第五章 王女の来訪(10)
「はい。リーゼロッテ様はどちらに?」
「わたくしは獣舎に行くわ」
リーゼロッテはそう言い捨てると、走って獣舎へと向かった。息を切らせてようやくたどり着いた獣舎では、二匹のヒッポグリフがのんびりと昼寝をしていた。
「ねえ、お願い。助けて!」
リーゼロッテはヒッポグリフに訴える。
馬車では森の手前までしか行けない。そこから歩いてイラリア達を探すのは無理だ。
「イラリア殿下を探さないといけないの。ドラゴンの巣を捜しに行ってしまって──。お願い。わたくしひとりの力では探せないわ」
これはある意味賭けだった。
ヒッポグリフは通常、パートナーとなった相手しか背中に乗せない。けれど、今の状況では頼れるのがこの二頭しかいなかったのだ。
(やっぱり無理かしら……)
諦めかけたそのとき、ヒッポグリフの一頭が体を屈める。
「……っ、もしかして乗れって言っているの? ありがとう!」
リーゼロッテはそのヒッポグリフに乗ると、「ドラゴンの巣を探して」と伝える。ヒッポグリフはまるで言葉を理解したかのように飛び立った。
「きゃっ!」
急に高度が上がり、恐怖を覚える。それに、今はリーゼロッテを後ろから包み込んでくれるテオドールはいない。
リーゼロッテはもう降ろしてと怖気づきそうになる自分を必死に叱咤する。
さすがにヒッポグリフは速く、ものの数分で森の上へと到着した。周囲を見回すが、一面に生い茂る緑以外は何も見えない。
「どこなの?」
諦めて屋敷に戻ってくれたならそれでいい。けれど、もしドラゴンの巣を探し出して、彼らを怒らせてしまったら──。
焦りだけが募ってゆく。
そのとき、「ガオオオオー」と地鳴りのような音が響き渡った。リーゼロッテは人生で一度も聞いたことがないような大きな音で、びりびりと空気が震えるのを肌で感じるほどだ。
「何?」
音がしたほうを振り返ったリーゼロッテは息を呑む。
「ドラゴンだわ……」
晴天だった空が、あっという間に厚い雲に覆われていった。
◇ ◇ ◇
一方その頃、テオドールは東部の山岳地帯にいた。昨晩遅くに発生した山火事は一時大きく広がったが、今はほぼ沈火している。
「ルカード、助かったよ」
テオドールがぽんぽんと首を撫でると、ルカードはフンと鼻を鳴らす。
今朝、現地に到着したテオドールは状況を確認してすぐに人の力で鎮火させるのは困難だと判断した。
そこで、ルカードに頼んで山の火口に住むサラマンダーの力を借りたのだ。火の精とも呼ばれるサラマンダーは、炎を自在に操ることができる。
人間が助けを乞うても幻獣が協力してくれることはまずないが、ルカードが頼むと同じ幻獣同士ということでこうやって協力してくれることが多々あるのだ。
「さあ、戻るか」
テオドールがそう言ったそのとき、遥か遠方から地響きのような音が聞こえた。
「なんだ? 屋敷の方角だな」
音がした西の方角に目を凝らすが、肉眼では何も見えない。
〈ドラゴンの雄たけびだな。これは、相当怒っているぞ〉
「なんだと。ドラゴン? ……まさか」
テオドールは ハッと息を呑む。
(誰かがドラゴンに近づいて怒らせたのか?)
今朝の火災騒ぎのせいで、幻獣騎士団の団員の大部分はテオドールと共に東部まで来ている。今ドラゴンが町を襲ったら、食い止めるのは困難だ。
脳裏に、リーゼロッテのことが浮かぶ。
「ルカード、戻るぞ」
〈ああ、任せろ〉
テオドールが合図するのとほぼ同時に、ルカードは空を疾走する。翼を持つグリフォンは馬の何倍もの速さで走ることができる。それなのに、今日はこの時間がもどかしく感じた。
(何もなければいいのだが……)
テオドールは屋敷の方向を真っすぐに見つめる。
一分一秒が、永遠のように感じた。




