第五章 王女の来訪(7)
◇ ◇ ◇
自分の隣で眠るリーゼロッテを、テオドールは窺い見る。リーゼロッテはぴったりとテオドールに寄り添いすやすやと寝息を立てていた。
頭を撫でれば、柔らかな髪の感触がした。
──今日の日中のこと。
テオドールとリーゼロッテはイラリアをラフォン領の婦人会へと案内した。イラリアに実際に伝統的な織物の体験をしてもらい、この地の特産品について知ってもらいたいというリーゼロッテの思いから、ひとつき以上前から関係者と調整して実現したものだ。
それなのに、イラリアの『つまらない』というたった一言で計画は全て台無しになった。そして、当の本人は『ルカードに乗りたい』などとテオドールに臆面なく強請ってきた。
イラリアはかつてリーゼロッテを陥れた人間だ。それだけでも万死に値するのに、ここに来てからの彼女の態度にテオドールはうんざりだ。
『ヒッポグリフより速く飛ぶのね。グリフォンに乗る幻獣騎士は、イスタール中探してもあなたひとりしかいないらしいわ』
『そのようですね』
『それに、テオドール様は世界最強の幻獣騎士だとか』
『それはわかりかねます』
最低限の返事しかせずに、苦痛な時間をやり過ごす。
『わたくし、グリフォンに乗る幻獣騎士が近衛騎士に欲しいわ』
『…………』
お前の近衛騎士になるぐらいならリーゼロッテを連れてこの国を出る、という台詞はすんでのところで吞み込んだ──。
ふいに、リーゼロッテが身じろぐ。起きたのかと思ったが、目は閉じたままだ。寝にくいのかと思って少し離れると、追いかけるように体を寄せてくる。
無自覚なその動きにすら、愛おしさを感じた。
(アドルフはよっぽど女の趣味が悪いようだな)
いくら王女といえ、リーゼロッテとの婚約を破棄してあんな女を選ぶとは。
テオドールからしたら理解不能だ。だが、アドルフがその愚かな選択をしてくれたおかげでテオドールはリーゼロッテと結婚した。その点だけは感謝している。
(あと一日か。何もなければいいが)
なんとなく感じる嫌な予感を拭い去るように、テオドールは眠るリーゼロッテの額に触れるだけのキスをした。
◇ ◇ ◇
今日はイラリアがラフォン領で一日過ごす最後の日だ。
「リーゼロッテ。すまない」
「いいえ、大丈夫です。こちらは任せて、行ってらっしゃいませ」
心配そうに見つめてくるテオドールを見上げ、リーゼロッテはにこりと微笑む。やむを得ない事情で出かける彼に心配を掛けたくなかったのだ。
昨日までの予定では、今日はテオドールも一緒にイラリアをラフォン領の景勝地に案内する予定だった。しかし、早朝に東部で大規模な山火事が発生したという情報があり、急遽状況を確認しに行くことになったのだ。
そのため、イラリアの相手はリーゼロッテがひとりですることになった。
元は公爵家の女主人となるべく教育を受けてきたリーゼロッテは一通りのお客様をもてなすスキルを持ち合わせているつもりだった。しかし、イラリアの気まぐれはリーゼロッテの想定範囲を超えており、毎日のようにイレギュラー対応が発生してしまう。
(でも、頑張らないと)
リーゼロッテは自分を叱咤する。
「テオドール様も気を付けてくださいませ」
「ああ、ありがとう」
テオドールはリーゼロッテの頬に触れるだけのキスをした。
「できるだけ早めに戻る」
「はい」
テオドールはルカードに乗って、部下達ともに飛び立つ。その姿が見えなくなるまで、リーゼロッテは彼を見送った。
(さあ、感傷に浸ってないで頑張らなきゃ)
テオドールがいないのだから、自分がしっかりしなければならない。




