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男装の王女

男装で正体を偽っている王女です


 この国、ラウゼル王国の王族には、他にはない珍しい慣習がある。幼少期の王族は身分を隠すというものである――


 この国の繁栄を築いた王が『王族といえども驕るべからず』と言い出したのがきっかけで、年を経るごとにそれは拡大解釈され、現在、王族は成人するまで身分を隠し、生活している。




 この国一番の名門であるラウゼル王国国立高等学園の豪華絢爛な学び舎のとある教室で、ウェスト伯爵家次男のジェフリーが私に聞いた。


「なあ、お前は誰がこの国のお姫様だと思う?」


 鮮やかな赤毛をしたジェフリーは、好奇心旺盛そうな焦げ茶の瞳を輝かせている。


「さあ」


 私、ライアンが淡々と返事をしたところ、ジェフリーはつまらなさそうに言った。


「つれねえなあ。皆、正体を隠した王女殿下はカラー様だと思っているだろ。でも、そうでないっていう証拠を掴んだんだ」


 どうもその話をしたかったらしい。黙って一瞥だけすると、ジェフリーはニッと笑って、話を続けた。


「カラー様は辺境伯領のご令嬢であり、都からは遠方ということで、これまで社交界には姿を見せていなかった。なのに、礼儀作法は完璧。更に、髪の色は亜麻色、瞳の色は緑で、共に現王妃と同じ色だ」


 そう。それ故に、カラーは、この学園では姿を偽った王女殿下だと思われている。


 しかし、実際は、間違いなく、カラーは辺境伯の娘であり、都に姿を現していないのは、社交嫌いで逃げ回っているだけだ。得意なことは乗馬。なお、辺境伯も社交嫌いだから、娘に強くは言えず。学園に通う間だけは、世話焼きな友人に強く言われ、猫を被ってはいるが。


 しかし、このことは辺境伯家に近い人間しか知らないはず。なのに、何故、ジェフリーはカラーがこの国の王女ではないことを突き止めたのだろうか。


 興味を持って、ジェフリーを見ると、得意げに続けた。


「先日、カラー様の乳母をしていた女性と知り合ったんだ。女性の話では、カラー様は、確かに辺境伯夫人が産んだお嬢様のようだ」

「確かなのか?」

「ああ。歳を取って、都にいる息子のところに身を寄せることになったと言っていたが、辺境伯領の話も詳しかったし、辺境伯の人となりも知っていたから、間違いないと思う」


 辺境伯にもカラーにも、カラーが王女と混同されるような振る舞いをするよう、王家から依頼をしているわけではないので、カラーの出自は特段隠し立てしていない。

 とはいえ、貴族、庶民を問わず、人の懐に入り込むのが上手い目の前の友人は、そんな出会いまで呼び寄せるのかと目を丸くした。


 声を落として、ジェフリーは言った。


「となると、誰が王女殿下かだが、俺はアマレッタ公爵令嬢ではないかと思い始めた」


 その推測は間違っている。でも、惜しい。


 公表されている通り、アマレッタは隣の公国の公爵令嬢で間違いがない。公国から嫁いだ現王妃陛下の姪になる。ついでに、カラーと共に、私の幼い頃からの友人の内の一人でもある。


 得意げな顔を見せたのは一瞬で、ジェフリーはすぐに顔を顰め、続けた。


「でもな、その仮説にも弱点がある。公国の貴族と話す機会があったんだが、アマレッタ様は、幼い頃から公国の社交界に顔を出していたんだと。この国の王女だとしたら、そこまでするか?

 俺の見立てだと、この学園に、王女殿下と考えて、矛盾がない女子生徒がいない。王女殿下は、何か重大なことを偽っているのでは?」


 遠からずの指摘に、ゾクゾクするものを感じながら、聞いてみた。


「……例えば?」

「うーん、そうだな。入学年次とか……」


 王女の正体について、まだ確信はないようだ。いつかジェフリーが王女の正体に辿り着くだろうかと高揚した気持ちで笑った。


「はは。その辺りで済めばいいな。現国王陛下は、この国立高等学園ではなく、財界と国民の熱意により建てられた総合教養学院に通って、度肝を抜いたんだろう」

「あああああああ、それを言うな! 全く一から考え直さないといけなくなるじゃないか」


 ジェフリーは頭を抱えた後、ぶつくさと言った。


「でも、この学園にはいるはずなんだよな。国王陛下の青年期は、国として更に力をつけるため、国立高等学園の競合を求めていて、私立の学校を応援したい意図があった。仲が良好で優秀な弟が学園に通い、貴族との人脈を繋ぐこともできた。でも、国王陛下の唯一のお子であり、次代の王の王女殿下まで、国立高等学園に通わなければ、国立高等学園の権威が下がってしまうし、貴族の求心力も……」


