巡り、こぼれるワタクシめ。
皆さま、ワタクシをこぼしていらっしゃいませんか?
涙? ――いいえ、物質ではございません。
愚痴? ――近付きましたが、耳に聞こえるものでもありません。
ワタクシ、さまざまな形で皆さまの中に存在しております、〈思考〉と呼ばれるモノでございます。瞑想などなさっている場合は別として、起きている限りこんこんと湧き出で、流れ続けるのが特徴でしょうか。
これをしたためている方――〈書き手さま〉とお呼びしましょう――の中では、主に「音をともなう言葉」の形をまとっております。もちろん、実際に耳で聞くことはできないのですが、「脳内で朗読しているようなもの」と申しましたら伝わるでしょうか。
それは、実際に朗々と読むくらい「ゆっくり」のときもあれば、書き手さま自身にできないほど「早口」のときもございまして、そこが本題に繋がるのです。
書き手さまは、ワタクシを〈文字〉として書き出すまでにとても時間がかかります。「音がともなう」ために、周囲の声にかき消されて考えられなくなることも少なくありません。
ワタクシの流れが早いときは、こちらにエネルギーを使う分、どうしても動作がおろそかになります。ですから、「書く早さに合わせる」とワタクシは鈍り、ワタクシに合わせようとすれば「読むに耐えない文字」になった挙句、ぽろぽろ、ボロボロこぼしてしまうわけでございます。
そのような「書きこぼしてしまうもどかしさ」を解消すべく、書き手さまは「ワタクシを自動で書き出す装置」をお作りになりました。
起動している間、膨大な量の紙を消費してしまうのが「玉に瑕」でしょうか。記録にはロール紙を使っておりますので、風のイタズラで並び順が分からなくなる心配だけはございません。素晴らしいワタクシです。
書き手さまもワタクシも、しばらくは「装置で文字化されたワタクシ」を堪能して過ごしました。出力されるフォントはこだわりぬいただけあって美しく、無駄のない絶対領域たる余白を額縁に描かれた至高の絵画のようで、なんとも堪りません。
これがあれば「夢の記録」もできるのでは、と期待に胸膨らませて床に就き、床一面に波うつ白紙の海を地道に巻き取る結果に終わった日もございました。何度試しても、眠りに落ちたであろうところでふつりと記録が途切れ、目覚めたであろう瞬間から再開するのだから不思議です。
夢の記録方法は見つけられませんでしたが、ただ一つ確かなのは、ロール紙の巻き直しがなかなかに骨の折れる作業だった点でしょうね。記録後に自動で巻き取るよう改良したのは言うまでもありません。
それからもうしばらく経ったある日、待ち受けていた「思わぬ落とし穴」に書き手さまはハマり、装置を壊してしまいました。
ワタクシを自動で書き出せたところで管理するのはヒトの手。読み返すのも、要点をまとめるのも、棄てる残すを判断して整頓し続けるのもその身一つに全てかかってくるのですから、負担は「厚み」を増し、相当「重く」積もり続けていきます。
『書きこぼしたくなくて作ったのに、逆に手間が増えてしまうとは……』
このワタクシを最後に、書き手さまは言葉にし難い複雑な気持ちを抱いたまま、ハンマーを何度も振り下ろしていらっしゃいました。あの装置は、「書きながら考えるよりはラク」というお方だけが使える代物だったようです。
ワタクシとしては、〈文字〉でなく〈絵〉で自動出力できる装置があれば、もっと汎用性があったのではと思います。姿なきワタクシめも、きっと「知的な老執事」に描かれたことでしょう。性別には特に思い入れなどございませんので、「思慮深いメイド娘」でも構いません。
眼鏡さえかけていれば、ワタクシはそれでよいのです。
それにしても、ワタクシが思考実験するなどなんとも皮肉なことでございます。思考の指向せし至幸の嗜好、とでも言いましょうか。
……おや、これは失礼いたしました。字面ならではの言葉遊びは、聞いていらっしゃる方には少しも伝わりませんね。書き手さまの〈思考〉であるからこそ、ワタクシにだって楽しみは必要――ということで、どうかご容赦を。
もし「夢の記録装置」が出来ましたら、ぜひワタクシめにも使わせてくださいませ。この願いが本題にございます。
===
巡り、こぼれるワタクシめ。
〔2018.04.22 作/2022.11.01 改〕
=========