第1話 忍び寄るマッドサイエンティスト
「ふんふんふーん♪ ふんふふーん♪」
自然と弾む足取り、口ずさんでしまうメロディー。
街中でこんな社会人男性を見かけた人はきっと不気味に思うだろうが、これは仕方のないことだ。
手元にぶら下げられた紙袋。
それに入ったブツが原因だ。
外回りが早く終わって助かったし、運良く人通りのないホビーショップが見つかって良かった。
【本気戦隊マジダマン】周年記念メモリアルエディションの変身アイテム、ホンキチェンジガン。
抽選に漏れた時はこの世の終わりかと思ったが、奇跡的に入手できて良かった。
もう正直このまま帰社せず家に帰ってこの玩具で遊びたい。
放送から数十年が経った今も、多くのファンに愛される特撮シリーズの1作、本気戦隊マジダマン。
新しい戦隊からハマった人も必ずマジダマンに辿り着くと言われるほどの魅力的な作品。
そんな作品のメモリアル玩具。当然人気だわな。
「まじで良かったぁ……最高だ。俺のお宝コレクションに新たな伝説が刻まれてしまったな」
チラチラと手元の紙袋に視線を送り、落としていないかを慎重に確認しながら帰社する俺の足元は、進めば進むほど弾んでいく。
「半休使って直帰しようかな……でもなぁ、メモリアルで結構財布に打撃がなぁ……」
生活水準を最低限にして、給与だけで生活と推し活をしている身としては少しお高い値段だった。
だが、このメモリアルは絶対に押さえておきたい一級品なんだ。でもなぁ……。
「金が欲しいならボクのもとに来るといいよ。半休をとってもボクのモルモットになったら十分な資金が手に入るよ? ま、本当は金なんて必要ないんだろうけどね」
その女は、突如現れた。
浮足立つ俺と同じ速度で横にぴったりと並んでついてくる白衣を着た女だ。
明らかに怪しいこの女は、俺の顔を覗き込みながら、どこまでもついてくる勢いで横に並んできている。
「しかも、そのメモリアルエディションよりすごいものを君にあげよう。どうだ? 悪い話じゃないだろ?」
白い長髪を揺らしながらこの白衣の女は、ちらりと俺の持つ紙袋に目を向ける。
まさか……俺の玩具が狙いの転売ヤーとかじゃないよな?
明らかに怪しいが白衣の女は顔が良く、白衣の下に見える体型はモデル顔負けで男をコロっと籠絡できそうだ。
履いているジーンズが脚の長さを際立たせているし、本当にモデル説もあるな。
だが、モデルがよく分からない男にモルモットになれなんて言わないよな?
「どうだい? ボクのラボはここからそう遠くない。今すぐ来たまえよ」
ラボ? それにモルモットやら白衣やら、もしかして研究者?
いやいや、研究者がどうして俺に声をかけてくる? わけが分からない。だが、何にしろ不審者だ。こういうのは無視するのがいい。
白衣の女の正体や、なぜ俺に声をかけたか分からないのは気持ち悪いが、返事をしてトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。
「おーい? 無視かい? なぜ無視するんだい? 怪しい者じゃないよ?」
白衣の女をまくように、足早に入り組んだ路地裏へと逃げ込む俺の背中に、白衣の女は声をかけ続けたが無視を決め込んだ。
「……まいたか。結局、半休の申請を出す間もなく会社に戻ってきてしまったな」
変な人物に声をかけられて動揺して疲れたが、ここまで来たら仕事に戻るしかないよな……。
でもまぁ、楽しい遊びは苦労した仕事の楽しみに取っておくか。
「お疲れ様です、戻りました!」
「お疲れ。その様子だと、契約取れたのね」
帰社した俺をニコッと迎えてくれる、スーツを着こなす小柄な女性。
俺は彼女に満面の笑みで今日の戦果を報告する。
「いえ、無理でした! すみません!」
「えぇ……」
今回俺が外回りに行った理由は、新規の顧客と関係を作るためだ。
が、今日の戦績は全戦全敗。
なのにニコニコ笑顔の俺に、先輩である後藤真希は困惑しているようだ。
「誠にごめんなさい真希先輩」
「もう、悪いと思ってないなら謝らない! それに失敗は誰にでもあることだから気にしない!」
呆れたように笑う真希先輩は、ふと俺が持っている紙袋に目を向ける。