 放課後で、我々の他には教室にはもう誰もいなかった。そろそろ、寄宿舎に戻ろうと立ち上がった。


「推理を披露して気は済んだか、名探偵? でも、その辺りにしておけ。それに、王女殿下が誰であるか暴いても、我々の行動に何も変わることはない。女性には等しく紳士的に対するものだろう」


 私の言葉を聞いて、ジェフリーは面白くなさそうな顔をした。


「……へいへい。綺麗ごとを言う。流石、貧乏伯爵家の俺と違って、公爵家のご子息は言うことも立派ですね」


 ジェフリーの言葉に、私が苦笑する。私は、外国の公爵家の妾腹の子であり、厄介払いのようにこの国に留学したことになっている。


「容姿の良さだけじゃなくて、お前のそういうところがモテるんだろうなー」


 ぼやき始めた友人に苦笑する。貴族の身分を捨てても、この国から出ることになってもいいからと、女性から熱烈な告白を受けることは、ままあった。


「皆、学園卒業後に現実と向き合わないといけないから、地に足着いていない私が眩しく見えるだけで、猶予期間モラトリウムの気の迷いだろう」


 二学年制のこの学園で、二年生である我々は、卒業まで半年を切っていた。あと半年で、学園を卒業し、領地に戻ったり、王宮で働いたり、外国に旅立ったり、生徒たちはそれぞれの道を行く。


 納得がいかない様子でジェフリーは答えた。


「それだけじゃないと思うけど。ライアン、最近も、ウィンルド侯爵家のお嬢様から告白されたんだろう?」

「……お前はどこから情報を仕入れてくるんだ?」




 さて、友人のジェフリーと共に、寄宿舎に足を向けた。その私の髪は国王陛下と同じ濡羽色、そして、私の瞳は王太后陛下と同じ青みが掛かった黒色。


 更に、この国の王女殿下の名はアリーシャとして知られているが、ごく身近な人間しか知らないミドルネームを含めた本名は『アリーシャ・ライアン・ハムレット』という。


 そう。何を隠そう、『ライアン・ハイデルベルク』という男子生徒として、国立高等学園に通っている私が、この国の次期女王となるアリーシャ王女である。






 生まれて早々、外国の貴族に成り済ますことは決まっていたが、男のフリをして、学園に通っているのは、ただの悪ノリ。きっかけは、母方の親戚であるアマレッタだった。


 幼い頃から私の正体を知らせている、数少ない友人であるアマレッタとカラーとの茶会で、アマレッタが人差し指で私を指し示しながら、言った。


「一年後、我々は学園に通うわけですけれど、アリーシャ、貴女、それで正体を隠せると思いますか?」

「やり切る自信はある」

「冗談もほどほどにしなさいませ! 自信あふれるその態度、滲み出る覇者としてのオーラ! どこからどう見ても王族ですわ!!」


 アマレッタが厳しく言うのに、カラーがそっと私を見た。


「滲み出ているなら、仕方ないなあ」


 はははと笑いながら言うと、カラーがつられてケラケラと笑い、アマレッタが可愛らしい顔の眉を吊り上げた。


「ほら! もっとオーラを隠しなさい! カラーもそんな無防備に笑わないこと! お二人共、こんなことで学園生活をどう乗り切るつもりですか。魑魅魍魎に食われますわよ!」


 カラーと共に少し笑った後、アマレッタが我々を心配してくれているのは分かったので、真面目に返すことにした。


「心配ありがとう、アマレッタ。でも、私は風変わりなこの国の王族の習わしは、王族が世間を知ると共に、王族自身も一人の人間として生きる時間が必要だからだと解釈している。

 周囲に隠していても、いつか次代の王として立つと決め、努力を重ねて、今の私がある。振る舞いを目立たないようにして、王族であることを隠すことならできる。でも、折角、一人の人間として生きる期間が与えられたというのに、本来の自分を偽るなど、本末転倒だとは思わないか?」


 私の言葉を聞いて、アマレッタは溜め息を吐いた後、頭を抑えた。その後、ハッと何かに気が付いたように、私を見た。


「そうですわ。男装すればいいのですわ」

「え?」

「まさか王女が男として入学してくるとは思わないでしょうから、性別を偽れば、今のままのアリーシャでも、正体が露呈することはないでしょう。いい考えですわ! 早速、伯父様と伯母様に、提案してみましょう!」


