◆ アドルフの後悔
アドルフはわなわなと震える。
「くそっ!」
怒りに任せて殴りつけた窓ガラスは音を立てて粉々に砕け散る。拳からは血がしたたり落ちた。
「こんなはずではなかった」
二十代半ばにして近衛騎士の副団長まで登り詰めた。イラリアの寵愛を一身に受け、爵位の高い連中ですらアドルフには強く出ることができなかった。
それほどまでに、この数年間は権力をほしいままにしてきたのだ。
それなのに──。
──あの日、ヒッポグリフから転落したアドルフは大けがを負った。最後に見たのは、自身の半身ともいえるヒッポグリフが無残にドラゴンに食いちぎられる光景だ。
意識を失い、気が付いたときには見知らぬ部屋のベッドで寝ていた。
周囲に状況を聞くと、イラリアは外務大臣や複数の側近たちの証言からドラゴンを刺激して町に被害を出した原因を作ったとして、離宮にて無期限の謹慎処分になったという。
顔に大きな傷を負ったらしいと風の便りに聞いたが、会っていないので真偽のほどは確認しようもない。
そしてアドルフは、そこから坂を転がり落ちるがごとく転落していった。
まず、近衛騎士の職は『同行していたにもかかわらずイラリアを守り切れなかった』という理由で解任された。そして、相棒のヒッポグリフが死んだことで幻獣騎士団にも戻れなかった。
それでも、アドルフはかつて近衛騎士団の副団長を務め、少数精鋭の王都幻獣騎士団の一員であるほどの剣の使い手だ。普通の騎士であれば職に就くことも可能だった。
だが、そこではプライドの高さが邪魔をした。
かつて格下に見ていた奴が自分の上司になる。アドルフにとっては耐えがたい苦痛だ。そのストレスから逃れるように、酒を浴びるように飲むようになった。
一度染みついた生活レベルを下げることはできず、王都でも有数の高級店で気の向くままに高級酒を頼んだ。当然支払いはだるま式に膨れ上がり、あるとき実家から『これ以上ツケは肩代わりしない』と突き放された。
爵位もない、身分もない、金もない。友人も、いつの間にか周りからいなくなった。
何もかも失い、乾いた笑いが漏れた──。
ぽたりぽたりと血が滴る手を見て思い出すのは、リーゼロッテのことだ。
騎士として任務に当たっていたアドルフは、時折小さな怪我をすることがあった。そんなとき、リーゼロッテは丁寧に手当てをしてくれて、「大変なお仕事お疲れ様です」と微笑んだ。
ふと、イラリアに断罪された際に懇願するような目で助けを求めてきたリーゼロッテの姿が脳裏に蘇る。
(もしあのとき、彼女の味方をしていたら──)
そんなタラレバを語っても過去は変えられない。リーゼロッテの手を離したのは、アドルフのほうなのだから。
アドルフは、記憶の中で微笑むリーゼロッテに手を伸ばす。
触れるか触れないかのところで、彼女の幻影は掻き消えた。