「あー、陽色くんがウキウキしてるのはそれがあるからだね?」
「そうなんですよ! 帰りに寄ったホビーショップでメモリアルエディションが――」
「ストップストップ! 声が大きいよ、部長にバレたら怒られちゃう」
「あ、やべ」
全世界に優しい真希先輩にだからぶっちゃけて話せるが、もし部長に仕事で成果が出てないのに寄り道したことがバレれば大目玉だ。
「と、とりあえず部長に報告してきます! これ、誰かに盗まれないように見ておいてくれませんか?」
「はーい、わかったよ。よほど大事な物なんだね」
「大好きな作品ですからね、リアタイ出来る時代に生まれたかったくらいですよ」
まだ俺が生まれる前の作品なのに、この中毒性。
やはり名作は何年経っても万人の心にぶっ刺さるんだな。
しみじみとマジダマンの良さを噛み締めながら、怒られるのを覚悟で部長の元へ行くと案外怒られず、次は頑張るようにと激励された――。
「怒られなくて良かったーって顔に出てるよ陽色くん」
「おかしいですね結構ポーカーフェイスなんですけどね」
「そんなことないよ?」
取引先に本心を悟られないようにポーカーフェイスを身に着けたつもりだが、真希先輩にはすぐ見透かされてしまうな。
「……そういえば」
見透かすと言えば、帰社する際に話しかけてきた白衣の女。
あの女も、まるで俺を見透かしたような態度だったな。
「どうしたの?」
「あ、いや。なんでもないです! お気になさらず」
「そう? ならいいけど。無理はしたらダメだよ?」
少し気になるが、もう会わないだろうし気にしても無駄だな。
真希先輩に話す必要もない。
この人は優しいから親身に悩みを聞いてくれるが、余計な心労をかけてしまうかもしれない。
些細なことで真希先輩の苦労を増やすのは忍びないもんな。
***
仕事が終わった。
残業は2時間。今日、俺を拒んだ企業に営業の機会をもらったことへのお礼と、新しい企業へのアポ取りが思いのほか手間取ってしまった。
「早く遊びたい玩具がある時に限って長引くよなぁ、なんなんだろこの現象」
「それは意識が他に逸れて重要なタスクを無意識で疎かにしてしまうことが原因だよモルモットくん」
「なるほど……俺はホンキチェンジガンで遊びたくて仕事が無意識で疎かに――ってあの時の白衣女!?」
その女は俺の横にいた。
会社から最寄り駅までの道で俺はまた白衣の女とエンカウントする。
まるでこの女となんらかの因縁があるように、神が導きでもしたのだろうか。
「お、やっと口を利いてくれた。さっきは無視されたからね。待ち伏せした甲斐があったよ。にしても2時間の残業は疲れたろ? ラボでコーヒーでも出してあげようか?」
違った。
導きなんかじゃなくただ待ち伏せされていた。
「あんた何者? 俺になにか用なのか? 美人に声をかけられるのは光栄だけど、怪しいぞ?」
「美人だなんて、照れるじゃないか。ただ怪しくはない、ボクはしがない研究者さ。巷ではイカれた、なんて称号を勝手に付けられているけどね」
どう見ても怪しいとしか思えない。巷での評判は間違いではないんだろうな。
そもそも待ち伏せする人間が怪しくない訳が無い。
「モルモットくんの好きなマジダマン。実はボクも好きなんだよね」
「……俺のメモリアルエディションを狙っている……のか?」
「はは、違う違う。それはボクも持っているからね。しかも、ボクは本物も持っている」
なんだ、強奪犯ではないのか。少し安心だな。
いや? 安心か? 明らかに怪しさは増してるぞ。
「ホンキチェンジガンに本物なんてないだろ。強いて言うなら撮影用のやつか……もしかして撮影関係者?」
「面白いこと言うねモルモットくん。本物は本物だよ、マジダレッドになってみないかい?」
俺がマジダレッドに……? それは、とても魅力的だぞ。
特撮ファンなら誰もが、喉から手が出るほど欲しいの誘いじゃないか?
メモリアルの変身アイテムでごっこ遊びをしても、姿形はまんまオタクこじらせた成人男性。かっこよさのかけらもない。
だが、白衣の女が持っているという本物とやらで姿形も変われるというのか……?