 カラーは困惑しながら、確認した。


「……アマレッタの伯父様と伯母様というと、アリーシャのご両親の国王陛下と王妃陛下よね……?」

「そうですわ!」


 勢いよく答えたアマレッタは、本当に、私の両親である国王、王妃に提案し、二人も、その提案に乗り、私は素性だけでなく、性別まで偽り、学園に入学することが決定。


 結果、全くバレることなく、一年半、学園で過ごしているので、アマレッタの判断は正しかったといえる。






 また数日経ち、いつものようにジェフリーがやって来て、私を誘った。


「街に行かねえ?」


 ジェフリーは、本人曰く『貧乏伯爵家の次男』で、『貴族らしい格調高い生活を送る余裕がなかった』らしく、私が知らない庶民が住む街のことも詳しく教えてくれた。


 すっかり気さくな下町の雰囲気を好むようになった私は、喜んでその提案を受けた。


「いいな」


 教室から出て行こうとしたところで、残っていた男子生徒二人がわざとこちらに聞こえるように言った。


「継ぐものがない奴らは気軽でいいな」

「婚約者もなく、一緒に行ってくれる女がいないから、男同士で群れるしかないのは哀れだけど」


 声の主は、豊かな領地を持つアーバスノット伯爵家の長男と、隣にいるのはアーバスノット伯爵家の子分といえるナッサウ子爵家の長男だった。


 ジェフリーは伯爵家の次男であり、私は外国公爵家の私生児ということになっている。そして、共に婚約者はいない。


 我々を揶揄しているのは明らかで、ジェフリーが男子生徒二人の元に詰め寄った。


「何だと」

「事実だろう」


 ジェフリーと男子生徒の間に割って入った。


「ジェフリー、いい。行こう」


 ナッサウ子爵家の長男が嘲笑った。


「おっ、女はいなくても、相手にしてくれる男はいたみたいで良かったな」


 ジェフリーが相手に鋭い視線を向けたので、これ以上のいざこざが起こる前に教室から出るべく、ジェフリーを引っ張った。それでも、振り返り、一言だけは伝えることにした。


「君達の発言は、私達ではなく、自分自身の品格を落としている。控えるのが良いだろう」






 繁華街へ行くため、学園から乗り合い馬車に乗った。苛々した様子のジェフリーの背をポンと叩いた。


「落ち着け。相手にするほどのことでもない。貴族と思えない物言いに呆れはするが」

「心広すぎか。怒れよ」


 じろりとこちらを睨んだジェフリーに苦笑する。学園卒業と同時に、私が王女であることを明かすことになっている。言った人間と言われた言葉の一字一句は、嫌でも頭に入った。後で、血の気が引くことになるのは彼らだろう。


 でも、実家が裕福と言えないことで不躾な視線や無礼に晒されても、ジェフリーはいつものらりくらりと躱し、それどころか、いつの間にか人の懐に入っている印象がある。こんなに感情的になるのは珍しいなと思っていると、ジェフリーが苦々しく言った。


「……あいつら、陰でもお前の出自のこととか話している。恐らく、お前が女子生徒に人気があることへのやっかみもあるのだろう」


 ジェフリーの言葉から、ジェフリーが食って掛かったのは私のためであったと知り、悪い気はしなかった。


「はは。モテる人間は辛いなあ」

「だから、怒れって。どこからその余裕が来るんだよ」




 話している間に、馬車は街の繁華街の入口に着いた。市場も開かれているので、老若男女が集まるが、いつもより更に賑わっているように見えた。冬の寒さも多くの人の活気に押されているようだ。


