終】




