第二章 誤解と二年間の空白(2)
王都を出て早三日。
コトコトと揺れる馬車から見えるのは、どこまでも広がる田園風景だ。農夫が側道にある切り株に腰を掛け、休憩を取っているのが見える。
「王都とはずいぶん景色が違うのね」
「本当に、のどかですね」
リーゼロッテの呟きを拾ってそう返したのは、向かいの席に座る侍女のライラだ。いつものメイド服ではなく、落ち着いた色合いのシンプルな詰襟ワンピースを着ている。
「それにしても、ラフォン辺境伯はどのようなお方なのでしょう? 噂では、血に塗られた辺境伯だと」
ライラは不安げにリーゼロッテの顔色を窺う。
「きっと、噂話は大袈裟なだけで大丈夫よ。ほら、わたくしだってとんでもない悪女ってことになっているみたいだし、閣下もきっと同じだわ」
「そうだとよいのですが」
ライラはなおも不安げだ。
「もしも酷いケダモノだったら、わたくしが命に代えてでもリーゼロッテ様をお守りします!」
ライラはぎゅっとリーゼロッテの手を握る。
「まあ、大袈裟ね。でも、それはだめよ。ライラに何かあったら、わたくしが悲しいもの。それに、大事な恋人に怒られてしまうわ」
リーゼロッテはくすくすと笑う。
ライラはリーゼロッテ付きの侍女だが、王都にいる騎士の恋人と婚約している。愛し合うふたりを物理的に引き離すことは気が引けるので、ラフォン領まで送り届けてもらったら、そのあとは王都に戻ってもらうつもりだ。
リーゼロッテがラフォン辺境伯に嫁ぐと決まったとき、ライラは笑顔で『お供します』と言ってくれた。本当は嫌なはずなのに、ひとり嫁ぐリーゼロッテのことを思い、そう言ってくれたのだ。
(その気持ちだけで、十分だわ)
大切な存在である彼女には、幸せになってもらいたい。
(本当に、よいお方だといいな)
リーゼロッテはまた、車窓から外を眺める。いつの間にか、周囲は畑も何もない荒れ地に変わっている。村を抜けたのだ。
しばらく単調な揺れが続いていたが、不意に馬車ががくんと揺れた。
いつの間にかうとうとしていたリーゼロッテはハッとして、目を覚ます。窓の外は薄暗くなっており、すぐ近くに煌々と灯火が燃えているのが見える。オレンジ色の明かりに照らされ、周囲をたくさんの人が往来しているのが見えた。皆、黒い軍服を着ている。
「お嬢様、ラフォン辺境伯の屋敷に到着いたしました」
近づいてきて窓越しに話しかけてきたのは、屋敷から連れてきた護衛だ。
「わかったわ。ありがとう」
リーゼロッテは護衛にお礼を言う。それとほぼ同時に、馬車の扉が外から開かれた。
(すごい……。まるで要塞みたい)
開かれた扉からまず目に入ったのは、巨大な建物だった。王都でよく見る三階建ての窓がたくさんついた屋敷ではなく、ブロックを積み上げた要塞のような建造物だ。至る所にかがり火が灯されており、建物全体がオレンジ色に浮かび上がっている。
「どうぞ」
リーゼロッテの目の前に、白い手袋をした手が差し出される。
見上げると、リーゼロッテの父であるオーバン公爵よりやや若いくらいの年頃の男性がこちらを見つめていた。白髪交じりの茶色い髪は後ろでひとつにまとめられ、白いシャツの上に、ズボンと同じ黒色のジャケットを着ている。
(この方はテオドール様ではないわよね?)
どう見ても軍人には見えないし、二十五歳にも見えない。
「はじめまして。リーゼロッテ=オーバンでございます」
馬車から降りたリーゼロッテは、相手が誰であろうと失礼があってはならないと丁寧に挨拶をする。
「お待ちしておりました。私はラフォン辺境伯家で家令を務めておりますセドリックでございます。どうぞ、セドリックとお気軽にお呼びください。旦那様はまだ外出先から戻っておりませんので、先に部屋に案内します」
「ありがとうございます」
お礼を言うと、セドリックは灰色の目を少しだけ細める。
(態度と口調は丁寧だけど、警戒されている感じね)
リーゼロッテ自身を見定めようとしているような視線に、居心地の悪さを感じた。
(王命で性悪な女を押し付けられたのだから、それもそうよね)
屋敷の玄関で出迎えてくれている使用人たちも、心なしか視線が冷たい。
「皆様、はじめまして。これからよろしくお願いします」
リーゼロッテはしっかりと顔を上げ、彼らに笑顔を向ける。
にこりと微笑んで挨拶をすれば、それまで鋭い視線を向けていた使用人たちがはっと息を呑むのがわかった。
(何もやましいことなどないのだから、俯いちゃだめ)
リーゼロッテは自分自身に言い聞かせる。将来はオーバン公爵家を切り盛りする身として育ってきた矜持が、リーゼロッテを凛とさせた。
セドリックに案内された部屋は、屋敷の三階に位置する一室だった。この屋敷は三階建てなので、最上階ということになる。
「何か不足するものがあったらなんなりと彼女に申し付けください。こちらは奥様付きの侍女になるアイリスです」
部屋の前で紹介されたのはまだ年若いメイドだった。茶色い髪をみつあみにしており、まだあどけなさが残る顔立ちから十代だろうと予想がつく。黒いワンピースタイプのメイド服に白いエプロンをしており、頭にはメイド用のヘッドレスを着けている。
「どうぞよろしくね」
声をかけると、アイリスは表情をこわばらせたまま頭を下げる。その機械的な動作に、彼女からもあまり歓迎されていないことを感じた。