 人の多さに圧倒されていると、私の様子に気付いたジェフリーが言った。


「もうすぐ花祭りだから、準備で賑わっている」

「なるほど。それは楽しみだな」


 春を迎えるために冬の終わりに開かれる花祭り――


 こっそりと護衛と共にその様子を見たことはあっても、参加したことはない。今なら、一市民として参加できると思うと、ワクワクして聞いた。


「当日も一緒に行くか?」

「ばーか! カップルが溢れるんだぜ。男同士で行けるかよ」


 当然、乗ってくるものとばかり思っていたので、驚いた。


「そんなものか?」

「当たり前だろう。男同士で行ったって仕方ないだろうが」


 確かに言われてみると、花祭りは、カップル、でなければ、家族のための祭りだった。


 アマレッタとカラーを誘ってもいいが、今の私が二人を誘うと外聞が悪いだろうか。久し振りに女性の姿をすれば、大丈夫だろうか。


 ――と、少し考えた後、すぐにどうでもよくなった。花で飾られた街を見物し、屋台で食事をとり、時に踊る。ジェフリー相手なら楽しそうなのに、何故、駄目なのか。


「いや、やはり私はジェフリーと行きたい。楽しそうだ」


 私の言葉をポカンと聞いた後、ジェフリーは顔を真っ赤にした。


「なっ、何を言っている……!」


 焦った顔が可愛くて、一歩踏み出した。


「お前と祭りに行きたいと言ったんだ」


 ジェフリーの顎をくいと指で上げると、靴の底を上げて、背を本来より高く見せている今の状況では、目と目が同じ高さで合った。ジェフリーは、瞳を所在なく動かした。


「止めろよ。お前は知らないんだろうけれど、お前と俺の仲が怪しいという噂まであるんだぜ」

「ああ。それなら、私も聞いたことがある」


 貴公子と認知されているらしい私と、気さくで飾らない質のジェフリーが二人でいるところは、女子生徒に人気があると、アマレッタが教えてくれた。


 人懐っこいジェフリーは、猜疑心を持ちやすい貴族や、貴族への警戒感がある平民のどちら相手にも、懐に入り込むのが上手だ。卒業後の有利不利を考えると、外国の貴族の庶子を名乗る私ではなく、もっと別の人間とつるんだっていいはずだが、そこは私のことを友人として代え難く思ってくれているのだろう。


「知っているなら、何で平気なんだよ!」

「人は噂が好きだからな。お互い、婚約者もいない身だし、好きに言わせておけばいいだろう。可愛い女子生徒も楽しんでいるらしいし」

「心が広すぎだろうが!」


 私に向かって怒鳴っていたジェフリーだが、ふと何かに気付いたらしく、こちらの手を引き、私の耳に口を寄せ、囁いた。


「ついてきている奴がいるぞ」


 多分、ジェフリーが気付いたのは、私自身の護衛だろう。ジェフリーと近付き過ぎ、揉み合ったことで、心配を掛けたのかもしれない。いざとなれば、私の安全を確保できるよう、護衛が接近したのだと思うが、私についているのは王家の手練れであるはずだ。なのに、気付くのだから、ジェフリーのこういうところが油断できない。


 一歩、ジェフリーから離れた。


「多分、私の関係者だ。気にしないでくれ」

「マジかよ。お前、公爵家の跡取りではないんだよな?」

「ああ」

「誰かにつけられているということは、公爵家で難しい立場にあるのか?」

「……お前に危害を加えないことだけは誓うよ」


 私がそう言うと、ジェフリーは途端に顔を顰めた。その表情からは、何か言えない事情があるのだろうという理解する気持ちと、私が話そうとしないことへのもどかしさを感じさせた。


 目の前の男を心配させたいわけではない。私は、学園を卒業したら、王女として務める気概があるし、父母もこの国も愛していて、何の悩みも迷いもない。


 しきたりにより、全てを話すことはできないが、何か安心させられないかと思い、聞いてみた。


「そういえば、先日は、王女殿下の正体を推測していたが、王女殿下がどなたか分かれば、どうするんだ」

「別にどうもしねえよ。単純な興味だ」

「嘘だな。お前は色々な相手から相談を持ち掛けられているが、無責任に確証のない噂話を誰かにしない。どうしても自分の考えを確認したくて、やむなく、口の堅そうな私に言ってみたのではないか?」


 驚いた顔を見せた後、ジェフリーは苦しそうに吐き出した。


「……領地のことを相談したい。ウェスト伯爵領は、決して貧しくない。なのに、領主である俺の父が、税収を使い込んでいる。これから跡を継ぐ兄貴だけに任せるのは悪い」

「そうだったのか」

「貧しいといっても、悪事を働いているわけではない。領土の統治は尊重される。伯爵家の後を継ぐ兄貴ですら、父を諫めるくらいしかできていない。

 でも、この学園に通うことになった。多くの知己を得て、伯爵領の改善のアイディアもいくつか考え付いた。でも、俺は勿論、兄貴ですら実権がない。もし、王女殿下と知り合えれば、代替わりを早めるなど、相談に乗ってもらえないかと――」


