第8話 モルモットの嘆き
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「やだぁ! もうお家帰る! 夏映画のリバイバル放送見観るのぉ! うわぁ!」
契約書を交わし、正式に佑の研究であるホンキチェンジガンの実験体になった俺。
あの日から毎日のように呼び出され、変身して色々な実験をさせられている。
今日でもう1週間だ。
日々の過酷な研究で、俺の心は疲弊している。
体に関しては丈夫に産んでくれた母のおかげと、佑による回復効果のある入浴剤でピンピンしている。
変身の負荷が体に響いていないことから、連日で実験できると佑はウキウキしていた。
体は元気でも心はすり減っていくばかりなんだよなぁ。
ということで俺はオギャって幼児退行することにした。
「もう帰るぅ! お腹空いたぁ! 喉乾いたぁ! トイレ行きたいぃ! マジダマンのリバイバル観るぅ!」
「落ち着きたまえ、そんなキャラじゃないだろ陽色」
「せっかくの休みなのに早朝急に押しかけてきてラボに連行された俺の気持ち分かるかイカれ研究者め! 早朝から変身して実験、気付けばもう夜だぞ! 飲まず食わず長時間の実験なんてキツすぎだろ! だから俺はオギャるんだ! おぎゃぁあああ! 帰りたいよぉお!」
「それは本当にすまない……」
佑は、見てはいけないような物を見る目で変身した俺に視線を送っている。
「何キロまで耐えれるかの実験はまぁ分かるけど普通、人間をプレス機でプレスする!? 負荷の実験としてロードローラーで轢く!? これうちの親見たら失神するぞ! おぎゃあぁ!」
「待ってくれ、確かに無茶かもしれないが命に別状はない完璧な計算で行ったんだ。今後もそうするし、そこは安心したまえ」
「それは前提条件だろおぎゃぁ!」
したくはないがひたすら走らされてスーツの可動域の確認や摩擦による劣化速度の計算とかはまだいい、しんどいだけだから。
だが耐久性の実験で鉄球を何度もぶつけられたり、スーツの自動回避のテストとしてナイフを投げられるのは命の危機があるから勘弁してくれマジで。
「今日はもう終わりにしよう、本当に悪かったよ。だがちゃんとご飯も飲み物も用意してるし、お風呂は沸かしてある、もう変身を解除したまえ」
明らかにしょんぼりした表情で、佑は俺に変身を解除擦るように促した。
佑のテンションが下がるのと反比例するように、俺はどんどんテンションがもとに戻っていくのを感じる。
「その言葉、ようやく聞けて安心した……なにか大事なものを失った気分だ」
待ち望んでいた終わりの言葉。
俺はいそいそと変身を解除して早々にホンキチェンジガンを手放した。
憧れの変身道具なのは今も変わらない。だが、あまりに日常に溶け込みすぎて当初よりはありがたみが薄れてきた気がする。
スマホを最初に持ったワクワクが日に日に薄れていく感覚に似ている。
「君が失ったのは尊厳というやつじゃないかな、幼児退行はボクの前だけにしておくことをお勧めするよ」
「そもそも幼児退行の原因をくれるのは佑だけだから安心しろ」
「唯一無二の存在ってわけだね? 悪くない」
「どういう感性してるんだよ……ってこんなことしてる場合じゃない! とりあえずトイレ!」
尊厳を失ってもさすがにお漏らしだけはしたくない。
そこまで落ちぶれた社会人になるつもりはないからだ。
「そのままお風呂にも入ってくるといいよ。背中でも流そうか?」
「今そんな冗談に付き合ってる余裕ないってば!」
俺はこの数十時間できなかった人間に必要な行動を数分で巻き返すように、急いでテキパキと、トイレと風呂を済ませた。
ラボがある敷地は丸々佑の土地で、佑は地下にあるラボに通っているわけではなく住んでいるらしく衣食住の環境が整ってるから便利だ。
こんな広大な敷地を持てるなんて凄いよな佑は。
まぁ、地下じゃなくて地上もちゃんと使えよとは思うがな。はたから見たらマジで不気味なんだよ。
