第五章 王女の来訪(6)
「リーゼロッテ。ここに来い」
テオドールが立ち尽くしているリーゼロッテを呼ぶ。彼がぽんぽんと叩いたのは、彼の隣──イラリアの反対側の席だった。
「え? でもそこは──」
本来別の人が座る席だ。
「いいから」
おずおずと言われた席に座ると、テーブルの下で手を握られた。大丈夫、と言ってくれていると感じ、不安感が急激に薄れてゆく。
「テオドール様とリーゼロッテ様は随分と仲がよろしいのね」
イラリアはふたりの顔を見比べ、目を眇める。
「ええ、このような良縁を結ぶきっかけをくださった陛下には心から感謝しています」
テオドールは満面の笑みを浮かべ、リーゼロッテの肩を抱き寄せた。
その瞬間、イラリアに明確な悪意を持った視線で睨まれゾクッと寒気がした。まるで蛇に睨まれるかのような感覚で、恐怖心が込み上げる。
そんな緊迫した空気を壊したのは、イラリアに同行した外務大臣だった。
「はっはっは。これは惚気られてしまいましたな。イラリア殿下にも良縁があるとよいのですが」
恰幅の良い外務大臣は、お腹を揺らしながら愉快そうに笑う。それに合わせ、周囲からもどっと笑いが漏れた。
「……ええ、本当にそうですね」
リーゼロッテも無理やり笑顔を作って笑う。
けれど、心の中は凍てついていた。
永遠のように長く感じた晩餐がようやく終わる。ほっと息をついたリーゼロッテはテオドールと一緒に自分の部屋に戻った。
「どうした。元気がないな」
テオドールはソファーの端にちょこんと座ったリーゼロッテの頭を撫でる。その手が優しくて、色々な感情が溢れてきた。
「今日はずっとイラリア殿下と相乗りしていたのですか?」
「いや。ルカードが嫌がるから、一時間も乗っていない。不満そうだったがなんとか宥めた」
「一時間……」
以前、テオドールが以前リーゼロッテを乗せて周遊したときも一時間位だった。二年以上妻でいる自分とイラリアが同じなことに、訳もなく悲しくなってしまう。
「リーゼロッテ?」
テオドールは怪訝な表情でリーゼロッテの顔を覗き込む。
「イラリア殿下が旦那様にべたべた触れていて、嫌でした。テオドール様って親しげに呼んで──」
「リーゼロッテ、どうした?」
「わたくしの旦那様なのに! それに、旦那様と他の女性が相乗りするもの嫌です!」
一度口から出てしまうと、ずっと我慢していた感情が爆発する。一気に捲し立てて、テオドールが唖然としていることに気づき呆然とした。
「ごめんなさい。わたくし──」
なんてことを言ってしまったのだろうと後悔が押し寄せる。
自分はこんなに嫉妬深く醜い女だったのかと愕然とした。アドルフのときには一度たりとも感じたことがない感情だ。
いたたまれなくなって両手で顔を隠すと、「リーゼロッテ」と呼びかけられた。
「旦那様、ごめんなさい。困らせるつもりはなかったのです」
「謝らなくていいから、顔を見せろ」
「嫌です。とてもひどい顔をしています」
テオドールに出会うまで、こんな感情は知らなかった。
いつも淑女然としているのが当たり前で、自分を取り繕うのは得意だと思っていた。なのに、彼の前だと上手く立ち回れない。
「大丈夫だ」
テオドールはリーゼロッテの両手首を握ると、優しく顔から外す。目が合うと、ふわっと笑った。
「リーゼロッテ。可愛い」
両頬を手で包まれ、軽く口づけられた。額、右頬、左頬、鼻と順番にキスを落とされ、最後にまた唇にキスをされる。
「嫉妬深いと呆れていないのですか?」
「呆れない。それだけ俺のことを好きなのだと思うと、可愛くてたまらない。それに、嫉妬深さなら俺も負けていない」
「旦那様も?」
リーゼロッテは意外に思って目を瞬く。テオドールが嫉妬している素振りなど、全く感じなかったから。
「きみの元婚約者が現れたとき、その場で決闘を申し込んでやろうかと思った。婚約期間中、あいつはきみのどこまで触った? それを思うと、八つ裂きにしてやりたくなる」
「どこも触れていません! ……ダンスのときくらいです」
「リーゼロッテが妻になって困ったことがあるとすれば、可愛すぎることだな」
「え?」
思いもよらない答えに、リーゼロッテは赤面する。
すると、テオドールはまたくすっと笑った。
近づいてきた唇が重なり、やがてそれは深いものに変わった。