 自ら貧乏伯爵家を名乗り、実際、ウェスト伯爵家の散財は知っていたが、そのような思いを抱えていたとは知らなかった。仲良くなったつもりでいても、相手のことを満足に知らなかったのはお互い様らしい。


「そうか。領土や兄のためによく頑張ったな」

「……何の成果も出せてねえけどな」

「そう言うな。誰かは見ているものだ」






 卒業を二か月後に控えた、放課後の学園のとある教室で、ジェフリーが私に詰め寄った。


「ライアン!」

「何だ? 花祭りの思い出話でもしたいのか? 楽しかったな」


 結局、ジェフリーを押し切り、クラスの有志も誘ってだが、花祭りには一緒に行った。


「楽しかったけど、そうじゃなくて、お前、何かした?!」

「何のことだ?」


 訓練された本心を読ませないアルカイックスマイルで答えたが、ジェフリーは真偽を探るように、私を見た。


「ウェスト伯爵領に王家からの監査が入ったんだよ。父の浪費が明るみになって、代替わりを早めることを提案されている。経験不足の兄が伯爵になるに当たり、宰相閣下が後ろ盾になることまで提案されている」

「良かったな」

「おう。……じゃなくて、これまで何もなかったし、目に見えるような悪事があったわけではないのに、ここまで王家に目を掛けられるなんておかしいだろう。お前、王家にコネクションがあるのか? もしかして、王女殿下の正体も知っているのでは……?」


 何も言わずにただ微笑むと、ジェフリーが悶絶した。


「どなたなんだ?! アマレッタ様か? カラー様か? それとも他の誰かなのか?

 成人されれば正体も明かされる予定だし、後一か月で正体も分かる。ああ、でも、どなたでもいい。

 俺、卒業後は王宮勤めを目指す。それで、恩義に報いる」


 思っていた以上に喜ばれ、少し居心地の悪さを感じ、つい言ってしまった。


「そんなに浮かれるな。こういうことには、裏があったりするものだからな」


 でも、ジェフリーはニンマリと笑った。


「正面から否定しないことで、お前が一枚噛んでいるのは分かっているんだからな。そして、お前が絡んでいる以上、そんな悪いようになるかよ」


 随分と信頼されているようで、やはり居心地が悪い。ジェフリーは上機嫌に続ける。


「それに、俺には見合い相手を紹介してもらえそうなんだ。父が家を傾けたから、我が家と縁付きたいという相手はほぼいない。兄貴はこの学園で知り合った相手と恋仲になり、婚約して、それ自体は良かったが、我が家に有力貴族との縁は薄かった。宰相閣下が状況を知り、俺と伯爵家のためになる相手を考えてくれるらしい」

「お前は、兄君のように好きな相手はいないのか?」

「うーん……。まあ、憧れている相手はいるけれど……」


 私の質問に少し歯切れ悪く言った後、ジェフリーは吹っ切るような笑顔を見せた。


「でも、相手は俺のことなんかどうも思っていないだろうし。家のためにもなり、宰相閣下から機会を与えていただけるのであれば、ご縁を大事にしたいと思っているよ」




 話も一区切りついたので立ち上がり、二人で寄宿舎へ向かうことにした。


 校舎と寄宿舎の間の中庭を歩いている途中、ふとジェフリーが聞いた。


「もうすぐ卒業式だけど、お前、卒業式後のダンスパーティーは参加するんだよな?」

「いや、実のところ、どうしたものか迷っている」

「お前、去年も参加しなかっただろう。女子生徒が落胆していたぞ。今年は卒業なんだし――」


 次の瞬間、ジェフリーが急に私の手を引いた。驚いて、ジェフリーを見ると、ジェフリーは水を被っていた。


 水が飛んできた方向を見ると、ウィンルド侯爵家の令嬢がいた。私に告白してきたことがある相手だった。


「ごめんなさい。花の手入れをしようと水を持ってきていたところ、躓いて……。どうしましょう……。ああ、そうですわ!!」


 水を掛けてしまい、困り切った顔をしていた彼女は、何かに閃いたようで、ジェフリーと私の手を取り、中庭にある石積みの小屋へと連れ込んだ。その小屋は、庭園の管理人が使用しているようで、農機具や植物の種が入っていると思われる袋などが、所狭しと置かれていた。


