生きよ、青春。
初めて訪れた屋上は、寂しいものだった。誰もいないし何も無い。あるのはせいぜい、ぐるりと据え付けられた柵と、涼しげに吹く風くらいか。
「役得だねぇ、宿直も」
こんな気持ちのいい特等席で夕焼けを拝めるなんて、貧乏くじ様々だ。ここなら、祭の花火も綺麗に見えるかもしれない。
校内は禁煙だが外は外。無人をいいことに、柵にもたれてタバコに火をつけた。
――〝青春〟とは、何なのだろう?
春でもない暑い夏に、青くもない夕焼ける空を眺め、大して吸いもせず灰になるだけのものを指でもてあそび、視界の端にくゆる紫煙を捉えながらぼんやりと考える。甘酸っぱいレモンの味に例えられることもあるが、そんな爽やかさとは逆に、熱くて汗臭かったり、思い出すたび穴に入りたくなるような汗顔の思い出が詰まっているのかもしれない。
そもそも、この〝青〟が指すのは緑色だ。昔は〝緑〟という概念がなく、青と呼ぶ色の範囲が広かったかららしい。草木のしげる様を「青々」と表現するのも同じ理由からだろう。
そういえば、明るい〝茶〟髪も「〝赤〟毛」と言うなぁ。などと、要らない思考がよぎったところで、タバコをひと吸いして煙を吹いた。
「春青く。夏は朱くれ、白秋に。暗き玄冬、芽吹きを夢む……なんてな」
「詠み人、オレ。ってかぁ?」
すぐとなりで聞こえた声に、驚きはしなかった。なんとなく、現れる予感があったのだ。
「あーぁあ、いっけないんだ。コーナイは禁煙だよ、セーンセ?」
「外だろ」
「違うよ、敷地内って意味の〝構内〟」
「勝手に規則を変えるな」
ここで初めて横をちろりと見やれば、柵に頬杖をついて斜に構えた学ラン少年もまた、視線に気づいて同様にこちらを見る。
「それで、今日は何考えてたの?」
花火のことなら、ここからも見えるから安心して楽しみなよ。などと、中身ばかりが大人になった子どもは笑う。こっちも慣れっこで、抵抗なんて選択肢はとっくに消えていた。
「青春って何だろうな、と」
「ずいぶんとまぁ、哲学的だねー」
からかう顔は崩さず、けれど、眼差しだけはまっすぐに私を見てくる。どうしてまた青春なのかと聞かれ、どこから話したものかと思案した。発端はおそらく――
「今度、お見合いすることになったんだ」
「へえ! いいハナシでもあったの?」
「教頭先生がそういうの好きで、気が付いたら組まれてた」
何らかの理由をつけて断ればいい話ではあるが、根負けしてしまったのだ。
「何を話したらいいか分からないと言ったら、『夢を語ればいいんですよ、青春時代から続いているような』だなんて言われてね。でもそんなもの見たことも追いかけたこともなくて、じゃあせめて、自分にとって青春と呼べるものをと思ったら、どれがそうなのか分からなかった。――というわけさ」
ふうーん。との素っ気ない反応に、そりゃそうだよなぁと自分自身に溜め息を吐いた。
「なぁ。センセーって、青春にどんなイメージ持ってんの?」
「んー、そうだなぁ……初体験かな」
「あらヤダ、センセったらエッチ」
「そういう意味のじゃあないよ、マセガキ。恋にしろ、部活動にしろ、胸が高鳴るような〝初めて〟は全部、甘美でいて青臭くて酸っぱいなと思ったんだよ」
変わってるだろ、と結ぶ。自分でもそう思うのだ。他人とズレている自覚はあっても、その平均からどのくらい外れているかが分からなくて困ることも多い。
「別に、いーんじゃない? 青臭くったって。むしろ、センセがそうじゃなきゃ、俺ら素直に青臭いことできねぇと思うし」
だから、いい。そう言い切ってくれた彼がやけに眩しくて、どっちが青いのかと内心皮肉ってしまう。
――いいや。まだまだ、どっちもそうなんだろう。
「よしっ! じゃあ、若きを楽しもう!」
「なんだよ急に……ワカキ?」
「お見合いだって、初めてなんだから初体験にゃあ違いない。そう、そうだよ! なら楽しんでやろうじゃないの」
「いいねーぇ。ついでに結婚まで行けたら万々歳だ」
「玉砕しても、それもまた人生。今日ここから観る初めての花火が心癒してくれるかもしれない。だから楽しむ! 老いも若きも、生きなきゃソンソン!」
「じゃあ俺ダメだな、とっくに死んでる」
なかばヤケクソの私につられ、若かりし日の友も笑いだす。満足したのか「じゃあな」と言い残してスーッと消えた。
どうせなら一緒に観てから去ればいいものをと思うが、そこは肉体なき自由の身。ここよりずっと観応えのある特等席が彼にはあるのだろう。死してなお楽しめることがあるようだから、まだしばらくは私が悩むたびにヒョッコリ現れるに違いない。
「早く成仏しろよ、相棒」
暗くなってしまう前に、懐中電灯を取りに戻ろう。夜色に染まりきった空に祭りの花が咲き乱れるのは、もうすぐだ。
===
生きよ、青春。
〔2018.09.09作/2019.01.22改〕
=========




