第五章 王女の来訪(11)
◇ ◇ ◇
初めて見るドラゴンは、リーゼロッテの想像より数倍大きかった。離れていても、優に数メートルを超える巨体であることは認識できた。全身が青光りする黒の鱗で覆われており、大きな翼は蝙蝠のようだ。
「きっとあそこにイラリア殿下がいるわ。行くわよ」
リーゼロッテは乗馬するときの要領で手綱を引き、ヒッポグリフのわき腹を軽く蹴る。すると、ヒッポグリフは大回りしてドラゴンに背後から近づいた。
リーゼロッテは身を乗り出し、目を凝らす。
「いたっ!」
地上を動く小さな影が見えた。白のアクセントが付いた紺色のドレスは、今日イラリアが着ていたものだ。それに、近くにアドルフらしき人影も見えた。そして、イラリアは両手で丸いボールのようなものを抱えていた。
「あれは……卵? ドラゴンの巣から卵を盗んだの? なんてこと……」
リーゼロッテはあまりの愚行に、片手で自分の口を覆う。卵を盗まれたら、ドラゴンでなくとも怒るに決まっている。
怒り狂うドラゴンは、周囲の木をなぎ倒す。その木が、イラリア達がいるすぐ近くに倒れるのが見えた。
「危ないっ!」
リーゼロッテの乗るヒッポグリフは急降下する。
「イラリア殿下!」
リーゼロッテが呼びかけると、イラリアはハッとした様子で上を見る。
「いいところに来たわ。わたくしを助けなさい」
「卵を置いて行ってください」
「嫌よ。これを孵して、わたくしの近衛騎士はドラゴンに乗る幻獣騎士になるのよ」
「だめです。ドラゴンが怒っています。卵を置いて行って」
リーゼロッテはヒッポグリフから下りてイラリアから無理やり卵を取ろうとした。
「うるさいわね! わたくしに命令しないで!」
逆上したイラリアに体を強く押され、リーゼロッテはバランスを崩して尻もちをつく。
「きゃっ」
地面に叩きつけられたリーゼロッテが見たのは、今まさにヒッポグリフに跨って飛び立とうとするイラリアとアドルフだ。
「せいぜい、いい囮になってね。さようなら、リーゼロッテ様」
イラリアはアドルフのヒッポグリフに跨りにこりと微笑むと、片手を小さく振る。
飛び立ったヒッポグリフに気付きドラゴンがこちらを向いた。縦に走る瞳孔がまっすぐにリーゼロッテを見据える。
(う、嘘っ)
死ぬかもしれない。本気でそう思ったのは、初めての経験だった。
脳裏に「愛している」と囁いているテオドールの顔がよぎり、リーゼロッテはぎゅっと目を瞑る。
「旦那様っ!」
その名を呼んだのは、無意識だった。
ふいに体が力強く引き寄せられ、ぎゅっと抱き締められる。
「リーゼロッテ! 大丈夫か!?」
焦ったような声は、大好きな人のものだった。顔を両手で覆っていたリーゼロッテは恐る恐る、後ろを振り返る。
「旦那様……!」
心配そうにこちらを見つめるテオドールの顔を見た瞬間、緊張の糸が切れたように涙が零れ落ちる。リーゼロッテはルカードに乗るテオドールに抱き寄せられていた。ルカードはドラゴンから距離を取るように、空を飛ぶ。
「旦那様っ。イラリア……殿下がっ、……ドラ……ゴンの──」
きちんと説明したいのにしゃくり上がってしまい、上手く声がでない。
「わかっている。大丈夫だ」
テオドールは安心させるように、リーゼロッテの背中をトントンと叩く。そして、鋭い視線を前方に向けた。
「なんて愚かな」
リーゼロッテもテオドールの視線の先を追う。そこには、ヒッポグリフに乗り逃げようとするイラリアとアドルフがいた。
背後からドラゴンが近づき、彼らの乗るヒッポグリフに噛り付く。
「危ない!」
乗っていたふたりが真っ逆さまに地面に落ちてゆくのが見えた。