「ここは……?」


 彼女は私の疑問には答えず、一直線に水を被ったジェフリーのジャケットに触れた。


「ああ、びしょ濡れですわね。今、着替えを持ってきます」

「いや、そこまでしなくても。寄宿舎もすぐそこだし……」

「いえいえ。私がご迷惑をお掛けしたのですから、ご遠慮なさらないで」


 彼女は驚く強引さで、濡れたジェフリーのジャケットに手を掛け、奪った。


「私、園芸が趣味で、小屋の存在を知っておりましたの。どうぞこちらでお待ちになって」


 そそくさと彼女が立ち去り、ドアが閉まると同時に、ガチャンと鍵が掛かる音がした。


「ライアン様、ジェフリー様とどうぞお幸せに!」

「え?」


 鍵が掛かる音と彼女の声を聞き、すぐさまドアノブを回したが、ドアは開かない。


 そして、少し間を空けて、ドアの向こうから、嘲るような男性二人の声が聞こえた。


「妾腹の子と貧乏人の子同士、お似合いだよ」

「感謝して、仲良くやれよ!」


 声の主は、同級生であるアーバスノット伯爵家の長男とナッサウ子爵家の長男だった。




 走り去る足音を聞きながら、ジェフリーが大きな溜め息を吐いた。


「やられたな。ライアンと俺に体の関係があると噂を流すつもりだろう。悪い、ライアン。巻き込んだ」

「別にお前がターゲットとは限らないだろう」

「いや、あの女子生徒はお前と俺との関係を誤解しているのを付け込まれたのかもしれないけれど、あいつらの狙いは、多分、俺だよ」


 ジェフリーは確信を持っているようで続けた。


「早くも、俺が宰相閣下から婚約相手を紹介いただけると噂になっているみたいだから、僻んだんだろう。格下と思っていた俺が、もしかすると自分たちよりいい相手と縁付くかもしれないんだからな」

「そんな理由で、わざわざこんなことをするか?」

「間違いない。何せ、宰相閣下が俺の相手にと考えてくださっている相手は、家格が高いだけでなく、女神のように麗しく、気品があり、懐が広く、これまで相手がいなかったのは神の悪戯でしかないような方らしいからな」

「……宰相はそんなことを言っているのか?」


 改めてジェフリーを見ると、本人は耐えようとしているようだが、体が震えていた。


「寒いか?」

「準備のいいことで、冷たい水を準備していたみたいだ」

「とりあえず、濡れたシャツは脱げ」

「ヤダ」

「癪に障るのは分かるが、このままでは、更に体が冷えるだろう」


 強引にシャツを脱がせたときに触れたジェフリーの体は、酷く冷えていた。ジェフリーが言った通り、掛けられた水はご丁寧にも冷やされたものらしかった。一晩を明かす前には、私の護衛が駆け付けてくれるだろうが、それはいつになるだろうか――


「一先ず、これを着ろ」


 ジェフリーが庇ってくれたために無事だった私のジャケットを差し出した。でも、ジェフリーは不服そうに言った。


「ヤダ」

「だから、我が儘を言うんじゃない」


 相手の思惑通りになるのに納得いかない気持ちは分かるが、それで体を壊しても意味がない。無理矢理、ジャケットを押し付けた。


 ジェフリーは、渋々、私のジャケットを羽織りながら、ポツリと言った。


「……何で、こんないい匂いがするんだ」

「使っている香油を教えようか?」

「そういうことじゃねえ」


 次の瞬間、ジェフリーがくしゃみをした。冷え切った体は、ジャケットだけで温まることはできないのだろう。小屋の中を見渡すが、体を温められそうなものはない。


「ジャケット一枚だけでは、まだ寒そうだな……」

「おい、まさか……」

「原始的だが、身を合わせるか」


 私が立ち上がり、近付くと、ジェフリーは悲鳴のような声を上げた。


「止めろ、近付くな!」

「噂になることなら気にするな。私の名にかけて、どうにでもする」

「そういうことじゃないんだよ!!」

「温まったら離れる。大人しくしていろ」


 なおも抵抗しようとするジェフリーを正面から抱き込んだ。私が靴底を上げ、背を大きく見せていることもあり、普段は少しジェフリーの方が大きいだけのような気がしていたが、抱き込んだジェフリーの体は自分より一回り大きく、筋肉がついていて硬かった。


 この距離で触れ合い、私がジェフリーに対して体格差を感じたということは、ジェフリーも私に対して何か違和感を覚えているかもしれない。女性だとバレるだろうか。というか、護衛は何をしているのか。


 様子を確かめるため、ジェフリーを見ると、緊張しきったように真っ赤な顔で身を固くしていた。こんな時なのに、可愛いなと思ってしまい、つい抱き締める手を強めてしまった。


