愛してるって言ってよ
天気のいい昼下がり。欠伸を噛み殺しながら私の奏でるタイピング音だけが、静かな室内に響いていた。
「ねぇ」
「んー。どうした?」
「愛してるって言いなさいよ」
唐突な彼女の言葉に、文字を打ち込む手が一瞬止まる。
目をやれば、相変わらず彼女は日向でふてぶてしく寝そべっていた。
一度もかけたことのない言葉だ。それをなぜ今、メロドラマちっくな艶のある声で催促されねばならぬのか。
「また何を突然――」
「い、い、か、ら」
「……好き、じゃダメかな?」
「ダーメ」
「そーかい。はいはい、愛してるよ」
「そんなんじゃなくて……もっと、ちゃんと言って」
甘えたような声が、悪戯心をくすぐる。
「えー、昼メロの見過ぎじゃない? 最近かぶれてきてるよね」
「いいえ、健康そのものよ? ジロウのゴハンが美味しくなって、最近ちょっと体が重いくらい」
噛み合わない会話に、仕事の手が完全に止まる。少し思案したあとで、堪えきれず彼女に向き直った。
「違う違う。この〝かぶれる〟は……異文化や新習慣に染まるって意味だよ。赤く腫れたり、かゆいものじゃない」
「そうなの?」
「そうだよ」
「やあね、ヒトの言葉は難しくて。生きてるだけでも疲れそうよ」
自由気ままに生きている彼女には無縁そうなセリフがおかしくて、小さく笑った。
「言葉の使い方そのものより、人付き合いに疲れることが多いかなぁ」
「あら。じゃあ私とは?」
「疲れるどころか癒やされてるよ」
「そう。なら言ってもいいじゃない。日夜癒やしてあげてるご褒美に」
ゴロンと少し転がって仰向けになった彼女は、ググッと背中を伸ばして欠伸を1つ。それから器用に手招くものだから、ホント、人間かぶれが進んでいる。しゃべれるようになってからそんなに経ってないはずなのになぁ。
うまい切り返しにひとしきり唸った末、軽くため息をこぼす。回転椅子から立ち上がり、キザったらしく片膝をついて、その揺れる左手を恭しく優しく掴んだ。
「愛してますよ。だから長生きしてください、牡丹」
「そうね。そうできるよう、これからもしっかりお世話なさい」
「了解。じゃあさっそく――念入りな肉球マッサージのあとで爪のお手入れをしてもよろしいですか? 終わりましたらブラッシングもぜひ」
「あら、気が利くのね。どうぞお好きに」
「え、いいの? なら、そろそろシャンプーしたいなぁ」
「そちらは別料金、かつ予約制となっております。一昨日きやがりなさい」
「ちぇッ、残念」
間が落ちて、どちらともなく笑い合う。
「ねぇ」
「今度はなんだい?」
「ずっと、一緒にいてね」
「……もちろんさ」
牡丹の頭を撫でる。彼女が嬉しそうにニャアと鳴く。
流れる時間の速さは揃わないままだけど、それならそれで、幸せなときを過ごせたらと思う。猫又になった牡丹と、この老体。どちらが先に命尽きるかは分からないけれど、それでも。
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愛してるって言ってよ
〔2020.05.02 作/2024.04.20 改〕
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