広い敷地にポツンと小さい建物が一軒だけあるのは。
「――ふぅ、すっきりしたぁ。家出してた人権が戻ってきた気分だ」
「悪かったってば、1日に一度の変身だから出来るときにしておかないとと思って無理をさせ過ぎた」
少し不服そうな顔を浮かべる佑。
今はTシャツの上は白衣ではなく、エプロンのためいつもと雰囲気が違って見える。
最初は違和感しかなかったが、何度も手料理を振る舞われれば目が慣れてしまった。
「今日は揚げ物に挑戦してみたんだ。家庭によって下味や唐揚げ粉の種類など色々な種類があって興味深いよね。陽色の口に合うかは分からないが味わってくれ。つい先ほど揚げたばかりだ」
「おー美味そう! 唐揚げなんてどんな調理法でも美味いでしょ!」
机にはおひつに盛られた白米、おかずは唐揚げをはじめ、サラダや魚料理、卵焼き、その他多くが用意され、みそ汁まである豪華な食卓。
いつもそうだが、2人で食べる量ではない。確実に。
「マッドサイエンティストってちゃんと飯食わないイメージだったんだけど、違うんだなぁって毎回実感するわ」
「人間、体が資本だからね。フィクションの世界のマッドサイエンティストはヤバさを演出するために人間らしさを欠いた描写が多いが、ボクから言わせればなってないね。倒れたら大好きな研究が出来ないんだから」
「へー、そういうところはしっかり倫理観というか指針があるというか、しっかりしてるんだな」
「陽色はもう少ししっかりしたほうが良いと思うよ? 前に侵入したときはコンビニ弁当のゴミばかりだったし」
まぁ、社会人男性の生活なんてあんなものだろ。きっと。
「これからは夜だけでもしっかり食べたまえ。毎日ボクが作ってあげるから」
「おおマジかよ! すっげえ助かる! 佑の料理美味いからなぁ」
俺は目の前に並ぶ料理をバクバクと食べながら、毎日の晩御飯には困らないななんて呑気に喜ぶ。
が、そんな喜びも束の間。気付いてしまったんだ、仕事終わりだろうが関係なく毎日実験に付き合わされる未来が確定してしまったことに。
「ふふ、明日からが楽しみだねぇ。腕が鳴るよ」
「それは料理の? それとも実験?」
何かを想像するように宙を見上げながら、思考をぐるぐると巡らせている様子を見せる。
想像の中ではなにが行われているのか。
想像の中の俺は、佑の手料理をお腹いっぱい食べて幸せそうな顔をしているのだろうか。
好きな料理を好きなだけ食べて、佑とマジダマンの話で談笑しながら温かい食卓を囲めているのだろうか。
それとも命を賭けて過酷な実験を強いられ、死にかけの面で駄々をこねながら長時間変身しているのだろうか。
きっと死にかけの面の俺の側では、佑が愉悦に満ちた面で実験の記録をパソコンでカタカタと入力しているのだろう。
なぜだか実験漬けの想像をしているんだろうなと確信できてしまった。不本意だ。
「両方だね」
「嘘つけ」
佑は含みのある笑顔を浮かべながら、美味しそうにご飯を食べている。
どうか明日以降は、適度な負荷の実験のあとにこんな平和な食事が待っていることを望む。
重労働の後の食事は格別に美味いが、出来るだけ苦労はしたくないのが人間というものだ。
「陽色、これ食べたかい? 我ながら凄く美味しく出来ているぞ! ほら、食べてみてくれ!」
こいつほんと……研究が絡まなかったらただの美人なんだけどな。
「ねぇ陽色、明日も明日も休みだよね。今日……泊まって行きなよ……」
「……ちょっと色っぽく言うな、朝一で研究したいだけだろ。まぁいいけど」
「さすが陽色、文句は言うけど優しい男」
「一言余計な単語が聞こえた気がする」
佑は出会った当初ほど無茶な言動は見えなくなったが、根本は変わっておらず、基本的に自分のしたいことを貫く。
だから提案された時点で俺にほとんど拒否権なんて存在しない。
だったら下手に抗うより従った方が省エネだ。