 それで、何か硬いものが当たったのに気が付いた。


「……ん?」


 硬いものが当たった先を見ると、ジェフリーの股間が、ズボンの上からでも分かるくらい、膨れ上がっていた。その様が、知識としては知っていた、男性が性的興奮を催したときの生理現象と類似していて、困惑した。


 つい、しげしげとジェフリーを眺めてしまったところで、私の視線に気が付いたジェフリーが顔を更に真っ赤にした後、自暴自棄になったように言った。


「くそッ。軽蔑するならしろよ!」


 信じがたいが、推測は当たっていたようで、ジェフリーは私相手に性的興奮を覚えているらしい。


 ジェフリーはしばし俯いた後、こちらの目を見て苦しそうに吐き出した。


「……気持ちは隠し通すつもりだったんだ。でも、本当はお前が好きだ」


 思ってもいない展開に何も言えないでいると、ジェフリーは再び俯き、寂しそうに言った。


「分かっただろう。離れろ。お前にこんな想いを抱えた奴が側にいたら気持ち悪いだろう……」




 ハッと我に返った。まさかジェフリーがそんな思いを抱えていたとは知らなかったとはいえ、不安な思いをさせて悪かった。


「……いや。割と、というか、かなり嬉しい」

「は?」

「近いうちに、こちらからお前を口説くつもりだった。予定より早めるだけだ」

「え?」

「確認するが、お前、私の性別に拘りはないな?」

「な、ないけれど……」


 状況が理解できないようで、慌てふためいていたジェフリーだが、目を彷徨わせた後、何かに気が付いたように、疑いの目を向けた。


「いや、嘘だろう! 慰めようと変なことを言うなよ。だ、だって、お前は……」


 ジェフリーが示したのは、私の股間だった。即物的な判断理由に苦笑する。


「ああ、これは仕方ないんだ」


 こちらの言うことを信じないというように顔を逸らしたジェフリーの顎を指先で掬い上げ、目を合わせた。


「本当のことを話そう。お前の悩みは解決するはずだ。いや、新たな悩みを増やしてしまうかもしれないが……」

「この体勢を止めろ。さっさと言ってくれ!」


 少し迷っていたが、ジェフリーが促すので、ソワソワした気持ちで口を開いた。


「では、私の本名をお前に伝える。『アリーシャ・ライアン・ハムレット』という」

「ハムレットというと……王家の……」

「そう。私がこの国の『王女』だ」




 ジェフリーはしばし動かなくなった後、「わああああああああ?!」と絶叫した。


 この後、見計らったようにすぐのタイミングで、私の護衛が小屋のドアを破り、ジェフリーと私は助け出されたことを申し添える。






 私が王女であることは、卒業の際に発表予定だったが、予定を早め、その後すぐに、全てを詳らかにした。


 事の顛末を知ったアマレッタとカラーは、ウィンルド侯爵家の令嬢を呼び出し、注意してくれた。護衛から聞いた話によると、二人は誰もが震えあがるような厳しい説教をした後、「推しにできることは、応援し、ただ見守るのみ」「望まれてもいないのに、自ら何か行動を起こそうなど思い上がったことをしてはいけませんわ」「二人の間に入る者は、馬に蹴られて何とやらです」と、ウィンルド侯爵令嬢に心構えを説いていたらしい。何についての心構えかは分からないが。


 卒業式後のダンスパーティーでは、『アリーシャ・ライアン・ハムレット』としてのドレス姿のお披露目に加え、『ライアン・ハイデルベルク』であったときの男装もして、多くの女子生徒とのダンスも楽しんだ。呆れた顔をしたアマレッタも、ケラケラと笑うカラーも、私とのダンスに付き合ってくれて、盛り上がった。


 なお、私が王女であることが知れ渡った後、アーバスノット伯爵家の長男とナッサウ子爵家の長男は、羨ましがっていた『継ぐものがない気楽な立場』になれたので、良かったと思う。






