第五章 王女の来訪(8)
朝食の席で、テオドールがいないことに気づいたイラリアは早速不満を零し始めた。
「ねえ。どうしてテオドール様がいないの?」
「ですから、領地の端で山火事がありまして──」
「そんなの、放っておけばいいでしょう」
なんの躊躇もなく言い放たれた台詞に、リーゼロッテは言葉を失う。
山火事が広がって人が住むエリアに延焼すれば、多くの人達が亡くなる。命が助かったとしても、町全体が大打撃を受けるはずだ。
それなのに、放っておけばいいと言える神経が理解できない。
「テオドール様はラフォン領の領主です。領民の平穏を守る義務があります」
「たかが平民でしょう? わたくしは王女なのよ? どっちが優先されるかもわからないなんて。今日もグリフォンに乗せてもらおうと思っていたのに──」
見かねた外務大臣が「殿下」とイラリアを諫める。するとイラリアは不本意そうに顔を顰めた。
(どうしましょう。言葉が通じないわ)
これでは、まだヒッポグリフのほうが意思の疎通が図れる気がする。本気でそう思ってしまうほど、言葉が通じない。
一方のイラリアはふと何かを思いついたように表情を明るくした。
「そうだわ。わたくし、リーゼロッテ様にお話があるの」
「わたくしに?」
「ええ。少しふたりきりにしてくれる?」
イラリアが周囲に目配せをすると、側近たちは小さくお辞儀をしてダイニングルームから退室してゆく。
(なんの話かしら?)
ふたりきり、という状況に不安を覚える。
「ねえ、リーゼロッテ様。テオドール様をわたくしにくださらない?」
イラリアがそう言ったとき、リーゼロッテはすぐには言葉の意味が理解できなかった。それくらい、衝撃を受けたのだ。
「……おっしゃる意味がわかりません。テオドール様はわたくしの夫です」
「でも、それは王室がお膳立てしてできた縁でしょう? だから、王族のわたくしが終わりと言いえば、お終いのはずよ」
(王族がお膳立てしたから、王族のわたくしが終わりといえば、お終い?)
本当に意味がわからない。
リーゼロッテは確かに王室から命じられてテオドールと結婚した。しかし、ふたりは既に正式な夫婦であり、お終いといってその関係を清算するようなものではない。
リーゼロッテが何も答えられずにいると、イラリアはさらに言葉を続ける。
「〝血に 塗られた辺境伯〟だなんて言うからどんな化け物かと思っていたら、あんなに精悍な人だなんて。世界最強の幻獣騎士だし、見目もよいし、ヒッポグリフよりもグリフォンのほうがかっこいいし。彼って、わたくしを守るのにぴったりだと思わない?」
聞きながら、怒りが込み上げてくるのを感じた。
(旦那様は、あなたの自己顕示欲を満たすための道具じゃないわ)
この人は、今の発言がどれだけ人をばかにしているか気づいていないのだろうか。
アドルフのこともこんな風に軽い気持ちで欲しいと思い、臣下達を使ってリーゼロッテを陥れ、婚約破棄させたのだろう。
「思いません」
リーゼロッテは必死に怒りを抑え、低い声で答える。
「え?」
「思いません、と申し上げました。テオドール様はラフォン領の領主であり、わたくしの夫です。申し訳ありませんが、他を当たってください」
きっぱりと告げると、イラリアは大きく目を見開く。まさか、リーゼロッテが歯向かってくるとは思っていなかったのだろう。
「そう。残念ね」
冷ややかな口調で言い放つと、イラリアはすっくと立ち上がる。
(諦めた?)
正直、もっとごねられると思っていたので、リーゼロッテはホッと胸を撫でおろした。




