◆ イラリア王女の策略
イスタールの第三王女として生を受けたイラリアは、小さなころから何不自由ない生活を送ってきた。望めば叶わぬものはなく、何もかもが思い通りになる。
そう思っていたのに──。
「今、なんと言ったの?」
「私には婚約者がおり、ゆくゆくは彼女の家を継ぐため騎士の職を辞するつもりだと──」
俯き加減にそう答えたのは、最近イラリア付きになったばかりの近衛騎士だ。アドルフという名のこの騎士は名門ラット伯爵家の次男で、イラリア好みの人目を惹く美しい容姿をしている。さらには、限られた騎士にしか乗りこなすことができないヒッポグリフに乗ることもできるという。
(わたくしの近衛騎士にぴったりね)
見目美しい男をそばに侍らせ、連れまわすのは気分がいい。イラリアは初対面のときからアドルフを気に入り、新入りにもかかわらず誰よりも彼をそばに置いた。
「お前はずっと、わたくしの近衛騎士でいることを許すわ」
ありがたく思えとばかりに告げた言葉に対して返ってきたのが、先ほどのアドルフのセリフだ。
「どこの令嬢と婚約しているの?」
「オーバン公爵家のリーゼロッテと──」
(オーバン公爵家のリーゼロッテって……)
何度か舞踏会で挨拶をされた記憶がある。たしか、凛とした雰囲気の美人で、多くの男性を魅了していた。さらに、彼女は才媛としても評判だった。
(ふーん。気に入らないわ)
気に入らない。イラリアの欲しいものを邪魔する人間など、存在する価値すらない。それが、周囲から高く評価された高位貴族の美女であれば、なおのことだ。
だから、消えてもらうことにした。
(問題は、どうやってそれを実行するかね)
オーバン公爵家は名門貴族で政界への影響力も強い。単に婚約解消を命じただけでは激しい抗議にあい、うまくいかないだろう。成功させるためには、リーゼロッテ自身に悪者になってもらう必要がある。
人間だれしも、ひとつぐらい疚しいところがあるはず。そう思ってイラリアは部下たちにリーゼロッテについて調査させたが、何もでてこない。
(どういうことよ!)
思い通りに話が進まず苛立ちを感じていたある日のこと、イラリアは自分の侍女とアドルフが親しげに話しているのを見かけた。
急激に頭に血が上り、激しい嫉妬心が湧き上がる。
その侍女が紅茶を運んできたタイミングで、わざとカップごと零して彼女の手にかけた。
「熱っ」
侍女は咄嗟に手を引く。淹れたての紅茶がしっかりとかかった肌は、真っ赤な火傷になっていた。
(いい気味)
痛みに顔を歪める侍女を見て、すーっと溜飲が下がる。そして、閃いた。
(そうだわ。リーゼロッテが嫉妬にまみれてわたくしの侍女に悪さしたことにすればいいのよ)
イラリアはちょうど目についた子爵家出身の侍女を手招きする。たしかこの侍女の実家は、事業の失敗で借金を負っていたはず。
「ねえ、お前。ちょっと来て」
「はい」
呼ばれた侍女は戸惑いつつもイラリアの側に寄る。
「お前に折り入って頼みがあるの。オーバン公爵家のリーゼロッテ様についてなんだけど──」
意味ありげに顔を寄せて耳打ちすると、侍女は大きく目を見開く。
耳元から顔を離したイラリアは侍女を見つめにこりと微笑むと、自分の指から嵌めていた指輪をひとつ抜き、彼女に握らせる。
「これはあなたに」
「こ、こんな高価な物、いただけません」
「いいのよ。あなたに持っていてほしいの。家族を路頭に迷わせたくはないでしょう?」
侍女ははっとしたように息を呑み、ぎゅっとその指輪を握り締める。
「お任せくださいませ。必ずや期待に応えて見せます」
「期待しているわ」
部屋を出て行く侍女の後ろ姿を見送り、イラリアは人知れず口の端を上げる。
(人を従わせるのなんて、簡単なものね)
リーゼロッテの悪評が社交界に広まるまではそう時間がかからないだろう。
(ふふっ、楽しみだわ)
アドルフの側からリーゼロッテを排除できる。そう思えば、あんな指輪ひとつなど安いものだ。