 そして、宰相の仲立ちにより、ジェフリーと私は婚約を結び、卒業後、結婚した。


 結婚式を挙げた日の夜、王宮の自室で待っていると、少し緊張した面持ちでジェフリーがやって来た。これから初夜だ。


 ここまで来ても、ジェフリーは何処か信じられない様子で浮き足立っている。


「未だに信じられねえ。結婚できてしまった……」

「実は王家は、代々、恋愛結婚を推奨されているんだ。配偶者だけは好きに選んでいい。ただし、他はすべて国に捧げる」

「そんな相手が俺でいいのかよ……」

「無論だ。お前がいい」


 未だに部屋に入ってすぐのところにいるジェフリーを誘うべく、近付き、手を頬に添えた。


 見上げた先にいるジェフリーは驚いた顔をしていた。


「お前、こんなに小さかった?」

「身長はそんなすぐに変わらないが。でも、そう言えば、学園にいる時は、靴の底を上げていたし、王女と明かしてからも、高いヒールを履くようにしているからな」


 寛ぐ場である私室では、ヒールがなく、踵の部分を踏んで歩くこともできる柔らかい革でできたスリッパを愛用していた。


 これまで目線が変わらなかったが、今は、私がジェフリーを見上げている状況だ。更に、髪は卒業後に伸ばし始め、セミロングの長さになっている。


 気の置けない友人としてではなく、自分のことを女性として、ジェフリーが意識しているのかと思うと、気分が昂った。


「よし、するか!」

「わっ……!」


 絹ででき、レースが縁取られた淡いバイオレットのネグリジェを勢いよく脱ぐと、ジェフリーは真っ赤な顔になって、狼狽えた。


「大丈夫か?」

「大丈夫じゃない……」


 ジェフリーはどうしようもなく苦しそうな様子で、胸を抑えている。


「そうか。たわわとは言い難いが、乳房もついている。やはり女だと思い知って、違和感があったか……」

「違う! 逆だ。やばいんだよ。頭がおかしくなりそうなくらい、可愛い」

「は? どう考えてもそこまで可愛くはないだろう」


 凛々しいと評価されるのも、女性から好意的に見られることが多いのも、自覚しているが、そんな評価は受けたことはない。


 ジェフリーは、怪訝な顔を向ける私を寝台に連れ込むと、当然のように言う。


「存在が愛おしいんだよ。お前のこと、どれだけ好きだと思っているんだ。俺はな、性別の壁だって、超えたんだ」

「超えていない。勝手に超えた気になるな」

「あんなもん、超えたも同然だろう」


 反論しようとしたところで、ジェフリーは私を押し倒し、口付けた。結婚式のとき、人前で結婚を誓った時のものではなく、長く優しいものだったが――


 最後に舌を入れてきた。


「んっ……!」


 思っていたより濃厚な口付けに驚くこちらの唇を解放すると、ジェフリーは不敵に笑った。


「ここから先は、やられっ放しじゃないからな。覚悟しておけよ」


 その様に、小さく笑い声を漏らしてしまった。ジェフリーは目敏く気付き、不満そうにした。


「……余裕そうだな」

「そんなんじゃない。でも、何でもいいよ。好きにしてくれ。お前は、どんな私でも受け入れてくれるんだろう」

「ああ、もう……」


 ジェフリーは、再び呻くと、私に手を伸ばした。


 翻弄する手は、友だった時は知らないような意地の悪さを見せることもあったけれど、やはり優しかった。




 身も心も結ばれ、気恥ずかしくなる甘い雰囲気の中、二人で寝転んでいたが、ふと思うことがあり、部屋の窓から覗く大聖堂の方に向いた。


 ジェフリーが私に聞いた。


「何をしているんだ?」

「先祖に感謝と誓いを捧げようと思って。お前に会えたこと、そして――」

「おい、待て!」


 ジェフリーが慌てて、私を止めた。ジェフリーは急いで服を着て、私にショールを被せ、一呼吸ついた。そして、私の前に跪いた。


「私を選んでいただきありがとうございます。国のために生きる貴女を、私の生涯を掛けて、幸せにします」


 それは私がまさに誓おうとしたことで、先を越された形になった。


 でも、悪い気はしなくて、笑みを浮かべると、ジェフリーも笑い返してきた。


「あぶねえ。いいところが一つもなくなるところだった。見せ場を全部、奪っていくなよ」


「王女だと分かる前から私を見つけてくれたお前は、もう十分、格好いいよ」


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― 新着の感想 ―
テンポ良く、とても面白いお話を、ありがとうございます! ヒロインもヒーローも可愛カッコ良くてニヨニヨしちゃいました! 
めちゃめちゃ面白かったです! 二人の絶妙な恋模様に心を奪われました……。 素敵です、ありがとうございます!! この後どうなっていくんでしょう……続きが気になります┌(・。・)┘♪
2025/02/01 09:00 退会済み
管理
とても楽しく読ませていただきました。
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